ベースボール・スター
ゲームをはじめてからもう何時間が経過したことだろうか?
もう夜の6時過ぎであろうか。
小さなクルマのイラストの付いたオレンジ色のカーテンはずっと閉ざされたままだ。
テレビの明かりだけが部屋の中をうっすらと照らし出している。
朝から食事を取らないまま、僕はテレビに向かってひたすらゲームに没頭していた。
時折、隣の部屋から母さんか妹かわからないが、話し声が聞こえてくる。
だが、ゲームでその声のほとんどはかき消されていた。
こうして、毎日、ゲームをすることだけが僕の日課だった。
食事なんか取らなくても生きていけるものだ。
生理現象で、トイレに行く時以外は、ずっと六畳の部屋でゲームを続けている。
「まさき、もうご飯よ!」
母さんの声だ。
引きこもりの僕は、食欲も湧かない。
返事するのも面倒なのだ。
テレビの画面では、ちょうど僕が打席に立つシーンだった。
そう、僕は、野球のゲームにどっぷりはまっていた。
「さあ、注目の新人、高橋。」
スタジアムからは大きな歓声が沸いた。
「先ほどはホームランを打って、15試合連続の出塁も記録する絶好調男。」
「高橋、今、ゆっくりと打席に入ります。」
「回は最終回、ツーアウト、ランナー2塁。ホームランが出ればサヨナラのシーン。」
僕は自分と同じ姿形をした選手を観てにんまりした。
この世界では、僕は一流打者で、このままいけば年間70本にも迫るホームラン記録だった。
食事なんかどうでもよい。
手に持つゲーム・コントローラに力が入る。
相手投手は、抑えの轟。
昨年のセーブ王だ。
負けてなるものか。
一球目はボール。
二球目もボール。
「勝負を避けているのか。」
三球目が来た。
僕は、バットに吸い込むように思いっきりボタンを押した。
カーン!
「打ったー、打ちました、伸びる伸びる!」
アナウンサーの絶叫。
大きな歓声を伴って右翼席の最上段に叩き込んだ。
「ざまあみろ!」
ゆっくりと僕はベースを回る。
チームメイトがホームベースで待ち受ける。
今、僕だけに目が注がれている瞬間だ。
世界をひとり占めにしたかのようなこの一瞬がたまらない。
ホームベースを踏むと同時に、僕はチームメイトの手荒い祝福を受けた。
頭や体を叩かれながらも狂喜に満ちたサヨナラのシーンだ。
僕が主役だ。
そのときだ。
「まさき、ご飯よ!」
突然、僕の部屋のドアが開けられた。
「まったく、ずっと部屋でゲームだけして。」
「・・・。」
なにも言わない僕にお構いなく
「さっさと食べないと片付けますからね。」
そう言ってリビングに戻って行った。
母が来るまでは、僕はスタジアムのヒーローだった。
誰もが羨む一流スターの自分がいた。
どれほどの快感だったことか。
それを・・・母はぶち壊した
突然、僕は母を許せない気持ちになった。
「大スターの僕をそでに扱いやがって・・・。」
僕は重たい腰をあげてリビングに向かった。
母と妹がテレビを見ながら談笑して夕食を取っていた。
父はまだ帰ってきていない。
「あら、食べるの?」
答えるわけでもなく、僕はキッチンへ向かった。
無言で僕はリビングに戻り刺した。
一瞬の悲鳴があったが、飛び散る血の勢いで声はかき消された。
妹は言葉を失い、失禁して這いつくばっている。
僕はことを成し遂げたあと、また自分の部屋に戻った。
ヒーローインタビューがあるからだ。
スタジアムはまだ興奮のるつぼだった・・・。