act.10
「昨日は、すいませんでした」
翌朝、アリスは開口一番、ぶきっらぼうにそう言った。
王城に務める兵士たちが集う兵舎だ。二階の、一番端。日当たりの良くない部屋。いつものようにアリスの使っている部屋に、決して明るいとは言えない気持ちで入ったソラは、呆気にとられて返事が遅れる。
が、机の向こうで椅子に座り、視線をあらぬ方へ逸らしたままのアリスは、淡々と続ける。
「怒って、申し訳なかったのです……ちょっと気が動転していたので。ソラは他の人に頼まれて、あの書類を運んでくれたのですよね? それなのに、あの言い方はあんまりだったのです」
「ちょ、ちょっと、アリス……?」
「ソラに書類押しつけた奴らには、もうこんなことしないように、って言ってあるのです。だからもう心配しなくて良いのですよ。昨日の書類も私が処理しておくのです」
「アリ、」
「それで、今日の仕事先なのですが、」
「アリスってば!」
「……なんなのです?」
アリスがソラをじろりと睨みつける。図らずも昨日と同じ構図だ。
てっきり、怒っているとか、悲しんでいるとか、あるいはいつもの意地悪な笑みを浮かべていると思って、ソラはここに来たのだ。
だからこそ、ソラは彼女をどうやって慰めたらいいのかとか、どんな言葉をかけてあげればいいのかとか、そもそも人形とはどういうことなのかとか、それこそ夜も眠れないくらいに考えながら来たというのに。
ところが、アリスの顔には、なんの表情も浮かんでいない。
まるで人形みたいに――そう思ったソラは、ぶるりと体を震わせて、口を開いた。
「その……怒ってないわけ?」
「は? だから今、謝ったのでしょう?」
「いや、謝ってはくれたけどさ。だって……秘密にしておきたかったんだろ? その、自分が人形だってこと」
「別に、事実だから気にしてないのです。というか、ここの兵士なら半分くらいは知ってるのです」
「え?」
「何を驚いてやがるのです? 怪我するくらいの傷を負ったって、ピンピンしてる人間を見たら、誰だって怪しがるに決まってるのです」
「で、でも……」
「で? 言いたいことはそれだけなのです? 時間の無駄なので、さっさと仕事の話に移りたいのですが」
僅かに苛立ちを滲ませたアリスの言葉に、ソラもカチンときた。
「なんだよ、その言い方。こっちはアリスのこと心配してるのに!」
「心配? ハッ、ソラごときに心配されることなどないのですよ」
「っ、もういい!」
ソラは憤慨してそっぽを向いた。アリスもアリスだった。鼻先で笑い飛ばしてから、今日の仕事の話を始める。
お互いがお互いに苛ついていて、そんなギスギスした空気は、仕事先でアリスと別れるまでずっといた。
そして、その日の昼である。
「やってられっか!」
午前中のアリスとのやり取りを思い出し、苛立ちが再燃したソラは思い切り箒を投げ捨てた。
王城の前庭。落ち葉一つ、ゴミ一つ落ちていない石畳の真ん中である。今日の任務の一つ目は、この石畳の掃き掃除だった。ついさっきまで、ソラが掃き掃除をしていたのだ。
任務というか、雑用である。
そして、それがいけなかった。考えずに手を動かしていれば良い分、考えたくなくてもアリスとのやりとりが思い出されてしまうのだから。
「ほんっとに! こっちが心配してるってのに! だいったい! 結局、何の説明もないし!」
「ふむふむ」
「人形ってなんだよ! 動く人形とか聞いたことないし! てか他の人も知ってるって! じゃあ最初から教えてくれればいいのに!」
「そうだよなぁ。親友同士の友情に、隠し事はなしだぜ!」
「で……お前はさり気なく会話に入ってくるんじゃない!」
「ぎゃん!?」
ソラは足元に転がっていた箒を、近くの植垣に投擲した。
情けない悲鳴とともに、転がり出てきたのは、何を隠そうカイである。
くたびれたエプロンを身につけ、頭を押さえたカイは涙目をソラに向けた。
「なんだよぉ、ソラ……! 一ヶ月ぶりの感動の再会ってやつだろ! 」
「感動の再会って、大げさな」
「大げさなもんか! こんな見も知らずの国にいきなり放り出されて、その間ずっとソラにも誰にも会えなかったんだぞ!? ソラだって、寂しいって思わなかったのかよ!?」
「それは、まあ……」
「だろ! ちなみに俺は寂しすぎて、『とりあえずお前に会ったら、こんなことを一緒にしよう』リストを毎晩作成してました! という訳で、まずは感動の再会シーンでお馴染みの熱い抱擁から、」
「それは却下」
「あぐっ」
両手を広げて迫ってきたカイのみぞおちに、ソラは拳を入れた。
カイが地面にうずくまる。プルプルと体を震わせながら、顔だけ上げる。
「な、なんか、今日のソラ、俺の扱いが雑じゃね……?」
「うるさいな、カイ。こっちはイライラしてるんだよ」
「い、イライラ? それって具体的にはどういう……」
「っ、アリスが! 勝手に怒ってくるから! 僕は心配してるってのに!」
「えっと、アリスって、あれか? あの超怖い銀髪女……」
「そうだよ! そう! 自分の言うこときかないとすぐに鉄の棒投げたり、拳に訴えてくる暴力女!」
「そ、ソラ……」
「なに!?」
「分かる……分かるぜ! お前の気持ち!!!」
急にカイが立ち上がった。なにごとか、とソラが不審な視線をぶつける中、拳をぐっと握りしめたカイは声高に続ける。
「水の国イシュカの女怖い! まじで、それ同意!!」
「はぁ?」
「聞いてくれよ! 俺のとこの上司も女の人なんだ! ほら、俺のこと連れてったグレイスっていう女の人!」
「あぁ……黒髪の女の人?」
「そう! そいつがすっげぇおっかなくてさ! 逃げようとしたら、足払いして地面にたたきつけてくるし、料理が少しでも間に合わなかったら思いっきり蹴飛ばしてくるし、休みたいって言ったら、虫けらでもみるような目で見下ろしてくるし……」
ガタガタと体を震わせながらカイは声を潜めた。
「そ、想像してみろよ? 『料理したいですか? 料理されたいですか?』って聞かれるんだぜ? 人殺しそうな目つきでさぁ……」
「うーん……?」
「いや、お前は現場にいなかったからそんな反応だけどな! ほんっとに殺されるって俺は思ったんだからな!? だからグレイスさんがいない隙見て俺は今逃げてきてるわけで……!」
「……逃げ、る?」
「そう! 俺はもうあんな職場になんか、」
「それだ!」
ソラは目を輝かせて、カイの手をとった。
妙案が閃いたのだ。それは、いつものソラなら思いつきもしなかっただろう。あるいは、思いついても、やらなかったに違いない。
しかし朝のアリスとの会話が蘇る。イライラした気持ちが、ソラの言葉を勢いづかせる。
「逃げよう! ここから!」
鼻息荒いソラに、カイは戸惑ったように目を瞬かせた。
「へ?」
「へ? じゃないだろ!」
「いや、だって逃げるって……ええと、グレイスさんとアリスって子から?」
「それだけじゃない。思い出してもみてよ! 僕たちはリューとノイシュさんを助けに来たんだろ?」
「そりゃ、そうだけど……水の女王様は教えてくれなかったじゃんか」
「なら、他の方法を探すしかない。でも、そのために、わざわざこの国で働く必要なんてないはずだ。そう思わない?」
「んんん……? たし……かに?」
「そうなんだってば! この国には図書館もたくさんある。女王様が教えてくれなくても、治療法が書いた本があるかもしれないし!」
「! なるほど……!」
「だろ! だから僕達が目下すべきことは、嫌な上司の下で働くことじゃなくて!」
ソラはビシリと王城を指差した。
「とりあえずジンと合流して、リューを助けだすことだ!」
「おおお!」
カイが感極まったようにソラの手を握り直した。
「いい! それ、すごくいいぜ! ソラ!」
「そうだろ! なら、善は急げだ」
「あぁ! こっちに来いよ! 城の裏口があるんだ! そっちなら兵士にも気づかれないだろうし!」
「よしきた!」
それからはあっと言う間だった。
今までにないくらい意気投合した二人は、いそいそと裏口に回り、城の中に入る。カイは王城に住み込みで仕事をしていたらしく、人気のない道にも詳しかった。そのせいもあってか、警備兵どころか城で働く人間ともほとんど会わずに城の奥まで入っていく。
「問題は、リューとジンがどこにいるかだよね」
「それも任せとけ。ちょっと心あたりがある」
ソラの疑問に力強く頷いたカイは、それからさらに歩いたところで、身を隠すようソラに告げた。
ソラは首を傾げる。
「ここって……?」
「ふふん! 聞いて驚け! ここは城の中庭だ!」
「いや、それは見たら分かるけどさ……」
物陰に身を潜めながら、ソラは辺りを見回した。
四方を廊下で囲われた庭だった。廊下から直接中庭に出られるよう、ソラたちのいる場所を含め、廊下の壁は取り払われている。
地面一面に野草のような草花が生え、あちこちに木々が木陰を落としている。庭の一画に積み上げられた小石の間からは水が湧き出し、細い川となって庭を横断し、小さな池へと注いでいる。庭の上には屋根がなく、午後の気だるい陽射しが降り注いでいた。
ソラたちが隠れているのは、廊下に等間隔で並ぶ柱の影だった。
カイがひそひそと囁く。
「ここはな、女王様のお気に入りの場所らしいんだ」
「お気に入りの場所?」
「そ。特にこの時間帯はな? 俺はここで一ヶ月働いてたけど、ジンにもリューにも会わなかった。てことは、俺が直接会えない人――女王様のとこにいるんじゃないか、って思ってさ」
「カイ……なんか、らしくない、ね?」
「は? らしくないって?」
「いやだって、口を開けば勇者だの直感だの、およそ馬鹿としか思えない発言を……」
「ちっちっちっ……ソラよ、それは全て勇者が世を忍ぶ仮の姿だったのだ!」
「…………」
「おい、なんで冷たい目で見るん、」
「シッ。静かにして」
「もがっ」
カイの口元を乱暴に押さえ込んで、ソラは一度柱の影に身を隠した。
声がする。それも聞き覚えのある声が二つ分。
ソラに口を塞がれたまま、カイが目を開いた。
「も、ももももも……っ!?(こ、この声は……っ!?)」
「うん、どうもカイの読みどおりみたいだ」
ソラはそっと柱の影から中庭の様子を伺った。
中庭を挟んで反対側の廊下。そこに人影が二つ。
車椅子に乗ったシェヘラザードと、彼女の車椅子を押すジンだ。
何を話しているかは聞こえなかった。それでも廊下の途中で立ち止まり、中庭の方を少しだけ眺め、何事か言葉を交わした二人は、再び廊下を進み始める。
ソラとカイは目配せし合った。
柱の影から抜けだし、中庭を突っ切って、ジンとシェヘラザードの後を追いかける。二人は廊下の途中の部屋に入った。扉が閉められる。その扉を前にして、ソラたちは立ち止まる。
カイが顔をしかめた。
「どうする? ここで盗み聴きするか?」
「いや、さすがにそれはまずいでしょ。廊下に人が来たら一発でバレるし……」
「うーん。かといって、ここから離れたらまた移動しそうじゃね?」
「そうだね……あ、ねぇカイ。そこの部屋、扉が開いてるみたいだけど?」
「あぁ。この時間帯は部屋の清掃が終わって、換気してる時間だからな」
「……じゃあ、誰もいないってこと?」
「……そうだな」
互いに、答えは言わなくても分かっていた。
ソラとカイは頷き合って、隣の部屋に忍び込んだ。客室のようだ。小さなテーブルと、クローゼット。それから真っ白なシーツが敷かれたベッド。開け放たれた窓から、薄暗い室内へと陽射しが入り込む。
それと一緒に、声も。
「――ふむ、ではチェスでも指しながら、龍についての話をするとしようか。ルクスの騎士、ジン殿?」
シェヘラザードの上機嫌な声。
それに顔を見合わせたソラたちは、身を隠すことも忘れて耳をそばだてた。




