act.4
ソラたちの囚われていた場所は、ただの牢屋などではなかった。
兵士にせっつかれ、階段を登る。
開かれた扉の先に広がるのは、どんなに言葉を尽くしても言い表せないほど、美しい場所だ。
白を基調とした壁には、青の複雑な文様。
等間隔に並ぶ円柱の柱には、精緻な彫刻。
ところどころ開け放たれた扉の先には、きらきらと輝く細い川と緑の茂る庭。
頭上を見上げれば、吹き抜けの天井から降り注ぐ柔らかな日差し。
そしてソラたちが最終的に連れて来られたのは、その場所の――水の国イシュカの王城の中心。
玉座の間。
その玉座の前に、ソラ達は跪いている。ご丁寧に両脇を兵士に固められた。二人だ。一人はリューを抱えている。もう一人は、あの銀髪の少女。
まさかこんなことになるなんて、とソラはぼんやりと思う。
流石のカイも言葉を失っているらしい。ちらりと見やれば、ソラと同じように床に跪いたカイが、ぽかんと斜め上を見つめている。
視線の先には一枚の絵画だ。
描かれているのは二人。
純白のドレスに身を包んだ、金の瞳のたおやかな少女。
そして、そんな彼女から剣を受け取る朱い髪の少年――
「……あれだ」
「は?」
「あの感じだ……あの感じだよ! 俺が目指してる勇者像!」
「…………」
ツッコむまいとソラは思った。固く思った。そう何度もツッコんでられるか、というのが正直なところだった。
そんなに自分のツッコみは軽くないんだ……! とソラが妙な決意を新たにしている最中にも、カイの言葉は続く。
「あの剣もいいよな! ていうかやっぱ剣だよ! 剣でお姫様を救う感じ! そのお姫様と恋に落ちちゃう感じ! 幸せに結ばれるかと思われた二人! しかしそこで国の危機が振りかか、」
「バッカじゃねぇの」
そこで、夢というより妄想になり始めていたカイの言葉は、一刀両断された。
澄んだ、幼い少年の声だ。ソラは顔を上げる。
一段高いところに設けられた玉座。そこに二人の人間がいた。
一人は焦茶色の髪を持つ少年だ。リューよりは少し背が高いくらいか。服をだらしなく着崩し、玉座の肘掛けに浅く腰掛けている。先ほどの声の主に違いない。瑠璃色の瞳はソラ達を馬鹿にしたように見つめている。
そして、もう一人……玉座に座るのは妙齢の女だった。緩く結われた翠緑の髪を胸元まで垂らし、少年の座る肘掛けにゆったりと片肘をついている。身にまとうのは深い水を思わせるドレス。
その彼女の、形の良い唇が動く。
「無粋な言葉は慎め、ハールーン。なかなか面白い話ではないか」
「なんの益体もない言葉の、どこを面白がれって言うんだよ?」
「何もかも。益体のない想像から、考えられぬほどの素晴らしい何かが生まれることだってあるのだからな」
「戯言だ」
ハールーンと呼ばれた少年が頬を膨らませて、そっぽを向く。女は、そんな彼を見てまた少し笑い、ソラたちの方へ視線を戻した。
「失礼なことをしたな。我が龍は知識ばかりで堅物なんだ。許してやって欲しい」
「我が龍って……」
思わずソラが呟けば、傍らに立っている銀髪の少女にじろりと睨まれた。
カイの妄想は許せるのに、自分は駄目なのか。理不尽さにソラがもやもやする中、女はゆったりと言葉を続けた。
「言葉通りの意味で構わないよ。ここに立つハールーンは水の龍。そして私は彼の主であり、イシュカの王、シェヘラザードだ」
よろしく。そう言って彼女は、片眼鏡の向こうの藍色の瞳を細めた。
まるで何もかも見透かそうとせんばかりだ。シェヘラザードの視線がひどく居心地が悪くて、ソラは小さく身じろぎをする。
ハールーンが小さく鼻を鳴らした。
「呑気に自己紹介なんかしてる場合か、シェラ。相手は罪人だ」
「罪人といえど、人権はある程度保証されるべきだと私は思うがね」
「妄言だ。裏切られても文句は言えねぇぞ」
「なんだ、心配してくれるのか?」
「っ……! べ、別にそういう訳じゃねぇしっ」
少しだけ顔を赤くして、ハールーンがそっぽを向いた。
シェヘラザードはクスクスと笑って、言葉を続ける。
「それで……罪状はなんだったかな? 我が龍殿」
「……っ、しょ、書物への破損の疑いがかけられてる。証拠品は……」
「こちらです」
銀髪の少女が、すかさず懐から焼け焦げた本を取り出した。
「青い本か……」
ハールーンが眉根を寄せる。
「ほう……なるほど、確かにこれは」
シェヘラザードも少しだけ目を丸くしてそう言って。
「死罪だな」
そう、締めくくった。あっさりと。何の感慨もなく。少しだって考える素振りも見せず。人権という言葉が嘘みたいに。
ソラは慌てて声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 死罪って……!」
「黙りやがれなのです」
ずどん、とあらぬ音がして、ソラの目の前に鉄の棒が突き立てられた。
銀髪の少女が冷たい目でソラを見下ろしている。
負けじとソラも睨み返した。
「少しくらい発言したっていいだろ! カイの時は何も言わなかったくせに!」
「それは陛下が話を楽しんでらっしゃったからなのです」
「大した話じゃなかったじゃないか!」
「おいおい、ソラ! 俺の夢が大したことないって言うのか!?」
「カイは少し黙ってて!」
「む、ソラ。前々から思っていたのだが、その言い方はどうかと思うぞ?」
「あぁもうジン! なんでこのタイミングで……!」
「静まれ!」
シェヘラザードの一喝が響き渡った。
視線が一気に集まる。
「言い分を聞けというのだろう? ソラという名の少年よ」
「……そう、だけど」
玉座の上からの視線は冷たい。ソラは体を固くしながらも、なんとか一つ頷く。
シェヘラザードは目を細めた。
値踏みするかのような間。
そして。
「よかろう……ならば聞こうじゃないか。お前たちの言い分を、この本に」
そう言ってシェヘラザードが膝の上から持ち上げたのは一冊の分厚い本だった。
翡翠色の表紙の本。何の変哲もない。
一体何をするつもりなのだろう。ソラは眉をひそめた。
ソラたちの事情なんて、一度たりとも語る機会などなかった。聞かれだってしなかったのだ。
あの本に何か書いてあるわけがない。驕りでもなく、単純な事実として、ソラはそう思って。
優雅に、けれど無造作に、本のページをめくっていたシェヘラザードの手が止まる。
「――ソラ、お前はジンとリューと共にエレミアから旅立った。本来は光の国の首都に行くつもりだったが、ジンが方向音痴のせいで辿り着いたのは交易の街、カペレだった」
「な……」
「む?」
ぽかんとするソラと、目を瞬かせるジンに、シェヘラザードは艶やかに微笑む。
「カイと出会ったのはその時だな。宿屋の主人の息子がカイだった。馬鹿で真っ正直で勇者を夢見る少年に」
「馬鹿っていうな!」
「事実なのだから仕方ないのです」
「なんだと……!」
カイと銀髪の少女が睨みあう。
そんな中でもシェヘラザードの言葉が続く。
「街についてから数日後だった。お前たちはルーサンとチモシーという二人の旅人に会った。彼らと協力して魔物を倒した。問題はそこからだ。街に戻った後、その二人が街の警備隊によって連れ去られた。首謀者は他ならぬカイが尊敬していたノイシュという男だった。お前たちはルーサンたちを救い出すと同時にノイシュを説得しようとした。けれどノイシュは説得に応じず、魔物を召喚した」
――竜を。
そう、シェヘラザードは締めくくる。
静かに、厳かに、囁くように……そして僅かな憂いの色を滲ませて。




