act.4
――地図が欲しいんなら、ここが片付いた頃に俺に声かけろよ。
カイという名の少年が苦笑混じりにそう提案してくれたのは優しさゆえなのか、単純に世話を焼きたいだけなのか。どちらにせよ、その申し出を断る理由などソラにはなかった。一旦部屋に戻った後、朝食の片付けが終ったであろう頃合いを見計らって、ソラは再び食堂へ降りていく。
そうして、カウンターに何段にも積み重ねられた黄色い包に少し目を丸くした。
「お、ナイスタイミングだな」
小さな真四角の包が五段ずつ重ねられている。その塊が四つ……そこまで確認したところで、カウンターの奥の厨房からカイがひょっこり顔を出した。その手にはまた五段に重ねられた黄色い包を一つ持っている。
「なに、これ」
「なにって、弁当だけど」
「なんで弁当なんか……?」
「俺んとこの料理、評判いいからさ。だから宿とは別に弁当作って、欲しい人のとこに届けるサービスもしてるんだ」
なんでもないことのように言いながら、カウンターから出てきたカイはソラの目の前で立ち止まった。
というわけで、と、にこりと微笑みながら。
「手伝ってく、」
「なんで」
言葉が終わるのも待たず、限りなく拒否に近い声音ですかさずソラが返せば、カイが苦い顔をする。
「……返事早ぇな、おい」
言葉と共に聞こえたのは小さな舌打ちだ。けれどソラだって引き下がるわけにはいかない。顔をしかめてカイの明るい茶色の目を睨みつける。
「僕は地図をくれるって言ったから来ただけなんだけど?」
「その地図もらいに行くついでだよ、ついで」
「ついで?」
胡乱げな声音でソラが返せば、そうそう、とカイはしたり顔で頷いた。
「いやー、いつもならここにも地図を何枚か置いてるんだけどな、丁度予備をきらしてることにさっき気付いてさ……だから貰いに行かなきゃいけないんだ。で、弁当の配達先もちょうどそこってわけ」
な? だったら仕方ねぇだろ? さらにそう付け足して、カイがどうだと言わんばかりに見つめてきた。その顔はどこか誇らしげで、分かってはいてもソラには少し腹立たしい。
「…………嘘じゃないよね?」
素直に従うのも癪で僅かな反抗の意味も込めてソラが尋ねれば、少し傷ついたように、まさか! とカイは声を大きくした。
「嘘じゃねぇって! なんだったら俺の命をかけても……ん?」
そこでカイは言葉をきり、己の手元を見て目を丸くする。一体どうしたのだろう。ソラが疑問に思うものの、答えは探すまでもなく視界に飛び込んできた。
カイの持っていた包がふわりと下から持ち上がったのだ。
そうして、黄色の包に混じって垣間見える金色の柔らかな髪――そこまで見たところで正体に気づいたソラは深々とため息をついた。
「……なにしてるの、リュー」
声をかけると浮き上がっていた弁当の動きがぴたりと止まる。
ほんの少しの間。それから、ん、と淡々とした声が上がって。
「持ってる」
――そりゃそうだ。リューに向かって思わず呟きかけた言葉をソラはなんとか飲み込んで額を押さえた。カイはカイで、いまだに目を丸くしたまま固まっている。
漂うのはなんとも言えない空気で……しかしリューはそれを欠片も気にしていないようだ。弁当の包を頭の上に捧げ持って二人の間から離れ、くるりと振り返って小首を傾げる。
「欲しくない?」
「え……?」
「地図」
地図が欲しくないのか。単語ばかりのリューの疑問を一拍遅れて理解したソラは渋い顔をした。
「……それは……欲しいけど……」
「行かない?」
再度リューに尋ねられて、ソラは言葉に詰まった。
行くのは問題ない。ただ、大人しくカイに従うのがなんとなく気に食わないだけで……勿論、そんなちっぽけなプライドを口にすることさえ、子供じみた行為のように思えて結果的にソラは黙り込んでいるのみになったが。
何を勘違いしたのか、リューがはっとしたように目を瞬かせ、もしかして、と口を開く。
「もう一個、持った方がいい?」
「えぇ!? や、別にそんなことは思ってな、」
「いやぁ、そうだよな! 女の子に二個も三個も持たせる訳にはいかないよな!」
突然、嬉々とした声をカイがあげた。そういう意味でもない。慌てて否定しようとソラは口を開くが、何か言う前に黄色の包を押しつけられてしまう。
カウンターに置いてあった黄色い塊のうちの二つを。
「……覚えてろよ」
「なっはっはっ! なんとでも言え!」
さっきといい、今といい、なんだかんだでカイの思惑通りだ。それが悔しくて低く呻いたソラの言葉を機嫌良さげに笑い飛ばした彼は、残りの二つの包を持って宿の外へ向かっていく。リューも、だ。小走りにカイについていこうとして。
「……ソラ?」
そこでソラが後ろからついてこないことに気づいた彼女が、立ち止まって振り返った。見上げてくる丸い瞳の色は強制する意思も責める意思もない。
澄んだ金色。それはソラにとっては見慣れた色で。
だからこそ、なんともないはず、なのに。
「……行けばいいんだろ」
じっと見つめてくる邪気のない真っ直ぐな視線に耐え切れなくなってソラはため息をつく。
気は進まないが、置いていかれる訳にもいかない。なんにせよ地図は必要なのだ。これ以上ジンに振り回されないためにも……そう言い聞かせて重い足取りで宿の外に出た。
乾いた荒野の空気と共に、熱を帯びた日差しが肌をさす。独特の暑さにソラが顔をしかめれば、宿の外で立ち止まっていたカイと目があった。
「どうした?」
先に行けば良いものをわざわざ待っていたらしい。それが何となく気まずくてソラが思わず立ち止まれば、カイが不思議そうな顔をする。
「なんか用事でも思い出したのか?」
「……別に」
「? まぁなんでもないならいいけどさ……?」
そう言いながらもカイは釈然としない顔のままだ。ますます居心地が悪い……そう思ったソラは小さく咳払いをして、ほら、行くよ、と誤魔化すように口を動かした。
「案内、してくれるんだろ」
「お、おう……」
口と一緒にソラが足も動かせば、我に返ったように目を瞬かせたカイが小走りに追いついてきてソラの隣に並んだ。ソラの後ろには器用に頭の上に弁当をのせ、片手で支えているリューが服の裾を掴んでいる。
「っていうか、今から行く場所なんだけど」
「なんだ?」
「ここから遠いわけ?」
交易の街というだけあってか、荷車を引いたり、大きな荷物を背負っている人が多い。道の両側には食物から衣服から装飾品から、とにかく様々な種類の物を売っている店が軒を連ねている。
賑やかな、通り。そこを歩きながらソラが発した言葉に、いや、と歩きながらカイは首を振った。
「警備隊のとこまではそんなにかかんねぇよ。ちょうど街の真ん中にあるからな」
「警備隊? 駐屯地じゃなくて?」
駐屯地、というのは都から派遣された国兵が滞在する場所のことだ。ソラの以前いた村には流石になかったが、大抵の街や村にはたとえ規模が小さくとも駐屯地が設置されている。国兵といってもその役割が戦闘だけに留まらないためだ。国の中枢から派遣された彼らは、国全体の方針を各地に伝え、実際に国を動かす任務を背負っている。
諍いの調停、税の徴収、入国者の管理などなど、挙げ始めればキリのない仕事の一つが、地図の作製だ。先ほどカイに見せられた地図も兵士たちによって作られたもののはずである。
それをもらいに行くというのだから、当然のように行き先は駐屯地のはずだ。警備隊などではなく。
というより、そもそも警備隊とはなんなのか。次々と浮かぶソラの疑問はしかし、全てカイにはお見通しだったようだ。
「いいとこに目をつけたな!」
にやりと意味ありげに笑われる。それがやはりどこか腹立たしくて、ソラはかすかに眉根を寄せるが、カイは得意気に言葉を続けるばかりだ。
「警備隊ってのに聞き覚えがないのは当然だ。なんてったって、この街にしかねぇからな」
「……胡散臭いな……」
「胡散臭いだなんてとんでもない! 商人の護衛をしたり、街の近くの魔物を討伐したり、犯罪者を取り締まったり……法律だか規則だかに縛られて肝心な時に動けねぇ兵士より、よっぽど早く動けるんだ。この街じゃ、困ったら警備隊のとこに行けって、言われてるくらいなんだぜ?」
「ふうん……」
「それに、だ!」
正直、どうでもいい。そんなことを思いながら生返事を返していたソラだったが、一段と声を大きくしたカイにちらりと視線を向けてしまった。
思わずに、だ。
そうすればそこには、興奮したように輝く茶色の瞳があって。
「何を隠そう……警備隊には勇者がいるんだぜ!? 本物の!」
…………勇者って、それはますます怪しすぎるだろ……。
上ずったカイの言葉。それにつっこみかけた言葉を飲み込んだソラは、代わりに深々とため息をついた。
***
考えを変える気はないのか。そんな低い男の言葉に、彼はゆっくりと瞼を上げた。
真っ暗な部屋に蝋燭の灯りが一つ。少しだって揺れることはない埃っぽい空気の中で、ぼんやりと灯りに照らされた男達の顔だけが浮かび上がっている。真ん中に声の主である男、その後ろに他の数人……そこまで確認したところで、彼は小さく笑ってしまった。
皆、ひどく緊張して怯えた面持ちだったからだ。
何を馬鹿な。囚われているのは自分の方だ。何かをされるのならば自分の方だろう。返答次第によっては。
そのことを、けれどこの場で一番よく分かっているのは、ともすると自分くらいなのかもしれない。気付いてしまった皮肉な事実はますます彼を笑わせる。
――まぁどんな状況であれ、意思を違えるつもりはないが。
「……否、だの。何度尋ねられようが、我がお主を選ぶことはありえぬ」
ここ数日と変わらぬ返事を繰り返す。それがとうとう耐え切れなくなったのだろうか。初めて男の顔が強張った。
「なぜだ……なぜ、お前はそこまで頑ななんだ」
「そう、言われてもの」
「力が必要なのだ! 大義のために!」
彼が肩を竦めれば男が声を荒らげた。
「俺達は救わねばならない! 戦わねばならない! 人々の欲するところのために! そうあるべき、と望まれているのだから!」
「…………」
「それに比べて、お前と一緒にいた奴らはどうだ!? 平気で人殺しをするような奴らじゃないか! 己の欲のためだけに!」
「それは……」
男の言葉に、彼はすいと碧眼を細めた。
必ずしも否定できなかったからだ。それが自分を探していた二人の欲するところであるかどうかは別として、二人が殺しを行ったことは事実であろうし、男の言うような大義もきっとありはしない。
どう考えても男の方こそが正義なのである。そして何より、男の意思は強い。口にした言葉が嘘ではないことも彼は知っていた。囚われている間に見張りをしていた男達が口にしていた話と相違はなかったからだ。
ここまで真っ直ぐな人間もまた珍しいものである。理屈だけ考えれば、こんな男にこそ力は与えられるべきなのだろう。そんなことは彼にだって分かる。痛いほどに。
それでも、だ……そう思い、彼が首を横に振れば、男が軽く目を見開いた後、眉間に深くしわを寄せる。
「……あくまでも私欲のために力を使う人間を選ぶというのか」
「それが、あの子のことを指すというならば」
「そこまで堕ちたか、龍よ」
ならばもういい。憎々しげに吐き捨てた男は踵を返して闇の中に消える。後ろに控えていた男達が慌てて後を追っていった。忙しない足音。ひそひそと交わされる話し声。扉の閉まる音。
そうして訪れた静寂の、中で。
「…………」
彼はただただ、目を閉じ考える。
例えば、力を欲するあの男こそが選ばれるべき者であったなら、どんなに良かったのだろう、と。
例えば、あの子が男のように強い意思を持っていたのなら、どんなにあの子自身が苦労しなかったことだろう、と。
けれど、
「――この世は、理屈だけで動きはせぬ」
そんな憂いを帯びた彼の声は、誰にも聞かれることなく闇に消えた。




