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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
図書室の女王、夢見の人形 ―the Truth ... the queen has, the doll dreams-
48/55

act.9

***


 封筒に書かれた住所は、思いの外遠いところにあった。

 図書館のある大通りから離れ、いくつも橋を渡る。

 水の国イシュカは大河の下流に位置する国だ。大河はイシュカ国内で幾つもの支流に分かれ、海に注ぎ込む。そのせいで、イシュカのあちこちに橋が架けられていた。陸地に近い島には、本土に渡るための橋もある。そうであるが故に、住所も橋の名前で記されることが多かった。

 静かな街中にソラは足を踏み入れる。

 人気のない道は黄昏色に染まっている。道の左右には石造りの建物。

 建物から落ちる影は普段のものよりずっと濃く深い。通りは少し坂道になっていて、そこを登った先が目的地だった。


「ネシャン橋3番地1の1……ここか」


 通りに面した家は二階建てだった。窓にはカーテンが引かれていて、おまけに薄暗い。

 ソラは不安になりながらも扉をノックした。


「すみません、ルイス・キャロルさんはいらっしゃいますか?」


 耳をすませる。物音一つ聞こえない。

 たまたまいないのか……なんにしても、厄介なことになった。ソラは顔をしかめる。

 さっきの警備兵達は、明日までに持って来いといった。あしらうことくらい簡単だ。ただ、そのための時間が面倒だし、出直してくるのはもっと面倒だ。


「……って、なんで僕がいかなきゃいけないんだ」


 ソラが思わず顔をしかめて自分につっこむ。

 その時だった。ソラの心臓が跳びはねる。

 不意に扉が内側から開いたからだ。

 顔をのぞかせたのは痩せぎすの男である。

 ぼさぼさの灰色の髪。古びて擦り切れたコートのような羽織ものをはおっている。

 前髪が伸びすぎているせいで、目もよく見えない。それでも、不審そうな視線だけは強く感じて、ソラは身じろぎした。


「あ、あの、ルイス・キャロルさん、ですよね? この封筒を届けに、」

「……して……」

「は?」

「どうして人形がこんなところにいるんだ……!」

「へ……っ!?」


 それからは、何もかもがあっという間だった。

 男が金切り声を上げ、腕を振り上げる。

 夕日を弾いて、男の握る何かが光る。

 尖った万年筆の先だ。え、でもなんでいきなり? そうソラが思う頃には、目の前までそれが振り下ろされていて。


 そして、動けないソラは、思い切り地面に突き飛ばされた。


「っ……!?」


 息が詰まる。地面に尻もちをつく。鈍い痛みが走る。

 思わず顔をしかめる、ソラの視界に美しい銀髪が飛び込んでくる。


「ア……リス……?」


 かばわれた、らしい。アリスに。けれど、一体いつからいたというのだろう。 

 ソラが呆然とする中、どこからともなく現れた彼女は、ソラを守るように男を見据える。


「やめてください、なのです――お父さん」


 アリスの頬には、細い傷跡があった。

 男はそんなアリスを睨みつける。静寂が落ちる。

 そして。


「父と呼ぶな。出来損ないの分際で」


 地を這うような低い声で呟き、男は乱暴に扉を閉ざした。


***


 アリスに引きずられるようにしてソラは歩く。

 日はすっかり落ちていた。辺りは暗い。足早に歩くアリスは、男の家を離れてからずっと、ソラの手首を掴んだままだ。

 いい加減に痛い。けれど、それ以上に知りたかった。


「ねぇ!」

「…………」

「ねぇってば!」

「…………」

「アリス!」

「……きゃあきゃあ喚きやがるな、なのですよ」


 ぴたりとアリスが足を止め、振り返った。暗がりのせいで表情はよく分からない。

 ただ、アリスが不機嫌なのは痛いほど分かった。だからといって、ソラに引き下がる気は毛頭ない。


「いい加減、説明してくれてもいいだろ?」

「説明? 何を?」

「さっきのだよ! あのルイス・キャロルって人。なんなのさ? いきなり怪我させられそうになるし……挙句、アリスのお父さんって……!」

「『にんぎょう ありす の ぼうけん』」

「は?」


 ソラが目を瞬かせると、アリスは苛立ったように言葉を続けた。


「さっきソラが読んでた本なのです。その作者がルイス・キャロル」

「さっきの人ってこと?」

「そうなのです。彼が書いた、最初で最後の絵本。変人にして世捨て人。家から出ることも、誰かと関わることもない。その緑の封筒は、」


 ちらりとアリスはソラの抱える封筒を見やり、溜息をつく。


「要注意人物に出される書類を入れる封筒なのです。普通なら、ある程度仕事に慣れた人が渡すべきもの。それをなんでソラが運んでいるのです?」

「なんでって、押しつけられたからだよ」

「断ればよかったじゃないですか。厄介な時に、妙なやる気なんかみせちゃって」

「……なんだよ、その言い方」

「別に? 包み隠さず話してるだけなのですよ」


 アリスの棘のある言い方に、ソラは顔をしかめた。

 困っている人がいたら助ける。そんなアリスの姿に少しだけ憧れたから引き受けたのに。当の本人からそんなことを言われるなんて。

 ソラの胸の内に後悔がよぎる。思わずうつむくソラに、アリスは鼻を鳴らした。


「とにかく、その封筒をとっとと渡しやがれなのです」

「……渡して、どうするんだよ?」

「私が処理しておくのです。ソラは関わらなくていいことなのですよ」

「アリスが、その人の娘だから?」


 ソラは皮肉っぽく笑う。アリスの眉間に皺が寄った。小さな仕返しは成功したらしい。


「……黙りやがりなのです」

「なんでだよ? 自分でそう言ってたじゃないか。お父さんって」

「…………」

「そうだよね。自分の父親なら仕事もしやすいよね。僕みたいな下っ端よりさ」

「それが……っ」

「なんだよ?」


 アリスの声が感極まったように震えた。怒り出すのか。それとも拳でも飛んで来るのか。どっちもありうる気がして、ソラは思わず身構える。

 けれど、アリスは一瞬だけ目を閉じ、大きく息をついただけだった。何かの感情を押し込めるように。

 そうして再び目を開けた時には、不気味なほど感情を感じさせない橙色の瞳がそこにあって。


「……それが、本当であれば、どんなによかったんでしょうね」


 そう言うなり、アリスは急にソラを引っ張って、自分の方へ抱き寄せた。


「ちょ、いきなり何して……っ!?」


 アリスの胸元に顔が当たる。ソラは慌てて顔をそらす。両腕を突っ張って、体を離す。離そうとした。

 違和感に気付いたのは、その時だった。

 アリスの体は、冷たく硬かった。筋肉の硬さではない。どちらかといえば、木の硬さに近い。

 そして彼女の体の奥から聞こえるのは、奇妙な音。


 かち、かち、かち、かち……そんな、歯車が噛み合わさって、回るような。


「『マリーが大切にしていたのは、お父さんが作ってくれた人形でした』」


 驚くソラを抱きしめたまま、アリスは淡々と呟いた。

 一欠片だけ、悲しみをはらんだ声で。

 

「人形は、娘にはなれないのですよ」


 そんな、声で。

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