表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
ある陽のプロローグ
4/55

act.3

 乾いた風が頬を撫でる。暑くもない。寒くもない。そうして何かを揺らして、ただの一つだって音を立てることさえなく。

 夜の闇。夜の青。僅かに空から降り注ぐ淡い金の月明かり。


「こんなところにいたのか」

「…………」


 酒場の入り口へと続く階段。そこに腰掛けてぼうっとそれを眺めていたら、背後から声をかけられた。誰だ、と問うまでもない。リューが座るのとは反対側に腰掛けてきた赤毛の彼女くらいしか、自分に話しかける物好きなどいないだろう。

 厄介者だから。自分なんて。分かりきっていた事実を再認識して気分が沈む、そんな自分が馬鹿らしくて、ソラは一つ息を吐いた。


「ため息は良くないぞ? 幸せが逃げるからな」

「……いいよ、別に幸せとか」

「ほう! 自ら試練に向かうその心意気! 私としたことが忘れていたな!!」


 からからと、ジンが笑う。少しだって変わらない声が、普段以上に体に堪えてソラは膝に顔を埋めた。

 苛々する、どころか疲れだなんて。よっぽど自分はジンと相性が悪いらしい。


「? なにかあったか、ソラ?」

「別に、何も」

「しかしそのようには見えないが……具合が悪いならトム殿に寝る場所を、」

「いいってば」


 どうして自分を放っておく、ってことが出来ないのか。答えは考えるまでもなく明白だったし、考えたって生産性がないから考えるのを放棄して、それよりさ、と別の話にすり替えることにする。


「うむ?」

「中の、どうしたの」

「中?」

「君が酔っぱらい殴ったら、その後他の奴らが面白がって力比べだ! とか騒ぎ出したじゃないか」


 ちなみに、そのおかげで途中で酒場の注目がソラからジンに変わったのをいいことに抜け出してきた、ということはジンには秘密だ。まぁ言った所で彼女が怒るとも思えないのだけれど。


「あぁ、それか。いや、私としてもいい修行の機会だと思ってな? 存分にいい汗をかかせてもらっていたんだが区切りが一つついたのでな、こうして涼みに来たという訳だ」

「……一区切りって」


 簡単に言うけど、それってすごいことなんじゃないだろうか。酒場でジンに勝負を申し込んだのは男ばかりだったはずだし。

 あぁでもあの酔っぱらい相手にほとんど素手で相手をしていたのだから当然といえば当然なのだろうか……そこまで考えて、ソラは最後の痛烈な一撃を思い出す。


「……そういえば剣、抜かなかったよね」

「……? そうだが……」

「なんで剣で殴るだけにしたの? 相手も短剣抜いてただろ」


 危ないとは思わなかったのだろうか。ジンの立ち振る舞いといい、男達を簡単に相手に出来ている事実といい、ある程度戦い慣れていることは伺えるけれど。


「……不用心すぎでしょ。切られるかもしれないのに」

「あぁ……まぁ、それはな……」


 珍しくソラが純粋な心配で口にした言葉に、何故かジンが返事を濁した。気になって瞳だけ彼女の方に向ければ、ジンが弱ったように頬を掻いている。


「なんというか……ソラの言うことはもっともなことなのだがな。まぁこの剣はああやって使うしかないというか」

「ああやって、って、殴るってこと?」

「そう……剣が抜けない以上、仕方あるまい?」

「抜けない……」


 まさかそんな馬鹿な。口には出さなかったけれど、ソラの戸惑いは鈍いジンにでも伝わったようだ。苦笑交じりに彼女が傍らから剣を取り出して、ソラに差し出す。その剣を受け取ってしまった、のは興味というより反射的なものだ。

 確かな重みが両手にのる。月の光を浴びて、くすんだ輝きを弾く鞘には緻密な模様が彫り込まれていて、掌からでも分かるくらいにざらついていた。握りには黒ずんだ布が幾重にも巻かれ、先端の沿った鍔にも、丸く突き出た柄頭にも精緻な模様が彫り込まれている。

 何かの植物だろうか。もっと明るいところなら見られるのに……ほんの少し残念に思いながら、ソラは鞘と柄を握って力を込めた。こんなに美しい剣なのだ。抜けばきっと鋭利な刃が出てくるに違いない。そう思ったからだ。

 けれど。


「……え?」


 信じられなくて、もう一度ぐっと、力を込めてみる。けれど結果は同じだ。

 びくともしない。

 爪の先ほどの距離でさえ、動くことはない。


「抜けない、だろう?」


 傍から見れば頓狂な図に見えるに違いない。それでもジンは肩を竦めて、両手を後ろについただけだった。

 ほんの少し笑って。


 ソラを笑うというより、己を笑うような、そんな笑みを浮かべて。


「抜けないんだ。誰が試したってそう……いや、それは当たり前のことなのだがな」

「……当たり前?」

「この剣は持ち主を選ぶ――名を『コールブラント』。私の家に代々伝わる偉大な剣だ。剣に選ばれた者が家を継ぎ、そうして常に世に幸いをもたらしてきた。剣だけではない。その使い手たる先代たちは皆立派だった。戦においては先頭に立って弱きを守り、安寧の世においても悪をくじき国の平和を守り続けたという」

「それはまた大層な剣だね」

「……そう。剣は、な」


 ほんの少しのソラの皮肉。に、ジンが気付かないのはいつものことだ。それでも彼女が小さく息をつくのはなんだか珍しい。


「……問題は、私の方だ」


 ソラから返された剣を膝の上に置いて、ジンがそっと柄を撫でながら瞳を伏せた。


「あんたの?」


 それにソラがしげしげとジンを見つめながら問い返すと、彼女が僅かに頷く。


「この剣は使い手を選ぶ……私はそう言った。そうしてその通り、私はちょっとした手違いからこの剣に選ばれてしまった」


 けれど抜けないのだと、彼女は言う。


「何をどうしたってな。剣は確かに私を選んだというのに、私はこの剣を使いこなすどころか、鞘から抜けもしない。勿論前代未聞だ。周りは当然騒ぎになった」


 そんな者に家を継がせていいのか、と。

 なぜ剣はこんな出来損ないを選んだのか、と。


「剣が抜けないのは私自身の問題だという。だから私も私なりに努力したのだ……いや、しなければならなかったというべきか……ともかくも、術を磨き、己を磨いたのだ。勿論、鍛錬には果てがない。けれどどれだけ時間をかけようと、私は剣を抜くことは出来なかった。そうしてそうする間に、一族の中で剣を巡る諍いが起こった」


 剣による選定をもう一度やり直すべきだ。そんな分家の一言がきっかけだった。本来なら取るに足りない一言のはずだ。剣の使い手を有する分家が一族の当主となれるのであり、その当主の言葉こそが絶対だったのだから。


「……けれど私は不完全だった。だから争いはやがて血に変わり、そうして一族は滅びた」

「滅びた……」


 淡々とジンが告げる。けれどそれは、だからこそひどく重みがあって、静かな夜の空気に沈んだ。

 血が、流れた。戦いがあったのだ。そうして一族が滅びた。それはつまり殺し合いがあったことに他ならない。

 そんな中に彼女はいたのか。

 誰よりも命を奪うだとか、そういう行為から遠そうな彼女が?


「…………」

「……だからな、私は決めたんだ」


 信じられない思いでソラがジンを見つめる。見つめる先でジンがそっと剣を握りしめた。

 決めたんだ。小さな声で繰り返す、ひどく頼りない仕草でそれでも。


「せめて間違えないでいようと。剣を抜けはしなくとも、剣の所有者であることには変わらない。ならばせめて正義を違えることだけはないようにしようと」


 それが私に出来る唯一のことだから。そう言う。そう言ってジンは瞳を持ち上げる。


 ソラの方へ。

 瞳があった。

 朱の瞳と。


「……なぁソラ。私は今日も道を違ってはいなかったか」

「それは……」


 何故か、ひどく難しい問題な気がして、ソラは口ごもった。

 間違っていない、とそういうことは簡単だ。現に、彼女のおかげでソラは酔っぱらいに絡まれなくてすんだのだから。

 けれど、そういう問題だろうか。

 そういう答えを、彼女は求めているのだろうか。


「……違った、かどうかは分からないけど、少なくとも僕は助かったよ」


 薄い、答え。そんな返答しか出来ない自分に嫌気がさしながら、それでも早口に付け足す。

 けど、と。


「全部が全部、正しくある必要もないと、思うけど」

「……え?」

「だって、疲れるじゃないか。正しくあろうとするのって。人間なんだからさ。間違うことだってあってもいいだろ」


 違う? そう、ジンに問いかけた。少なくとも、あんたは疲れてるように見える、だなんて言えなかったけれど。胸の内だけで。そんな思いを込めて。

 そうすればジンは瞳を瞬かせて。


「……あぁ、そうだな」


 小さく、笑う。その微笑みに、きっと自分の思いが届いていないだろうことを知る。けれど、これ以上はソラにどうしようもなかった。

 ジンの、生き方の問題だ。彼女自身が、ソラの言葉をどう受け止めるかなど自由だと思う。必ずしも、ソラが正しいというはずもない。所詮その程度の言葉でしかない。

 正しくあろうとすることの、何が悪だというのか。



 悪だというのなら、それはむしろ。



「…………」


 脳裏によぎった光景。それにつきりと痛んだ胸に、ソラは気付かれないように唇を噛み締めた。






2013/05/21 初版

2013/06/01 誤字脱字、誤用法訂正

2013/06/16 改稿

2013/08/13 誤字脱字訂正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング←よろしければ、ぽちりと押して頂ければ励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ