ワラ人形
的は講義を終え、グラウンドへ急いでいた。最近は、放課後の特別講義もなくなり、彼は魔法の練習が思いっきり出来るようになっていた。あの、夢だと思って、呪文なしで、魔法を披露しようとしていた練習場を今目指している。
放課後を楽しむ生徒たちの間を縫うようにして、グラウンドへ。今日、彼には特別ことが起こった。呪文を唱えても、何も起こらなかった二ヶ月前とは違い、小さな光が手のひらから出るようになっていた。順番はめちゃくちゃだが、彼の魔法は少しずつ上達しているようだ。
彼は魔法が少しでもできるようになったことが嬉しくて、次の手順に慌てて入っていた。彼は何を武器にしようかと迷っていた。人混みを避けながら、古代文字の書かれた石板を、素早く目で追つつ、決めかねていた。武器、武器、武器……的の心はその一言に支配されている。
特別校舎の渡り廊下に差し掛かった時、ある光景が的の目に飛び込んできた。校舎をぐるりと囲む形で、長蛇の列が。的の頭の中から、武器という文字は消え失せ、代わりに? マーク一色になった。彼は急に立ち止まり、小首を傾げる。
並んでいるのは九割がた、女子。深刻そうな顔をしている子が多いが、友達とワーキャー!! はしゃいでいる子たちもいる。
「何だ?」
列に近寄ろうとすると、前から二人の少女が、甘いスィーツでも食べてきたような、幸せそうな顔でやっ
てきた。彼女たちは宝物のように何かを抱えていた。
「ん?」
的は何かをじーっと観察し、それが何なのかわかると、
「っ!」
背筋がゾッとした。小さな人形なのだが、素材が問題で、布ではなく、ワラなのだ。的はごくり生唾を飲
み、
「呪いのワラ人形……」
恐怖で固まっている的には目もくれず、少女たちは、
「これでバッチリだね!」
「幸せになれるね!」
ほくほくの笑顔で、通り過ぎていった。的は考える。「幸せ」と「ワラ人形」、二つが結びつくこと……!!
「あっ!」
何かに気づき、的は列の先頭を目指し始めた。悪魔が学園に入り込んで、ワラ人形を配っている!! 大変だ!!
急ぎ足で校舎裏への角を曲がると、美しい月明かりの下、キラキラと輝く噴水。ランタンがあちこちで光の花を開かせている。平和な空間の中に、おどろおどろしい風景が広がっていた。そこが、列の先頭だ。
大きなろうそくが二つ並び、白い布をかけられた祭壇のようなものがあった。その奥には、紺色のフード付きローブを着た人物が。ここからでは薄暗くて、どんな人物かはうかがい知れない。その前に女の子が一人椅子に座っている。不意に風が吹き、ろうそくの炎が怪しげに揺らめいた。助けようとして、的は進み出ようとし、はたと立ち止まった。自分は戦えない。
「と、とにかく、様子を見て、いざとなったら体当たりで……」
魔法が中心のこの世界で、おおよそ現実的ではないことを、ぶつぶつ言っていると、心配げな少女の声が、
「……ということがあったんです」
的が悪魔と思っている、人物は低い声で、
「それは絆を深めるための試練」
そこまでいって、右腕をさっと上げ、
「あれを持ってゆくがよい。恋に効く草で編んだ人形だ。あの中に相手の髪の毛を入れ、持ち歩けば、そなたの願いは叶うであろう」
「恋……?」
あまりに想定外の言葉を口にしながら、紺のローブを着た人物が示した、左へ視線を移した。そこには、ウェディングドレスさながらの人物が。ベールが顔にかかっていて、こちらも誰だかわからない。手提げカゴに色とりどりの花びらに埋もれている、大量のワラ人形を持っていた。
「悪魔がふたり……」
戦えない的にはかなり不利な状況。さっきまで心配そうだった少女は、急に元気になり、椅子からパッと立ち上がった。
「ありがとうございました」
頭をぺこりと下げ、ワラ人形を何の疑いもなしに受け取り、的のすぐそばを、ニコニコしながら走り去っていった。
的は思う。みんな悪魔に魔法をかけられて、騙されているんだ。そうでなくでは、ワラ人形をもらって、嬉しそうにするわけがない‼︎ 先生を呼びにーー。そこで、相手に先に気づかれてしまった。
「あら、まあ……」
のんびり、ふんわりした声が宙を舞った。白いベールはさっと上げられ、シェルピンクのくりっとした瞳が現れた。少女は天を仰ぎ見て、
「神様、出会いを私にお与え下さって、感謝いたします」
祈りを捧げるように言い、明らかにちょっとズレている感じのする少女。彼女は的へ走り寄り、いきなりガバッと抱きついた!
「うわっ!」
女の子とは縁遠く、もちろん抱きつかれたこともない的は、パニックになった。彼はジタバタと暴れ始めるが、女の子の力は意外と強く、振りほどけない。彼女は的の耳元に唇を寄せて、優しく、
「あなたにも神のご加護がありますように」
的の背中を、子供をあやすようにゆっくり二度叩いた。
「…………」
訳がわからなくなり、的の思考は急停止。
「道明寺くんも恋の相談?」
気さくな少年の声が響いた。的は平常心を取り戻し、少女に抱きしめられたまま、声の主を見た。そこには、炎の揺らめく蝋燭の向こうで、紺のローブが佇んでいた。さっきとは声が違っていた。だが、それよりも、的は相手の発した言葉が気がかりだった。
「恋……? ん……?」
目を瞬かせている的を前にして、紺のローブは少しだけ笑った。その時、フードがすっと後ろへ降ろされ、可愛らしい青年が現れた。目元に感じの良い笑みを浮かべていて、さっきの低い声の持ち主とは思えない。髪は毛先が少しカールしている。マンダリンオレンジ色の瞳が、的をまっすぐ捉えている。
「俺は、イグジ ラファイエル、攻撃科、三年」
的は少女に抱きつかれたまま、ほっと胸をなでおろした。やっと気づいたのだ。学園の生徒が占いをしていたのだと。青年の声が違って聞こえたのは、占いらしくしようとわざと低い声を出していたためだった。
的は「攻撃科」という言葉に、待ってましたと思った。少女の手をパッと振りほどいて、イグジの前の椅子へ横入りした。的のまなざしは真剣そのもので、
「君の武器は?」
「ふふふ……」
順番を守らない、大慌ての的を見て、イグジは思わず笑い、
「剣だよ」
「俺の武器は何なのか、占って」
イグジは首を横にゆっくりと振って、
「武器はすでに自分自身の中にあるもの。誰かに聞いたり、教わったりするものではないよ」
簡単ーー楽をして、答えを手に入れようとした自分を、的は恥じた。それを感じ取って、イラズラっぽく、イグジは、
「それに、俺は恋占い専門だしね」
「ははは……」
的は照れ隠しで笑ったのもつかの間、少女の抱きつき攻撃に再び遇う。
「あなたの探し物が見つかりますように」
また、的の背中を優しくとんとんと叩いた。
「…………」
的はうんざりした視線をイグジへ向け、説明を求める。
「彼女は、シャータ ヨリル、治癒科、三年」
そこで、イグジは肩をすくめ、お手上げのポーズを取った。
「シャータは誰に対してもそうなのさ」
「はぁー……」
的のため息が星空に溶けていった。
★ ★ ★
的は額に汗をびっしり浮かべて、手のひらに神経を集中させていた。芝生の上に置いた石板はずっと同じ場所のまま、
「スパスィ!」
もう何度言ったかわからない呪文を、かすれた声で唱えた。どこからか、光が手へ集まり、明るくなった。かと思ったら、線香花火が終わるように、すぐにシュッと消えてしまった。
「はあ……はあ……」
息が切れ、汗が地面へぽたぽたと落ちた。両膝に手を当て、前かがみで呼吸を整えていると、優しい風が吹き抜けてゆく。的は紫と赤の月を見上げ、クピルに教わった月の位置で、時刻を割り出す方法を使った。
「……もう、六時半か……」
右手でひたいの汗をぬぐって、石板を肩掛けカバンにしまった。
「帰るか」
カバンをきっちり斜めがけして、芝生をふさふさと歩き始めた。他の練習している生徒が何人かいたが、同じように帰る準備をしていた。グラウンドを照らす灯りから外れ、特別棟に差し掛かった。
あれから二時間ほどが過ぎている。さすがに、長蛇の列はもうなかった。美しい中庭は静けさを取り戻していた。噴水の音が大きくなるのを聞きながら、的は前を通り過ぎようとした。その時、
「道明寺くん、今、帰り?」
さっき、聞いた気さくな青年の声が響いた。中庭を覗き込むと、シャータと並んでベンチに座って、何かをしているイグジがいた。もう客もいなくなった占い屋が、なぜ、まだ学園内に残っているのが不思議で、的は急に進行方向を変え、土の上をザグザグ歩いていった。イグジたちのまわりには、さっきまでの、商売繁盛みたいな雰囲気はなく、百合の形の街灯が、二人をとても素朴に浮かび上がらせた。
的は無理して、声を出さなくても、聞こえる距離まで来て、
「何してるの?」
尋ねられたイグジは、手を動かしながら、
「ワラ人形作りだよ」
笑顔で言われて、地球人の的は思いっきり嫌悪感を感じ、顔をしかめた。マンダリンオレンジとシェルピンクの瞳は、不思議そうに瞬かされた。
「どうしたの?」
「何か悩みごとでも?」
シャータが人形を脇へ置いたので、的はまた抱きつかれると思い、反射的に後ずさり。
「シャータ、彼はハグに慣れてないんだよ」
立ち上がろうとしていた彼女は、小首を可愛らしく傾げ、イグジをじっと見つめた。
「…………」
考えること数秒。ちょっと不思議少女は、意味が飲み込めたらしく、さっと立ち上がり、
「それは、ごめんなさい」
スカートの裾を持ち上げて、舞踏会で踊りますみたいな仕草を、的にしてみせた。そんな人を見たことがなかった的は、顔を引きつらせながら、
「あぁ……」
ちょっと絡みづらいなと思いながら、話を元へ戻そうとして、ふたりの指先に目がいった。人形を作っているワラのせいなのか、少し血が滲んでいた。籠の中にはたくさんの人形が肩を並べている。なぜ、そうまでして、人形を作るのか、的は気になって仕方がなかった。
「まだ帰らないの?」
イグジは手を止めずに、
「みんなの幸せを願ってるから」
妙に真剣な声色に、的は慎重になった。
「どうして?」
イグジは一呼吸置いて、遠い目で静かに口を開いた。
「人と人が出会うって、奇跡だと思うんだよね。六年前のあの事件が起きてから、俺はそう思うようになった」
六年前のあの事件とは、悪魔がオクト村に現れ、たくさんの人が犠牲になったことだ。イグジとシャータの瞳は影を帯びていた。
「俺もシャータも家族をなくしたんだよ。この学園にいる他の生徒のほとんどもね」
イグジはふたつの月を見上げ、話を続ける。
「せめて、今……これから、幸せであって欲しいと願う。だから、自分にできることをしてるだけだよ」
たったふたつ違いの人間に言える言葉だとは思えなかった。的は何も言えなかった。
「…………」
平和な日本に生まれ、親しい人を亡くしたこともない。毎日、朝がくるのが当たり前で、学校にいけることも当たり前。的はイグジとシャータをぼんやり眺めていた。どんな想いで、人形を作り、配っているのだろう? 的は考えたが、全く想像がつかなかった。彼は次いで渡り廊下に目をやった。まだ、残っていた生徒を何人か眺める。悲しかっただろう、辛かっただろう、予測はできるが、的は実感することはできなかった。
クリティアの言葉が蘇る。『生きてることが奇跡なのさ』。その意味が何を指しているかはわかった。そして、的は思い知る。まだ、自分には理解できないことだと。魔法ができるようにはならないのだと。
ほうけている的に、イグジの明るい声が、
「道明寺くん、人形あげるよ」
我に返えると、月明かりに照らされたワラ人形がドアップに。的はゾッとして、思わず言ってしまった。
「……地球では、呪いの人形なんだ」
恋に効くワラで、人形を作っていたイグジとシャータは一瞬固まり、遠くで、ワオーン! と犬の遠吠えが聞こえた。