act.5
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「ちわっす! 弁当の配達です!」
そんな明るいカイの声が皮切りとなった。
街の中心部、他の建物に紛れるようにして並び立つ警備隊の建物。その軒先に笑顔を浮かべた男達が集まる。がやがやと騒がしいのはちょうどお昼休みの時間となったのもあるのだろう。カイやソラ、リューから弁当を受け取ると、和気あいあいとした空気の中で思い思いに階段のある軒先に座り込み、弁当をつつく。
見たところ、若い顔の者が多かった。服装は軽装の者から緩めた革鎧をつけたものまで様々だ。これもカイが先ほど言っていた様々な業種に関わるせいなのかもしれない。
「よう、坊主。あんた見ない顔だな?」
弁当を配りながらそんなことをつらつらと考えていた時だ。ふと声をかけられたソラが顔を上げると、額に汗を浮かべ首元に布をかけた警備隊の男の一人の笑顔があった。
「あ、……いや、僕は……」
弁当を受け取りながらの一言だ。なんの他意も無い、ただの世間話に違いない……そう分かってはいても、その視線に居心地の悪さを感じて、ソラは僅かに目を逸らした。
「その……手伝いで」
「へぇ! 手伝いなんて偉いなぁ!」
なんと言ったものか分からず早口に思い浮かんだ言葉を口にすると、男が感心したような声を上げた。そろりと顔を上げれば、声音通りの快活な表情をしている。それにほっとしたものの今度は目があってしまい、また何を言おうか気まずくなってしまって。
「……あ、その……」
「ん? どうした?」
「カイはここによく来るんですか?」
ソラが適当に口にした疑問に、男は、おうとも、と大仰に頷いた。
「週に二回……いや、三回かな? こうやって弁当届けに来てくれるんだよ」
「それだけじゃねぇぜ?」
と、そこで男の後ろから軒先に座った別の男が言葉を付け足した。
「あいつさぁ、俺らのリーダーにゾッコンなんだよな!」
「リーダーに……ですか?」
「そそ。なんてったって、ここらじゃ勇者って呼ばれてっからな」
「リーダーに憧れる子供なんか、この街じゃざらにいるんだが、剣術の指南まで仰ぐってのはカイぐらいなもんだ」
「それに噂じゃあいつ、リーダーの髪型まで真似てるって、」
「おいおい、そいつは初耳だな」
楽しげに話す二人の男達。それに耳を傾けていたソラの背後から、さらに見知らぬ男の声がした。驚いて振り返れば、ソラより頭一つ分高いところに精悍な顔つきをした青年が苦笑いを浮かべている。
短く刈り込まれた褐色の髪。ほりの深い顔立ちは少しばかり疲れを感じさせながらも、その目は子供のような輝きを宿している。服の上からでも分かる引き締まった体は鍛えていることを容易に想像させて。
と、そこまでソラが冷静に観察した時だった。
「あ! ノイシュさん……!」
上ずった声と共にカイが駆け寄ってきた。その目はソラが今まで見た以上に輝いている。尊敬や憧れ。そういう類の視線を送るカイの頭に、にこりと笑ったノイシュはぽんと片手を置いた。
そしてそのまま力を込める。
「カーイー?」
「痛てて!? ノイシュさん痛いって……!?」
「お前、いっちょまえに俺の髪型真似しようとしてるんだってなー?」
「て、えぇ!? ちょ、それ秘密だったはずなのに……!」
さっと顔を赤らめるカイだったが、目の前でニヤニヤと笑みを浮かべる男達の視線に気付いたのだろう。お前ら…‥! と少しばかり声を大きくする。
「もしかして言ったのかよ……!」
「いやいや、俺らはここの坊主に説明してただけだぜ?」
「そうそう。立ち聴きしてたリーダーの方が悪い、ってな」
「おいおい、お前らもお前らだ」
あいてっ。そんな声とリズム良く響く頭を叩く音。鈍い音が三つ分――そんなノイシュのげんこつを食らって、三人がうずくまった。よくよく見ればほんの少し涙目だ。かなり痛そうである。
「……で? そこの坊主の名前は?」
そこでノイシュがぼんやりと観察していたソラの方を振り返った。再び会う目。穏やかながらも、その瞳の奥に宿る光は少しばかり厳しい。それに落ち着きなくソラは視線をうろつかせながら、口を動かした。
「あ、えっと……ソラ、です」
「ソラはさ! 地図貰いに来たんだよ!」
頭を未だにおさえつつ、カイが横合いから口を出した。
「公都に行きたいらしいんだけどさ、こっからだと隣の国のイシュカに抜けた方がはやいだろ? だからそこまでの地図が欲しいらしくてさ」
「なるほどな……そういうことならこっちに来るといい」
手招きされるまま、ソラはカイと共に警備隊の建物の中に入った。中は男ばかりの建物とあってか結構乱雑だ。壁のあちこちに剣がかけられているかと思えば、床の上には防具の類が置かれていたりするし、本棚には手垢のついた本が縦に横にと無造作に積み重ねられている。部屋の奥には扉が二つ。その内の一つは開け放たれていて、剣の練習場らしき庭が見えた。
そしてノイシュが開けたのはもう一つの扉の方――どうやらそこが彼の自室らしい。壁には武器の代わりにところ狭しと紙が貼られ、細かな書き込みがいくつもしてある。部屋の奥の机も書類だらけだった。その上には青い表紙の分厚い本が置かれていて、表紙の装飾であるくすんだ金のインクが窓からの光を鈍く弾いている。
武人というよりは事務的な仕事の方が多いんだろうか。そう思わせるような部屋だ。
「地図は……っとこれだな」
そこで、机の引き出しから何やら探っていたノイシュが目的の物を見つけて顔を上げた。
「あ……ありがとうございます」
ノイシュから差し出された地図をソラは礼を言って受け取る。見れば、先ほどカイが見せてくれた地図よりも随分細かい。中心にカペレ。その周囲から幾本か線が引かれていて、カペレ周辺の主だった街の名前や水の国イシュカの首都であるイシュカ・リブラを結んでいる。
「とりあえずイシュカ・リブラにまで出ちまえば、道が整備されているはずだからな。そっから先への地図が欲しけりゃ、向こうについてからもう一度もらった方が正確だろう。金に余裕があるならルクス・アルケまで直通の馬車も出てるらしいから、それに乗っていけばいいし」
「すごい……こんなに細かい地図、初めて見ました……」
「まぁ、俺達が商人の護衛しながら作った地図だからな」
思わず漏れでたソラの純粋な感嘆に、ノイシュが照れくさそうに笑った。俺達がすごいんじゃなく、そういう道を知ってる商人の方がすごいんだ、と謙遜して言う様には少しも驕ったところがない。
まさに、いい人を形にしたような人だ。流石は勇者、と言うべきなのか。
「まぁなんにせよ、だ。最近街の外はぶっそうらしいし、旅には十分気をつけな」
「物騒、ですか?」
「盗賊の死体が見つかったんだよ」
ノイシュの声が一段低くなる。それにソラとカイは目を瞬かせて顔を見合わせた。
盗賊の……。どちらからともなく呟けば、ノイシュが一つ頷く。
「まぁ、死んだのが盗賊なだけ良かった、って話もあるんだけどな……人が死んでるんだ。しかも手がかりもようと掴めやしねぇ……。どういう理由で殺しを行ったんだかは知らんが、用心するに越したことはねぇだろ?」
「で、でも! そういうのもノイシュさんがやっつけてくれるんだろ?」
カイが不安半分、期待半分の声を上げる。よっぽどの信頼をおいているのだろう。その目はとても真剣で。
「そうさな……」
「?」
一瞬、ノイシュの瞳に何かがよぎった。それにソラは小首を傾げるものの、彼がその正体を掴む前にノイシュは先ほどと変わらない笑みを浮かべてしまった。
「ま、警備隊としては街の人の安全確保が優先だしな」
カイの頭を安心させるように軽く叩き、そう言って。
***
「……盗賊、か……」
「心配?」
カイがノイシュと弁当代の精算をつけている間に、警備隊の館から出たソラはぽつりと呟いた。昼休みも終わったのだろう。先ほどまでいたはずの警備隊の男達は誰もいない。
人気のない軒下。そこに設けられた柵に頬杖をつきながらリューと共に見る大通りでは、相変わらず馬車や荷物を背負った人々が行き交っていた。いたって平和な風景だ。盗賊が死んだとか、血なまぐさい話に妙に現実感がないのもそのせいなのか……そう思ったソラがリューの問いかけに緩く首を振ると、彼女が小さく首を傾げる。
「でも……なんだかソラ、そわそわしてるみたいに見える」
「……落ち着かないだけだよ」
今見ている通りの景色だけではない。この街に入ってからというもの、空気があまりにも違いすぎて正直なところソラは戸惑っていた。
物珍しい物が多い。雰囲気だって開放的だ。おまけに誰だってソラのことを奇妙な目で見ることはなくて。
エレミアに比べればずっと良い環境。それはソラが心の隅で確かに望んでいたことのはずだったのに、気後れしてしまうのは一体どういうことなのだろう。
そこまで考えた所で、ソラの脳裏にふと一つの風景が浮かぶ。
家の風景だ。干した薬草の香りとくすんだ窓を通して注ぐ柔らかな日差し。そして散らかった部屋。
自分の家、ではない。先生の家。
――そう……きっとあそここそが、帰るべき場所で。
「……先生」
このままルクス・アルケに行けば、先生にも会えるだろうか。ずいぶん前に公都へと旅立っていった先生のことを思いながら、ソラがぽつりと呟いた時だった。
泣き声が、大通りの喧騒の中で響く。
「……?」
「あれ」
穏やかな風景には随分似つかわしくない。そう思ってソラが辺りを見回すと、素早く声の主を見つけたリューが小さな指でそれを示した。
小さな女の子だ。通りの片隅に植えられた木の下で大泣きしている。視界の端で何かが動いたかと思えば、赤い風船が枝に引っかかっていた。
運の悪いことに、ソラ達以外は少女の泣き声に気付いてはいないようだ。あるいは気付いていたとしても面倒くさそうだから放っておいているのか。どちらにせよ、泣き声というのは気分のいいものではない。
ない、けれど。
「助ける?」
リューの見上げてくる視線に、ソラは渋面を作った。
助ける、べきなのだろう。木の上に登るくらいソラにだって出来るのだから。
でも、助けたところで少女はそれを良しとしてくれるだろうか。ソラと少女は赤の他人だ。怯えられるかもしれない。あるいは迷惑に思われるか。
――交換条件のない善意ほど、割にあわないものはない。ソラの胸の内でじわりと広がったこれまでの教訓は、苦く。
「――ちょっと待ってろよ!」
「!」
唐突に響いた明るい声。そして脇をすり抜けていく人影。驚いたソラが目をやれば、少女のところに迷うことなく駆けて行くカイがいた。赤茶色の髪を陽の光に揺らして少女の元に辿り着いた彼は、何事か励ますように話しかけている。少女はやはり涙ぐんでいた。それでもカイに向かって風船を指さして何事か話し。
「おい、ソラ!」
「……なんだよ」
そこでカイに名前を呼ばれて手招きされた。通りの喧騒の中でもよく響く声に渋々ソラが軒下から出て近づいていくと、カイが木の上の風船を指さす。
「あれさ、取って欲しいんだけど」
「自分でとればいいだろ」
「俺、木に登れないんだよなぁ」
「……だったらなんで助けに来たんだよ」
「? だって女の子困ってるじゃん?」
ため息混じりにぼやけば、さも当然であるかのようにきょとんとした顔で返された。
きっと、何も考えていないのだろう。ただ目の前に困っている人がいたから助けただけ……そんな単純すぎるカイの考えは分りやすすぎるほどで。
いっそ清々しいのに何故か、ソラは苛々した。
「……さすが勇者を目指してるだけあるね」
皮肉を込めて口を動かす。けれどというかやはりというか、気付くことなかったカイは満面の笑みで、とーぜんだろっ! と返すばかりだ。それさえも予想通りで、もう一度息をついたソラは諦めて風船の方を見上げる。
不本意ではあるものの、来てしまった以上は風船を取る必要があるだろう。どう取ったものか……そう思案しながら木を見上げていたソラの視界は、そこで不意にかげった。
日差しが隠れた訳でもない。鳥が横切った訳でもない。
ばさりとフードを翻し、軽やかに跳躍して風船をとったのは一つの大柄な人影。
「え……?」
「いやぁ、すごいね! 君の考えには感動したよ!」
ソラが戸惑った声を上げる中、華麗に地面に降り立ったフード姿の人影からは風船片手に穏やかな声が上がる。あまりにも突然の出来事に、ソラだけでなくカイもリューも少女も反応できない……そんな奇妙な空気の中。
その人影はのんびりと立ち上がって振り返った。
浅黒い肌とおっとりと垂れた眦。右の瞼の上にある引き攣ったような傷跡。それでも人好きのする微笑みを浮かべた男は、という訳で、と風船をカイに向かって差し出しながら微笑む。
「俺の妹の彼氏になってくれないかな?」




