act.1
がたがたと、馬車が揺れる。
風が吹く。
光の国ルクスから続く荒野は、少しずつ終わりを迎えようとしていた。
茶色の大地には草木の緑が見える。
何より、地面をうねる蛇のように、川が走っていた。
青い水面を太陽の光で煌めかせる。
川の行く先は、自分の行く先と同じだ。
水の国イシュカ。
「……ねぇ、いい加減、その下手くそな鼻歌やめてくれない?」
地図を片手にソラは顔を上げた。
顔をしかめて見つめる先には、馬車――といっても、荷車に日差しよけの布が張られただけの簡素なものだが――から足をぶらつかせて座るカイの姿がある。
鼻歌をやめて振り返った彼は、至極、不思議そうな顔をしていた。
「えぇー、なんだよなんだよ。ソラだって俺の美声に聞き惚れてたくせに~」
「美声? 『鼻声』の間違いだろ。音痴すぎ。風邪でも引いたの? あぁごめんね、馬鹿は風邪引かないんだっけ」
「い、一気にいっぱい言うなよ……? え、ええと、つまり……?」
「要は馬鹿ってこと」
「なるほど……って、馬鹿にすんな!」
「馬鹿にもしたくなるよ! カペレを出る時だって、結局、親に言い負かされてばっかりで、説得出来なかったくせに!」
「馬っ鹿だな! 勇者に周囲の反対はつきものなんだぜ? 家を飛び出すとこまで俺の計算済みだ!」
「偉そうに言うな!」
「ソラ、カイ。もうすぐイシュカに着くそうだぞ」
荷台から御者と話していたジンが、二人の方に向き直って声をかけた。
彼女の膝を枕にして眠るのはリューだ。
もうずっと目を覚まさないリューの髪を撫でながら、ジンが二人を見て微笑む。
「仲が良いのは何よりなことだが、さしあたって、降りる準備をしなくてはな」
「仲は良くない!」
「…………」
「って、おいソラ!」
一人叫ぶ羽目になったカイは、慌ててソラの方を見やる。
「ここは、お前も一緒に『仲は良くない!』っていうとこだろ!」
「……なんでだよ」
「一人だと寂しいじゃん!」
馬鹿か。そう呟きかけた言葉をソラは飲み込んだ。
頭が痛い。
まったく、そんな理由で言わなかった訳じゃないのに。
額を押さえながらジンの方を見やる。
彼女はソラと視線が合うと、不思議そうに小首を傾げた。
その態度に、ソラはひどく、違和感を覚える。
大人しすぎだ。普段の彼女なら、どうしたのだ? という一言くらいあってもいいはず。
どころか、さっきの発言だって……仲がいいのは何より、だなんて、穏便な言葉で済ませるだろうか。
「もっと、こう、違うんだよ……」
「違うって、なにが」
カイが怪訝な顔をする。
ソラは一層、声をひそめた。
「ジンだよ」
「どういうことだ?」
「少し前のジンなら、修行か!? みたいな、斜め上行く勘違い発言してたっていうか」
「んー、そうだっけ?」
「そうだよ。少なくとも、カイの住んでたカペレの街に着いた時はそうだった」
より正確に言うならば、ソラ達がルーサン達を助けに行くまでは、だ。
あの時、ジンはソラ達と別れて、一人で竜と戦っていた。
様子がおかしいのは、その戦いから帰ってきてからだ。
「何もなければ、いいんだけど」
ソラが眉をひそめて呟く。
けれどカイはどこまでも楽天的だった。
「なにをそんなに心配してんだよ? 大丈夫だって! なんかあったら、あった時に考えればいいんだしさ!」
「……カイはもう少し、考えてから行動したら? あぁ、考えてないから馬鹿なんだったね、ごめん」
「馬鹿って言うな! っていうか、なんで馬鹿って言う時だけ、そんなにいい笑顔!?」
そこで、減速していた馬車が音を立てて止まった。
外から御者の男が何事か話しているのが聞こえる。
入国手続きがどうだ、とか。立ち入る目的はなんなのか、とか。
ソラは目を瞬かせた。
「手続きとかあるのかな?」
「俺、聞いてくる!」
「あっ、ちょっとカイ!」
カイが返事も待たずに外へ飛び出す。
彼に任せたら、どうなるのか。考えるまでもなく答えが知れて、ソラは慌てて立ち上がる。
「ジンはリューとそこにいて!」
そうとだけ声をかけて、馬車から飛び降りた。
人は、まばらだ。意外と。大量の荷物を積んだ馬車を持つ、商人が大半。その馬車と馬車の隙間に、思い出したように旅人の姿が見える。
旅人は、皆疲れきった顔をしていた。荷物もずいぶん少ないし、衣服も汚れきっている。おまけに、ソラや商人とは違って、荒野の方に向かおうとしていた。
まるで、イシュカから逃げようとしているみたいだ。
そう思う、ソラの耳にカイの声が飛んできて。
何の気無しに振り返ったソラは、目を見開いた。
水の国と光の国を分かつように、巨大な壁が荒野を分断していた。
目の覚めるような青色の壁だ。そこには、白のインクで複雑な文様が描かれている。
荒野を流れる川と、ソラ達が入ろうとしている門だけが、巨大な壁に存在する入り口のようだ。
圧倒的な光景にソラは思わず呟く。
「これが、水の国イシュカ……」
「だーかーらー! 俺達も用事があってこの国に入りたいんだって!」
「だーかーらー! 御託はいいから、とっとと許可証出しやがれって言ってるんです!」
感動冷めやらぬまま、ソラはゆっくりと声のした方へ視線を向けた。
巨大な門の下、カイと言い争っているのは、青い制服を着た一人の少女だった。
門番の一人なのだろう。他にも同じ制服を身につけた男達が商人に話を聞いているのを見る限り。
ただ、銀の髪を振り乱し、身振り手振りを交えて、必死にカイと言い争う彼女からは、微塵も威厳だとか、厳しさだとか……とにかく、門番につきものの雰囲気は微塵も感じられない。
少女が地団駄を踏む。
「あぁもうっ! なんなのですかっ! 許可証知らないとか! これだからルクスの田舎者はっ!」
「田舎者だと! シツレイな奴だな! あれだぞ! 俺は将来的に勇者になる、すげえ奴なんだぞ!」
……いや、それを自分で言うなよ。
そうツッコみかけて、けれど口にするのも馬鹿らしくて、ソラはため息をついた。
恥ずかしい。しかも、なまじっかカイが大声を上げたせいで、周りの視線も感じる。
言わんこっちゃない。
カイの目の前の少女だって、呆れて物も言えないようで。
「え……ええっ!? 勇者様なのですかっ!?」
「……嘘だろ」
まさか、信じた?
ソラは慌てて二人の方をまじまじと見やった。
少女は目を輝かせている。
カイは鷹揚に頷いている。
「そうだぞ~。すごいんだぞ~」
「すごいんですかっ! でっ、でもでもっ! ルクスにそんなすごい勇者様がいるなんて話、一度も……」
「馬っ鹿だなぁ! そこはほら! 将来的すごい勇者、ってことだよ! 今は修行中なの! お忍びで!」
「はぅあ……今どきの勇者様も大変なのですね……」
少女が感心しきったようにカイを見つめる。
カイの鼻は今や伸びきっていた。
むかつくくらい、その鼻をへし折ってやりたいくらい、伸びきっていて。
「……ちょっと」
誰か、カイを止めてくれないかな。ソラが頭痛を覚えながら呟く。
その時だった。
門の方から、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
辺りの空気が一変する。
門番の男の硬い声が響き渡った。
「魔物だ!」




