第23話:相乗効果
尾崎幸江は失敗したようだ。
新聞を読もうともテレビニュースを見ようとも、帝東大学が破壊されたことは報じられていない。
男の口から舌打ちが漏れた。
暗い部屋の中でパソコンをつけると、苛立ちを紛らわすようにしてインターネットのコミュニティサイトを巡る。
無数にある書き込みの中の一つに男は目を止めた。
「アイドルのリオンを殺してやりたい」という匿名の書き込みである。
男はすぐさま動機を尋ねるレスを返す。
書き込みの張本人はまだサイトを閲覧していたらしく、すぐに食いついてきた。
適当に話を合わせ相手を良い気にさせた後、男は専用のチャットルームに彼を誘いこむ。
ちょうど良いカモが見つかったと男は思った。
おだてれば彼はすぐにでも男に忠実な「小賢者」になるだろう。
奴らは自分のことを小賢者だと自惚れているが、男に言わせれば単なる愚か者である。
自分が利用されているとは微塵も気付かないで、己の命をすり減らすのだ。
真の賢者はこの私だと、男は確信していた。
愚か者を操り、自らの手を汚さず目的を実現しているのだ。
実家の蔵を整理した時に見つかった、発明兵器という名の夢の道具。
男にはそれが神が与えてくれた神器のように思えていた。
――
今日は二年前と変わらない快晴で、空は鮮やかなハナダ色に染まり、積み上がる入道雲とのコントラストが目にしみる。
競い合うように脂っこい声を張り上げる蝉の声を聞きながら、青葉はいっそのこと雨だったら良かったのにと思った。
八月二日。
今日は二回目の千代子の命日であった。
青葉は彼女が殺された時のことを今でもはっきりと思い出せる。
彼女が死んだと聞かされたとき、空は血のように真っ赤な夕焼だった。
千代子の死体には青いシートがかぶせられ、その隙間から彼女の穴だらけの腕がはみだしていた。
それはまるで目のようで、生きている青葉を恨めしげに睨んでいるようだった。
千代子が殺されたことによって青葉の町は大騒ぎになり、翌日のお祭りは延期となったので、お祭りに行くために買った揃いの浴衣は、まだ押入れの中に眠っている。
千代子が死んでから、青葉はまだ一度もそれに触っていなかった。
青葉は頭を振って脳に絡みついた思い出を断ち切ると、重くなった体を引きずってのそのそと身支度を始めた。
本当は一日中部屋に篭もっていたいのだが、尾崎幸江から大賢者に関する情報が手に入ったため、オカルト局で集まりがあるのだ。
最近忙しかったリオンも久しぶりに来るらしい。
青葉が一階に降りると、部屋の掃除をしていたふきが驚いた顔をした。
今日は青葉が一日中部屋から出てこないのだと思っていたのだろう。
青葉は食欲が涌かなかったため、彼女の用意した朝食に手をつけないまま家を出た。
外に出た途端家に引き返したくなるような暑い大気も、夕日商店街の賑わいも、二年前の朝と同じである。
あの朝、青葉は千代子を誘って海水浴に出かけたのだ。
嫌というほど泳いだ後、青葉と千代子はいつもの路地で別れた。
それが永遠の別れになるともしらずに。
千代子が殺されたという川原には、あの日から足を向けていなかった。
何度も花を供えようと思ったが、足を向けようとすると体が石のように硬直してしまうので、どうしても行くことができないのだ。
青葉は駅に行く途中にある花屋の前で足を止めたが、結局何も買わずに、そのまま真っ直ぐ改札をくぐった。
冷房の効いた電車を乗り継ぎ、眩暈がするような炎天下の坂道を登ると、オカルト局に着く。
青葉は金治に一声かけてから地下にある会議室に入ったが、珍しく一番乗りだったらしく、室内にはまだ誰もいなかった。
青葉は誰もいないのを良いことに、ふてぶてしい態度でビロード張りの一人用ソファーに腰をかけて目いっぱいふんぞり返る。
だが豪奢な部屋を独り占めにしているというのに、なぜか気分は晴れなかった。
「あれ、アオバカもういるの?珍しいじゃん」
ノックもせずにリオンがいきなり扉を開けたので、大股開きで椅子に座っていた青葉は慌てて膝を閉じ、マナーのなっていない彼を睨んだ。
半ズボンをはいていたので最悪の事態は回避できたが、それでも太ももの付け根の方まで見られたかもしれない。
「ちょっ、入るときはノックぐらいしてよ」
「何?見られて困る事でもしてたワケ」
そういう問題じゃないんだと青葉は口の中でぶつくさ言いながら、腕を組んで背もたれによりかかった。
リオンは不機嫌な青葉を一瞥もせず、長い足を組んで長椅子に座る。
「そういうあんたこそ早かったじゃん。仕事大丈夫なの」
「こんな事態なのに滅多に来れないからね。ここで埋め合わせしとかないと」
「そっか。大変だね」
「そうでもしないと、どっかの誰かさんにオカ局追い出されちゃうから」
剣呑な台詞とは反対にリオンが朗らかに微笑んでいるので、青葉は彼の真意が分からず首をかしげた。
「それ、どういう意味?」
「そのまんまだよ。僕を追い出したくて仕方ない人間がいるからさぁ」
口調は穏やかだったが、リオンが睨むような目つきで青葉の目をじっと見据えている。
「ちょっと、あたしそんな風に思ってないよ」
「え?別にアオバカだなんて言ってないのに。君僕のことそんな風に思ってたの?」
リオンがわざとらしいそぶりに、青葉はムカついて頭が沸騰しそうになった。
話のフリから既に青葉への嫌がらせが始まっているとは、最近のリオンの手口はオレオレ詐欺なみに巧妙化してきている。
「アンタが睨むからでしょ!。言っとくけど、あたしアンタを追い出そうなんて思ってないから」
「へぇ、てっきりそうだと思ってたのに。意外」
「なんだって、そう思うの」
「だってアオバカ、色々と僕にコンプレックスとか感じちゃってるみたいだから」
コンプレックスという言葉を聞いた途端、青葉は反射的に口を噤んだ。
今感じている仲間たちへの疎外感は、平々凡々な自らが抱いているコンプレックスに由来するものだと青葉本人も自覚していたからだ。
青葉の様子で自分の言葉に確信を持ったのだろう。
リオンはまるで青葉の全てを見通しているかのようなそぶりで話を続けた。
「そりゃあ無理もないよね。トップアイドルと超常能力とかいう訳分からん理由で接していればさ。あ、僕だけじゃないか。つくねや誠治も同じだね。オカ局っていう繋がりがなければ、会話もできないじゃん」
「それで、何が言いたいの」
「君、正直不安なんじゃない?自分がオカ局にいていいのかどうか。だから僕を追い出して、オカ局で揺るぎない存在になりたいんじゃないかなぁって思ったんだけど」
青葉は一瞬、自分の考えが全てリオンに見透かされているのではないかと怖くなった。
彼を追い出そうとは思っていないが、自分がオカルト局にいることに不安を覚えていることは確かである。
嘘をついてもすぐにばれてしまいそうな気がしたので、青葉は素直に自分の心情を吐露した。
「確かに、オカ局にいることは不安だけど……。でも、リオンを追い出すとか、そういうこと考えたりしてないから」
「そっか。不安なんだ。やっぱりね」
意外なことに、リオンはこちらを馬鹿にするようなそぶりは一切見せず、心底同情するような優しげな笑みを青葉に向けて浮かべてみせた。
てっきり彼が鬼の首を取ったかのように勝ち誇るのかと思っていた青葉は、肩透かしを食らった気分だった。
「つらいでしょ。ずっとそんな風に思ってたら」
リオンが今まででは考えられないような優しい言葉をかけてきたので、青葉は戸惑った。
「別に……。そんなこと」
「考えてみたら青葉も可哀想だよね。きんじぃの孫だからって、いきなりこんな生活させられてさ。僕だったら嫌になっちゃうよ」
「……あたしは」
「おまけに仲間はみんな凄い人ばかりでさ。自分だけ普通なの。耐えられないね」
リオンは同情の眼差しを惜しげもなく青葉に向けた後、背筋がぞくりとするような甘い声で囁いた。
「ねぇ、やめちゃえば。オカルト局」
「……え?」
「だってつらいんでしょ?」
リオンは青葉の間近まで顔を寄せると、指を組んでその上に顎を乗せた。
鮮やか過ぎる緑色の瞳が二つ、青葉を見据えている。
彼の顔が人並み外れて美しいことは青葉も良く知っていたが、今のリオンにはまるで神がかりのような雰囲気が漂っており、さすがの青葉もそれに飲まれてしまいそうだった。
「だけど、あたしはまだ……。」
「責任なら感じることないよ。君は赤マントのことがあってなし崩し的に仲間にされちゃったんだから。」
「でも……」
――千代子が。
青葉はそう言いそうになって慌てて口を閉ざした。
「どうしたの?何かオカ局のことで気がかりでもあるわけ?」
「だって、大賢者まだ見つかってないし」
「ああ、そのことを気にしてるんだね。だったらなおさら君はオカルト局にいないほうがいいよ」
「どうして?あたしがいちゃなんかマズイの」
「分からないかな?西田好美のこと、まだ覚えてるでしょ。アレ、みんな優しいから何も言わないけど、アイツが死んだのは君のせいだ」
リオンの優しげな瞳は一瞬にして消え去り、代わりに刃のように鋭い視線が青葉に突き刺さった。
先ほどとは打って変わって、口調も周囲が凍てつくほど冷たくなっている。
「みんなが言わないから、僕が代わって言うよ。青葉、君は正直言ってオカルト局の足手まといだ」
「そんなこと――!」
「そんなことない」と青葉は言おうとしたが、全てを声に出すことはできなかった。
赤マントの時も西田好美の時も、青葉はリオンに助けられてばかりいた。
彼がいなかったら、青葉はとっくの昔に死んでいただろう。
リオンに頼っているという自覚は嫌と言うほどあった。
「大賢者を捕まえたいなら、君はいない方がいいんだよ。君がいなければ、僕たちは確実に彼を捕まえられる」
悔しいが、青葉は断言する彼に何も言うことができなかった。
一連の事件の裏にいるであろう大賢者。
今まで殺された者たちのためにも、青葉は絶対に彼を捕まえたかった。
だが自分という足手まといがいるおかげで、それが阻まれるのだとしたら。
いつかオカルト局が千代子を殺した犯人に辿り着いても、西田好美の時のように自分のせいで取り逃がすのだとしたら。
――あたしはここにいない方が良いのかも知れない。
青葉はそう思った。
もし今日が千代子の命日でも何でもない普通の日だったら、そんな風に思わなかったのかもしれない。
きっと怒ってリオンに掴みかかり、中学の時もそうしていたように、飛び蹴りでも食らわせて黙らせていたかもしれない。
だが今日はそれができなかった。
千代子の命日という巡り合わせは、リオンの言葉に思いも寄らぬ相乗効果をもたらした。
「分かった。あたし、オカルト局辞めるわ」
青葉はリオンに見えないよう、ソファーの端を握り締めた。
少し修正しました。
「かみがかり」と打ち込んだら「髪が仮」と出ました。
リオンはカツラなのかもしれません。