第五劇「天使がいた」
天使。
それは最高。
ハゲンチ達が完全に去った事を、明葉は双眼鏡の様な物で、リュリュは手で光の輪を作り出し、それぞれそれで確認した。多分、リュリュのそれも魔法なのだろう。
明葉は双眼鏡から目を話離すと、
「……居なくなったわね、かと言って、何時までもここに留まって居るのはあまりいい策では無いわ、行くわよリュリュ」
と、言った。
「はいはい、承知いしました」
と、リュリュが頷く。
竜太もとりあえず、頷くことにした。他に選択肢は無い。
カカッ、カカッ……。
と、硬い地面を叩く蹄の音が軽快なリズムを奏でる。竜太は明葉が操る白馬に掴まり、リュリュは杖に腰掛け、空を舞いながら飛んでいた。くるりくるり、と、時より回転しながら飛行する。楽しそうだ。
(あの人、魔女か何かなのかな?……あのハゲンチ、とかいう奴は黒魔道士、とかなんとか言ってたけど……)
と、走る馬の横で並走しながら飛ぶリュリュを眺めながら、竜太は心の中で思った。服装とかも、なんだか昔、子供の頃に読んだ御伽噺に出てきそうな悪い魔女の格好のイメージと酷く一致する。
ただ、空を舞いながらも絶やさない微笑ましい笑顔を見ていると、何だか不思議と、仮に魔女だったとしても、悪い人じゃ無い気がする。しかし……。
――一体何処へ向かっているのだろう?…
明葉は勿論、リュリュも教えてくれ無かった。
今、明葉に聞いてみるか?
そんな考えも、思わなかった訳じゃ無いが……多分、いやきっと、教えてくれないだろう。
「……うぅん……」
と、急に眠気に襲われる竜太。
この一瞬で、いろいろとあり過ぎた。
……疲れた……。
明葉にまた会えた事は、心から嬉しい。本当に。
だがこんなデンジャラスな世界、正直ゴメンだ。
出来れば目が覚めたら、元の世界に戻れてたらいい。
多少退屈でも仕方が無い。我慢しよう。
元の世界に戻ったら、真っ先に舞桜さんに告白しよう。玉砕覚悟で。
もう死にたくない。明葉を連れ帰って、また家族四人で暮らそう。きっと母さんも父さんも喜ぶ。
退屈で真っ暗な世界の中に明葉、と、いう特別な光が居てくれたら、どれだけ救われる事か。
もう……帰ろうよ……明葉。
そう明葉に言おうとした瞬間、視界がぐにゃり、と、曲がり、竜太は深い眠りについた。
*****
夢を見ていた。
父さんと母さん、俺に、そして……明葉。
家族四人で幸せに暮らしている。
夢を見ていた。
舞桜さんに告白して、見事散った。完膚無きまでに惨敗、撃沈、大破。
夢を見ていた。
と、いう夢を、見ていたらしい。
バシャァ。
と、突然水の掛かる音がした。
「……ん?……ブハッ!?うわっ!」
その水が、自分に掛けられていると、鼻に入って分かり、驚いて跳び起きると、乗っていた馬からづり落ちた。
尻餅をついて漸く意識がはっきりする。そのまま下から見上げると、昔と同じフリフリので良く似合う可愛い洋服姿の……では無く、銀色の甲冑姿の明葉がポタポタ、と、水滴が垂れる水筒の様な物の口を、こちらに向けていた。……恐らく、と言うより確信犯的に、明葉がぶっかけたんだろう。顔は無表情だ。
横には、杖の上に乗って浮かぶリュリュが笑っていた。
やっぱり……あれは夢じゃ無かったのか……。
いきなり現実に引き戻されて、呆然とする竜太。
暫く沈黙が流れるが、竜太ははっ、と、して、
「……って……何すんだよ!」
と、少し時差を置いてから抗議する竜太。
前髪からポタポタ、と、水が滴っている。
「アンタが間抜けに寝てたのが悪いんでしょ」
「はぁ!?」
と、奇妙な兄妹喧嘩を始めた、竜太と明葉。
こんなに言い争ったのは、今日が初めてなのかも知れ無い。昔はもっと
「あのうあのう、ちょっといいですか?」
と、リュリュが二人の間だに入りながら言う。
「な、何よ、リュリュ?…」
「お二人ともお二人とも、仲が良い程喧嘩をするといわれますが、喧嘩はいけませんよ?主もきっとそう仰せで有ります」
と、言うとリュリュは片膝を立てて、首に下げてあるロザリオを握り、天を仰いだ。
「なっ……仲が良いってそんな……」
と、何故か顔を赤くする明葉。可愛い。
(キリスト教……ってやつかな?この世界にもあるんだ)
などと、リュリュを見ながら関心した。竜太の家は無宗教だが、竜太の世界にもある物が、この世界にもある、と、わかる、と、何だか少し嬉しく思う。
が、即座にはっ、と、して、竜太は大事な事を思い出す。
「そうだ明葉!俺はまだ何にも聞いて無いぞ!お前の事も、この世界の事も!」
と、竜太。
そう、竜太はこの世界に来てから、まだ何一つ、情報を得ていないのだ。
強いて言うなら、この世界が竜太の居た、日本では無い、と、いう事だけだ。知りたい。
今竜太は非常にこの世界の知識を欲している。
「……まぁ無理も無いけど、少し落ち着きなさいよ。とりあえず中に入るわよ」
と、明葉。
「え?入るって……」
竜太は辺りを見回す。
何も無い。
竜太が最初にモンスターに襲われた砂漠の様な場所と、大して変わらない様な場所だ。目を擦っても何も建物らしい物は見えない。変わらずただの乾いた平地だ。
「リュリュ、お願い」
「はいはい」
明葉に指示され、頷くリュリュ。
手を突き出し、何か呪文を唱える。
すると、リュリュの目の前に、金色の巨大な円形の光が表れた。先程のリュリュが現れた時の魔法陣とは比べ物にならない程、大きな光の輪だ。最早建物どころでは無い。
まるで街が、国が、一つ入りそうな程巨大な円だ。
(こ……今度は何だ?)
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
「わわわ……」
直立では立ってられ無い程、地面が大きく左右に揺れた。
あまりの揺れに、竜太は地面にしがみつき、目を瞑った。
ぴたり、と、揺れが収まる。
恐る恐る目を開くと、これまた巨大な壁が現れた。
とても固そうな、岩の壁だ。
岩、と、言っても、雑林の中に偶々あるゴツゴツした、無雑作な物じゃない。しっかり人の手が加えられていて、綺麗に平らに整えられている。
しかしそれでも、平たく硬い無機質な塊になってもなお、幽玄で、力強く、何か特別な物を感じさせる巌の様だ。
ガガガガガガガガガガ……。
その巌の壁に亀裂が入る……と、言うよりも、開き始めた、と、言う方が正しいだろう。
徐々に大きく開かれていき、よく見てみると、門の様にも見えてくる。
「さぁ、入るわよ、乗りなさい」
と、明葉。
「え?えと……」
竜太は訳も分からず、地面に腰を落としたままオタオタする。我ながらなさけない。
「話は中でするって事よ、いいからほら、乗りなさい」
と、自分が跨る白馬の後ろに乗れ、と、馬の背をポンポン、と、叩く。
「わ……分かったよ……ってアレ?」
渋々了解し、尻の埃を払って明葉の馬に乗ろうとするが、上手く乗れない竜太。そりゃそうだ、乗馬なんてした事無い。
さっきは無理矢理明葉に引っ張られて何とか乗れたが、いざ自分の力で乗ろうとすると、やっぱり出来無い。
「はぁー……ったく仕方無いわね、リュリュ」
と、呆れた感じの明葉。
「はいはい」
と、リュリュは笑顔で承諾し、
「えいえい」
と、指をクイッ、と竜太に向け上げた。
「え……のわぁ!?」
一瞬、何をされたのか全く分からなかった。がしかし、足の裏に、地面を噛む感覚が消えていた事を認識した竜太は驚いた。下を見ると、自分の身体はフワフワと、中に浮遊していたからだ。浮かぶ感じは、もうトラウマじみていて、もうこりごりなのだが……。何より、元々好きでは無い。むしろ苦手だ。遊園地とかに行っても、絶叫アトラクションは乗れない。友達が乗ってても一人で外で待っている。ぼっちな訳では無い。
そうこう考えている間に、有無も言わせず竜太の身体は地上から離れていく。
「な、なななな……」
これが……魔法。
こう改めて体験してみると、ここが異世界だとより一層感じて、悲しくもあり、嬉しくもある。
しかしこれ、なまじ下手な絶叫アトラクションより怖い気がする。
「馬に乗れないなら仕方無いでしょ、これならアンタはなんもしなくても進むわ。リュリュに感謝しなさい」
と、明葉。
「あぁ……えと……か、感謝感謝です」
と、リュリュにお礼の言葉を掛ける竜太。
「いえいえいえいえ、何て事はありません」
と、リュリュ。
……うーん……確かに、明葉の言う通り、このリュリュの妙な癖は、会話に差し支えがでるかも知れ無い。
もしリュリュとの会話を文章にすれば、読み手はさぞかし読み辛い事だろう。
「さぁ、行くわよ、いやぁっ!」
と、明葉は手綱をビシッ、と、弾き、馬は力強く鳴き、地面を蹴る力を強める。
同時に、リュリュもスピードを上げ、竜太も釣られた魚の様にぐんっ、と、引っ張られ、中を浮かぶ速度を増す。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
この内臓が動く、と、言うか、揺れる、と、言うか、とにかくこの嫌な感覚が苦手な竜太は、それはもう恥ずかしい程盛大に、悲鳴を上げた。
「もういやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
*****
一体どれくらい駆けていたのか分からない。
もう途中からは叫ぶ事も出来ず、更に途中からは泣く事も出来ず、ただただ早く目的地に到着して、この地獄が終わるのを、目を瞑って祈っていた。
空は大分暮れてきたものの、まだ灯りが無くともなんとか人の顔を確認出来る明るさだ。
暫くすると、流石に二人とも疲れたのか、それとも漸く、目的地が近付いて来たのか、分からないが段々と、走るスピードが落ちてきていた。
内心、竜太はホッ、と、していた。
やっと落ち着いた……と。
門を抜けると、竜太達の前には街が広がっていた。
街と言っても、現実世界の日本の都会の様な、無機質で無駄にデカい高層ビルの摩天楼が連なるコンクリートジャングルでは無く、映画に出てきそうな、ナポレオンやマリーアントアネットが居る十七世紀のヨーロッパの様な街並みだ。
石造りや、煉瓦造りの家々が並び、日傘を点した貴婦人が絢爛なドレスを靡かせながら歩き、白髪巻き髪で髭を生やした男達が闊歩し、馬車が蹄と車輪をカラカラ鳴らし、人々がワイワイ賑わいながら暮らしていた。活気が満ち溢れている。
「ほー……」
と、竜太。思わず感嘆の声を漏らす。この活気を、俺の街にも見習って欲しいものだ。俺の街は沈んでいて、活気のかの字も無い。だからつまらない、退屈な街だ。
あんな街より、テレビやゲームやマンガは無いにしろ、この街で暮らした方が退屈せずに、生きれるかも知れない。
暫く街の中心の道を進んでいると。
「おお!アキハ様だ!」
「本当だ!相変わらず凛々しくお美しい……」
「リュリュ様も居るわ!」
彼方此方から街人が集まって来た。
老若男女関係無く。縦横無尽、道はたちまち人々の身体で消されてゆく。
すぐに明葉達の周りは人だかりで埋ってしまい、歩を進める隙間を無くしていった。白馬は人集りを邪魔そうに小さく、ぶるる、と、鳴く。
皆口々に、アキハ様ーアキハ様ー、リュリュ様リュリュ様ー、お美しいお美しい、可愛い可愛い、と、叫んでいる。
おいおい、明葉達はアイドルかよ……。
まぁ、明葉は可愛いからな。それも途轍も無くな。勿論、リュリュさんも可愛いから、そう持て囃したくなるのは分からなくも無いが……なんか違う気がする。
あ、そこのハゲてるデブ親父!今明葉の事ヤらしい目で見たろ、ちょっとこっち来い、ぶっ飛ばしてやる!
あ、そこのガリガリ!何リュリュさんの胸ジロジロ覗いてんだよ、やめろ失礼だろうが!
この街では、二人はよほど人気者の様だ。
変な野郎も居たが、それは後で見つけたらきっちりお仕置きしよう。特にデブ。
と、そんな事をブツブツ考えていると、
「誰だぁ?アイツは……」
「ん?ああ、あの浮かんでる奴?」
「何者なの?」
と、街人達は竜太を指差しながらヒソヒソ、と、話していた。当然と言えば当然な反応だ。
しかし、正直思ったよりかは反応が薄かった。
最初は、また魔法か何かで竜太の姿を見えなくしているのか、と、思ったが、別にそんな事は無かったらしい。
魔法がわりと一般的らしいこの世界では、人が浮かんでいる事自体は騒ぐ事では無い様だ。寧ろ問題なのは、浮かんでいるのが何か、と、いう事らしい。
(う……やっぱ予想はしてけど、やっぱり俺にも注目の目が……)
多分、大した事は言われて無いだろうが、ヒソヒソ小さく囁かれるのは、やはりいい気がしない。
怒ったりする気は皆無だが、こう、奇妙な物を見る目でジロジロ見られ、ボソボソ不明瞭に呟かれるのは、ただでさえ不安な竜太の心を嗾け、更に苦しい気持ちへと誘わせる。
「みんな、悪いけど今急いでるんだ。少し道を開けてくれないか?」
と、明葉の凛、と、した声が響く。
その鈴の音のような美しい声を、竜太は救いの女神様の声に感じた。
明葉その一言で、街人達は快く退いてくれた。
再び道が開かれる。
「アキハ様ぁ、その浮かんでる野郎は何者なんですかぁ?」
と、街人の若い男の一人が質問を投げる。
触れて欲しく無かったが、当然と言えば当然の質問だ。
「何でも……無くは無いが、今は話せない。後にしてくれ、我々は急いでいるんだ」
と、返す明葉。
街人もとりあえず納得した様で、それ以上質問は無かった。
「すまないわね、ありがとう」
と、明葉が言うと、街人は逆に笑顔で満足そうに帰って行った。なんか羨ましい。
竜太達は街人達に挟まれた道を、そのまま歩き続けた。
*****
「着いたわ」
「ここは?」
明葉達に連れられ、辿り着いた先は、巨大な西洋風の城だった。ロミオとジュリエットの時代にありそうな、御伽噺に出てきそうなあの城だ。白い石造りで、その風体からすると、作られてからかなりの年月が過ぎている様に思う。
しかしだからといって、決して古臭いとか、みすぼらしい様な感じは全く無く、寧ろ長い歳月が流れていて、その歴史の重みを心の底から感じさせる。そして荘厳な佇まいで、美しい。一目で立派な城だと分かる。
「まぁとりあえず、『王さま』に謁見しましょうかね」
「王さま?…」
「会えば話すわ、この世界の事を」
そう言われ、歩を進めると、巨大な城を覆い被せる程大きな城門(多分正門)が見えた、門の左右には、長槍を握り、門よりも強固そうな鎧に身を包む屈強な男が二人居た。門番だろうか。ピクリ、とも、動かない。
イギリス兵でももう少し動くぞ、多分。
「アキハ・ヴィクトワール」
と、明葉が門番に一言。
「リュリュ・クリスティーヌリュリュ・クリスティーヌ」
と、リュリュも一言(?)言うと、
「お入り下さい」
と、門番が口元を開く。
甲冑で口元が見えないが確かに喋った。少し不気味である。
それと同時に、大きな音を発てて門も勢いよく開いた。
「さぁ、入るわよ」
明葉に導かれ、竜太達は門を潜る。
*****
城内は外見訳が分からなくなる程、複雑に入り組んでいた。敵をも、味方さえも翻弄させ、迷わせ、発狂させようとしてるんじゃ無いか、と、思わす程、途轍も無く長い廊下、幾重にも重なる扉、山登りでもしているのかと錯覚する程、長く急な階段。
そんな、文字通り身も命も削る思いをしてから三十分以上が経過していた。
明葉は……流石に城の中に馬は入れないみたいだからか、馬は門番に預け、一人で進んでいる。しかし疲れた様子は全く見え無い。
リュリュも魔法では無く、ちゃんと足で歩いている。
二人ともかなり歩き続けている筈だが、足取りに変わりはない。
(……俺がひ弱なだけか、それともコイツ等の体力が異常なのか……)
多分後者だろう、と、そんな事を考えていると。
「ここよ、『王さま』のお部屋は」
と、歩を止めて明葉が言う。
目の前には、今まで潜ってきた物と、さほど変わらない扉がった。大きさも大して変わらない
「はぁはぁ……やっとか……」
もうヘトヘトな竜太。
「これ位でへばるんじゃないわよ、だらしないわね」
と、明葉。
(そんな事言われても……)
「どーせ引きこもりだからよ、まったく」
と、明葉が竜太に毒づく。
引きこもりとは心外だが、百パーセント否定は出来なかった。
学校にはしっかり通っているが、帰宅部の上に、バイトもしてないし、家では自分の部屋に籠っている事が大半だから……。
半分くらい、引きこもりのニートかも知れない。
「……うう……」
そう思うと、反論し難い。悲しい。バイト位でもやっときゃ良かった、と、後悔する某掲示板の住人達の気持ちが分かった気がする。高校生だけど。
「お疲れ様ですお疲れ様です、竜太さん」
と、笑顔で労いの言葉を掛けるリュリュ。
その笑顔で、いくらか傷付いた心が癒された。
「……開くわよ」
ギギギギギ……。
重い扉の開く音がした。
目の前の扉が開き、中の様子が伺えた。
金の刺繍が施された、豪華な絨毯天井を照らす立派なシャンデリア、大理石の床、陽光で一層彩られるステンドガラス。壁に掛けられている王冠を被るヒゲもじゃな人の絵の数々は、歴代の王さま達だろうか。数が多くて少し怖い。
確かに今まで通ってきた部屋とは違う。いかにもにも、格式のある『王さま』の部屋、と、いう感じが漂う。
「国王陛下、ただいま戻りました」
と、明葉。
片膝を立て跪き、頭を下げ、尊敬の意を示す。
リュリュも後に続く。
竜太はキョトン、と、した。
どうしたらいいか分からず、とりあえず、明葉達の真似をことにした。気持ちがこもっていないのが少し申し訳ない。
チラッ、と、高い階段の上『王さま』の姿を確認する。
髪と同化する程、白くて豊かなもじゃもじゃの髭、真紅の布地と、純白の毛皮で作られたマントを羽織り、金の冠を頭に乗せ、金や銀や宝石であしらわれた椅子にどっしり座って居る。だが別に、偉そうに踏ん反り返っている訳では無かった。寧ろどん、と、構えていて、頼もしそうだ。
こんな王さまなら、いっそ竜太の国の汚職官僚共を廃して、代わりに国を治めて欲しい、と、さえ思った。
……しかし何だか、竜太が頭の中で思い浮かべていた『王さま』のイメージと、外見がこれまた一致し過ぎて驚いた。
まるで童話とか、映画とか、漫画とかの世界から飛び出してきた様に、在り来たりな『王さま』のお顔だ。
「よくぞ帰ったな、アキハ・ヴィクトワール、リュリュ・クリスティーヌよ、大義であった」
と、王さまでは無く、近くに居た側近が言った。
当の王さまは口を開かず、ニコニコと笑みを浮かべてる。
「もったい無き御言葉、恐悦至極に存じます」
と、明葉が一層頭を下げ、感謝の言葉を述べる。
すると王さまは、近くに居る側近達に手を軽く振る。何かの合図だろうか。
その合図を受け、側近達はゾロゾロ、と、退室する。
部屋には竜太と明葉とリュリュ、それと王さまだけになった。
暫く、静寂な空気が流れる。照明のロウソクがユラユラ揺れる。古い振り子時計がチクタク時を刻む。
その間も、明葉は片膝を突いたままだし、王さまはニコニコと笑みを絶やさ無いまま、と、言うより、全く笑顔から表情を動かさ無いでいる。……二人とも恐い。
リュリュさんは既に立ち上がり、暇そうにあくびをしていた。
竜太は竜太で、やはりどうしたらいいか分からないから、明葉の真似をしたまま、動けないでいた。
(い……いつまで続くんだ?…)
と、汗を垂らし、心の中で竜太がそう思っていると、
「ふぅ 」
と、明葉は溜息をつき、すくっ、と、立ち上がる。凝ったのか、ポキポキ、と、音を立てて伸びをする。
「んんっー……もう、いいかしら?」
と、王さまに向かって言った。
(あれっ?…)
と、明葉の急な態度の変化に驚く竜太。
さっきまで、あんなに深々と礼をしていて、いきなりこんな態度でいいんだろうか。
王さまと明葉、二人がどういった関係なのかは分からないが、多分、王と勇者、主に忠誠を誓い、主の為にその身を捧げる主従関係。
そんな感じだと、竜太は思っていたから……。明葉の変わった態度を見てると、少しばかり心配になる。
王さまは、相変わらず笑顔のままだ。
「大丈夫よ、そんな警戒しなくても、私達以外、皆外に居るわよ」
と、明葉。
王さまは固まった笑顔のまま、なんだか喜んでいる様子だ。表情は変わらないが、そぶりで何と無く分かる。
どこか、子供じみている様にも見える。
すると王さまはだらり、と、足を投げ、
「……そっかぁ」
と、安心した様な声を上げた。しかし……その声は、どう聞き捉えても、髭もじゃの顔からは想像出来ない程、酷く幼かった。それも、よく聞くと女の子の声に聞こえる。
「ぶっ!?」
と、竜太も思わず吹き出してしまった。
不動の笑みの王さまから、何やら可愛らしい声が聞こえてきたのだ。
目元も口元も、仮面の様に、張り付いた様に動かない笑みで、喋り掛けてきたのだ。誰だって驚く。
だが驚いていたのは竜太だけだった。明葉もリュリュも、全く驚いていない。寧ろ「やっとか……」と、呆れと安堵の表情を浮かべていた。
「んじゃいっかー、この格好疲れるからさぁー……うんしょ、と」
かぽ、と、何かを外した音がした。
「ぷひゃーっ、やっぱ素が落ち着くねぇー」
その時、竜太はこう錯覚した。
天使がいた。
かぽ、と、外したのは着ぐるみの様な王さまの『顔』だった。外してもなお、王さまの仮面はニコニコ、と、笑みを浮かべる事をやめない。
その仮面の下から出て来た素顔を、竜太は『天使』と称したのだ。決して大袈裟では無く。決してお世辞では無く。
少し動くだけで、キラキラと光沢を放つ長い金髪。長い睫毛に、金髪には少し似合わなそうな大きな黒目。しかし全く、その黒目は天使の顔に合っている。触れると柔らかそうな白い肌。笑みを浮かべる度に出る笑窪が幼さを感じさせる。だが可愛い。
全てが整っていて、全てが可愛らしい。
まるで天使だ、と。
竜太は称したのだ。
「はぁー……、毎回毎回ご苦労な事ね、そんな暑そうな着ぐるみなん着て」
と、溜め息を吐き、少し呆れ混じりで労う明葉。
「もーそんな言い方無いよー、私だって頑張ってんのにさぁ」
と、明葉に向かってニコニコ、と、笑い掛ける『天使』さん。
いや、『天使様』だな。
その笑顔はさっきの仮面の笑みでは無く、心からの、生きた笑みだった。可愛らしい事この上ない。
「でぇ『アキハ』ちゃん、その男の人が、『アキハ』ちゃんのお兄ちゃん?」
と、竜太を指差しながら言う天使様。
顔より下は、まだ王さまのままだ。
「ええそうよ、アリス」
と、明葉。
……アリス……それが彼女の名前なのだろう。
「他のみんなは?」
と、アリスに訪ねる明葉。
「うん、何時もの部屋に皆集まっているよ」
と、明葉に返すアリス。
「そう……。ところでアリス?まさかその着ぐるみの中って」
「うん?すっぽんぽんだよ?」
「ぶっ⁉︎」
ある人はフワッ⁉︎、と、叫び、ある人は喜色満面とし、ある人は瑞祥のような喜びを感じる、と、何故か難しい言葉を放ち、ある人は中を妄想し、ある人は着ぐるみを買い取らせてくれと泣きながらせがみ、ある人は興奮して襲い掛かり……おっと、コイツ等は変態だな。
ともあれ、それ程危険で大胆な事をしているのだ。この天使様は。
……なんだか、目を合わせるのも憚れる。
「……アンタねぇ……一応、コイツも居るのよ?」
と、竜太を指差しながら明葉。
一応ってなんだ一応って。
「えー?だから?」
だから?って……。
「いい加減アンタは恥じらいって物を持ちなさいよ」
「んー?どゆこと?」
「いやだから……その……男の人が見てるのよ?…」
「いいじゃん、おっぱい見られる訳じゃ無いんだし」
「っておいっ!」
と、すかさずつっこむ明葉。
何だか天真爛漫な子だな……と、竜太は思った。
虫も殺したこと無い様な綺麗な笑顔を見せ、無邪気に声出して笑う彼女は、やはりまさに、天使その物だ。
「いやだから、アンタのその……は、裸を、想像して変な事かんがえる輩が居るかもしんないのよ?」
と、言ってる明葉が顔を恥ずかしそうに赤らめてしまう。可愛い。だが俺は断じてそんな事して無いぞ断じて。
「うんうん、それで?」
「だ、だから!そんな事妄想されて恥ずかったり嫌だったりしないのかって事よ!」
「おおなるほど、そーゆー事か、心配してくれたの?流石『アキハ』ちゃん!」
と、無邪気に笑うアリス。別に何とも無いよ?と、後に付け加えて言った。なんという事でしょう。
「はぁ……」
と、溜息をつく明葉。
どうやらこの天使様は、かなりの『天然』さんらしい。
でも可愛いなぁ。
っていやいや!俺には舞桜さんっていう心に決めた女が……。
と、一人心の中でつっこみ合う竜太。
明葉は大好きだし愛して。リュリュさんも嫌いじゃ無いし、この笑顔の天使様だって可愛いし、凄く愛らしい。
だが、それでもなお、竜太は舞桜さんの事が好きで堪らない。もうそれが、叶わぬ恋だとしても――。
「ねえねえ君!」
と、不意にアリスが大きな声で話し掛けてきた。
「は、はひぃ!」
と、びっくりしてアホな声が出た竜太。恥ずかしい。
「……君がねぇー……ふぅーん……以外とフツーなんだね」
「え、えぇ……」
会って初めて交わした会話で、いきなり貶された……。
今日は本当に厄日だ。
「何か平凡な雰囲気だし、魔力も法力感じられ無いし……まぁ、それはしょーが無いか」
と、独り言わブツブツと呟きながら、腕を組んで竜太の姿をジロジロ、と、舐める様に見回すアリス。
どうしていいか分からず狼狽えていると、困惑した竜太の気持ちを察したのか、
「あ、ゴメンゴメン、一人でブツブツ言っちゃって」
と、舌を短く出しながら謝罪したアリス。
無意識なのか、狙っているのは分からないが、どちらだとしても、可愛い事には変わり無い。
「先ずは自己紹介からだねっ、私はアリス、アリス・アンジュ。この国、アンジュ王国を治める女王よ」
と、この天使様……アリス、が、名乗り始めた。当然ながらリュリュさん同様、日本人の名前では無い。
「ど……どうも……」
正直言って、反応に困った。
失礼とは思うが、そうは見えかった。
政治って言うのは、なんだが暑苦しいスーツ着込んで眉間に皺を寄せ、頭を薄くしながら、汚ない野次を飛ばし合う年寄り達が勝手にやっている物だと思っていたからだ。
ましてはこんな純粋無垢な天使様が、そんな汚れた大役を務めれるとは、あまり思え無かった。
「あー!今『似合わねー』とか、『務まらなさそー』とか思ったでしょ?」
と、アリスが竜太を指差しながら言った。
「え?いやっ……その……」
と、割と図星なその指摘に反論出来ない竜太は、俯いて言葉を濁す事しか出来なかった。
「あはは、そんな顔しないでよ!気持ちは分かるからさー」
と、笑顔で許しの言葉を掛けるアリス。
なんが少し、申し訳無くなる。
「いやそんな……」
「いーのいーの、自分でも、ちゃんと務まってるか疑問だしさぁ……」
と、一瞬、悲しい目をしたアリス。だがすぐに笑顔に戻る。
「ホントにこれでいーのか、もっといーやり方があったんじゃ無いかって……色々考えちゃうけど、とりあえず国の皆が幸せに笑っている中は、正しい事をしている、って思ってるんだ!」
と、終始笑顔で語るアリス。
この言葉だけでも、この国の人々は幸せだと思う。
こんなに民の事を優しく想っている王さまは、なかなか居ない筈だ。
俺もこの国に生まれたかった、と、竜太は心から思った。
「……なんか、ごめんなさい」
と、自然と謝罪の言葉が零れた。
ほんの少しでも、疑ってしまった事に。
「えー⁉︎じゃあホントに疑ってたんだ!ひどーい!」
と、頬を膨らませ、ぶーぶー、と、文句を言うアリス。
さっきの語っていたときの表情とは打って変わって驚く。
一体、どの表情が、アリスの素顔なんだろう?…
そんな素朴な疑問が、脳裏を掠った。
「いやそれは……」
「そんな悪い子にはお仕置きをー!」
「アリス」
と、二人の会話に割り込む様に、明葉の凛、と、した声が響く。
「無駄な事を話している暇は無いわよ。時間は有限なんですから」
「えー?こーゆーのも大事な事だよ?こみにけーしょっ……こっ、こみにゅけーしょ……ん?……あ『コミニケーション力』を鍛えるのに最適だって、ジャン君が言ってたよ」
と、所々噛みながらアリスは言う。
「アイツの言う事なんて真に受け無くてもいいわよ」
「えー?ちょっと可哀想だよ」
ちょっとなんだ……。
「まぁいいわ……おに……兄貴」
と、明葉。
「え?…」
と、一瞬自分が呼ばれた事に気付かなかった竜太。
「アンタもいい加減、知りたいでしょ?この世界は一体なんなのか、なんでアンタがこの世界に来たのか、って」
と、明葉は真剣な眼差しで訪ねる。
「……ああ」
確かに知りたい。
この世界事、そしてお前の事を……。
「じゃあ場所変えよっか、案内するねー」
「アンタは先ず着替えなさい!」
「ではでは、私はお茶を淹れてきますね」