13 食欲
化け物は己の小さな双眸で外部の刺激を光景として脳に刻み込んでいた。
母が死んだ。
自身が飢えながらも子供のために少ない力を振り絞り、そしてあっさりと斬り刻まれ粉と化した。
化け物は言語を持たないが親子等の観念は持っている。己が小さな身体を包み込んでくれた大きな存在はもういない。粉塵となり朽ち果てた。
縁者を失ったという実感。そこはかとない喪失感とともに烈火のごとき怒りが沸々と湧き上がる。
目の前には3人の人間。
おいしそうなやつとおいしそうなやつとおいしくなさそうなやつだ。
赤い色を見て唾液が口の端から漏れる。
寂しさと怒りに食欲がブレンドされる。
空腹は限界に近く飢餓と言うに等しいレベルにまで陥っている。
先程母は「逃げよ」と鳴いた。
しかしそんな警告を聞き入れていられるだけの時間的・精神的余裕はもうない。
化け物は3人に気がつかれないよう慎重に木々の葉が茂っていない部分へするりと降りる。
小さな化け物には母親ほど大きく強力な爪は備わっていないがその身の軽さを活かした速さがある。
寂しさは消え、憤怒と食べたいという欲だけが口元を歪ませる。
すぐそこにいるのは母の敵だ
奴らにはまだ気づかれていない
おいしそうだ
あの赤い頭はすごくおいしそうだ
食べてしまうべきだ
うまいのだろう
美味なのだろう
極上なのだろう
食欲だけでいっぱいになった頭が何の考えもなしに身体に命令を出す。
細長い手足を木の幹に張り付かせそして
蹴り上げる。
音もなく
自らを発射させる。
ゴムボールのように飛び風を切る。途中、元々は母だった白い粉を風が巻き上げ目に入り鬱陶しく感じる。
今の化け物に雪辱も憤りも悲哀も感傷もない。
目の前に並べられたディナーを食す寸前の高揚感に小さな口が再度笑いに歪む。
人間の香りは香ばしくて好きだ
その中でも赤い色をした人間は大好きだ
しかし人間は元々赤くない
でも知っている
人間は身体の一部を失うとそこからいっぱい赤色を出すのだ
香ばしさの中にジューシーさがあり、ほのかに残る骨随と混ぜ合わさってそれはもう絶品だ
だが目の前にはさらにその上を行く素材がある。
3人のうち2人は赤い髪。もう1人は真っ黒だ。化け物は黒色が嫌いだったがそれでも他の2人を見逃すことは出来ない。
人間との距離がさらに縮まる。
ここに来てようやく赤髪の2人がこちらに気がつき目つきの悪い猫の様な相貌を驚きで見開く。
目まで真っ赤だなんて。最っ高
涙が出そうになるくらいおいしそうな赤色で揃えられている。
化け物は小さな腕から不釣り合いに大きな爪を剥き出す。
母のような立派な物ではないが人間の首を跳ばすには十分なサイズだ。
最高の瞬間まで数秒。その後のことまでは考えていない。
赤髪の少年の方は大剣を構えようとするがもう遅い。首まで一直線だ。
こっちの方が速いんだ!
だってほらすぐそこに腕があるじゃないか・・・!
・・・腕?首じゃなくて?
そう思いながらも躊躇無く切り跳ばしたそれはやはり腕。
気づかぬうちに赤髪の少年の首とこちらの爪の間に一本腕が入り込んでいた。黒髪の少年の物だ。
黒色は大嫌いなのに!
しかし、その腕の中から出てきた液体は真っ赤な液体はやはりおいしそうで、跳んだ腕から舞い散る赤色を見てまた欲に思考が支配される。
化け物は思わぬ障害に弾かれ宙を飛びながらも落ちてくる鮮血を食そうとする。
上手く落ちてきた一滴の赤。
あと少しで口の中。
ああ、ああ、おいしそう
小さな口をぱくぱくと動かし上空へと首を伸ばす。
たべれ・・・・!
がこんっ
る。嗜好の瞬間にありつく寸前で嫌な音が頭に響き、
化け物の意識は大嫌いな黒の世界へ落ちていった。