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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
ある陽のプロローグ
10/55

act.9


 先導する小さな影がはっとしたように立ち止まったのは、二度目の轟音が森の中に鳴り響いた時だった。


「……リュー?」


 どうしたのだ? ディアドラを挟んで最後尾、警戒しながら森の中を進んでいたジンは声をかけた。ディアドラもまた怪訝な顔をしている。

 当然だった。ジンたちは一刻も早くこの危険な森から出なければならないのだ。ヨルが作ってくれたこの好機を逃さない手はない。

 だからこそ、彼女達は出来うる限りの速さでソラの家を目指していた訳で。

 だというのに、唯一ジン達を先導できるリューは怯えの色を滲ませて立ち止まって。

 ソラが。そう呟いたリューが小さく身を震わせる。


「……行かなきゃ……!」

「っ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ……!」


 恐怖に駆り立てられるかのようにリューが来た道を戻ろうとした。その服を慌てて掴んだのはディアドラだ。


「どこに行くつもり!? あんたしか道分かる人いないのよ!?」

「っ、離して……っ! 知らない……っそんなの……!」

「知らない、ですって!? 冗談じゃないわ!」


 こんなところで野垂れ死ぬのなんてごめんよ! 眉を吊り上げたディアドラが悲鳴にも近い声を上げる。鬱陶しそうに振り返ったリューがきっと彼女を睨みつけた。けれど今度ばかりは、ディアドラも引く気はないようだ。

 真っ向からリューの視線を受け止め、まくし立てる。


「あいつならどうせ大丈夫でしょ……! そもそも私達に逃げろって言ってたじゃない!」

「っ、ヨルはだめ……! ヨルじゃソラは護れないんだから……っ!」

「じゃあ、あんたが行けばどうにかなるっていうの!?」

「っ……!」


 ディアドラの一言にリューが目を見開いて口を閉ざした。小さな両手が震える。見ていても痛々しいほどに唇を強く噛み締める。それは……そんなか細い声を上げて。そうしてリューは項垂れて。

 それみろ、と言わんばかりにディアドラが鼻を鳴らす。それがなんだか気の毒で、ジンは思わずリューに向かって声をかけていた。

 

「なら……私が様子を見てこようか?」

「! それは……」

「何言ってるのよ!」


 ジンの提案にリューがぴくりと顔を上げる。けれど彼女が何か言い出す前に、ディアドラが異論の声を上げた。


「ジンさんまで変なこと言わないで! こんなに危険な森の中に、こいつと私二人きりなんて……!」

「そうは言うがディアドラ殿。リューはさっき魔物達を追い払ってくれたではないか」

「そっ……! それは……っ、そうだけど……」

「それに、この森の出口を知っているのもリューだけなのだ……なら、彼女に案内をしてもらって、私がソラの様子を見てくるのが一番いい」

「…………」


 今度はディアドラが沈黙する番だった。ひどく不満そうな顔だ。いや……不満そう、というよりは不安そうと言うべきか。

 無理もない。旅の道中である程度の危険をくぐり抜けてきたジンでさえ、今の状況にはかなり参っているのだ。

 さりとて、このままリューの声を無視することも出来なかった。それは単純に彼女の様子がおかしいという事実以上の感情故だ。 

 共に過ごした期間は確かに短い。けれど、それでもジンはソラとリューのことを、


「……ほんとう?」

 

 そこで、ぽつりとリューが呟いた。ほんの少し上げられた目。そこに浮かぶ金色は今にも泣き出しそうで……それに密かに驚きながらもジンは一つ頷く。


「あぁ……任せてくれ」


***


 どんっと一際大きな音が全身に鳴り響いて、ソラの意識は浮上した。


「……っ痛ぅ……」


 ぼんやりとした意識の中で、鈍い痛みが全身を包んだ。それに呻きながら体を動かそうとするが、何故か痛みばかり増して指一本さえ動かない。

 どういう、ことだろう。疑問に思いながら、ともすれば閉じそうになる重い瞼を持ち上げる。真っ先に見えたのは濁った黒で僅かに覆われた夜空だ。けれど、おかしい。森の中であるなら、こんなにはっきりと空が見えることなんてないのに。胸中で首を傾げながらずきずきと痛む頭を巡らせれば、今度はめくれ上がった大地の土砂や折れた木々に自分の体が挟まれているのが分かって。

 そこで、ゆらゆら揺れる世界に大きな影がさした。


「……お、まえ……」


 浅い息をはきながら視線を緩慢に前へ動かしたソラは、僅かに目を見開く。

 見つめる先には、すぐ傍まで真っ黒な魔物が迫っていた。その血塗れた赤の瞳に嬉々とした光が浮かべている。それに自分が今しがたまでヨルを喚び出して戦っていたことを思い出して。

 けれど、おかしい。記憶が確かなら、ヨルが優勢だったはずだ。この魔物だってヨルが束縛していたはずで……戸惑いながらソラは曖昧な思考を思わず自身の奥底に向けた。

 そこにヨルの思考が存在するのだ。ソラが喚び出さずとも彼はいつもそこにいる。そこにいてソラと同じものを見、同じ匂いを感じ、同じものに触れて……それで何を感じているのかは、滅多にソラには分からないのだけれど。


「……!」


 今だけは違った。思わず息を飲んでしまうほどに、流れこんでくる感情の渦は荒れ狂っている。戸惑い、驚愕、焦燥、恐怖……そして憎悪。あまりにも激しいそれは容易く自分の思考など押し潰してしまいそうで、ソラは慌ててヨルの意識から遠ざかる。

 どういう、ことだろう。ヨルがこんなに取り乱すなんて。

 ほんの少し、思った。新鮮な驚きを持って。長らくヨルに体を譲り、その力を借りてきたソラにとっても初めてのことだったのだ。いつもは違う。何を考えているのか分からないヨルだけれど、少なくとも何があっても絶対に取り乱したりはしない。

 だからこそ、ヨルの異常が気にかかって。


 けれど……そう、ほんの少しだけだ。


 考えた所で答えが出るはずがないこともまた、分かっていたのである。それはソラでさえ、ヨルのことを実はよく知らない、ということが理由で。


 知っているのは、何故か自分が死にそうな時に限って出てくるということ。

 そうして、何故か自分を必死で護ろうとしているということ。



 何故か……あぁ本当に何故かだ。



「…………護る価値なんてないのに」


 脳裏をよぎる血まみれの己の手。それにぽつりと呟いたソラの全身から力が抜けていく。抵抗しようという気さえ失せていく。代わりに血液に乗ってじわりと体中を広がっていくのは薄暗い気持ちだ。

 そうだ……自分には、護られる価値なんてない。あんなことをしておいて。それで尚、生きようだなんて、なんておこがましいのだろう。罪深いのだろう。

 だから、そう。これはきっと。


「罰、なんだ……」


 彼女を殺してしまった、自分への。


 諦念。罪悪感。そうして、これでやっと自分も死ぬことができるという薄暗い希望。そんな全てを抱きながら、ソラは目を閉じる。

 魔物の勝ち誇った咆哮が響いた。そうして空気が、魔物の振り上げた腕でうなり。


 瞼の裏で、ほんの少しの面影を見た。眩しい世界。暖かな光。そんな祝福された世界に佇む彼女が記憶の通りに優しく微笑んで。幾度だって自分の頭を撫でてくれたその手を伸ばして。

 たくさんの物語を紡いでくれた唇で。自分の、名前を。


「――ソラ!」

「!?」


 そこで、悲鳴のような声が鼓膜を揺らして、ソラははっと目を開けた。慌てて声のした方を見やる。そうして息を呑む。

 ソラの右手。なぎ倒された木々の間から飛び出し駆け寄ってくる小さな影。そこに浮かぶ必死な色をした朱の瞳。


「ジン……っ!?」


 ソラが声を上げる。その瞬間、ジンが何事かを叫び。


 魔物が腕を振り下ろした。


***


 がきんっと腹の底から響く、その衝撃はあまりにも重かった。


「っ……!」


 息をのむ。押されそうになる剣を両手で掴み直す。両足に力を込める。カタカタと魔物の鋭い爪と触れ合う鞘が震えた。防御にしてはあまりにも頼りない。鞘から抜けない剣も、己の非力な腕も。

 それは魔物があと少しでも力を込めれば、あるいは自分が少しでも身を引けば容易く破れてしまう均衡で保たれていて。


 けれど……けれどだ。そんなことがどうでもよくなるくらい、彼女は――ジンは。


「今、何をしようとしていた……!」


 ソラに向かって、怒号を上げた。魔物が不審げに唸る。しかしそれに構わずジンが背後の気配を探れば、びくりとソラが体を震わせるのが分かった。

 分かって、しまった。彼女が曲がりなりにも戦う者であるからこそ。


「……死のうと、していたな……?」

「…………っ」


 顔をしかめてジンが口にする言葉にソラからの反論はない。それでも、それこそがまさしく肯定のようなもので、ジンは吐き出す息を震わせた。

 どうして。そう、震えそうになる柄を握りしめながら問いかければ僅かな沈黙の後、ソラの声が鼓膜を震わせる。

 別に、と。


「……あんたには……あんたには、関係ないだろ……!」

「……!」


 突き放すようなソラの声はジンの予想を裏切るもので、思わず絶句したジンの胸の奥に突き刺さった。心が揺れる。剣がぶれそうになる。それでも、そんなジンの気持ちに少しだって気付くこと無く、ソラは声を張り上げる。

 何か耐えていたものがプツリと切れてしまったように。


「そうじゃないか! あんたと僕なんて赤の他人だろっ!! 血の繋がりもない! ずっと一緒に暮らしていた訳でもない!」

「…………」

「それなのにあんたはなんなんだ!」


 ソラが大きく息を吸い込む音が聞こえた。ひどく引き攣れた呼吸で。そうして痛々しいくらいの声を上げる。


「勝手にでしゃばって! こっちを散々振り回してさ……! いい迷惑だよ! 放っておいてよ! 僕が死のうが何しようが……っ!」


 僕の勝手だろっ……!


 そんなソラの声は奇妙によく響いた。魔物が低い呻き声を上げる夜闇の中で。不穏な風に吹かれて葉を揺らす森の中で。

 そうしてジンの胸の内で……響いて。


「……っ、ふざけるな!」


 あらん限りの力を込めてジンは叫ぶ。それが予想外だったのだろう。え……? とソラが間抜けな声を上げて。その態度がますますジンの気持ちを煽って。

 彼女の中の何かを、燃え上がらせた。


「お前が死のうが生きようがお前の勝手だって……!? そんな……そんな訳ないだろう……!」


 腹が立った。ソラがよもや反論されるとは思っていなかったことに対して。


「あぁ確かに私はお前とは関係ない! そうだな! お前の言うとおり、私は赤の他人なんだろう! ほんの少し前まではお前のことを知りもしなかったんだから! それでも……っ! だからって、私達の間には何もなかったか……っ!? 」 


 馬鹿馬鹿しかった。ソラが自分の意見のおかしさに微塵も気づいていないことに対して。


「お前はっ! 行き倒れていた私を助けてくれた! さっきだって森の中まで探しに来てくれた! 私とお前は関係ないとお前は言う……! なら、お前こそ私を放っておけばよかったんだ! 赤の他人なんだから! なのに、お前はそうしなかった! 放って置かなかったのはそっちの方だ!」


 そうして、彼女は……ジンは。


「なら、もう関係なくなんかない! 血が繋がってなくても! 昔からの知り合いなんかじゃなくても! たとえお前が私と関係ないって言い張ったって! 私が……っ、私がお前のことを友だと思っているんだから……!」


 ソラが息を呑む。それにますます泣きたくなる。あぁそうだ。そうだとも。

 ジンは、泣きたくなったのだ。ソラの発言に腹が立って、ソラの態度を馬鹿馬鹿しく思って、それでも。あるいはそれ以上に。

 悲しくて。彼が当たり前のことを知らないという事実に気づいて。彼が当たり前のことを知ることが出来なかった事実に気づいて。



 そうしてソラの周りにいた人間が、誰一人として。ジンの言った当たり前の言葉をかけてやらなかった事実に、気づいてしまって。



「……っ!」


 震える息を吸い込んで、思い切り剣を振るった。魔物がすかさず飛び退く。距離を置く。身を低くして不満気に唸った。今やその瞳は爛々と輝き、次で勝負を決める気なのだということがありありと伝わってくる。実際、魔物が本気を出せばあっという間にやられてしまうだろう。万が一にだってジンに勝ち目はない。どうあがいたって勝機など見出だせるはずもない。

 それだけの差だ。それほどの差。

 それでも……それを痛感していながら尚、魔物に臆すること無くジンは剣を握る。両手で構える。


「だから……私は……っ!」


 ぐるぐるとたくさんの感情が胸の内で渦巻いた。それは何も、ソラへの感情だけじゃない。

 そこには剣を抜けない自分への不甲斐なさがあった。

 そこには自分のせいで大切な人たちの全てを壊してしまった悔しさがあった。

 そこにはまた誰かを守れないんじゃないかという恐怖があった。

 それらが幾つも幾つも渦巻いて、ぽっかりとした大穴を開けている。その先にあるのはいつだって底知れない闇だ。深い深い闇。決して消えることのない過ちの証。

 それがあるからこそ、剣の鞘に触れる度ジンは怖くなる。また間違えてしまったらどうしようと怯える。自分が何をしたいのか分からなくなってしまう。


 いつもいつもいつも。

 ……けれど、今は。


「……たとえ私の存在が間違いでも……っ!」


 たとえ、自分が剣に選ばれてしまったことそのものが、間違いなのだとしても。


「護りたいんだっ……!」


 心の底から。思う。願う。

 出来損ないの自分でも、彼をなんとか生かしたいと。

 世界は思ってるほど冷たくないって。そう、彼に……ソラに伝えたいと。


 だから。


「応えてくれ……! コールブラント……っ!」


 祈りを込めてジンが叫ぶ。





 瞬間、まばゆい光が剣を包んだ。







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