act.15-1
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朝。七度響き渡った鐘の音が澄んだ空へ消えていく。外は騒がしく、この前来た時の静けさが嘘のようだ。馬車で、歩いて、あるいは小走りで、行き交う人々の身なりは少しばかり貧しい。それでも老いも若きも、男女問わず、ひどく活気があった。
その中でソラは顔を上げる。目の前の扉を見つめる。
どうすればいいのかの、腹は決まっていた。
何度も何度も練習したことだ。頭のなかで。
水辺特有の湿った空気を吸う。吐く。古びたドアノブに手をかける。間を置かず二度、扉を叩く。
「すみません、ルイスさんはいらっしゃいますか?」
返事はない。ここまでは予定通りだ。
一瞬、前回来た時のことが頭をよぎって、ソラは身を強ばらせた。
だがすぐに首をふり、ドアノブを回す。扉を引く。
正確には引こうとした。
その拍子に、扉が内側から開く。
「っ……!」
「だからクァラ。朝の食事はいらん、と何度言えば、」
間抜けなことにその瞬間、男とソラは図らずも固まってしまった。
ソラの方は、まさかこんなに素直に男が――ルイスが出てくるとは思わなかったせいで。
ルイスの方は、恐らくソラが再び訪ねてきたという事実に。
時間が止まる。
数秒。
そして。
ルイスが高速で扉を閉めようとする。その隙間になんとか両手をつっこんで、ソラは無理矢理笑顔を浮かべた。
「お、はようございます! 今日もいいっ天気ですね……っ!」
「っ、なんでお前なんぞがここに来てっ、るんだっ!」
「お話したいことが、あってですね!」
「俺にはないっ!」
「残っ念っ! 僕にはあるんでっ!」
「うるさい! お前なんぞに構ってる暇などない!」
「いいからっ、扉をっ、開けろっ!」
ソラは全身全霊を込めて扉を引く。半身を滑りこませる。ルイスがわずかにたじろぐ。その隙を見逃さず、さらにもう半歩踏み込む。家の中に入る。後ろ手に扉を閉める。
ソラは顔を上げた。
薄暗い部屋だ。窓から差し込んでいるのは朝日のはずなのに、くすんだ光しか部屋には届かない。窓辺の近くのテーブルの上には灰色の花瓶が一つ。しなびた花が挿さっていて、くしゃくしゃになった花弁を床にも散らしていた。
「なんでお前がここに……」
呆然とした風のルイスだったが、やがて、ふい、と顔をそらした。
「とっとと帰れ」
突き放した声音に、ムッとしてソラは眉を吊り上げる。
「用があるって言ってるだろ」
「生憎だな。こっちには用はない」
「僕にはあるんだってば」
「ほう、どんな?」
「あんたは、」
「待て。話すのはいいが、それは女王に知られてもいい話なんだろうな?」
あんたは、竜と関わってるのか。勢い込んでソラがいいかけた時だった。ルイスがジロリと睨んできて、ソラは眉をひそめる。
「……どういうことだよ?」
「女王に監視されている」
「は?」
「女王の持つ魔法の本には、この世で起こる全てが書かれている。国全体を揺るがす大事件から、子供同士の小さな約束まで。陛下はなんでもお見通しだ」
魔法の本。そう言われて、ソラは思い出した。
イシュカに来た初日。そもそものことの発端だ。初めてシェヘラザードとハールーンに会って、死罪を言い渡された。
あの時、シェヘラザードは奇妙な本を持っていなかったか。翡翠色の表紙の。それを読むなり、ソラ達がなぜイシュカにやって来たのかを当ててみせた……。
ルイスが鼻を鳴らした。
「心当たりがあるようじゃないか。え?」
「それは……」
「もう一度訊かせてもらうが、お前の話は女王に知られていいことなのか?」
「っ……」
いい、はずがない。もしもルイスが竜と関わっているとしたら。彼がそう答えたとしたら。
顔を青くするソラに、ルイスは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
ソラの腕を乱暴に掴み、扉の方へ引きずって行く。
「その分だと、お前も話すことはないようだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「とっとと帰れ。二度とここには来るな」
「だ、駄目だ! このまま帰ったらアリスが!」
「はっ! なら尚のこと私とは関係ないな!」
「なんでだよ! あんた、アリスの父親なんだろ!」
ルイスの動きが止まる。
窓から差し込む鈍い光を弾いて、細かな埃が舞い踊り、床に落ちる。
淀んだ空気が僅かに震える。
「あいつは……人形だ。人形に父親などいない」
「っ、人形って……! あんたまでそんなこと言うのか!」
「お前に何がわかる!?」
「分からないから、聞いてるんだろ!」
振り返ったルイスはソラの胸ぐらを掴んだ。
銀灰色の目は怒りに燃えている。
ソラはその目を真っ向から睨みつける。
なぜだ。なんでだ。
なぜ、アリスを嫌う。
なぜ、関係ないと言うんだ。
本当に嫌うのならば、関係ないと言うのならば。
「ルイス・キャロル……! あんたは何をそんなに怒ってるんだ……!」
「っ……うるさい!」
ルイスはソラを乱暴に突き放した。思わずソラは床に尻餅をつく。
「お前に話すことなどない……ただひとつも、これっぽっちも!」
ソラから距離を置くようにルイスは後ずさる。
そんなルイスを真っ向から見据えて、ソラは叫んだ。
「そう! それなら、勝手に探させてもらうよ!」
「……好きにしろ!」
ルイスは乱暴に扉を開け、外へ出て行った。
バタンと音を立てて無情に扉が閉まる。薄暗い部屋。その中でソラは拳を床に打ち付け、握りしめた。
アリスは言っていた。いつかルイスを見返してやりたいと。
その気持ちが分かる気がする。
「絶っ対、見つけてやるからな!」
思い切り叫んだソラは勢い良く立ち上がった。




