act.11
突拍子もない言葉に驚いたジンは、思わずソラの方を見た。奇しくもソラと同じタイミングだ。互いに驚いた顔を見合わせる形になってしまった二人は奇妙な沈黙と共に互いを見つめ……やがてジンは恐る恐る口を開く。
「ソラ……まさか……」
「ってなんでそうなるんだよ!」
ジンの言葉の先はソラには容易に想像できたらしい。少し声を大きくした彼はジンに向かって軽く顔をしかめる。
「今はジンの話をしてるんだろ」
「だが、チモシーは『君たち』と言ったじゃないか」
ジンがきょとんとして返せば、なんでそこだけ耳聡いんだ……とぼやいたソラが盛大にため息をつく。
「あのねぇ……まずは自分のことを考えれば? って僕は言ってるの。分かる?」
「私は"龍"と契約してないぞ?」
「……そんなにあっさり言い切れるんなら、僕が"龍"と契約することだってありえないっていうのも分かるだろ?」
ソラのうんざりしたような声。それに、言われてみればそうか、とジンはあっさりと頷いた。
何も、チモシーよりソラの方が信用できるというような理由からではない。
ソラの言う、『ありえない』という単純なる事実ゆえだ。
"龍"。それは高位にしてあまねく全てを支配する聖獣だ。人の言葉を介し、圧倒的な力を秘める聖なる存在。不可思議な力を持つ"龍"たちは己が意思で使えるべき主を選び、これを祝福する。そして祝福された者は"龍"の加護とその力を手にするという。
けれど、その数はあまりに少ないのだ。それもまた誰であれ知っていることだった。"龍"はこの世に三匹しかいない。|"火"の国に一匹、|"水"の国に一匹、そしてこの|"光"の国に一匹。その内、ルクス以外の国では"龍"は主を選んでいるし、ジンの知る限りルクスの"龍"である彼女が主を選ぶことなどありえない。
そう思った。思ったからこそジンが頷けば、ソラが小さくため息をつく。
「まったく……考えるまでもなく頷けるだろ……」
「? すまないな……?」
「……別に謝らなくていいけどさ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そこで戸惑ったような声を上げた。今度はなに? と言わんばかりにソラが面倒くさそうな視線を向ければ、チモシーが弱ったような顔をしている。
「契約してないって、どういうことだい? おかしいじゃないか。君たちが使ってたのは魔法だろう? 魔法は"龍"と契約しなければ使えないはずだ」
「そんな事言われたって、知らないものは知らないんだから仕方ないだろ」
「仕方ないって……」
「というか、なんだよ。やけにこだわるじゃないか。"龍"にさ」
チモシーが珍しく納得いかないといった表情でソラの方を見ていた。それがソラには気に入らなかったようだ。僅かに非難めいた声音になるソラの言葉。それにしかし、チモシーは真面目な顔をして当然だよ、と軽く頷く。
「当然?」
「あぁ。だってルーの助けになるかもしれな、」
「お兄ちゃん!」
チモシーの言葉は鋭い声で途切れた。声の主はルーサンだ。地面に座り込んでいた彼女はカイの制止を振りきってふらりと立ち上がった。青い顔をしながらも諫めるようにチモシーを睨みつけたまま。そこに言葉はない。だが、チモシーは何もかも了解したようだ。はっとしたように言葉を止める。
そして、僅かながらも妙な沈黙が落ちて。
「……ご、めん」
ルーサンを見つめたままチモシーがぽつりと呟けば、彼女はほんの少し瞼を下ろす。それに気付いてか気付いていないのか。カイが訝しげな声を上げた。
「い、一体なんだよ……」
「……なんだよも何もないわよ。あんたには関係無いでしょ」
「か、関係ないって……!」
俺は心配して言ってるんだぞ!? そうカイは主張する。主張するがしかし、じろりと彼を睨みつけたルーサンの返事は実にそっけないものだった。
「あ、そう」
「そ、そう……って、それだけ……?」
「それ以上何を言えっていうの? 魔物とろくに戦えないあんたに心配されるほど、あたしも落ちぶれてなんかいないわ」
「っ、そ、そんな言い方はないだろ!? 事実だけどさ!?」
「あぁもう! うるさいわね!?」
耐え切れないと言わんばかりにルーサンが声を上げたのが合図だった。カイとルーサンの何度目か分からない言い争う声。それに深々と溜息をついたソラが、なんで黙ってられないんだよ、とぼやきながらジンを地面に座らせる。
「……まぁ、いいや。ジンは本当に怪我してないんだよね?」
「あぁ……疲れてるだけだ。少し休ませてくれれば」
「分かった。じゃあその間にあの騒がしい連中が怪我してないか見てくるよ」
「うむ」
口調こそ呆れ返っているが、それでも見捨てないあたりがソラらしい。ほんの少し疲れた顔をしながらもカイとルーサンの方へ歩いていくソラ。その背を見つめる内にジンの目元が自然と緩む。
あぁ良かった。そう、思った。どこか安心感にも似た気持ちは何もソラ一人に依るものではないのだろう。例えば言い争うカイとルーサンも、例えばそんな二人を困ったように見つめるチモシーも、魔物退治に来る前までの彼らとなんら変わるところはない。些細なことだ。実に些細なこと。
だが、それがジンの中ではひどく嬉しかった。今度はちゃんと守れた。これからも変わらないままでいることができる。ともすると、自分の命より大切なその現実を噛み締めながら辺りを見回していたジンは、そこで少し離れたところに立っていたリューを見つける。
煌々と降り注ぐ銀の月明かりと荒野を染める薄暗闇の中、どこか思いつめたような表情でソラを見つめる彼女を。
そしてその、表情に。ジンは僅かな違和感を抱いて……。
「――ジン!」
そこで突然響いた鋭い声が穏やかな空気を裂いた。戦闘が終わったにしてはひどく似つかわしくない声。そもそも誰のものなのかもよく分からない。何故そんな声を上げたのかでさえ。それにジンは戸惑って。
ふとした拍子に振り返る。そして間抜けな声を上げてしまった。
「え……?」
興奮したように頭を振り乱す馬。頭上高くから降りかかる黒い影。月明かりを弾いて冷たく輝く剣。影は、人影だ。フードを被り逆光であるがために顔はよく見えない。それでも振り上げられた剣は間近に迫っている。自分に向かって。視界に飛び込んできた光景にジンの思考が巡ったのはしかし、そこまでだった。
「な……」
あまりにも突然に、あまりにも脈絡なく。訪れた冷たい来訪者に彼女はただただ息を飲むことしか出来ない。掲げられた剣が彼女めがけて振り下ろされた時でさえ。それが何故か、ひどくゆっくりした動きのように感じられても。
時が止まったかのように動けない、彼女の名前を誰かが叫んだ、その瞬間。
視界いっぱいに紅が散る。
一発の銃声と共に。
「なん……っ!?」
「ルー!」
体を思い切り突き飛ばされた。痛みはない。地面に転がったジンが目を見開く先で、彼女を押し倒したチモシーが声を上げている。その肩に僅かに滲む赤にジンは我に返って息を飲む。だが、動き出した時間は止まらなかった。
続く銃声。響く呻き声。馬がいななきながら荒々しい足捌きで反転した。街の方へ逃げようというのだろう。人影のフードが翻る。そして馬が駆け出す。人影を乗せてみるみる遠ざかっていく。
それでも銃声はやまなかった。正確に。冷酷に。狙いあやまたない銃弾は次々とフードに吸い込まれていく。一欠片の容赦もない。追い払うためではなく、殺すための攻撃。そのことに気付いたジンは思わず体を震わせ、口元を押さえる。命を救われた。そのことが分かっていてなお。
無慈悲な攻撃が続く光景に耐えられないと、そう思って――
「やめろよ!」
そこでカイの悲鳴じみた声と共に突然銃声がやんだ。ジンはゆるゆると視線を声のした方へ向ける。そうすればルーサンの拳銃を掴んだカイと、銃撃を邪魔され不満そうなルーサンとが睨み合っていた。
「……なにするのよ」
不機嫌そうにルーサンが呻いた。それにカイは怯えたように肩を震わせながらも反論する。
「な、なにするもなにもないだろっ……! そこまで攻撃しなくていいじゃねぇか! もう逃げてるんだぞ!?」
「はぁ? 何言ってるの? あいつは敵なのよ?」
訳が分からない、といった風にルーサンが首を傾けた。
「手加減してどうするの? 下手に生き残られたらこっちがやられるかもしれないのよ?」
「だからってあれはやりすぎだろ! あんな……」
「殺すようなやり方は駄目だって、そう言いたいわけ? 綺麗事だこと!」
言い淀んだカイの言葉の続きをさらりと口にしたルーサンはせせら笑った。ひどく引き攣った笑い声は突然の襲撃から一転、静まり返った荒野に奇妙なほどよく響く。
誰も何も言わなかった。チモシーは何故か顔を伏せ、彼以外はただただ言葉を失ってルーサンを見つめるだけで。
だが、それがルーサンには気に入らなかったらしい。
「……なによ」
唐突に笑い声をやめたルーサンがじろりとジン達の方を見た。それでも誰も何の反応も返せないでいれば、彼女は拳を握りしめる。
何が悪いっていうの……と。フードの下から続く声を悔しげに震わせて。
「そんな目で見ないで! あたしの言ってることは何も間違ってないじゃない! あいつらは敵なのよ!? そんな奴らに手加減なんてする必要ないでしょう!?」
「っ、だ、だからって殺す必要なんて無いだろっ」
「分かってないわね! 悪人はどこまでいっても悪人なのよ!? 殺さなきゃ、今度はあたしたちが殺されるの!」
「そんなの分かんねぇだろ!? 悪いやつだから死ねばいいとかおかしいじゃねぇか! 生きてればやり直す機会だってあるんだ! 俺達がチャンスを与えてやれば、改心することだって、」
「それが綺麗事だって言ってるのよ!」
カイの必死な反論にルーサンが悲鳴じみた声を上げた。つきあってられないわ! そう続けた彼女は無理矢理カイから拳銃をひったくり街に向かって歩き出そうとする。先の人影を追うつもりなのだ。そのことがジンだけでなくカイにも分かったのだろう。
「待てよ!」
「きゃっ!?」
今にも歩き出そうとするルーサンのフードの裾をカイが慌てて掴んだ。その拍子にバランスを崩したルーサンが小さな悲鳴をあげて後ろ向きに倒れて。
「!」
フードが、外れる。そして月明かりの下、あらわになったルーサンの顔にジンは息を呑んだ。
陽に透けそうなほど真っ白な肌と白銀の髪。驚いたような光を宿した瞳はチモシーと同じ草原を思わせる緑だ。けれど……そう、そこまでなら何も驚くことはないだろう。
なによりも目を惹いたのは彼女の肌に踊る赤だ。
複雑な模様を描いた刺青。それが左の額から頬にかけて刻まれていて。
いや……と泣き出しそうなほど弱々しい声がルーサンの唇から漏れたのは、ジンがそこまで見た時だった。
「っ、そんな目で見ないでって言ってるでしょ……っ!」
驚きを怯えに変え、体を震わせて叫んだルーサンの声は今までに聞いたことがないくらいに悲痛なものだった。恥じ入るようにカイからフードをひったくり、目深にかぶり直した彼女はそのまま逃げるように街の方へ駆け出していく。
「ルー!」
チモシーが慌てたように叫ぶがルーサンからの答えはない。どんどん離れていく背にチモシーの目に焦りの色が浮かぶ。だが、何故かすぐに追いかけるようとはしなかった。
何かに耐えるように。あるいは何かに怯えるように。唇を噛み締め小さくなるルーサンの背を見つめていて。
「……追いかけなくていいの?」
「! あ、あぁ」
ややあってから恐る恐るかけられたソラの言葉に、はっとしたようにチモシーは体を震わせた。ルーサンから視線を外す。弱り切った表情のまま。
そうして、ごめん、と呟いて続けた。
「……そう、だね。追わせてもらっていいかな。事情は行きながら話すから」




