act.6
ざわざわと鳴る、葉音が嫌いだった。
それはあの日の風の音にあまりにも酷似しているから。
それはあの日をあまりにもはっきりと思い出してしまうから。
あなたが哀しみに沈んでしまった、あの日のことを。
***
「…………」
静かな家。静かな部屋。窓からは夜の闇が忍び込み、窓辺で灯された小さな蝋燭の灯りだけが、それを押しとどめている。風が入り込む度に真っ暗な部屋で橙色の灯りが頼りなく瞬いて、落ちる影を揺らめかせた。
揺らめくのは、彼の影だ。
窓辺で佇み、物思いに耽るように外を見つめる大切なあなたの影。
まるでこのまま闇の中に消えてしまいそうな。
「…………ソラ」
それが嫌で、隣の部屋の扉の前にいたリューは静かに名前を呼んだ。
返事は、ない。風が吹くだけ。そうしてソラの影が揺らめくだけ。それにけれどめげることなく、静かに彼の方に近づいたリューは服の裾を握りしめ、彼の見つめる先を同じように見てみる。
暗闇だ。
そしてざわざわと鳴る葉音。
「……心配?」
ジンのこと……と、暫くしてから昼間にこの家に訪ねてきた朱い瞳の彼女のことを問うてみれば、初めてぴくりと体を震わせたソラが、ややあってから目を手元へ落とした。
「……別に。なんで僕があいつらのことを心配しなくちゃいけないんだよ」
「でも、ソラはずっと窓の外を見てる」
「それは……今朝、森は危険だって聴いたから……」
「だから森に入っていったジンが心配?」
尻すぼみに消えていったソラの言葉の先を紡いでやれば、図星だったのか彼の顔が赤くなった。
「っ、うるさいな……!」
関係ないって言ってるだろ。そう言って、ふい、と顔を背けたソラは、そのまま部屋の奥に歩き出してしまった。ほんの少し怒ったように揺れる小さな背中。それにけれど、リューは少しだけ嬉しくなってしまう。あいつら……そう呼ぶ、ソラの声音には親しみの感情が確かに滲んでいる気がしたからだ。
よかったと、そう思う。
それは今までの彼にはなかったものだから。
あるいは自分では、与えられなかったもの。
「ていうか、リューは先に寝れば? 僕はもう少し起きてるから」
そこで、ぶっきらぼうなソラの声が聞こえた。見れば部屋の奥、昼間に彼が小脇に抱えていた籠を手にしている。何か作業でもするのだろうか。ことり、と首を傾げてソラを見つめれば、整理だよ、とテーブルに籠を置いたソラがちらりと視線を寄越してから言葉を続けた。
「今朝、先生のところで薬草を分けてもらったから」
「……先生」
それはソラがひどく慕っている人物の名だ。そしてリューの胸の内をざわつかせる名前でもある。
「……また、会いに行った?」
灯りが必要なのだろう。再びリューの傍に戻って蝋燭を手にとっていたソラの動きが、その一言でピタリと止まった。
「……会いに行っちゃいけないの?」
「そんなこと……ないけど……」
むっとしたように返されてリューは言葉に詰まる。
目を、逸らした。会いにいかないで、なんて。勿論言わない。ソラが一緒にいたいと思える人といられることはとてもいい事だ。
けれど、こと先生に関しては、リューはそうは思えないのだった。それはリューが先生に一度も会ったことがないからかもしれないのだけれど。
なんだか嫌な感じがするのだ。
それはこの、ざわめく葉音と同じように。
……だなんて。
「…………」
言えるはずがない。そう思ったから、黙ったまま服の裾を握りしめれば、ソラに小さく鼻を鳴らされた。
「理由もないなら何も言わないでよ」
「……ご、めん」
顔を俯けるリューの横を蝋燭を持ったソラが通り過ぎていく。足音がやめば、灯りが遠ざかって暗闇が近づいた。
ソラを傷つけてしまっただろうか。薄暗闇の中で、そんなことを思ったリューの胸がちくりと痛む。
それはあってはならないことなのに。
彼を、傷つけるんじゃない。そうじゃなくて、自分は。
――自分は、
「!」
そう、リューが自責の念にかられかけた時だった。
はっと、顔を上げる。ざわめく木々の音。窓辺から入り込む夜の闇。頼りない蝋燭の灯火……その相変わらずなどれもに混じって肌をさす、嫌な気配。それに素早く辺りを見回したリューの視線は外へと続く扉の前で止まった。
「……来る」
「え……?」
ソラが訝しげな声を上げる。それにリューがきゅっと唇を噛み締めて扉を睨みつける。
その瞬間、だった。
扉が乱暴な音を立てて開け放たれる。ばたばたと、忙しない足音が夜の静寂を破っていく。そうして入り込む風がびゅるりと音を立てて蝋燭の火をさらって。
「……っ」
それでも暗くはならない。むしろ、明るい。明るすぎるくらいだ。そう思いながら息を呑んで身を固くするリューと、状況が分からずテーブルの近くで立ち尽くしたソラを、家の中に入ってきたばかりの彼らが持つランタンが無遠慮に照らす。
「っ、な……」
彼ら……は、よく見れば村の男達だ。暫くの沈黙の後そのことに気付いたらしく、ぽかんと口を開けていたソラの眉根がぐっと寄る。
「……な、んなんだよ、あんた達」
こんな夜遅くに。苛々したようなソラの声に、しかし男たちはすぐに答えない。厳しい顔をしたまま……ランタンの灯りに照らされて顔に落ちる影をますます暗くして。
そうして沈黙に耐え切れずにソラがさらに口を開きかけた所で、ランタンを持っていた男が低い声を上げた。
「――ディアドラは、どこだ」
「……は? ディアドラ……?」
予想外の言葉にソラが目を瞬かせた。
「なんで僕がそんなことを、」
「知らんとは言わせんぞ!」
ソラの言葉を遮り、ランタンを持った男の傍らで唸るように声を上げたのは酒場の主人のトムだ。
「うちの娘が森の中に入っていったのを村のやつが見てるんだからな!」
「っ、うるさいな! 怒鳴らなくてもいいだろ!」
ソラが負けじと叫び返せばトムは口をつぐむ。けれど怪しむような視線は、トムどころかその場にいる男達全員から止むことはなかった。
「っ、なんなんだよ……」
明らかに異常な男達に、ソラが不安の色を滲ませて顔をしかめた。
「確かにジンと一緒にここに来てたけど……それがどうしたっていうんだ? 二人が来てたのは昼なんだ。ならもうとっくに村に帰ってるはずじゃないか」
そのとおりだ、とリューも小さく頷く。
だからソラは心配していたのだ。彼らが無事に帰れたかどうか。森から村へと続く道は一本で、二人が帰ったのも昼のことだったのだから迷うことはないというのに。
それでも心配してしまうのが、彼の優しさで。
それで。
「…………ない……」
「……?」
「なんだって?」
そこでトムが低い声で呟いた。不穏な色をはらんだ声にリューが頭を傾ける。ソラが苛々を隠すこともせず聞き返す。
そうして二人は、目を丸くした。
「――帰ってない……二人はまだ村に帰ってきてないんだ!」
響いた言葉はあの日のように。
森を、闇を、ざわめかせる。
2013/06/16 改稿




