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第2話:白昼夢

 空は、真っ赤な夕焼けであった。

それはもう本当に真っ赤な夕焼けで、まるで誰かの血を空に流したかのようだった。


 ここは青葉の自宅から程近い川沿いにある、土手の上であった。

少し先には大人たちが黒い人だかりとなって、足元にある何かを見つめている。

行ってみよう。

青葉は思った。


 人垣の隙間を縫うようにして前に進み出ると、地面に転がった死体があった。

体のほとんどに青いビニールシートがかぶさっていたが、右腕だけがはみ出ていた。

腕には、小さいものから大きなものまで様々な、無数の穴が空いている。

周りだけ赤黒く、貫通して向こうの景色が見えるその穴は、空いた数だけ目となって青葉を睨んでいるように見えた。

腕の一番先についている、細くて折れてしまいそうな指には、見覚えのある指輪がある。

――ああ、あれは、あたしがあげたものだ――




 目の前にはタバコ臭い刑事たちの顔があった。

狭く灰色の取調室の中で、青葉は泣いていた。


「ホントに何も見てないんです……。あの曲がり角で別れるときアタシ……。“一緒にお祭り行こうね”って言ったんです。でも――」






 赤ん坊の泣き声がした。

仰向けになって目を開けると、自宅の天井がとても高く感じた。

赤ん坊はまだ泣いていた。


 辺りを見回す。

右には乳幼児用の食器とスプーンが見えた。

左には丸くて可愛らしい熊のぬいぐるみが見えた。

青葉が熊のぬいぐるみをじっと見つめると、ぬいぐるみは独りでに持ち上がり、そして弾け飛んだ。

赤ん坊の泣き声が止んだ。

青葉はその声が自分のものだったと分かった。






 青葉が目を開けると、白くて寒々しい天井と蛍光灯が目に入った。

一体ここはどこなのだろう。

ぼんやり青葉が思っていると、いきなり視界に母、ふきの顔が飛び込んできた。


「青葉!目が覚めたの!?心配したのよ!」


 耳慣れた声を聞いて、青葉の頭は段々冴えてきた。

そうだ、自分は横断歩道に飛び出して、ダンプカーに轢かれそうになったのだ。


「お母さん、ここどこ?あたし生きてる?」

「生きてるに決まってるじゃないの、馬鹿!おまけに怪我一つないわよ!ここは病院!全くこの子ったら、親にこんな心配かけて。この親不孝者!」


 ふきの声は前半までしか青葉の耳に届かなかった。

青葉はベットの上から恐るおそる体を起こすとまじまじ全身を眺めたが、体のどこにも包帯やギブスはついていなかった。


「お母さん、あたしあれからどうなったの?ダンプにぶつかりそうになった所までは覚えてるんだけど」

「幸平君たちの話だとね、信号無視して突っ込んできたダンプがあんたにぶつかりそうになって……。そうしたらそのぶつかる直前に、ダンプがいきなり転倒したんだって。

運が良かったわよアンタ。もしまともに衝突してたら、アンタ今頃木っ端微塵よ」


 ふきは感極まってハンカチで目元を押さえる。

パーマでボリュームのついたおばさん特有の鳥の巣ヘアーが、冷房の風でぴょこぴょこ揺れた。


「でもアンタは気を失っちゃってね。念のため救急車で運んでもらったんだけど、異常ないって。良かったわよ、ホントに。5時間病院で眠ってるだけで済んで」

「5時間!?ってことは今何時?」

「外見たら分かるでしょ。もう6時よ」


 最後に見た時は頭のてっぺんにあった太陽が、今はだいぶ傾いている。

青葉は気を失っている最中になんだか長い夢を見ていたような気がしたが、内容はほとんど覚えておらず、漠然と心の中に恐怖感が残っていた。


 結局、大事を取った医者の判断により、青葉は病院に一泊することが決まった。

本当は早く帰ってしまいたかったが、仮に頭を打っていた場合しばらくしてから症状が出ることもあると脅され、医者の言うことに従うことにした。

6時前頃にまずくもうまくもない病院食が夕食として出され、青葉が全て平らげると、ふきが大量のおやつとテレビカードを持って、売店から帰ってきた。

我が母ながらたくましい女だと青葉は思ったが、忙しい家業に穴を開けてまで来てくれたことは素直に嬉しかった。


「お母さんゴメンね。お店お父さん一人になっちゃたでしょ」

「いーのよ、別に。これも親の勤めなんだから。それにあの人だってそれぐらいできるわよ。あ、青葉、テレビつけるけどいーい?個室だと気兼ねなく見れていいわね」

「……何見るの?」

「そりゃもっちろん、リオン君が出る番組に決まってるでしょう」


 ふきは鼻の穴をふがふがさせる。

リオン君とは、今日本全国で絶大な人気を誇る少年アイドルのことだ。

ドイツ系クウォーターで、群を抜いた美貌と甘い声が、全国の女の子のハートを鷲掴みにしているという。

ふきも現在進行形でハートを鷲掴みにされている「女の子」の一人だが、彼の年齢が自分と同じ16歳だということに、青葉の胸中は複雑であった。


 ふきが勇みながらテレビをつけると、画面いっぱいに「緊急生放送!超能力者は本当にいたスペシャル!!」というテロップが躍り出た。

どう考えても胡散臭さが爆発しており、むしろコント的な面白ささえ醸し出している。


「こんなのにリオンが出るの?」

「そこ、リオン君を呼び捨てにしない!スペシャルゲストとして出演するのよ」


 “呼び捨てにするな”は、学校でレミが同じことを言っていたと青葉は思い出した。

彼女も今頃テレビの前で正座して、この番組を見ているに違いない。


 番組は軽薄そうなタレントが進行役を勤めていた。

まず番組の趣旨を簡単に説明し、ゲストの紹介に移って行く。

お目当てのリオン君が僅かに移った瞬間、ふきは乙女のような黄色い悲鳴を上げた。


「ほら見なさいよ、青葉。リオン君綺麗でしょう?でも綺麗なだけじゃないのよ。他のゲストと比べて御覧なさい。オーラが違うのよ、オーラが」

「はあぁ?オーラァ?」

「そう、オーラが全然違うのよ。この子生まれながらのスターだわ。将来絶対大物になる!」


 ふきに体をテレビに向かって押され、青葉が否応なしにリオンの姿を見つめると、彼は青葉に向かって、いや全国の視聴者に向かって屈託のない笑みを浮かべた。

宝石のように輝くエメラルドグリーンの虹彩と、もともと口角が上がっている桜色の唇が、彼の美しい顔の中でも一際目立っている。

細い顎の下から伸びた長めの首と、襟ぐりの広いトップスから覗く鎖骨には、16歳でありながら色気さえあるように見えた。

若干堀の深い整った顔立ちと、すらりと長い手足が、カメラに向かって“見せる”ポーズを決めている。

彼が人より抜群に優れた容姿を持っていることは、青葉にもよく分かったが、ふきのようにハートを奪われるようなことは無かった。


 言葉では上手く言えないが、仕草というか表情というか、彼を見るとそこはかとなく「こいつ嫌な奴だな」と感じるため、いまいち夢中になれないのである。

実際知り合いにいたら、間違いなく気が合わないだろうと青葉は確信していた。

とは言っても、トップアイドルと実際会って話す確立なんて、1億分の1位しかないから、まず関係ない存在なのだが。


 番組は一通りゲストを映すと、早速本題に入っていった。

小うるさい効果音と共に、ロシアに実際にいたという超能力少女の話が始まる。

内容はオカルト番組によくあるものだったが、派手なナレーションがそれを異様なほど盛り立てていた。

途中で嫌と言うほどCMは入るし、はっきりいって見る価値もない番組だと青葉は思った。


「お母さん、もういい加減消そうよ」

「ダメよ。CMの後スタジオに戻るんだから。リオン君も映るでしょ」


 そのCMが終わるまで3分ほどかかった後、ようやく画面になんだか楽しそうな顔をしたリオンが映った。

彼の横にはぶくぶくに太った中年女性が偉そうにふんぞり返っており、その巨体の下に「奇跡の超能力者チャーミアン沙希子」というテロップが表示された。

どうやらこのチャーミアン沙希子が、今から自身の超能力を披露するらしい。

小道具のスプーンが彼女の前に並べられた。


「絶対インチキよ。こんなの」


 青葉の気持ちをふきが代弁した。

彼女の目はリオンの隣に座る「チャーミアン沙希子」への嫉妬にたぎっている。

同じ「ふくよか」な中年女性でありながら憧れの君のそばにいる彼女が妬ましくて仕方ないのだろう。

二人の思いをよそに、チャーミアン沙希子はスプーンを手に取ると、顔中に青筋を浮かべて唸り始めた。

わずかに、握られたスプーンが震え始める。

完全に曲げるまで、一体どれだけ時間を費やすつもりだろうか。

青葉は冷めた目でブラウン管を眺めていたが、いきなり視界が二重にぶれ、激しい頭痛に襲われた。


「――!?」


 額に脂汗がにじみ、呼吸と心拍が加速していく。

内側から圧迫されるような激痛が、青葉の頭を蝕む。

ふきに助けを求めようとしたが、息が詰まって一声も発せなかった。


 穴だらけの右手。


 張り裂ける熊のぬいぐるみ。


 青葉の眼底に、白昼夢の断片がフラッシュバックする。

うずくまる青葉の横で、突然テレビのブラウン管が砕け散り、爆音と共に火花を散らした。


「きゃあ!もうなんなのよ!」


 ぽっかり穴が開きもうもうと黒煙のあがるテレビを見て、ふきが叫ぶ。

青葉は慌てるふきを眺めながら、嘘のように頭痛と動悸が治まっていくのを感じていた。


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