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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
風の乙女、勇想の少年-the Unusual ... the maiden hates, the boy wishes-
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Three days after... -Knight-

***


 体が、鉛のように重かった。

 走る。走り続ける。振るわれる巨大な腕を避け、隙を見て斬りつける。光が舞う。手応えは、軽い。落胆するまもなく空を裂く鈍い音。考える前に飛び退く。頬を掠める黒い影。ピリリとした痛みと共に肌を流れる暖かい何か。

 けれど、それがどうした。肩で息をしながら魔物との距離をとったジンは剣を構え直す。


「っ……!」


 声にならない声を上げ、ジンは魔物に向かって間髪いれずに走りだす。息はとうの昔に乱れていた。体はひどく重く、感覚が曖昧だ。体中が鈍く痛む。特に右腕がひどい。魔物の爪を避けそこねて出来た傷だ。肩の辺り。血が止まらない。けれどそれだってきっと大したことじゃない。


「なんで……だ……ッ!」


 なんで、どうして。ジンは焦っていた。剣をふるう度、魔物に避けられる度、焦りはどんどん募っていく。冷たい予感が全身を巡って、嫌な汗が止まらない。刃が魔物に当たることもあった。だが浅いのだ。致命傷には程遠い。魔物は未だ悠々としていて、時節馬鹿にしたようにジンを見つめて咆哮を上げる。どうして。ジンはそう思う。どうしてだ、と重すぎる剣を振り上げながら、彼女は悲鳴のような声を胸の内で上げる。もう何度目か分からない。魔物へ踏み込み、剣を振り下ろす。

 その剣が、魔物の腕に払われ宙を舞う。


「しまっ……!?」


 気づいた時には遅かった。もう片方の魔物の黒い腕で体ごとふっとばされる。地面にたたきつけられる。体中の空気が口から一気に漏れ出て、一瞬気が遠くなる。


「っ、ぅ……」


 一拍遅れて全身を襲う痛みにジンは呻く。視界が陰った。空気を震わせるのは薄暗い歓喜に満ちた唸り声。首だけ動かして顔を上げれば、すぐそこまで迫った魔物が自分を見下ろしているのが見えた。血の如き赤い瞳が彼女を見て嗤う。その巨体が、僅かに動いて何かを彼女の目の前に投げて寄越した。穢れた黒き夜闇の中、ゆっくりと回転して地面に突き刺さったのは何を隠そうコールブラントだ。光を失った刃が、ジンの目と鼻の先、文字通り手を伸ばせば届く距離にある。


「ぁ……っ」


 何とかしなければ、とジンは思った。目の前の剣を、コールブラントを、再び持たねばならないと、思う。強く強く、思って。

 だというのに、彼女の体はぴくりとも動かなくて。


「ど……して……」


 魔物が失望したかのように鼻を鳴らし、腕を振り上げるのが見えた。ひねりもなにもない攻撃だ。弱々しく呟いたジンはしかし、それさえも避けられない。見ているだけしか。

 もうコールブラントは抜けているのに。エレミアで戦った魔物と同じ魔物であるはずなのに。弱かった昔とは違うはずなのに。

 また、自分は何も出来ない。胸の内に浮かんだ結論がジンの中の何もかもを凍りつかせる。そうして振り下ろされる魔物の腕――


***


「っ……!」


 ジンは飛び起きた。ばさりと音を立てて床に落ちる薄い毛布。ひやりと冷えた薄暗い空気。静かな世界ではジンの荒い息だけが響いている。どこだ、ここは。一瞬、本気で分からなくなって辺りを見回した。答えは勿論すぐに分かったが。

 宿屋、だった。そう、帰ってきたのだ、自分は。帰ってきてしまった。改めてそう思い、ジンの胸の内に悔しさが滲む。

 あの日――三日前のあの夜、ジンはエレミアで倒したのと同じ魔物と相対し、殺されかけた。それを救ったのが夜闇を裂いて聞こえた不思議な獣の咆哮だ。その声が聞こえた途端に魔物は金切り声を上げ、ジンを無視して逃げるように空へ飛び立とうとした。

 そして、突然風が吹いたと思ったら消えてしまったのだ。目を開けているのがやっとなくらい激しい一迅の碧風に紛れて。悲鳴のような声だけを残して、跡形もなく。まるで何か悪い夢であったかのように、何も残さず。


 無力な、自分だけを残して。


「…………」

 

 つきりと胸が痛んで、ジンは頭を振った。駄目だ。考えては、駄目。そう言い聞かせ、だるい体をおしてベッドから降りる。横に立てかけてあった剣を掴んだ。今は何時なんだろう。ぼんやりとそう思う。けれど思っただけだ。何時だろうが構わなかった。目が覚めたのなら鍛錬を積む。動けなくなったら眠る。その繰り返しだ。考える必要もない。

 ジンは静かに部屋の扉を開け、廊下に出る。その拍子に廊下の窓に映る自分の顔が見えた。青白い顔。今にも泣き出しそうなほど怯えた目。それがたまらなく嫌で、無理やり頬の筋肉を動かす。窓の向こうの自分がぎこちなく笑った。それに少しだけ安心して。

 ジンは剣を握りしめ宿屋の庭へと降りていく。


 外はまだ薄暗い。到底夜が明けそうな気配はなかった。

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