act.13
***
夜の宿屋の食堂は昼間の騒がしさが嘘のように静かだった。テーブルの上の蝋燭が時節、空気の塵を焼く微かな音とソラたち自身の息遣い。それ以外に音はなく、魔物との戦闘に慣れた耳には痛いほどの静寂が部屋を満たしている。
そんな中で階段を降りる足音を耳にしたソラは顔を上げた。
「どうだった?」
「大丈夫だったよ。怪我も特になさそうだったし……心配かけてごめん」
降りてきたチモシーは疲れたような表情を見せながらも微笑んだ。ルーサンの無事に少しだけ部屋の空気が緩む。ソラも同じだ。少しばかりほっとしかけ……慌てて頭を小さく降って顔をしかめた。どうして会って一日にも満たない彼女の心配をしなければならないのか。まして、彼女は突然荒野を飛び出していったというのに謝罪の言葉もないのだ。だから気にかける必要だってない。そう言い聞かせながら、ソラは口を開く。
「……ま、無事で良かったんじゃないの。心配するこっちの身にもなってほしいけど」
「うーん、ごもっともだなぁ……本当に迷惑かけて申し訳ない」
「別に、チモシーが謝るようなことじゃないだろ」
どちらかと言えばルーサンに謝って欲しいものだ。そう思いながら眉尻を下げてすまなさそうにするチモシーに軽く鼻を鳴らしたソラはそっぽを向いた。
そこで少し離れたところに座るリューと目が合う。そういえば帰ってきてから彼女は一度も話してないんじゃないか。遅ればせながらソラが気づいたところで、何故か気まずそうにリューが視線をそらした。
「……?」
一体どうしたというのか。普段の彼女らしからぬ行動にソラが少しばかり首をかしげる中、まぁよかったじゃないか、というジンのたしなめるような声が響く。
「こうしてルーサンの無事も確かめることが出来たんだ。いろいろあったが誰も欠けずに戦いを終えることが出来たというのは良いことだと思うぞ?」
「そうは言うけどさぁ、結局ジンを襲った敵の正体は分からずじまいじゃん」
ジンの言葉にカイは唇を尖らせた。結局一度も抜かれることのなかった自身の剣を脇に置き、テーブルの端に浅く腰掛けた彼の表情は険しい。
「あいつ、ほんっと卑怯だよな! 疲れてるとこ襲うとかありえねぇだろ……絶対盗賊とかに違いないって!」
「どうかなぁ。それにしては金目の物を狙ってる風でもなかったけど」
「あいつらの考えてることなんかどうせ分かんねぇよ! ったく……ルーサンのことがなけりゃ俺が華麗に捕まえてやったっていうのに!」
チモシーの言葉にもカイは憤懣やるかたないといった調子で返す。その威勢の良さにソラは思わず鼻先で笑ってしまった。
「よく言うよ。魔物退治の時だって逃げてしかいなかったくせに」
「うぐっ」
からかい半分のソラの私的だったが、カイには効果てきめんだったようだ。奇妙な声を上げ苦虫を何匹も噛み潰したような表情をする。それでもあえて何も言わないでカイを見ていれば、やがて恐る恐るといった調子でカイが口を開いた。
「そ、それは仕方ないだろっ。ちょっとびっくりしただけだし……」
「びっくりした? ビビったの間違いなんじゃないの?」
「う、うるせぇな! しょうがないじゃん! 俺はお前らと違って特別な力とか持ってねぇんだからさ!」
叫んだカイの言葉はやけくそだったに違いない。だというのに何故か……妙にカイの最後の言葉が胸にひっかかりソラは眉根を寄せる。
俺はお前らとは違って特別じゃない。そんな他意のないはずの言葉が。
「……特別な力、ね……」
「なんだよ?」
言葉に出してみれば、思いの外低い声だった。カイが訝しむようにソラを見る。訳がわからないと言わんばかりに。考えていることがまるわかりな彼の表情は普段のソラなら馬鹿らしい、と笑い飛ばせるものだっただろう。けれどこの時ばかりはますます気分が悪くなった。
理由は考えるまでもない。多分、普段のカイの発言の幾つかに苛々してしまうのと同じ理由だ。
「……そんなの要らないだろ、別に」
不機嫌さを隠すこともせずにソラがぼそりと返せば、カイが不満そうに眉根を寄せた。
「要らない? 何言ってんだよ! ないとなんにもできねぇじゃん。魔物だって倒せないし、悪い奴らだってやっつけられねぇ」
「はっ。なら逃げてればいいだろ? 今日の君みたいにさ」
「っ、それが嫌だから特別な力が欲しいって言ってるんだろ! 何も出来ないなんて耐えられな、」
「カイが思ってるほど良いものなんかじゃない!」
苛々しながら叫んだソラは音を立てて椅子から立ち上がった。カイが驚いたようにソラを見ている。呆気にとられたような表情をして。
それは、何も知らない顔だ。何の苦労もしていない顔。ただただ特別に憧れて、それさえあれば何でも解決すると思っているのだろう。何も困ることはないと思っているに違いない。苦々しくソラはそう思った。少なからずそう感じてしまった。
だから、腹が立って。
「……少なくとも僕は……っ力なんて要らなかった……!」
拳を握りしめ、吐き捨てる。それでも間の抜けたようなカイの視線が耐えられなくてソラは食堂を飛び出した。




