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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
風の乙女、勇想の少年-the Unusual ... the maiden hates, the boy wishes-
35/55

act.20

***

 ソラはふと顔を上げた。立ち止まり振り返った彼にリューが不思議そうに首を傾げる。


「どうかした?」

「いや……なんでもない」


 声が聞こえたような。そんな気がしたのだが、よくよく考えればこんな暗い通路で自分一人だけが声を聞くだなんてことはありえないだろう。そう言い聞かせて軽く首を振ったソラは再び前を向いて歩き始めた。

 カイの背中ごしに見える景色はもうずっと変わらない。うんざりするくらい真っ暗な道だ。この通路に入ってから実際にどれくらい歩いたことになるのか、正確なところソラにはよく分からなかった。随分歩いたような気もするし、そうでないような気もする。ただ一つ言えるのは奥に進めば進むほど嫌な気配が深まっていくということだけ。


「……ねぇ、まだ進むの?」


 なけなしに敷かれた足元の木の板が微かに軋んだ音を立てる。そんな中、カイに向かってソラが声をかければ、少し間があってからカイがぼそりと返した。


「もう少し」

「……根拠は?」

「うっ」


 返事の代わりに困ったような呻き声が返ってきてソラは小さくため息を吐いた。だから言ったのに。結局はカイについてきてしまった自分を棚に上げてソラが呆れかけた時だった。

 静かに。そんなリューの淡々とした声が背後から飛んできて、ソラはどきりとする。カイと共に立ち止まって振り返った。見ればリューがじっと何かに耳を澄ませるかのように目を閉じている。


「……音」

「音?」


 ややあってからゆっくりと瞼を上げたリューの言葉にカイが疑問を呈すると、彼女は小さく頷いた。


「音がする。話し声と足音。数は十人……よりちょっと多いくらい」


 リューの言葉にソラとカイは顔を見合わせた。十人より少し多い人数は丁度ルーサンとチモシーを連れて行った人数と一致するんじゃないか。口には出さなかったがカイも同じことを考えたに違いない。


「急ごうぜ」


 少しばかり余裕を失ったカイの声を合図にソラたちは駆け足気味で歩き出した。足音が大きくなる。しかし咎める者は誰も居ない。

 微かに荒くなった息の音と足音だけを響かせて走ることさらにしばし。前方にぽっかりと青い光が見え始めた。そうして少しずつ淀んだ空気に新鮮な空気が混じり始める。ひやりとした外の空気。それに惹かれるように三人はどんどん大きくなる青い光の中に飛び込んだ。


「これは……」


 カイが驚いたように呟いて立ち止まる。それはしかしソラもリューも同じだった。

 青い光は、いつの間にか日の沈んだ空気の色だった。周りを見渡せば、ぐるりと周囲を高い土の壁で囲まれている。丁度ソラたちが出てきた場所はその真ん中だ。円形の、広間のような場所――いや、正確には続いていた細道が外から壊されて出来た場所、と言った方が正しいのかもしれない。その証拠に、ソラたちが出てきた細道とは反対側に、今しがた通ってきたばかりのような暗い道への入口があった。

 そして、不意にさした冷ややかな銀の光にソラが顔を上げれば、そこには丸く切り取られた夜空と雲の切れ間から僅かに覗く月が見えて。

 ここはもしかして、昨日の夜に魔物と戦った時に出来た穴なんじゃないか。そんな考えがソラの脳裏を掠めた時だった。


「やめて!」


 突然悲鳴のような声が響く。それは確かに聞き覚えのある声で、我に返ったソラ達はさっと声のした方へ顔を向けた後、誰ともなく歩き始めた。

 幸い、土で出来た壁があちこちにとっかかりがあって登りやすい。緊張した空気の中でリューとカイと共に音を立てないように壁を登ったソラは、そっと穴の外へ頭だけ出す。見れば、ちょうどすぐ近くに身を隠せそうな大岩が地面から突き出ていた。素早く辺りに視線を巡らせて人影がないことを確認してから、ソラはリューと共に穴から出て大岩の影に身を潜める。

 そして、大岩の影から顔をのぞかせた。

 真っ先に見えたのは夜の青い空気に揺らめく篝火の橙色。そして堅い表情をして腕を組み立っているノイシュの横顔と、剣を片手にノイシュを囲うようにして立つ男達。幸いにしてというべきか、男達もソラ達に背を向けている。そしてその理由はすぐに分かった。

 彼らの視線の先。円の中心。そこに後ろ手に縛られ膝まづいたルーサンとチモシーがいたのだから。それにソラは思わず息を飲み……だがそこで二人の傍らに同じように拘束された見知らぬ少年を見つけて眉を潜めた。

 彼は、誰だろうか。抜けるように白い肌にほんの少し猫毛気味の金の髪。あどけなさを残しながらも憂いを帯びた碧眼を細めた横顔はひどく整っていて、まるで本から抜け出してきた王子か何かのようだ。ソラがそう思ったところで、少し遅れて大岩の方までやってきたカイが声を震わせた。


「あいつら……!」

「ちょっと……っ」


 岩陰から様子を見るなり飛び出して行きそうになったカイの体を慌てて掴んで引き戻す。まったく油断も隙もあったものじゃない。内心でそう肝を冷やしながら、ソラはひそひそとカイを咎めた。


「何してるんだよ……っ、バレたらどうする訳っ……?」

「バレるも何もねぇだろっ。俺達はあいつらを止めに来たんだぞ……っ」

「それにしたってタイミングってものがあるじゃないか……っ。今出て行ったって絶対上手くいきっこないっ。もう少し待たないと……っ」

「でも……ッ」

「今出て行ったら必ず誰か死ぬ」


 静かなリューの言葉に異議を唱えていたカイがはっとしたように口をつぐんだ。皆を助けたいんでしょう。どこまでも静かな金の瞳に不思議な光を宿してリューがそう付け足せば、悔しそうに唇を噛み締めながらもカイが小さくうなだれた。ソラの手の中の力が弱まる。それに一安心してソラはカイから手を離し……たまたま目があったリューと一つ頷き合ってから、もう一度岩陰の外を覗こうと体を動かした。


「とにかくもう少し様子をみよう。何をするにしろ、まずはルーサンとチモシーを助けないとどうしようもないんだから」

「でも……助けるったって、どうやって」

「考えが無いわけじゃない。武器をいつでも使えるようにして、向こうをよく見ておいて」


 武器という言葉にカイが顔をしかめたが、ソラが口早に作戦とも言えない作戦を伝えると渋々と短剣を鞘から抜いて握りしめた。それを見届けて、ソラも弓に矢をつがえながら岩の外の光景へと目をやる。

 外の光景は相変わらずだ。ルーサンとチモシー、それに見知らぬ少年が捕まっていて、ノイシュ達が彼らを囲んでいる。


 いや、さらに正確にいうなら、ノイシュ達がチモシーを痛めつけることでルーサンを脅している。


「お兄ちゃん……っ」


 痛々しい音と共に蹴りつけられたチモシーの体がぐらりと揺らいで倒れる。それに少年が顔をそむけ、涙を瞳にいっぱいにためたルーサンが倒れたチモシーの元へ行こうとした。しかし縛られた紐の先を背後に控えていた男に引っ張られ、のけぞったところで首元に刃があてがわれる。

 カイの体がぴくりと動いた。今すぐにでも助けに行きたいのだろう。視界の端で彼の顔に焦りの色が浮かぶのが見える。でも、駄目だ……同じように焦る自分にも言い聞かせるように胸の内でソラは呟いた。まだその時じゃない。痛いほどに拳を握りしめながら目を凝らす。声はよく聞こえなかった。それでも何も逃すまいと全身の神経を張り詰める。

 重要なのはタイミングなのだ。与えられる機会は一度だけ。ルーサン達を助けたいなら、目の前で何が起ころうとも、たった一度のチャンスだけは逃さないようにしなければならない。

 言い争いを始めたノイシュとルーサンを見つめながら、ソラの中で不安と責任感が膨れ上がる。心臓はうるさいくらいに鳴っていた。こんなのは馬鹿げてると呆れ返っている自分もいる。そういう気持ちから必死に目を逸らして。

 不意に、静寂が訪れた。


「なんだ……?」


 思わずといった調子でカイが呟いたが、それはソラも同じ気持ちだった。言い争っていたルーサンとノイシュの声がふつりと止んだのだ。何かあったのか。慌てて目を凝らすものの、見つめる先ではまるで時間が止まってしまったかのように誰もが身動ぎしない。脅すようにチモシーの首元につきつけられた刃。ノイシュの焦りを滲ませた厳しい横顔。そこでソラはノイシュがいつの間にか片手に本を持っていることに気づいた。

 青い表紙の、分厚い本。あまりにも場違いなそれが無性に気になったソラが思わず身を乗り出した時だった。

 何かに耐えるようにうなだれていたルーサンが微かに身じろぎをする。ほんの少し顔が上がる。その肩が小さく震える。そして。


 アディリティア。


 ひどく重々しく、けれど何故かはっきりと聞こえたルーサンの言葉。それが何を指すのか、あるいは何かの呪文なのか。ソラにはさっぱり分からなかったが、今の今まで張り詰められていたノイシュの気が確かに緩んだことだけは感じて。


「――っ、行って!」

「よっしゃあ!」

「あい」


 ソラが声を上げると同時に弾かれたようにカイとリューが岩陰を飛び出していく。ノイシュ達の驚いたような視線が一気に自分たちの方に向いた。それに一瞬ソラは怯みそうになるが、己を叱咤して素早く弓矢をつがえる。

 気合の入った声を上げて真っ先に男達に飛び込んでいったのはカイだ。ノイシュにほど近い場所。そこでしかし我に返った男たちに剣で阻まれる。一人が突き出した剣をカイは危ういながらも受け止めた。顔を歪めたカイが何事か叫んだのは、男たちが知り合いだったからなのかもしれない。その証拠に周りにいる男たちの方も隙だらけのカイを攻めあぐねているようだった。

 そうしてカイと反対側。小さな獣さながらに、リューが素早く動きまわって男達を翻弄している。武器を持たない彼女は最小限の動きだけで男たちを混乱させ、時に同士討ちさせていた。服の裾を翻し、淡い金の髪を揺らしてリューは少しずつ男たちを誘導していく。

 そうして、ソラの位置からチモシーが真っ直ぐに見えて。


「チモシー!」


 叫びながらソラは大岩の側からつがえていた矢を放った。放たれたそれは後ろ手に縛られたチモシーの手元へ吸い込まれ、僅かに掠って地面に突き刺さる。男達の何人かがソラに気づいた。予想、できたことだ。駆け寄ってくる彼らを見ながら、ソラは必死に焦る自分に言い聞かせ、そしてあえてその場を動かない。

 逃げ出したい気持ちを押さえる。弓矢をつがえたい衝動に耐えて拳を握りしめる。ちらりとチモシーの方を見た。しかし彼は動かない。ソラが矢を放ってから数秒も経っていない。けれどもう何分も経った気がして。このまま彼が永劫動かないんじゃないか、そんな絶望的な気持ちにさえなって。


 そこで、ソラに近づかんとしていた男たちが一気に吹っ飛んだ。


 一瞬にして立ち上る土煙。そんな中で翻る、土で汚れた服の裾。再び煙が収まれば、そこには呻き声を上げて地面に横たわる男たちがいる。

 そうして、己を戒めていた紐を引きちぎり、男たちの得物を両手に奪ってふらりと立ち上がるのはチモシーだ。

 あちこちに小さな傷が走り、細く血が流れていた。それでもゆるりと上げられた目にはいつにないほど鋭い光がある。冷たい、光。腹の底が凍えるような獰猛な色。それにソラはぞっとし、チモシーの周りに新たに近づいていた男たちも躊躇ったように足を止めた。

 だが、それがいけなかったのだ。

 微かに口角を釣り上げたチモシーが猛然と男達に斬りかかっていった。しなやかで力強い動きはかつての魔物の戦いで見たものと同じだ。戦いのはずなのに、どこか美しい。けれどあの時と違って鋭く冷たい美しさだ。

 密やかに、確実に、獲物を仕留める狩人。まるで鷹や鷲のような、狙った獲物に絶対的な死をもたらす――


「……あぁもう……!」


 自分の想像に嫌な予感を覚えたソラは顔をしかめてチモシーの方に走り始めた。

 ――元より、自分たち三人でルーサン達を助けることなどできない。だからこの場で最も力になり、自分たちの考えに理解を示してくれそうなチモシーを助ける。それがソラの作戦ともいえない作戦だったのだ。ここでチモシーが誰かを殺してしまっては意味が無い。カイの『誰も殺したくない』という意見以上に、ノイシュとの対立を穏便に進めることが出来なくなってしまう。

 早く行ってチモシーを止めなくては。焦燥に駆られながらソラは足を速めた。進むのは、容易い。男たちの大半がチモシーに注意を向けていたからだ。だが少しばかり距離があった。普段なら大したこともない距離なのに、焦るばかりのソラにはひどく遠い距離が。

 その間にもチモシーはどんどん男たちを薙ぎ払っていく。もう何度目か分からない鋭い踏み込み。それで男の一人の剣をはたき落としたチモシーは、そのまま反対側の剣で男を切りつけようとした。剣筋に躊躇いはない。向かう先は男の首元。当たれば即、死に至るというのに男はただただ、恐怖に怯えた目でチモシーを見つめることしか出来ず――


「っ、駄目だッ」


 容赦なく振り下ろされたチモシーの一撃。それは慌てたような声と耳障りな金属音と共に防がれる。カイだ。なんとか男達の群れをかいくぐってきた彼の剣がチモシーのそれを受け止めている。カイにとっては偶然受け止められた一撃のはずだ。必死の表情で男をかばうカイに、防がれた方のチモシーは微かに眉根を寄せる。


「……邪魔を、するのかい?」

「あぁするね! だってお前今こいつを殺そうとしてたんだぞ……!?」

「それが?」

「それが間違ってるっていってんだよ!」


 カイがチモシーを睨みつける。それにチモシーは少しの間黙っていたが、やがて小さく口を動かした。

 そう、と。


「じゃあカイごと斬るしかないね」

「っ、え……?」

「だってこいつらの肩を持つんだろう?」


 ならそれは、ルーの敵だ。そう言ったチモシーの声はひどく冷えきっていて、カイが信じられないと言わんばかりに声を震わせる。


「なっ……! ふざけんなよ……っ、俺は別にお前らを裏切るつもりなんかないっ!」

「ふざけてなんかいないさ。俺は真面目に、」

「いい加減にしろよ!」


 ハラハラしながらカイとチモシーのやりとりを見守る他なかったソラは、そこでやっと声を上げることが出来た。チモシーの傍、地面に座り込むルーサンの方に辿りつけたからだ。ソラがちらりと見やった先では、見知らぬ少年に気遣われるように体を支えられたルーサンが青い顔をして俯いている。一体何があったというのか。普段の彼女らしからぬ様子にソラは眉を潜めつつも、チモシーとカイの方へ視線を向けたソラはさらに言葉を続けた。


「今は言い争ってる場合じゃないだろ! ルーサンを助けたいなら、誰も殺しちゃ駄目だ! 話し合って解決できるものも解決しなくなる!」

「話し合いなんて必要ないだろう。俺が敵を殺してしまえば済むだけの話だ」

「それは、無茶」


 男たちの攻撃をかいくぐり、ソラの元に駆けつけたリューが冷静に声を上げた。


「怪我をしてるんでしょう? 仮にここを切り抜けたとしてもこの後はどうする? もし追手が来たら? チモシーの言うことは全然現実的じゃない」

「……そうやってリューもソラも俺達の邪魔をするんだね」

「邪魔じゃない。事実を言っているだけ」

「俺を止めようとするのなら大して違わないよ。邪魔立てするなら勿論ソラたちも……っ」


 そこで不意にチモシーはくるりと身を翻した。剣が弾かれカイが地面に尻もちをつく。そうして再び刃のこすれあう音を響かせて、チモシーは両手の剣で背後から迫っていた男たちの剣を受け止める。


「いきなり襲ってくるだなんてひどいなぁ……焦らなくても俺が殺してあげるのに」


 一切の動揺のない、淡々としたチモシーの言葉。それに斬りかかった男たちは怯えたような色を浮かべ、その奥にいたノイシュが顔をしかめて口を動かした。


「これで分かっただろう、カイ! 何しに来たのか知らんが、こいつらは結局ただの人殺しなんだ! 助ける価値もねぇ! いいからとっととここからいなくなって、このことは忘れろ!」


 人影はもうほとんどない。ノイシュの仲間の男たちで立っているのはチモシーに斬りかかっている男たちだけで、あとは皆地面の上で呻き声を上げている。誰が見たって圧倒的にノイシュ達が不利な状況だった。

 それでも――ここまで追い詰められながらも、ノイシュがカイへと声をかけたのは己の正しさを信じるが故なのか。それとも単純に仲間のよしみ故なのか。


「……っ……」


 カイが微かに体を震わせる。言葉に詰まったのは一瞬。それから小さく、けれどはっきりと首を振る。


「い、やだ……!」

「カイ……!」

「俺はどっちにもつかねぇ!」


 聞き分けのない子供を見るような目をしたノイシュに向かってカイは必死に口を動かした。 


「だってこんなのおかしいだろ! どっちかがどっちかを殺さなきゃいけないなんて……っ! 確かにチモシーもルーサンも間違ってるかもしれねぇ! 仲間が殺されて復讐したいってのも分かる! でも……殺されて悲しいからこそ、おんなじことしちゃいけねぇ……! ノイシュさんだって、本当はそれを分かってるんだろッ!?」

「っ、そ、れは……」

「惑わされるな、リーダー!」


 カイの言葉にノイシュの瞳が揺れた。顔に浮かぶのはひどく苦しげな表情だ。何か葛藤するかのような。だがそんなノイシュに男の中の一人が声を上げる。チモシーを必死で阻みながらノイシュを叱咤したのは若い男の方だった。

 

「あんたは言ってくれたはずだ! 俺達に仲間の敵をとるって……! それを俺たちは信じてここまで来た! 間違ってるってことを承知で、それでも俺たちの気持ちを汲んでくれるあんただからこそ、俺達はついてきたんだ!」

「そういうことだ」


 若い男の言葉に深く頷いたのは、ノイシュと同い年くらいの男だった。若い男と同じようにチモシーの剣を阻んでいる彼の声は隠し切れない恐怖を滲ませながらもどこか決然としている。


「リーダー、あんたは少し臆病になってるだけだ。そうさ。この状況は確かに俺達にとっちゃ不利かもしれねぇ。でも勝てない戦じゃない」

「っ!? まさかおまえら……っ!」

「そして勝つためなら、俺達はなんだってしよう」


 他ならぬ、俺達の遺志を継いでくれるあんたのために。何かに感づいたように焦るノイシュに向かって、そう男が言い切った瞬間だった。チモシーに斬りかかっていた彼らが不意に剣を滑らせる。音を立てて離れる剣。チモシーから僅かに距離をとる二人の男。彼らがしかし、再びチモシーに向かうことはない。


 二人同時に己の胸元に剣を突き立てたからだ。なんの躊躇いも、誰が止める暇もなく。


「っ、な……」


 呆然とする他ないソラ達の目の前で鮮血が宙を舞う。カイが小さく声を震わせた。チモシーでさえも驚いたように倒れこむ男たちを見つめたままで動きが止まる。そんな中でやけにゆっくりと暗い夜空に舞った赤いそれが、ノイシュの方へ降り注いで。


「っ、くそ……ッ……!」


 ぱたぱたと鮮血が彼の体を、持っている青の本を濡らす。それに悔しげに小さく毒づいたノイシュは顔を跳ね上げた。

 まるで己を責めるかのように歪み――けれど何か意を決したような表情を浮かべた顔を。


「駄目……っ」


 ソラの傍らで、突然何かに気づいたようにルーサンが叫ぶ。だが、遅い。ノイシュの手は躊躇いもなく本を開き、そうしてその唇が動く。

 重々しく、悲痛な願いを込めて。








 アディリティア。








 彼がそう呟いた瞬間だった。風が吹く。丁度自害した男たちを中心にして、淀んだ風が。

 穢れた黒き靄をまとった風が。


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