8 沈思黙考の有意性1
僕は彼女の手を取り、森の中を進む。
目指すはあの崖だ。
いや、実際はその上にある壁なのだが。
「クレーエ・・・本当に壁の中に戻れるの?」
僕の名を呼ぶ女性の声がする。
僕は彼女の方を振り返る。歩みは止めない。
肩でそろえた黒髪が降り乱れている彼女は表情もまた暗く不安げだ。
そんな気持ちを払拭するように僕は優しく声をかける。
「大丈夫だよライアー。僕といれば平気だ。だから手を離すんじゃないぞ?」
「うん。分かった」
こんな時にもかかわらず、お互いの愛を確かめるように指を絡めるようにして温もりを握りしめる。
17年間二人で支え合いながら辛い孤児院で生活を営んできた。
そしてようやく念願の首都へ行けることとなったのだ。
それが、国外に放り出されただなんて何かの間違いだ。そうに違いない。
だから壁に戻って助けを求める。いたってシンプルでわかりやすい解決策じゃないか。
「あの赤髪の二人は頭がおかしいよ。業者が僕らを捨てていったなんて話。しかも「何か危険なものがあるかもしれない。今はなるべく動かない方がいいだろう」だって?何でそんな事しなくちゃならない。すぐそこに帰るべき場所があるじゃないか」
あの赤髪たちともう一人、リヒトと名乗っていた彼らはいったい何がしたいのか。こんな薄暗くて生き物一匹見あたらない不気味な森で相談なんて狂ってる。それに耳を貸す残りの連中の気も知れない。正しいのは僕なのに。
「そう、だよね。うん。クレーエの言うこと正しいと思う」
あんな連中には僕の正しさが理解できなくとも、彼女は僕を、僕のすべてを理解してくれる。
「そうだよ。そもそも危険かもしれないものなんて無いじゃないか。この森にはネズミ一匹いないぞ」
生き物はいないが所々白い石のようなものは転がっている。いや、さっき踏んだときにさらさらに崩れたから石灰のようなものかもしれない。
「あ、崖見えてきたよ」
ライアーが嬉しそうな声をあげて言うように目の前に崖の麓が見えてくる。
「もうすぐ着くぞ!走ろう!」
「うん!」
僕は彼女の手を引き先導する形で走る。
「崖のそばに行けば助けを呼べるぞ!」
彼女を励ますためにも走りながら再度声をかける。
しかし
「・・・」
僕の後ろから返事はない。
?おかしいな。普段の彼女ならここで返事をくれるはずだ。
だが、背後からは足音と「ことっ」という小さな音が聞こえるだけだ。
ライアー?
疑問に思ったその瞬間。雨が降ってきた。
そして理解した。
―そうだ。ライアーは雷が大の苦手だった。雨が降ってきたから雷が鳴るんじゃないかと不安なんだな。
可愛いなあと思いつつ彼女を慰める。
「ライアー。大丈夫かい?怖かったら僕のそばに・・・」
言葉を送りながら振り返る。
「ひっ!?」
そこにライアーはいなかった。
正確には身体だけはそこにいた。
しかし
頭部がいない。
肩から上が無く、そこから赤い花びらがぴゅっぴゅっと大量に舞って、今も僕の身体に降り注いでいる。
そして本来頭があるはずの場所に小さくうごめく何かが乗っている。
「う゛えっ」
僕は滑稽な声を出しながら踏鞴を踏み転倒する。
そして僕の上に勢いのままライアーが倒れ込む。
「ぺしゃっ」と顔に血が降りかかる。しかしその血の色はなぜか純白。僕の顔を覆った白い血は頬を伝う頃には石灰のようになり地面に落ちていく。
彼女の首元がちょうど目の前にある。
もぎゅっもぎゅっと音が聞こえる。
目を閉じることが出来ない。
ライアーの身体は未だ ばたばたと暴れ続けている。
もぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅぎゅぎゅっ・・・・・・・
不気味な音が止む。
―何なんだ
目の前に音を出していた正体がいる。
―何なんだよこれ
全長30センチにも及ばないそいつは、まるまる太った身体の色を赤から深紅へと変えていく。
―僕が正しいんだ。なのに何で
およそ生物とは思えないそいつは、愛くるしいおちょぼ口をライアーから離し、ギョロリとした目をこちらに向けのぞき込む。
―きもちわるい
そして後は・・・・
「ぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
まっしろだ。