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ソティラス (前編)  作者: 明智 倫礼
3/19

導かれて

 ピンポーン!!

 

 来客を知らせる、陽気な電子音が、さっきからひっきりなしに響いていた。その合間を埋めるように、カチャカチャと食器のぶつかる音がし、客たちの話し声がさざ波のように押し寄せている、ここはお昼過ぎのファミレス。


 大きく切り取られた窓からは、暖かな春の日差しが柔らかく差し込んでくる。初々しいカップルが見つめあって、ぎこちない会話をしている席と、遅めのランチをしている仲のいい家族のいる席の間に、なにやら楽しそうに話している高校生の二人組がいた。食事はもう終えたらしく、口を拭いたナプキンとドリンクだけがテーブルの上に広がっていた。


 おそらくこの店にいる誰よりも一番、浮かれている片割れの少年は、ドリンクバーのアイスココアの氷をストローで、カラカラとかき混ぜていた。彼の名前は、道明寺 あき。少ししわのある白いシャツに、ジーパンという出で立ちだった。じっとしていることが多いのだが、今日は珍しく、ニコニコしていて、そわそわしていた。なぜ、彼が上機嫌かというと、今日は三月十六日、彼の十八回目の誕生日だからだ。それに加えて、もうひとつ浮かれている理由があった。秋の真向かいに座る少年が嬉しそうに微笑む。


「入学、本当におめでとう」

「ありがとう」


 素直にお礼を言った秋の真正面の少年は、グレーのカットソーを着て、おしゃれなネックレスをし、薄茶色のチノパンを履いていた。彼は秋の親友の理有りある。秋も年齢の割には落ち着きはあるが、理有は大人たちを納得させるというか、誰でも従ってしまうような不思議な雰囲気を持っていた。今日h、彼らがここにいるのは、秋の誕生日を祝うためだった。


「夢がかなったな」


 理有の言葉に、的の心は最高潮になった。他の客に聞こえるような大きな声で、


「本当だよね! あの双月そうげつ大学の理工学部、天文学科に進学が決まったんだもんね」


 子供みたいにはしゃいでいる的を前にして、理有はくすくす笑った。コーラを一口飲んで、


「的は、大学に行ったら何をするんだい?」


 的はウッキウキで、


「新しい星を見つけたら、自分の名前をつけて、後世に残すんだ!」


 その言葉を聞いた途端、理有の顔色が瞬時に変わった。両肘をテーブルの上に乗せて、黙って的を見つめた。


「…………」


 急に話が途切れてしまったことに、遅れて気づいた的は、少し戸惑い気味に、


「……どうしたの?」

「…………」


 理有は何も答えず、ため息をついた。それは、怒っているようだった。


「え……?」


 的は何が何だか分からなくなり、理有の瞳をじっと見つめ返した。むっとした態度で、理有はようやく口を開いた。


「的……」


 その声は、今まで聞いたこともないような大人びた声だった。的ははっとして、思わず息を飲んだ。


「的、地球を離れたって、宇宙の果てを見つけたって、神様の手のひらの上だってことを忘れるなよ」


 理有は違うことを言いたかったが、浮かれている十八歳の少年に届くはずもなかった。的は自分の夢が小さくしぼみ、軽々しく感じられた。心の奥底から怒りが湧き、イライラし始めた。的はパッと立ち上がって、テーブルへぶつかり、ガタガタと音を立てて揺れ、乗っていてたグラスの氷がカランカランと鳴った。春物のコートを乱暴に掴み、的は理有をきっと睨みつけ、


「もう、いい!」


 そう言い残して、出口へと足早に向かっていった。取り残された理有は頬杖をつき、怒るでもなく、悲しむでもなく、まだ半分以上残っているアイスココアのグラスについた水滴をぼんやり眺めながら、コーラを一口吸って、


「それを忘れて、過ちを起こす人間は多いんだ」


 彼の瞳は高校生、いや人間とは思えないような、まるで別の何かのようだった。ふと顔を上げると、レストランの出口から、的が出ていくところだった。理有は視線を落とし、傍に置いてあった青いリボンのプレゼントを持ち上げ、渡しそびれてしまったことを残念に思い、ため息をついた。


  ★ ★ ★


 一方、怒って帰ってしまった的は、あまりにもイライラしていて、家にどうやって帰ってきたか、全く覚えていないほどだった。彼は怒りで何か物に当たったり、人に話して、解消するというような性格ではなかった。そのため、数時間経った今ーー日が暮れたあとでもまだモヤモヤしていた。いつの間にか夕食の時間になり、いただきますをぼそっと言い、黙々と食べ終わらせ、自分の部屋へそそくさと戻った。


 大好きな星空を見れば、気晴らしになるかと思い、的は上着を羽織って、部屋からベランダへ出た。しばらく、望遠鏡を覗いていたが、イライラは収まらず、レンズから顔を外して、肉眼で空を眺め始めた。


 数時間経っても、モヤモヤは晴れずにいた。ベランダの手すりに両ひじを乗せて、口を尖らせ気味で、


「理有はなんで、あんなこと言うんだ!」


 的と理有は、物心ついた時からの親友。幼稚園の頃から、何かと気の合う仲だった。中学生の時、的は宇宙に興味を持ち、どんなことでも理有に話してきた。今までは、的が宇宙のことを話す時、理有は自分のことのように、快く聞いてくれた。それなのに、今日は違っていた。それどころか、自分に向かって、理有は忠告してきた。的はそれが面白くなかった。


「何だって言うんだ!」


 大好きな星空も気晴らしにはならず、イライラしながら、的はしばらく星空を眺めていた。的は部屋の窓に手をかけた。ガラッと開けた時、壁にかけてあったカレンダーが視界にふと入り、イライラは急に増した。部屋の中へ入り、窓をぴしゃんと閉めて、


「誕生日なのに!」


 小さく叫んで、ベッドにどさっと乱暴に寝転がった。だが、イライラはまったく収まらず、ゴロゴロと転がっていた。同じことがぐるぐると浮かんでは、頭を振って、ぱっと蹴散らすを続けていた。時計を見ると、十一時を過ぎていた。何もする気の起きなかった的は、電気のスイッチに手を伸ばし、紐を引っ張った。


「もう、寝よう!」


 寝てしまえば、忘れてしまう。イライラは消える。そう思ったが、的はなかなか眠れずにいた。閉じたまぶたの裏に、暗い視界が広がる。そこに浮かんでくるのは、理有のあの真剣な眼差しだった。


「んっ!」


 的はイライラして、乱暴に寝返りを打った。そんな時間が、一、二時間ほど過ぎたが、ついに、彼の意識はうとうとし始めた。現実と夢の狭間で、


『君は学ぶんだ……』


 そう聞こえた気がした。


 的は不思議な夢を見た。優しい風が心地よく吹いている、壮大な草原に一人立っていた。あたりは真っ暗闇ではなく、空からほのかな光が降り注いでいた。的は自然と空を仰ぎ見た。不思議な光景が広がっていた。紫の月と呼んで良いのか、表面が凸凹している光る丸いものが浮かんでいた。そして、もうひとつ、ルビーのような美しい赤いものがあった。まるで、兄弟のように空に昇っていた。ふたつの月のまわりには、満天の星々が輝いており、的は思わず吐息を漏らした。


「キレイだ……」


 彼の言葉は風に乗せられ、すうっと消えていった。いつまでもここにいたいと思うような、心地よい静けさだった。的は視線を下へ。豊かな木々が影を作っていたが、不思議と恐怖感はなかった。目のきわに、光るものが映った。白く光る丸いものがいくつもあった。的は何かと思って、近づいてみた。少しかがみ、手をすっと差し伸べて、


「……花?」


 自ら光を放つ、ポピーのようなあものだった。どこかへ導くように、まっすぐ前へ、規則正しく二列に並んでいた。そよ風に踊りながら、光る花の道を作っていた。それを目で辿ってゆくと、四角いブロックを巧みに積んだ、ピラミッドのような三角のものがどっしりと鎮座していた。


「遺跡……?」


 的はピラミッドではなく、なぜかそう呼んだ。誰かが彼の意識を操っているようだった。


『道明寺……的……』


 落ち着き払った男の声が、自分の不意に呼んだ。どこから聞こえてきたのか、声の出所を探そうと、的の視線はあちこちうろついたが、正面でピタッと止まった。いつの間にか、光る花の先ーー遺跡の入り口に、真っ白なローブが風にひらひらとなびいていた。顔はフードの影になって、伺い見ることはできなかった。


「誰?」


 的ははっきりとした声で訪ねたが、風の音がビューっと大きくなり、


「…………」


 返事は返ってこなかった。もう一度尋ねようとして、的は口を開こうとすると、


『これから、セフィスへ行き、マディス学園、攻撃魔法科へ入学する』


 あまりに脈略のない話に、的は唖然とした。


「え……?」


 彼の間の抜けた声は、二つの月が浮かぶ空に吸い込まれていった。


 的は目を覚ました。暗い部屋の中で、天井をじっと見つめたまま、


「夢か……」


 ぼうっとした頭のままで、ぽつりつぶやいた。彼はまた、目をすっと閉じ、眠りの底へ落ちていった。


 そして、また夢を見た。今度は場面が違った。空にはまた、紫と赤の二つの月が浮かんでいるが、まわりには白いローブを着た、的と同じ歳ぐらいの少年少女が整列していた。まるで、学校の朝礼のようだ。


 自分を見下ろして見ると、同じく白いローブを着ていた。袖口は鮮やかな赤いふので縁取りされている。的は珍しく驚き、首を傾げていると、大きな咳払いが聞こえてきた。顔をあげると、壇上の上に、豊かな白ひげをはやしたおじいさんが、これからの学園生活をどう過ごすべきかを説いていた。どうやら、校長先生のようだ。


 的はさっき見た夢の言葉を思い出した。『マディス学園へ入学する』。彼は思った、夢の続きを見ているのだと。ということは、まわりにいる少年少女たちは、自分と同じく、学園へ入学する生徒なのかもしれないと思った。


 そんなことを考えていると、自分たちと同じようなローブを着た青年が一人、壇上へ上がってきた。自分たちと違う、緑の縁取りのものだった。マイクの前に立つと、詩のようなものを読み上げ始めた。上級生の挨拶のようである。そのあと、歓迎の音楽が奏でられ、入学式は終わった。


 月明かりの差す渡り廊下を通り、他の生徒たちに混じって、的は質素なつくりの教室へ入った。自分の席がどこなのかわからないはずなのだが、自然とそこがそうだと、的にはわかり、窓際の一番後ろの席に着いた。


 生徒の何人かは談笑していたが、教室のドアがガラガラと開くと、話し声はピタリと止んだ。的は誰が入ってきたのか見ようとして、顔をドアの方へ向けた。


 そこには、綺麗なピンク色をしたローブを着ている女が、背筋をぴんと伸ばして立っていた。歳の頃は二十代半ばだろうか。彼女は足早にスタスタと壇上へ近づき、手に持っていたプリントではなく、四角い石板を壇上の上にコトンと置いた。そして、飛び切りの笑顔で、


「クピル ニューダといいます。これから4年間よろしくね!」


 的は四年感という言葉に引っ掛かりを覚えた。大学? 的は首を傾げたが、他の生徒たちは驚いたり、戸惑ったりするような仕草は見せなかった。


 そこで、的はまた目を覚ました。上半身だけ起こして、彼は小首を傾げた。


「変な夢だな……?」


 口にしてみても、彼は違和感を強く持った。夢にしては、リアルティがあり過ぎるのだ。他の人たちの話し声もはっきりしているし、時間が飛ぶこともなかった。しかも、教師の名前を今でもはっきりと覚えている。


「クピル ニューダ……」


 的はつぶやいたが、彼はあまり深く考えるたちではなかった。窓をちらっと見て、カーテンの隙間から月明かりが入り込んでいるのを知った。まだ夜だと思い、彼はベッドにぱたっと倒れこみ、再び眠りについた。


  ★ ★ ★


 次の夢は騒々しかった。どんどんと、板を叩いているような音とともに、


「……的くん! 的くん!」


 自分を呼ぶ、女の声がした。


「……?」


 的は目を覚ました。まだ部屋の中は暗かった。だが、どんどんという音は続いていて、


「的くん! 的くん!」


 女の声も繰り返されていて、何やら切羽詰まってるようだった。的はもぞもぞと起き上がって、ベッドから足を床に降ろし、歩き出そうとして、部屋の間取りが違うことに気づいた。彼は驚くこともせず、小さなため息をついた。


「目が覚めてないのか……」


 夢の中で、さらに寝ていたのだと、彼は思った。寝ぼけ眼のまま、再び寝ようとすると、


「的くん! 学校!」


 学校という言葉に引っ掛かり、的は窓の方へ視線を向けた。


「続き……?」


 髪の毛を軽く手で書き上げ、床に足を下ろして、窓の方へ歩き出した。柔らかなカーテンを手で手繰り寄せ、月明かりを部屋へ招き入れた。どんどんいい続けている背後へ振り返り、的はのんびり考え始めた。夜なのに人が訪ねてくるなんて、おかしい。カーテンをさらに寄せて、月明かりを部屋の奥まで入れた。壁の中に白く浮かび上がったドアノブを見つけた。


「的くん! どうかしたの?」


 カーテンから手を離し、ベッドの横を通り過ぎて、ドアノブをつかんだ。


「むーー!」


 的は眠りを邪魔されて、少し怒っていた。ドアを開けると、簡単なキッチンがあった。その右斜め奥に、もうひとつドアがあるのを見つけた。そこから、音が聞こえていた。的は足早に近寄って、ドアをぐっと押し開けた。月明かりの下に、さっきの夢の中で、クピルと名乗っていた女が立っていた。服も同じで、ピンクのローブを着ていた。両手を胸の前で組み、ほっと胸をなでおろして、


「あぁ、良かった。何かあったのかと思って、心配したわよ」


 安心しきった顔で言われたが、的は何のことやらさっぱりで、


「……??」


 はてなマークが頭の中に次々と浮かんだ。そんな彼に気づいていないのか、女は構わず話を続ける。


「的くん、とにかく着替えて、一緒に学校へ行きましょう!」

「着替え……?」


 的は言われて、視線を落とした。紺色の白い縁取りが施されたパジャマ姿だった。


「あ……」


 一言漏らした。的は夢だということも忘れて、回れ右し、さっきの部屋へ戻っていった。再び、部屋のドアを開け、中を見渡すと、左側の壁に、ハンガーにかかった、真っ白なローブがあった。さっきの夢で着ていたものだ。手に取ろうとすると、胸の部分に、何かのマークが縫い付けてあった。


「制服……?」

「的くん!」


 女の声が彼を急かした。的はハンガーからローブをぱっと取り、頭からすとんと服をかぶった。何の生地でできているのかわからないが、とても良い着心地だった。そのほかには何も取らず、的は自分を今か今かと待っている、クピルの元へと急いだ。


 玄関へ着くと、クピルは元気よく、ピクニックにでも行くかのように、


「さあ、行きましょう!」


 そう言って、くるっと背中を向け、すたすた歩き出した。的は言われるがままあとをついて行った。クピルは振り返らずに、陽気にしゃべり続ける。


「心配したわ〜、三日も学校休んで。でも、すごいわね……」


 数歩も歩かないうちに、的は夜空に浮かぶ星々と、紫と赤の二つの月に目を奪われた。彼はふと足を止めた。クピルとの距離はどんどんひらいていったが、宇宙好きの的の眼中にはもうなかった。


 着心地のいいローブのせいなのか、的はいい夢を見ているような気分になって、すがすがしく、ふんわりした気持ちで、道の真ん中に突っ立っていた。時折、そよ風が優しく頬をなでてゆく。紫の月は、表面にクレーターがくっきり見えるほど、近くに浮かんでいて、赤い月は遠くにあるのか、表面に影がうっすらと浮かんでいて、紫の月の三分の一ほどの大きさだった。


 星々は、いつも見るものとは配置が違っていて、的の心を大いにくすぐった。空気が澄んでいるのか、これほどまでに綺麗に輝く星を、的は見たことがなかった。思わずため息が漏れる。


「……あぁ」


 左足を軸にして、三百六十度ぐるーっと見渡した。すると、視界の端に、三角に尖った影が入った。空から視線を落として、小首を傾げ、影を眺める。それは巨大なピラミッドだった。これも夢で見たものと同じだった。的はもしかしてと思い、ピラミッドのさらに下に視線を向けた。そこには、二列に並んだ、光が風に合わせて、気持ちよさそうにゆらゆらと踊っていた。的はそれがなんなのか確かめようとして、クピルが歩いてゆく方向とは違う方へ歩き出そうとした。


 時間は少し戻って、的がついてこないことに気がついていないクピルは、まだ夢中で話し続けていた。


「……転入生なんて、マディス学園始まって以来なのよ。でも、三日も学校休むなんて、何かあったの?」

「…………」


 的の返事がないことに驚き、クピルは初めて振り返った。すると、的は上り坂の頂点で、ぽつんと立っていた。なんともマイペースな彼を見て、クピルは少しだけ微笑んだ。秋が左手に歩き出そうとしてたので、彼女は慌てて呼び止めた。


「的く〜ん!」


 紫と赤の月影、柔らかな風、満点の星空。何もかもが夢のような光景に、凛としたクピルの声が聞こえてきた。的は歩き出すのをやめ、彼女の方へ顔を向けた。道を見下ろした先に、ピンクのローブがふわふわと風に揺れていた。マイペースの的は慌てることなく、クピルを追った。


 クピルのそばまでやってくる間、ざくざくと土を吹く音が心地よかった。的は特に悪びれた様子も見せず、歩いてきた道を振り返り、遺跡の方を見た。


「あれって、何?」


 突然の的の質問に、クピルは、


「え?」


 思わず聞き返した。だが、的は何も言わなかった。クピルは仕方なく、彼の視線をたどっていった。


「……あれは、ステマ遺跡よ」


 しかし、的が欲している答えではなかったらしく、


「違う、光ってる方」


 的は地面近くで、揺れゆらゆらと揺れている光るものを指差した。クピルは合点がいき、納得の声を漏らして、


「あぁ、あれは灯草あかりそうっていうのよ」


 ここで、普通なら何かリアクションを起こすのだが、的はあまり驚くことをしない性格なので、


「ふーん」


 興味なさそうな声で言った。クピルはそんな彼の個性を尊重し、優しい眼差しを向けた。くるっと前を向いて、再び歩き出した。


 的は美しい星々に全身を包み込まれるような気持ちのまま、彼女のあとに続いた。もうひとつ小さな丘を越えると、突如目の前に、ダイヤのような光を放ったいくつかの明かりが現れた。それを目指して、クピルは進んでいるようだった。


 しばらく行くと、クピルと的は、月明かりにつるんと光った、黒い鉄格子に囲まれた、敷地のわき道に差しかかった。ここが学校のようだ。他にも生徒がいるようで、話し声が遠くの方から聞こえてきた。気になって、そちらを見ると、校庭でたくさんの生徒たちと、青いローブを着た大人ーー教師が目に入った。授業をしているようだ。


 的は首を傾げ、空を見上げた。そこには、先ほどと変わらない星空と、さっきから彼を魅了してやまない美しい二つの月が。どう見ても夜だ。それなのに、学校に人がいる。おかしなこともあるもんだと、彼は思ったが、すぐに納得がいった。これは夢だ。だから、夜に学校があってもおかしくないのだ。


 的がそんなことを考えていると、校門にたどり着いた。両脇には、月明かりを反射して、鈍い光を放っている、立派な石柱が立っていた。その上には、ガス灯なのか、六角形で黒縁の鉄に、はめ込まれたガラスの中で、温かなオレンジ色の炎が轟々とダンスしていた。


 校門から校舎の間には、ロータリーがあり、百合の花のような街灯がそれに沿って、丸い円を描いている。視線を落とすと、青々と茂った芝生。


 星空の下には、四角く切り取れた明かりがいくつも見えた。教室がたくさんあるようで、どれも使っているみたいだった。横に長く広がっている校舎の真ん中に、鉄の手すりが付いた階段が上へ伸びていた。クピルはくるっと右へ方向転換し、


「こっちよ」


 言われて、歩き出した方向は、さっき目に入ったグラウンドへ向かう道。両脇には膝ぐらいの高さの小さなガス灯が並べられていた。


 にわかに、水の音がしてきた。ひょいと顔を向けたが、校舎が邪魔していて、音の源を見つけることはかなわなかった。的は少し前かがみに。柱と柱の間から、大きは噴水が顔を出した。


 まわりは石畳になっていて、ベンチがいくつかあった。どうやら、中庭のようだ。授業中の今は誰もおらず、ひっそりとしている。的は月明かりがキラキラと反射している、宝石の方な水柱を見て、とても穏やかな気持ちになった。クピルの背中に顔を戻して、視界の端から噴水が消えると、グラウンドの端っこについた。


 そこは大きなライトで照らされていた。人が集まっている場所を目指して、クピルは突進していく。自分たちに気づいた、青いローブを着た先生が、大きくうなずき、生徒たちに何かを言って、的たちの方へやって来た。そばまで来ると、的よりもずいぶん大きく、ガタイのいい男だった。クピルは顔を少し上げて、


「ありがとう、連れて来たわ」

「少し話しておいた」


 男は見た目に似合わず、少し頼りげない声で言った。的の方をちらっと見て、


「期待のルーキー」


 意味のわからないことを言って、男はすっと通り過ぎた。的は少しだけ振り返り、去ってゆく男の後ろ姿を見送る。


「ルーキー……?」

「さあ、授業よ」


 クピルは他の生徒たちに混ざるよう言った。彼女は生徒たちの前へさっそうと歩いていき、的は整列している生徒たちの列の端っこに混ざろうとした。がしかし、他のみんなが自分の顔をちらちら見ていることに気がついた。


「?」


 それは突き刺すような視線ではなく、尊敬の眼差しだった。そんなものを向けられたことがない的は、少し戸惑いを感じながら、列に加わった。そして、授業が始まる。


「それじゃあ、今日は実践よ」


 クピルの言葉を聞くと、待っていましたと言わんばかりに、他の生徒たちから歓喜の声が上がった。


「やったー!」

「よし、いいとこ見せるぞ!」


 クピルは張り切っている生徒たちを前にして、嬉しくなった。


「歴史のおさらいはしてきたわね?」

「はーい!」


 的以外の全員が元気よく答えた。途中参加の的にはさっぱりわからない話だった。だが、彼はこれは夢だから、わからないところがあっても当然だと思っていた。クピルはグラウンドを見渡して、


「防御魔法が貼られているから、攻撃がどこへ飛んでも大丈夫だから、心配しないで、思う存分やってね」

「はーい!」


 ただひとり的は小首を傾げた。小さな声で、


「魔法……?」


 クピルに聞こうとしたが、彼は思い出した。これは夢なのだ。だから、魔法が出てきても不思議ではないのだ。的が並んでいるところとは反対側の、一番前にいた生徒が、一人前へ進み出た。的と同じくらいの体格の少年が慣れた感じで、構えをとった。目を軽く閉じ、


「フォティア!」


 そう叫ぶと、彼の手のひらから、メラメラと燃える、肩はばぐらいある大きな火の玉が現れた。ビュッといって、高速球のように、彼の体を離れたかと思うと、真っ直ぐ的たちから離れていき、学校の敷地内から、遠くお星様にならんばかりの猛スピードで、グラウンドから出ていこうとした。


「あ……」


 このまま外へ出たら、さっき見た遺跡にぶつかるかもしれない。的は危ないと思ったが、次の瞬間、ドカン! と大きな音がし、火の玉は空中で花火のように砕け散った。


「え……?」


 的は何が起こったのかわからず、しばらく観察していたが、綺麗な星空が広がっているだけで、何も見つけることはできなかった。


「ん……?」


 ひとり、不思議がっている彼を置いて、まわりに控えていた他の生徒たちが、歓喜の声を上げる。


「すごい!」

「これならいける!」


 拍手が巻き起こった。列に戻りながら、少年はとびきりの笑顔で、ガッツポーズして見せた。戸惑っていた的は、あることを思い出した。


「夢だからか……」

「はい、次!」


 クピルがそう言うと、ひょろっとした少年がおずおずと前へ進み出た。自信なさげな小さな声で、


「ヴェロス……」


 彼の手のひらに、光る矢が突如現れた。少年はそれを右手に持って、真剣な眼差しで、空高く上げた。


「えい!」


 そう言って、彼は矢を遠くへ向かって投げたつもりだったが、すぐに失速し、一メートルほど離れた地面に、斜めに突き刺さり、光の粒子となって、散り散りに消えた。


「…………」


 他の生徒たちも的も、ぽかんとした。そして、同じ疑問がみんなの頭の中に浮かんだ。それを指摘する声が聞こえてくる。


「今度は弓も一緒に出せると、もっと攻撃力が上がるわよ」


 唖然として生徒たちがはっと我に返ると、彼らの視線の先には、何事も暖かく包み込むような教師、クピルが微笑んでいた。がっくりと肩を落としていた。矢を投げた生徒は元気を取り戻し、


「はい、そうしてみます! ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げて、列に戻っていった。次は長い黒髪がローブから艶やかに出ている少女が、前へ進み出た。定位置につき、彼女はピンと背中を伸ばして、神とフードを風になびかせた。ほんの少しの静寂が広がり、


「スパスィ!」


 凛とした声が響き渡ると、彼女の右手に、大男の山賊が持つような光る剣が現れた。彼女の華奢な体には、かなり不釣り合いだった。少しでも動いたら、バランスを崩していましそうだ。


 的は思った、嫌な予感がすると。彼女は剣を持つ手をゆっくりと体の前に持っていき、もう片方を添えた。両手で剣をしっかり握るが、大きな武器と小さな体がとても不格好だった。


 少女は何を思ったのか、そのまま剣を勢い良く、左肩へ上げた。ビュッという音と共に、彼女の手から、光る大きな剣がすぽっと抜け、プロペラのように水平に回転しながら、他の生徒たちの列を右から左へ、なぎ倒さんばかりに飛んできた。大惨事になると思った的は、珍しく大声で、


「危ない!」


 そう叫んだが、誰も避ける様子を見せなかった。的は思わず目をつぶった。真っ暗な視界に、ドカンという破壊音だけが聞こえてきた。だが、悲鳴などはまったく聞こえなかったし、体に痛みなども感じなかった。恐る恐る目を開けると、何事もなかったように、授業は続いていた。


「……?」


 的が首をかしげると、少女はみんなの方へ振り返り、ペロッと舌を出した。


「失敗しちゃった!」


 そう言って、えへへと笑った。反省の色がない彼女に、クピルが教師として、


「防御魔法が効いてるからよかったけど、これが戦場なら大変な惨事よ。武器は大きければいいわけじゃないわ。小さくして、力を圧縮することで、攻撃力を上げる方法もあるわ」

「わかりました〜」


 少女は軽い感じで言って、列へ戻って言った。次の生徒が出て行こうとしているのを、的は目で追いながら、


「魔法……?」


 ぽつり呟いて、自分の手のひらを見つめる。魔法など使えない。試みたこともない。目線をあげて、構えをとった生徒の背中を見つめた。


「んーー?」


 自分の番がこのままでは回ってきてしまう。だが、そこで、的はひらめいた。


「そうだ! 夢だから、大丈夫だ」


 彼は安心して、自分の番を待った。


 しばらくして、的の番がやってきた。彼は他の生徒にならって、一人前へ出た。他の人たちに背を向け、グラウンドを照らしている大きなライトと、その向こうに見える二つの月を眺めて、重大なことに気づいた。


「……呪文?」


 手のひらをグーパーして、考えること数秒。彼は超プジティブな結論にたどり着いた。


「なくても出来る! きっと、そうだ!」


 的は大きく息を吸って、パッと両手を胸の前に出した。だが、何も起こらなかった。目をあちこちに走らせつつ、


「おかしいな?」


 もう一度やってみた。こっちに来ないでみたいな、滑稽な仕草のまま。数秒固まっていたが、魔法の「ま」の字も出て来なかった。他の生徒たちがざわつき始めた。


「どうしたんだ?」

「何かあったの?」


 クピルが的と他の生徒たちの間に入って、


「みんな、静かにして」


 教師に叱られ、場は静かになった。的のひたいはいつの間にか汗をかいていた。不意に吹いてきた風が優しく、汗をぬぐってゆく。彼は大きく息を吸って、もう一度、両手を前へ! が、やっぱり、何も起こらなかった。思わず目をつぶっていた的の真っ暗な視界に、クピルの声が聞こえてきた。


「地球では、どうやってたの?」

「え……?」


 的は間の抜けた顔を、クピルへ向けた。


「…………」

「…………」


 お互い無言のまま、数秒が経過した。さっきまで、温かな笑みを見せていたクピルは、ちょっと困った顔で、


「……もしかして、魔法使ったことないの?」

「うん……」


 少し戸惑い気味に首を縦に振った的を前にして、生徒たちは一斉に驚き声を上げた。


「えぇぇぇぇっっっ!!」


 彼らの声は遠くまで響き渡り、さっき見た遺跡がガラガラと音を立てて、崩れ落ちそうなほどだった。クピルは頭が痛いという仕草をして、軽くため息をつきならが、


「どうして、それを先に言わなかったの?」

「夢ならできると思って……」


 的の回答に、他の生徒たちがざわつき始めた。


「夢?」

「夢だって?」

「なんで?」


 クピルは的の両肩に手を置いて、しっかりと言い聞かせるように、


「的くん、夢じゃないわよ」

「え……?」

「夢じゃなくて、現実よ」

「えっ?」


 的は状況がうまく飲み込めず、目を瞬かせた。クピルはよくわかるように、ゆっくりと言った。


「あなたは地球から、このセフィスに移動してきたのよ」


 的は視線を上げて、満点の星空と二つの月を眺めた。再び、自分の肩をがっちりとつかんでいるクピルに視線を合わせて、


「えぇぇぇぇっっっ!!」


 今度は、的の声がグラウンドにこだました。焦点の合わない瞳で、壊れた操り人形のように、口をパカパカさせ始めた。クピルは的から手を離して、彼の背後、さっき見たい席の方へ顔を向けた。


「カタフィギオでは、どんな理由で決定されたのかしら?」


 的の知らない言葉を口にしたが、驚きすぎて化石化している彼に、聞こえる由もなかった。しばらく固まっていた的の顔の前で、手のひらを揺らしながら、クピルは話しかけた。


「的く〜ん! 的く〜ん!」

「……!」


 意識を取り戻し、はっと息を飲み込んだ的は、クピルの焦点を合わせて、


「どうして、夜に学校があるの?」


 さっきから疑問だったことを、ストレートに聞いた。


「ヨル?」


 クピルはあり得ない言葉を返してきた。的は少しおかしいと思いながらも、


「普通、昼でしょ、学校があるのって」

「ヒルって、な〜に?」


 二人の会話を聞いていた生徒たちがざわつき始めた。


「ヨル?」

「ヒル?」

「なんのこと?」

「ねえ、知ってる?」

「知らない」


 的は振り返って、生徒たちの驚きようが尋常でないことに気づいた。少し戸惑ったが、クピルへ顔を戻して、話を続ける。


「昼は太陽が昇ってる時間で……」


 彼の話の途中で、クピルは不思議そうに、


「タイヨウ? 何、それ?」


 的は頭が混乱しそうだと思いながら、天文学的に説明しようとした。


「水素ガスーー」

「スイソガス?」


 またもや話の途中で、クピルが不思議がった。的は専門的な説明をやめ、


「明るい大きな星のこと」


 クピルは的の後ろに昇っている二つの月を眺め、


「月のことじゃなくて?」

「月より、もっと明るい星!」


 そこで、クピルも他の生徒たちも、納得の声を上げた。


「あぁ〜〜、イリョスのことか!」


 みんな、ウンウン頷いているが、今度は秋が不思議そうな顔をした。


「イリョス……」


 彼はつぶやいて、天文学的に考えた。ここは、太陽系ではないのだ、おそらく。ならば、太陽ではなく、別の名前で呼ばれていてもおかしくはないのだ。的は気を取り直して、


「イリョスが昇る時に学校があるんでしょ?」


 やっと状況を飲み込めたと思った的だったが、クピルたちは再びびっくりした。


「えぇぇぇぇっっっ!!」


 的はなぜ、みんなが驚いたのかわからず、きょろきょろした。そこで、教師であるクピルがやっと理解した。笑顔になって、


「そういうことね!」

「?」

「的くん、やっとわかったわ。太陽とイリョスが同じなのね」


 的はやっと話が通じたと思い、ほっとしたのもつかの間、クピルの次の言葉にびっくりした。


「でもね、的くん、イリョスが空に昇るのは、六十年に一度なのよ」

「え……?」


 的は間の抜けた声で言った。視線をグラウンドに移して、言われたことを整理する。地球でいう、北極や南極のように、太陽が当たらない場所なのだろう。そのため、常に夜なのだ。


 そこで、彼はさらなる疑問にぶつかった。自分も他の人たちも、薄手のローブ一枚。それなのに、寒さをまったく感じない。太陽の光も差さないのに、ほのかに暖かい。なぜ、凍てつく寒さではないのか? そこまで考えて、的は素直に質問した。


「どうして、寒くないの?」

「それは、神様のご加護があるからよ」


 クピルは当然というように答えた。非科学的なことを言われて、的はため息をつくしかなかった。さっきからのやり取りと、魔法が存在しているということから、科学というものが存在しないのだと、的は結論づけた。


「的くん、今日から放課後残って、一緒に魔法について勉強しましょう」


 クピルに言われて、的は一番最初に見た夢を思い出した。なぜだかわからないが、ここ惑星セフィスに突然飛ばされ、マディス学園に入学し、攻撃魔法を勉強する羽目になったのだと理解した。

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