ふたつの神話
さっきから、ギシギシと軋む音がしていた。柔らかい緑に、ほんのり照らし出された茶色の濃淡。それは丸太を組んだ壁に四方を囲まれた部屋。少し埃臭いそこは、六畳ぐらいあるだろうか。ふたつの丸窓があるが、掃除をしていないようで煤けていて、その向こうの、街明かりがぼんやりと、揺れる水面のように映っていた。
薄暗い部屋を見渡してみるが、おおよそ文明の利器というものが見当たらない。電気の代わりに、四角いランプがあるが、その中は電球でもロウソクでもなく、何匹もの蛍が緑の光を放ちながら、ブワッと飛んでいた。
古びているが、温かみのある机の上には、土をかぶった石板やら、化石やらが所狭しととっ散らかっている。壁には、神秘的なピラミッドの写真が何枚も飾られていた。不思議なことにどれも、曇り空なのか、背景が薄暗かった。
木の軋む音はまだ続いている。部屋の中は乱雑で、足の踏み場もないが、唯一空いている場所ーー寝床にグシャグシャに敷かれた薄手の毛布の上、トゲトゲ頭の高校生ぐらいの少年が、うつ伏せに寝そべっていた。彼の少し枯れた声が、部屋の空気に溶け込んでゆく。
「デオスはディアスティアを創造した。
デオスはアステリを幾千も誕生させた。
デオスはアステリを照らす、イリョスを産み落とした。
デオスは世界をエガフォスとエガタに分けた。
デオスはスコタディを産み落とした。
デオスはスコタディにエガタを、イリョスにエガフォスを任せた」
少年の目の前には、この部屋に似つかわしくないものが。左手に腕時計をしているが、そこから空中に光る四角い画面が映し出されている、最新の携帯電話。画面下に表示されているボタンをひとつ押すと、画面上の写真が変わった。茶色い背景に、古代文字のようなものが現れた。それは、洞窟の中によくある壁画のようだった。それを再び読み上げる。
「イリョスは魅力的な女性で、エガフォスを照らし続けた。
スコタディは一目、イリョスを見ようと、エガタの統治を怠り、イリョスを見に行った。
スコタディはイリョスに一目惚れした。
デオスは統治を怠ったことに怒り、スコタディをエガタへ閉じ込めた。
スコタディは毎日、毎晩、イリョスを想った」
少年はパッと仰向けになり、さらに別の画像を携帯に表示させた。顔の前に持ってきて、
「スコタディの会いたいという強い想いが悪魔を生み出した。
スコタディは悪魔に頼み、イリョスへ贈り物や手紙を届けた。
スコタディとイリョスは、ある晩、互いを知った。
イリョスは双子の息子を産んだ。
兄はアメティス、弟はルヴィニと名付けられた。
デオスはスコタディとイリョスの行いに怒り、アメティスとルヴィニを天へ昇らせた」
少年は小さくため息をついた。まるで意味がわからないというように。彼のしっかりとした若草色の瞳は、携帯の画面にピタッと留まっていた。ホームボタンを押し、前の画面をじっと睨みつける。納得のいかない様子の彼から、少し離れた場所へ視線を移すと、ロッキングチェアをさっきからずっと、ギシギシいわせていた、白ひげの老人が、
「うーむ」
一言唸って、 ひげを右手で引き延ばす仕草をした。それは、考えている時のサインだ。にわかに、部屋の中が揺れ始め、ものがズレ落ち、明かりが明暗を繰り返した。
地震だ。
だが、少年も老人も慌てるどころか、微動だにしなかった。どうやら、ここでは、この程度の地震は当たり前のことらしい。携帯の画面を少年は見つめたまま、老人は壁に貼られたピラミッドの写真をぼんやり眺めたまま。だた地響きだけが続いていた。