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ゾッ帝 パティシエ修行編  作者: mしぃ
零へ至る道
13/19

闘技場

 長径200メートルにも及ぶ広大な円形闘技場の中央ではレスリングともボクシングとも知れない闘技が行われており、客席を埋め尽くす群衆は熱狂しながら食い入るようにそちらを見つめていた。

 試合は始まったばかりのようで殆ど全裸に近い姿をした二人の男が互いに睨み合いながら間合いを計っている。

 競技者も組技や打撃技など多彩な方法で仕掛けてようとしているが、試合に進展の兆しは見られない。

 一体なんという競技なのだろうかと、そんなような下らない考えが過ぎっては消えていく。



 唐突な世界の変調に記憶の混乱が伴うかと思ったが、オレの思考は予想に反して平静を保っていた。

 正確に言うのであれば、混乱するための知識すら持っていなかった。

 先刻の世界ではルエラ姫の護衛という役割を与えられており、ある一定の筋道のようなものが存在していたのだが、この世界では一切の役割が付与されていないようで、オレの記憶はルエラと別れたところで途絶えたままだ。

 オーヴは勿論そのままとして衣服までもが変わっておらず、親衛隊として与えられた制服を未だに着ており、その様相は民衆の中において明らかに異質だと言える。



 禁断の森からルエラ姫の護衛に至るまでが世界の改変なのだとすれば、今回の状況は謂わば世界の跳躍。

 書き換えではなく単純な移動。

 だからこそ記憶にも変化がないのかもしれない。



「こいつらはは与えられた役割(パン)見世物(サーカス)を熱心に求めるように躾けられてるよなぁ」



 不意に怒気を孕んだような声が隣から聞こえてきた。熱狂する大衆の野次や喝采にかき消されることなく、はっきりと耳へ運ばれてきた言葉はオレに向けてのものなのか、ただの独り言なのか。

 

「誰に与えられたかなんて考えもしない。それを指摘したところで受け入れる度量もなければ、自分の立場を知る嗅覚もない。神は自身に似せて人を作るってのはよく言ったもんだなぁ。お前もそう思うだろ?」



 隣に視線を向けると、肩幅の広い無精髭を蓄えた男が口元に歪んだ笑みを浮かべながら、それでいて詰まらなそうな目でこちらを見ていた。

 

「役割だからな……そうすることしかできないんだろ」



 見ず知らずの男に対して気の利いた返答を考える気にもなれず、脳に浮かんできた言葉を適当に投げ返す。

 この世界で会う人間に知っている相手がいるとも思えないが。



「んなわけねえじゃん。こいつらは都合の悪い現実から目を逸らすことしかできねえの。そういう奴に似ちまってるんだろ! 自分から進んで無産階級(プロレタリアート)になることを望んでるアホばっかだ!」



 まるで自分は役割に従っているわけではないと言いたげな男の口調。

 実際にそう言いたいのかもしれない。

 誰しもが見世物に熱中している最中で、わざわざオレに話しかけてくる人間が役割に縛られているようには思えないし、役割に縛られた上でこんな行動をとっているのであれば、間違いなくオレの物語において重要な位置を占める登場人物なのだろう。



「それじゃあ、あんたは?」



「俺はこいつらとは違う。だって既に負けてるもん。面白えよなぁ、見下してた筈の相手に敗北するってのはさぁ」



「負けたって誰に?」



「……お前、あれがなんて競技か知ってる?」



 オレの質問を無視して、男は闘技場の舞台を指差した。

 いつの間にか競技も佳境に差し掛かったようで、二人の男は血を流しながらも攻める手を緩めることなく、防御を一切捨てた殴り合いが展開されている。



「多分、ボクシングとかだろ」



 なんの競技かは依然わからなかったが、眼前で繰り広げられる殴り合いからボクシングだろうと適当に当たりをつける。

 そもそもこのような質問をしてくるのは解説をしたくて堪らない輩だと相場が決まっているのだから、真面目に取り合うのではなくそれらしい返答をして存分に語らせてやればいいのだ。



「そりゃ正解のようで違うな。あれはパンクラチオンって言って、不完全なレスリングと不完全なボクシングが合体したような競技だよ。まぁ不完全なものの合体って言っても、娯楽性に富んでることにゃ間違いねないけど」



 予想通り楽しげに解説を始めてくれたものの、いまいち要領を得ない。

 誰に負けたのかと聞いたのに格闘技について語りだされても反応のしようがない。



「どうしてパンクラチオンなんかが行われてるのかって話だけどな、あいつはボクシングもレスリングも知らねえの。そんな脳みそで必死こいて考案されたのが、ほぼルール無用のパンクラチオンってわけよ。ま、本人はパンクラチオンなんて知りもしないだろうが」



「へえ。で、そのあいつってのに負けたわけ?」



「おっ、わかってんじゃん。それがお前の敵ってことっしょ。ていうか、そうしないとお前は一生終われないからな」



「……創造主。それを倒せってことだろ」



「うっそ……お前、なんで知ってんだよ……」



 そこで男は始めて下品な笑みを崩し、明らかな戸惑いを見せた。



「聞いたからな。創造主でも神でもいいが、結局それは誰でどこにいるんだ? それがわからなきゃどうしようもない」



「お前の敵はSだ……S。まぁこれが何害者を指してるのかイニシャルを指してるのかは、さっぱり全然微塵も理解できないが取り敢えずSだな」



 男から有益な情報を聞き出せるとは思えなかったオレは、何の気なしに試合を見つめていた。

 パンクラチオンの趨勢もほぼ決したようで、既に試合というよりも一方的な暴力といった様相を呈している。まるでオレの未来を暗示しているような試合展開に、思わず目を背けたくなる。

 人が神に勝てないのと同じように、オレに創造主を殺すこともできないのではないだろうか。



 創造主の存在にしてもエイミンと名乗る人物から聞いたに過ぎず、それを倒せば終わりとの命題も所詮は他人に与えられたもので、自分で選択したものではない。

 結局のところ、オレの選択肢は創造主に従うかエイミンに従うかの二つしかないのだ。

 ディーネやルエラのいる世界は創造主によって奪われた。そう考えることは実に容易いし、それに対して怒りの感情もある。

 しかし世界が元々創造主の持ち物であるならば、オレは玩具を取り上げられたことに憤る子供となんら変わらない。



 どう足掻いたところで、オレは決められた筋道に沿って歩く人形でしかない。



「……ま、お前がどう思ってようが関係ないさ。あっちはお前を壊す気満々で準備してるんだろうからな。ここは新しい世界を創る際の避難所みたいなもんだし、世界が出来次第そっちに迎えられるだろうよ」



 オレの無言をどう受け取ったのか、男は取り繕うような言葉を投げかけてくる。

 眼前で展開されていた試合は既に終局を迎えて、次の段階へと進もうとしているらしい。勝利した側の選手が喜ぶ間もなく、アーチからは複数人の手によって鉄製の獣の檻が引きずられてきた。

 檻の中では空腹と不安で怒り狂っているであろうライオンが開放のときを今か今かと待ち侘びている。

 人対人を終えたあとは、人対獣のショーらしい。

 周囲の観客達の喝采もパンクラチオンの最中より、明らかに生き生きとして響いているようだ。



「たとえお前の言うSを倒せたとしても、最終的にはあの奴隷みたいに死んじまうんだろ。それじゃあオレはなんのために生きてるんだか……」



 生きていると言えるのかすら微妙なところだろう。

 ライオンを前にした勝者(どれい)の表情は絶望に満ち溢れている。

 オレも最期はあんな表情で消えていくのかと思うと、何もかもを投げ打って零へ還ってしまいたいような気分になってしまう。

 いっそのことオーヴを破棄してしまえば、有象無象の一つに戻れるかもしれない。



「はぁ? それはお前の下らない見方だろ? 俺ならこう考えるね。まず転がってる死体が俺で、ライオンに食われそうなのがS。そんでライオンがお前だ。最初から負けてる奴に自己投影すんなよ」



「それはあんたの願望だろ。どれだけ頑張ったって、終わりの結末は変えられない」



「そりゃそうに決まってるわ。人間、誰だって最後には死ぬんだから」



「だったら……」



「だけど、好きなことで生きていく。やりたいようにやって死にたいように死ねばいい。決められてようがなかろうが、何をしたいかは自分で決められる……あぁ、嫌だ嫌だ。好きなことで生きていくって言葉、大嫌いなんだよ」



 好きなことで生きていく。

 いくら好きなことであっても、それが仕事や義務になってしまえば終わりだろうに。

 しかし男の言うことも間違いではないと思った。



 どうせ人形でしかないのなら、せめて終わりの提示されている道を歩こう。

 いつまでも旅を続ける物語なんて、冗長で退屈なものにしかならないのだから。



 気付けば、舞台に転がる死体が二つになっていた。

 ライオンに虐殺される奴隷の姿こそ大衆の心を満たす見世物だったらしく、観客の熱狂はパンクラチオンとは比にならないほど大きく広がっている。

 醜い姿だと思う反面、心のどこかで理解を示している自分に嫌悪感を覚える。



「じゃあ、そのSと戦うとしてオレはどうすればいいんだ? あんたは負けたんだろ?」



 自分の心を誤魔化すように死体から目を逸らして口を開く。



「Sの前に排除しなきゃなんないのが三人いるわけよ。黒騎士と猫夜叉……あと一人は詳しく知らんがミカとかいう奴だったかな。そいつらをどうにかすりゃ、王様自ら出張って来る筈だぜ」



「……まるで筋書きに沿った成長物語だな」



「その三人じゃお前は倒せないだろうが、Sは違う。この世界においてSは絶対正統の哲人王。何もかもが全肯定される善知の独裁皇帝。筋書きに沿った物語と違うのは、お前がSに蹂躙される未来も在り得るってことだな」



 声色に含まれた怒気は相変わらずだが、表情には幾らかの真剣さが見られる。

 そういえば、この男の名前を未だに聞いていない。



「なんでもいいけど、あんた名前は?」



 見世物はライオンによる虐殺ショーで終幕なのか、席を立つ人間が増えてきた。

 この場で男の名を聞いておかねば、知る機会は一生失われてしまうような気がして、ふとそんなことを口走ってしまう。

 後のことを考えれば、黒騎士や猫夜叉と言った人物について聞いておくべきなのだろうが。



「別にもう会わねえし、そんなんどうでもいいっしょ。俺はただのレスラーだよ」



 一人また一人と観客達は自身の日常へと帰っていき、もはや闘技場に残っている人間は殆どいない。

 舞台に転がっていた死体もライオンも消えており、そこには血痕のみが残っている。



「……なんでオレに話し掛けたんだ?」



「別に。ただ鍵かけて信頼できる相手だけを受け入れるような奴に、嫌がらせがしてやりたかっただけ。そんじゃ、そろそろ行くわ」



 そう言って男も席を立った。

 そうして歩き出したかと思うとほんの少し行ったところで振り返り、

「いいか、能力だけで勝負しようとすんなよ? 普通、挑む側はそういうところで勝負しねえぞ。まぁ、頑張れよ」

 口元だけを歪ませる下卑た笑みは身を潜め、心の底から楽しそうに目元まで歪ませて男はそう言い残し、二度は振り返ることなく歩き去っていった。



 きっとこの男は善人ではないし、そのSがいなくなって何らかの利益を得るような人間なのかもしれない。

 それでも、男との会話は不思議と心のわだかまりを解消させた。



 辺りを見回すと、闘技場に残る人間は既にオレだけとなっている。

 それが世界の変革をもたらす合図だったのか、再びオーヴが輝きを放つ。

 凡そ想像通りの展開に、心が戸惑うことはなかった。



 唐突に訪れる墜落ではなく微睡みに落ちるような心地よさとともに、オレの意識は深い海へと沈んでいった。


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