act.2
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りんっと涼やかな音を立てて銀色の小さな鈴が震えた。恐る恐る指を離しながらその音を聞いたソラは、困ったように眉を寄せる。
「……やっぱりこれ、変じゃない……?」
後ろ髪をまとめるのに一つ、両方の耳元の髪を束ねるのに二つ。それと両手首と両足首に一つずつ。小さな銀の鈴の音は決して不快な音ではない。むしろ心地良くらいに澄んだ音色だ。
……それでも、である。やっぱりこうやって髪をくくるのはなんだか女の子っぽいんじゃないか。自分の格好をちゃんと確認することは出来ないながらもそんな不安をソラが抱けば、何を言ってるの、と明るい返事があった。
「よく似合ってるわ。十分に可愛いんだから自信を持って」
「可愛いって……僕、男だよ……?」
「男の子が可愛い格好をしちゃいけない道理があるかしら」
「え、えぇ? いや……それは……」
それはないだろうけれど、そういう問題だろうか。ソラは思わず首を傾げた。
いや、確かに彼女の言っていることは間違ってない。ないのだけれど、このまま頷いてしまえば、自分にとって大切な何かが失われてしまいそうな……。
「えぇ……?」
ぐるぐると考えが回ったソラが複雑な顔をして頭を抱える。その時だ。クスリ、と耐え切れないような小さな笑い声が聞こえてきたのは。
「……? 姉様……?」
なんだろう。思いながら恐る恐る顔を上げれば、肩を僅かに揺らしていた彼女が、冗談よ、と返す。
「じょ、冗談……?」
虚をつかれてソラが蒼の目を瞬かせれば、そうに決まってるじゃない? と笑いながら彼女が頷く。
その拍子に、さらりと長い黒髪が肩から溢れた。赤と白を基調にした巫女服の上でしなやかに散った長髪は陽光を浴びて柔らかな光を弾いて。
「もう、ソラったら、真面目に考え過ぎなんだから……ちょっと心配になっちゃうわ」
「心配って……」
どういうことだろう。そう思って首を傾げれば、そういうところがよ、と返した彼女がそっとソラの方へ手を伸ばしてくる。頬に触れる、細い真っ白な指先と掌。その感触は見た目に反して少しカサついていて、弓を扱うせいでところどころタコがある。
それでも彼女に独特なその感触が好きで、皮膚を通して感じられる彼女の体温が心地よくて。抱いた疑問も忘れてソラが黙ってされるがままになっていれば、頬から髪の毛、髪の毛から肩へと確かめるように彼女の手が動いていく。ほんの少しくすぐったい、それはけれどソラと彼女の間ではいつものことだ。
彼女は、目が見えない。
その証拠にソラは彼女が一度だって目元を覆う無粋な真っ白な包帯を外している所を見たことがない。それでも、彼女が盲目であることに不自由している様子は一切なかった。
見えずとも、感じることが出来れば何とかなるものよ――というのが、いつだったか射止めた野うさぎを片手に微笑んだ彼女の言である。
耳で聞いて、匂いを嗅いで、今のように掌で確かめるように触って……そんな全てで彼女の世界は出来ている。
きっと、きらきらした眩しい世界が。
自分と同じように。
「……姉様?」
そこで、あちこち動いていた彼女の手がソラの肩の辺りで止まった。どうしたの? そう問えば、静かに彼女の腕がソラの背中に回されて。
前触れもなくぎゅっと抱きしめられた。突然のことにソラがほんの少し目を見開く。その間に、ソラ、と自分の名前を呼ぶ声が鼓膜を揺らして。
そして、声が続いた。
確かに大好きな彼女の声のはずなのに、どこか別の響きを伴った声が。
この村から、と。
『……この村から出よう。お前も、私も、世界をもっと知るべきだ』
***
「っ……!」
ハッと勢い良くソラは目を開けた。眩しい光。真っ白な世界。その中で狂ったように心臓が鼓動を打っていて、息苦しさからソラは思わず胸を押さえる。全力疾走でもしたかのように息苦しい。おまけに全身嫌な汗でびっしょりで。
「………っ……」
顔をしかめて思わず呼吸を繰り返すことしばし。ようやく明るさに慣れた目が映すのは常の薄汚れた木造の天井ではない、手入れの行き届いた明るい木目の見えるそれだ。そこでソラはようやくここが自分の家ではない、旅の途中の宿屋であることを思い出し。
自分が今しがたまで見ていたもの。その正体に気付いて、ソラは息を吐き出した。
「……夢……」
呟いた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。体というよりは主に精神的なものだ。それは夢がただの夢でなく……さりげなく、けれど唐突に別の記憶と繋がってしまったからで。それから……とそれ以上深く考えるのも嫌になって、ソラは小さく首を横に振る。
「……なんなんだよ……」
なんで朝からこんなに疲れなきゃいけないんだ。非難がましく胸の内で文句を言いながら体を起こし、のろのろとベッドから出た。
掃除こそ行き届いているものの何の変哲もない小さな部屋だ。ベッドの他には小さな丸テーブルと椅子が一組。その上にはソラの荷物が無造作に置かれていて、窓から差し込んだ朝日に静かに照らされている。
そうして、開け放たれた窓から朝の澄んだ空気と共に入り込む風を切る音。
「……またやってるのか」
ソラにとっては随分と聞き慣れた音、である。それでもソラがちらりと視線を窓の外に送れば、宿屋の裏手の小さな庭に彼女がいた。
肩まで届くか届かないかくらいの赤茶色の髪の毛の一部を後ろでお団子にしてまとめている。長袖の麻でできた服にこげ茶色のズボンという、どちらかといえば男らしい出で立ちをした彼女は、静かな澄んだ朝の空気の中で木切れを片手に一心不乱に素振りをしていた。
幾つかの型を踏んで……けれどそれも決して単調なものではない。時にゆったりと、時に大きく、時に素早く踏み込んで、かと思えば退いて。
まるで見えない敵と戦うかのように木切れを振るう度、ひゅっという軽い質量の感じられる音が朝の空気を裂いていく。それにあわせて彼女の赤茶色の髪が揺れた。
それでも僅かだ。ほんの少し。
それだけ無駄がない――そうして無駄なくこなせるほど、何度も繰り返してきた動きなのだろう。あまり剣術には詳しくないソラでさえその程度のことは分かる。
だからこそ毎朝欠かすことのない鍛錬の様子から彼女の……ジンの重ねてきた努力がソラにはなんとなく垣間見えるような、そんな気がして。
そうしてその度に、村を発つ前のことが思い出されて胸の奥が痛くなる。
あんな夢を見た後なら……なおさら。
「…………」
脳裏に響くジンの泣きそうな声。それに僅かに目を細めたソラはそっと窓際から身を離した。
ちりんっと彼の姉からもらった鈴の音一つ残し、部屋の奥へ逃げるように。
あるいはジンから、逃げるように。




