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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
風の乙女、勇想の少年-the Unusual ... the maiden hates, the boy wishes-
18/55

act.3

***


 内陸の国、『ルクス』はその国土を横断するように山脈が横切る広大な国である。


 東西を横断するように走る山脈の南側、公都『ルクス・アルケ』を有する土地は海に面し、湿潤な気候も相まって緑広がる豊かな土地だ。これに対して山脈の北側は大半を荒野と森が占める不毛の地。東の果てにはわずかばかりの草原もあるものの、いずれも農耕を成すには痩せすぎている。おまけに山脈があるがために、公都へ向かうための最短の道は一本しか整備されておらず商業もままならない。

 そんな土地柄のせいか、この国では自然と南側がもっぱら人々の生活の基盤であり、北側の住人は荒野にへばりつくようにして細々とした生活を送っていた。


 荒野の村『エレミア』もまた、そんな北側に点在する村の一つ。その村を発ったソラ達はジンの本来の行く先である公都へ向かおうと、山脈の間に整備されたたった一つの最短の道を通り、




 山脈の北側の入り口を有する<砦の街>『リピス』を目指していた、はずだった。




「……は……?」


 そう呟いたソラの言葉は、少しばかり騒がしい宿屋の食堂の中でも思った以上によく響いた。

 日が登ってから数時間、朝を迎えた宿屋の食堂では多くの席が埋まっている。宿屋の入り口も兼ねている食堂には長机と長椅子が数個ずつ等間隔に並べられ、思い思いに人々が座っていた。

 開け放たれた幾つもの窓から明るい光と共に入り込んでくるのは清々しい風だ。それはソラのいる食堂の奥、普段は宿泊者の受付として機能しているカウンターまで届き、その上に並べられた大皿の料理の香りを食堂中に広げていく。

 大皿は三種類。中身は日によって代わり、食堂を利用するものは所定の料金さえ払えばパン一つに加えて好きな種類を好きな量だけ大皿から持っていくことが出来る。

 味もよい上におかわりも自由。さらには手頃な値段設定なおかげで、宿泊者のみならず食堂だけを利用する人で賑わっているのがこの宿屋の特徴だ。


 そんな食堂で、である。いつものように二階の宿泊部屋から降りてきて、いつものように朝食を取りに来て……そこでカウンター越しにかけられた少年の声に、彼からパンを受け取るはずだったソラは固まってしまった。

 はじめは……そう、単なる挨拶だけだったはずだ。止まりそうになる思考を必死で動かしてソラは一つ確認する。

 それでも自分と同年代の旅人が珍しかったのか、カウンターの向こうの少年はさらにソラに向かう先を訊いてきて。それにリピスだと、そう自分は答えて。

 それで。


「……今、なんて?」

「あ……いや、うん……」


 ふつふつと湧き上がる嫌な予感に押されて転がり出てきた声は、ソラが自分で思っている以上に低い声だった。少年もそれを感じたのだろう。びくりと体を震わせ、僅かにたじろぎながら頬をかく。ソラの空気に気圧されたのか、短髪の色と同じ明るい茶色の瞳が気まずげに逸らされた。


「だ、だからな……」

「だから、何」

「……い、言っても怒らねぇ?」


 そろそろと少年が目を合わせながら確認してきた。それを鬱陶しく思いながらも頷いてやれば、じゃあ、と意を決したように少年がそろりと唇を動かす。


「……ここ、さ……」




 リピスとは正反対にある街、だぜ?




「…………」


 ためらいがちに告げられた、そんな少年の言葉が脳まで届くのに三秒。その意味を正確に理解するために要した時間も三秒。それでも少年にとっては十分な沈黙だったようで、心配そうに少年が少しばかり身を乗り出してくる。

 大丈夫か? そんな言葉と共に。

 そうしてソラは、そんな彼の前で細く細く震える息を吸って。


「はぁぁぁ!?」

「ひぃ!?」


 思わず、叫んだ。それに少年が小さく悲鳴を上げて体を引き、なんだよ……! と少しばかり傷ついたような声を上げる。


「お、怒らないって言ったじゃん!」

「別に怒ってないだろ! ちょっと驚いただけだし!」

「驚いたってそれは俺のセリフだっての! しかも睨みつけながら言っても何も説得力な、」

「っていうか、どういうことだよ!」


 怯えたようにカウンターから後ずさる少年を追い、ソラが語気を荒げながらカウンターに詰め寄れば、哀れな少年は隠すこともせずに顔を引き攣らせる。


「な、なにがだよ……」

「何が、じゃない。リピスと正反対の街ってどういうことかって訊いてるんだ」


 っていうかそもそも、ここはどこだよ。口にすればひどく馬鹿らしい質問だ。少年もそう思ったのか、一瞬その瞳に呆れたような色がよぎった。それにまた腹が立ったので睨み返してやれば、びくりと体を震わせて目を逸らされたが。


「こ、ここはカペレだよ……」

「カペレ?」


 聞きなれない街の名前にソラが問返せば、怯みながらも一つ頷いて少年が手元から何やら紙を取り出してきた。

 この国の地形は分かるだろ? そう言いながら、少年が大皿を少し押しのけて広げた紙に描かれていたのは、何を隠そうこの国の地形だ。

 中心に山脈。北側に荒野と少しばかりの森。南側に公都。ソラの元いた村、荒野の村エレミアは地図の上の方の荒野と森の境目にへばりつくようにして描かれている。

 そうして少年がとんっと人差し指を置いたのは、中心に描かれた山脈近くの街。


「ここがあんたのいうリピスだ。砦の街リピス。北側から公都に向かうのに一番近い山脈の道の入り口を守ってる」

「……それは……」


 旅に出る前、ジンから聞いた話の通りだ。そう思ってソラが不承不承一つ頷けば、それを確認した少年は続いて指を動かした。


「で……今いるのが……」


 少年の指先がゆっくりと動いていく。そのまま真っすぐ左へ、当然のようにソラもつられて目を動かし。


「…………」


 見て、しまった。少年が指で示すよりも早く。リピスから指一本分、西へ向かった場所にあるその文字を。赤いインクでやけにでかでかと描かれた街の名前を。




 <交易の街>カペレ……そんな文字を、見てしまって。




「えーっとこの先の……っと……?」


 そこで、そのまま街を指すはずだった少年の指先が止まった。ちょうどリピスとカペレの間の荒野の部分だ。それに、少年が不思議そうな声を上げる。

 無理もない。

 少年の指先の動きを止めたのは、まさしくソラの手だったのだから。


「……何やってんだ?」

「……っ……」


 胡乱げな声で少年に尋ねられたソラは青い顔をしたままぴくりと肩を震わせ……ややああってから小さく首を振りながら呟いた。


「……や、やっぱいい」

「はぁ? お前がどこにカペレがあるか教えろって言ったんだろうが!」

「っ、そ、それはそうだけどっ」


 その……現実を見たくないというか。喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだはいいものの、代わりの言葉がどうにも思いつかない。それでソラが再び黙りこめば、少年はますます訳が分からなさそうに顔をしかめて。


「とにかく、手離せよ!」

「い、いいってば! ていうか離したら指動かすだろっ」

「当然じゃん! いいから大人しく俺にカペレの場所を教えられろって!」

「い、いやだ!」

「っ、手に力込めやがって……! 分かった、そっちがその気ならアレだ! もう口だけで説明するからな!? いいか!? ここからもうちょっと西に向かったとこの街が、」

「あー!? 聞こえない聞こえない……!」

「ソラ?」


 そこで澄んだ声と共に控えめに服の裾を引かれた。聞き慣れた、声。それに我に返ってソラが声のした方へ顔を向けると、馴染みのある金色の丸い瞳と目があって。


「り、リュー……」


 いつの間に。僅かな驚きと共にソラが名を呼べば、不思議そうに小首を傾げたリューが、おはよう、と小さく口を動かして。


「……仲良しに、なった?」

「は……?」


 続けられたリューの言葉にソラと少年は同時に声を上げた。

 訳が分からないとはこのことだ。あんなに言い争って、お互い喧嘩腰の口調で。まして話したのだって今日が初めてだというのに……思いながら、ちらりとソラが少年の方を見やれば、ぽかんとした表情でリューを見つめる少年が見えて。

 奇しくも同じ事を考えている、らしい。そんなどうでもいいことに気付いてしまって、いやいや、と慌ててソラは小さく首を振った。


「それってどういう……」


 戸惑いながらも気を取り直して尋ねてみる。そうすれば、一つ目を瞬かせたリューが、だって、と言いながらそっと手を動かして。


 小さな指先が当然のようにそれを指した。

 

「手、つないでる」


 地図の上、重なりあった少年の手と自分の手を指摘され、慌ててソラは手を引っ込めた。


「っ……! こ、これは……っ!」


 深い意味がある訳でもない。ただ指を動かすかそうでないか、という話をしていただけ……そう思うものの、改めて指摘されれば何故か無性に恥ずかしくなって。

 ソラの頬が、熱くなる。

 けれど少年はそうでもないようだ。


「あぁ! なるほどな!」

「って何納得してるんだよ!?」


 ありえない! あっさりリューの言葉を受け入れ、両手をぽんっと叩いた少年に対してそう叫べば、え、だって……と逆に不思議そうな顔をされてしまった。


「この子の言う通りだし……」

「そんな訳無いだろ! さっきまでそういう空気じゃなかったじゃないか!」

「え、ヤダ……そういう空気ってなんかいかがわしい……」

「いか……がわ……? 皮……?」

「あぁもう変なこと言わないでくれる!? あとリューも意味知らなくていいから!」


 一息に言葉を吐き出して、ソラはぜいぜいと肩で息をした。

 視界の片隅では少年がしてやったりと言わんばかりに、ニヤニヤと笑っている。それがますます腹立たしくて睨みつけるが、今度ばかりは何の効果もない。ついでにいえば、ソラの傍らではリューがカワ……? 川……? と頭に疑問符を踊らせていて。


「…………」


 なんなんだこの光景は……そう思ってソラががっくりと肩を落とした時だ。


「おはよう、ソラ! 何やら楽しそうにしているじゃないか」


 是非、私も仲間にいれてもらいたいものだな! 背後からかかった明るい声は聞き間違えようはずもない。というより、このカオスな状況を見て、そんなズレまくった感想を抱くのは彼女しかいない、と言うべきか。


「……どこをどう見たら楽しそうって言えるんだよ……」


 ジンに向かって振り返ることもなくそう呟く。幸か不幸かジンには聞こえなかったようだ。ソラを挟んでリューと反対側に並んだ彼女は、うん? と小首を傾げていて、ソラはため息をつく。

 というか、だ。どう考えたって、この状況にジンが加わればますます収拾がつかなくなるのは目に見えていて。

 いや……目に見えているどころか。


「……がわ……いか……?」

「む? なんだ、リューはイカが好きなのか?」


 それは尊敬するな。なにせ、私はあの中途半端な食感が苦手でな……。うんうん、と感慨深そうに頷きながら、ジンが隣で腕を組めば、あぁ分かる分かる、と少年も仕切りに首を縦に振っていて。


 いや、いつからイカの話になったんだよ。

 そもそもリューがイカが好きだなんて一言も言ってないし。

 もう全部勘違いだから……! 


「…………」


 そんな、幾つも浮かんだツッコミを飲み込んでいたら、きりきりと胃が痛み始めてソラはほんの少し泣きたくなった。

 ……そもそもなんでこんなことになったんだ。もうなるようになれと、現実を放っておいて今までの流れを思い返してみれば、ちらりと地図が視界に映る。

 そうだ、そもそもカウンター越しに少年に声をかけられたのが始まりで。それから、ここがリピスとは正反対の街だって言われて……それで……。


「……そうだよ!」

「む? どうしたのだ?」

「なんだなんだ?」

「ソラ?」


 突然声を上げたソラに、一様に不思議そうな声が返ってきた。不思議なのはむしろそっちの方だ。そう言いたかったものの、なんとか堪えてソラは鋭い声を上げる。


「ジン!」

「う、うむ?」

「今僕らが向かってる街の名前は!?」

「え……?」


 ソラの雰囲気におされ、居住まいを正して返事をしたジンが目を瞬かせ首を傾げた。


「リピスだろう?」

「……じゃあここが今どこだか分かる?」

「……? リピスの近くの街に決まってるじゃないか」

「…………」

「あー……いや、おねーさん、」


 予想通りの展開に沈黙したソラに代わって説明を買ってでたのは少年だった。よほどのお人好しなのか、それとも単に先ほどソラに出来なかった説明をしたいだけなのか……ともかくも再び地図を広げ、この街の場所とリピスの場所を示して。


「……なんと……!」

「……!」


 地図を覗きこんだジンとつま先立ちになって地図を見たリュー。二人が驚いたような顔をする。

 当たって欲しくなかった予感は見事に大当たりだったようだ。そのことを改めて認識したソラは深々とため息を吐いた。

 いや、まだリューはいいのだ。彼女は自分と同じように、エレミアを出たことなど無かったのだから。

 だから、そうではなくて。


「……なるほど……どうりで見慣れない街だと思った……」

「……いやいやいや、見慣れない街って……!」


 ていうか、エレミア出る時は自信満々に道案内してたじゃないか! 耐え切れずにソラが口に出せば、狐につままれたような顔をして地図を眺めていたジンが、ふむ……と弱ったように声を上げる。


「なんで、だろうな……? 行きと同じ道を辿っていただけなんだが……」

「おねーさんの言う行きと同じ道、っていうのがリピスを通るルートだった、ってことか?」

「あぁ。村を出て真っ直ぐ行けばリピスには十数日で着くはずで、」

「ちょっと待った」

「?」


 ソラが声を上げれば、素直に口を閉じたジンが小首を傾げた。どうしたのだ? そう問い返す彼女の表情には一片の邪気もない。

 ないのだが……しかし。


「…………」


 先ほどジンが口にした言葉。それに嫌な予感がじわりと胸の内に広がるのを感じながら、ソラはゆっくりと口を開いて尋ねる。


「……北って、どっち?」

「……? こっちだろう?」


 そう言って彼女が自分の目の前を軽く指差す。ちょうど少年の後ろにある酒瓶の並んだ棚の一角だ。それが正確に北なのかはソラには分からなかったが。

 それは今、さしたる問題ではない。


「後ろ、向いて」

「む……?」


 こうか? 訳が分からないといった顔をしながらもソラの求めに応じてジンがくるりと後ろへ向き直る。それを確認したソラは軽く頷いて。

 じゃあ、と慎重に言葉を続けた。


「北は、どっち?」

「それは勿論、」


 こっち、だろう。そう言って迷うこともなくジンが指差した方向――それはやはり彼女の目の前、宿屋の入り口の方で。


 つまるところ、先ほど指さした方向とは正反対で……。


「…………やっぱり……」

「ははぁ……なるほど……」

「? どうしたのだ?」


 ソラががっくりと項垂れ、少年が苦笑いを浮かべ。そうしてジンが二人の反応の意味も分からず戸惑う中。

 じっと様子を見ていたリューがうん、と一つ頷いて上げた小さな声が、恐らく一番この状況をよく表していた。






「方向音痴」






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