黒騎士
もう戦闘描写なんてね、まともにできたもんじゃないからね。
なのでしません。
「ようこそ、ゾット帝国へ。よくもまぁ、こんなとこまで来たもんだ。言い訳つけて絶対に来ないと思っていたんだけど。やっぱ、そういうとこも反対なのかな。だけれど、反対じゃダメなんだ。模倣した僕が言うんだから間違いない。あの狂気の片鱗にも至れない。最近は僕以外にもいるらしいけど、学習しないよね」
白い世界を抜けると灰色の世界。
黒い男が気だるそうに語り始める。
「君は知らないだろうけど……いや、もう知らないことなんてないのかな? 昔、一人のレスラーがいてね。そいつは彼よりも強いくせして、最後は彼に振り回されて終わってしまったんだよ。負けたというのならば、僕もそうなんだけどさ」
「黒騎士、か」
「へえ、よく知ってるね。流石は同じなだけある」
そのレスラーから聞いた名前だ。
『その三人じゃお前は倒せないだろうが――』とレスラーは言っていた。
一体、どこまでを見越した上での発言なのかは知らないが、今となってはシャム以外の有象無象などに意味はない。
「お前は、シャムに何を求める? わざわざ人様の世界で、何を?」
「いやいや、零に何を求めたところで意味はないだろう。僕はただ、追従したかった。便乗と言ってもいい。ただ、幾ら模倣したところでシャムの狂気には及ばない。彼は自分がずれているなどと考えない。自分こそが正常の極地。至高の王。そうやって生きているからこそ、ゾット帝国なんてものができたのさ」
他人事のように語ってはいるものの、関わらなければ良かったという思いが透けて見える。
シャムとは一種の宗教。
一度はまってしまえば、抜け出せない泥沼。
池沼などと嘲笑い、憤りながらも毒を求める哀れな聴衆。
シャムを見下すことで、心の平穏を保とうとしているのか。
そうしなければ保てない心など、十分過ぎるほどに終わっているのに。
目の前の男もまた、哀れな神に魅入られた被害者なのだろう。
「模倣した筈の僕に対して、取り敢えず落ち着けと、君の裏側は言ったんだが……彼は正しく鏡像認識ができない類の人なのかな。不完全な模倣に過ぎない僕の狂気なんて、遠く及ぶわけないのにね」
そう言うと黒騎士はどこからか現れた黒塗りの大盾を手にとった。
到底、中世後期の欧州をを模したであろう世界観にそぐわない簡素な衣装に対して、黒い盾だけが正しく時代に作用しているように見える。
黒騎士意外に誰もいない世界に正しいも糞もないだろうが。
覆面から覗く目に宿るのは、純真な狂気でなく憑かれたものの邪気。
「白痴の神。万物の王は盲目であり知性もない。ゆえに、その狂気に、その業に人は惹かれる。ならば僕は謳い、躍ろう。深淵の指揮に従い、無意識に冒涜を続ける魔王の傀儡として。業の王に与する黒き者として。勝ちも負けもありはしない。こんな世界に価値を見出した時点で負けなのだから」
吐き捨てるような台詞に、我を捨てたような瞳孔。
何も見ることなく狂気に囚われたまま、盾を構えて全力で向かってくる。
模倣と受動を繰り返した男に、剣を持つことはできない。
謂わばシャムにとっては、使い捨ての盾にしか過ぎない。
剣になれない騎士にこそ価値など見出せないのだが、どうしても自分の価値を過剰に評価することだけは避けられない。
生きている以上、自己嫌悪と自己賞賛は表裏一体だ。
黒騎士の存在は問題ではない。
問題になるとすれば唯一つ――能力での崩壊が不可能。
この一点が唯一にして絶対の障害。
創られた世界で誕生したものでなければ消し去ることはできない。
つまり、黒騎士のあとに控えているであろう猫夜叉とミカという人物にも同様のことが言える。
「参ったな……」
まさか、捨てた筈の役割に感謝することになろうとは。
ルエラの護衛として与えられていた剣と技能。
ここまでに衣装が変わらなくて助かった。
剣を抜いて適当に黒騎士をいなすが、盾を構えられたままではどうしようもない。
「立場で言えば、僕と業王は大して変わらない。僕に届かないのであれば、その刃が王に届くわけもない。残念ながら君はどこまで行こうと哀れな木偶でしかないんだ。操り人形のままならば、幸福が約束されていたのに……あぁ、まるで昔の自分を見ているようだ。吐き気がする」
盾で殴りかかってくる黒騎士に対応するだけならば、付け焼刃の技術でも十分に可能だろう。
しかし、こちらが盾に触れられる距離で足を止めないということは、自暴自棄になっているわけでもないらしい。
狂気に囚われた幻想を抱きながらも、心の底に残る理性を隠しきれていない。
シャムに対して信仰にも似た感情を抱いたところで、狂うことも盲目になることもできなければ憧れでしかない。
常人では辿り着けない極地にいるから、憧れを抱いているのだと気付いていない。
そう簡単に成り代われるのであれば、誰も気には止めない。
純真な狂気とは、理解の対極。
口では至れないと言いながらも、本心では狂気に対して憧れを抱いている。
「模倣する対象を間違わなければ、偽者の扱いを受けずに済んだだろうにな。何をしようとお前はシャムの付属品としか見られない。零に至ることもできなきゃ、お前はただの負け組だよ。始めに見下してた零よりも、更に下だ」
相手が偽者であるならば煽りは煽りとして機能する。
これが本物のシャム相手であれば、言葉の意味を正しく理解できないか、良くても額面どおりに受け取ってしまうだけだろう。
果たして黒騎士は見事に言葉の意味を捉え、怒気を伴った攻勢を強める。
いつまでも打ち合ったところで意味はない。
結局のところ、崩壊ではなく殺害してしまえばいいのだ。こちらの世界で消えれば、現実に帰るだけ。
飽くまで異分子たる黒騎士を正常に消滅させる手段はないが、要はいなくなってしまえばいい。
シャムによって創造された世界は、その想像に依る。
荘厳な教会やら、巨大な時計台に、オペラハウス。欧州と耳にして容易く想像できる建造物が時代考証などを一切無視して配置されており、その中にはいつ使われるのかもわからない凱旋門も存在していた。
「狂気を作るには環境と、何より生まれ持った業が必要なんだ。遠く及ばない? ありもしない狂気は及ぶどころか同じ道にすら立っていない。お前の狂気は零ですらない。常人は常人らしく、笑いものにもならない詰まらない芸をしていればいいだろう?」
「僕の行動が狂っていなければなんだと言う!? 何を持って狂気と!?」
「本当に狂ってる奴は、わざわざ狂気を前面に押し出したりしない。お前の狂気は養殖で、シャムの狂気は天然もの。残念だが、自覚を持った時点で狂気は自己顕示欲を満たす飾りになってしまうんだよ。シャムは自己顕示欲を満たそうとして狂気を露呈した。だが、お前は自己顕示欲を満たすのに狂気を露出した」
「黙れ!」
「そうしなければ誰にも振り向いてもらえないから。たとえ笑いものであっても大勢に見られているシャムが羨ましかった。自分の世界で生きることを放棄した」
「違う! 違う! 黙れ!」
なまじ正常な思考を持っているが故に、心は正しく作用してしまう。
人間にとって正しく生きることこそが最良だと誰もが理解している筈で、多くの人間は正しく生きようとしている。そんな中において、他者と同じであることに耐えられない人間が一定数いることも事実だ。
自分は他人とは違う。
自分は特別なんだ。
普通であることを拒む人間は、そうやって狂人を模倣する。
狂っていないのだから、本当の狂気がどのようなものなのか理解できるわけもなく、ただただ突飛的な行動や言動を狂気と錯覚する。
真の狂気とは、普通に生きることができない人間にのみ宿るとも知らずに。
本人が当然だと思っている言葉や行動の一つ一つに存在する小さな歪みが、大きな狂気を生み出しているとも気付かずに。
まるでモザイクアートのように巨大でいて、細かい。
全貌を捉えることも、細部を見透かすことも叶わない。
なれば模倣などできる筈もない。
「気付いているんだろう? 聞きたくなければ、否定してみろ。 全霊の狂気でもって!」
凱旋門の下に位置取り演説するように語る。
安い挑発。
しかし幾ら訝しんだところで、黒騎士は挑発に乗るしかない。
模倣する相手ならば、この場面で躊躇なく攻めるから。
自分よりも知性の低い相手を模倣することは実に容易いが、それを実行することは難しい。
正常な心は狂妄を許さない。
清浄な心は恐慌を許さない。
ただし、汚濁に塗れた心が狂気を信仰すれば、どんな道をも通るしかない。
自ら選んだ茨の道へ。
万雷の咆哮とともに突貫する黒騎士が凱旋門を潜ることはなかった。
そうなることはわかっていたろうに、足を止めることなく、自らの信仰のために駆け抜けたのだ。
黒騎士に行動に合わせ、凱旋門から離れる。
基礎たる石灰華のみを失った凱旋門は脆くも崩れ去り、黒騎士は当然のように下敷きとなった。
どれだけ強固な盾であろうと、持ち主ごと押し潰されてはそれまで。
しかし、黒騎士は想像よりも早く駆けた。
盾で咄嗟に対応までした。
その結果、下半身を石に砕かれながらも存命している。
狂気の模倣をしていた人物とは思えないほど、理知的な判断でもってして、何も残らない死を避けた。
「あぁ……抜けられると思っていたのだけど。忘れてた……この世界に、凱旋する場所なんてありはしない。居場所なんて、ありはしない」
「あぁ、ここまで来られるとは思っていなかった。模倣しかできない人間だと侮っていたが……存外、芯はあるらしいな」
「はは。僕がこの世界で潜るべきは凱旋の門でなく、地獄の門。……そろそろ現実へ帰らせてもらうよ。不思議と、憂いも呵責も破滅も見えない。一切の希望を捨てろなんて、無理に決まっているのに。業の王ですら希望を持って生きているというのに……」
力なく笑う。
「終ぞ業の王が何をしたいのかは理解できなかった。今の業の王は何がしたいかわからない。尊敬にも、っ模倣にも値しない。あぁ……過去に縋るだけの僕は退場だ」
さようなら、と短く呟いて消える。
零ではなく、在るべき場所へと帰っていったのだろう。
その世界がどうあれ、どう生きるのであれ。
文量の少なさに大して展開は早めですが、執筆DTなんで許してください。