coffee
匂いが好きだった。
何に混じることのない、独特の存在感の様な香りが好きだ。
コーヒーのあの香りを放つあの人は苦い。
煙草の匂いも混じるあの人は何をしていても苦い。
帰ったときに残るのはコーヒーと煙草とあの人のシャンプーの香りだけ。
何も残さないくせに香りだけ残して消えてしまうあの人が今日も匂いだけ残して消えた。
「――、」
呼ばれて舞い上がる自分は愚かと分かっていてもぴくん、と反応してしまう。
まだ制服を脱ぎ捨てるまで二年以上ある、子供に見られるのは当たり前だ。
それ以前に、コイビトなんて関係には絶対になれない。
『葎サンっ』
青柳葎サンは虚無な笑顔でオレに触れた。
でも、葎サンのカノジョは自分じゃないことだけは、明白である。
「お帰りー」
家に帰れば革張りの白のソファーでくつろぐ葎サンが居る。
『ただいまです!! 今日はバイトですか?』
「んー、お店自体がお休み…、よーた…」
どくんと胸打ったのは心臓。
テノールの葎サンの声は心臓に悪い。
『はい』と返事をするとふにゃっと笑って言う。
「よーた、」
何度も『陽大』と呼ばれるのがうれしかったけど、恥ずかしいが、甘い気分や甘い気持ちにはなれないことくらい知ってる。
「癒やして、よーた」
『カノジョさんに癒してもらって下さいよ』
オレは、葎サンのコイビトなれないから。
そう思っているのが見えるのだろうか、葎サンは「喧嘩中」とだけ言ってオレをぎゅ、と抱きしめる。
ありったけの力じゃない、優しくふんわりと抱きしめた。
「よーた、慰めて?」
『今回は何で怒らせたんですか…? 場合によっては葎サンのカノジョさんに味方しますから』と伝えると「勘違い」の三文字を言葉に吐き出した。
『【また】ですか』
そう、まただ。
「弟だって、言ってるんだけどなぁ…」
葎サンとオレ、青柳陽大は兄弟である。
と言っても血の繋がりは一滴もない。
五年前、オレの両親が離婚、母親に着いていき僅か数ヶ月後に新しい父親が出来た。その時に年の離れた兄が出来た。
それが葎サンだった。
『…伝えなかったんですか?』
「だって、陽大は弟クンって言ったのにな…、“弟さんと私どっちが大切なの?!”って言われてついつい、」
『…』
「陽大のほうが大切って答えちゃいました」
『葎サンってバカ』
「だってよーたは嫉妬しないじゃん、他の女の子は、縛り付けるじゃん…、無理」
葎サンは、自由人で何か女の人とあるとオレと比べる。
そしていつも同じことを言われてフられる。
「葎は、よーたと一緒に居るのが一番楽です。」
『(オレは、辛いです。)』
きゅ、と心が痛い。
ふわっと、煙草が香った。
葎サン。
好きです。
アンタと一緒に居るのは幸せで、苦しくて、楽しくて、嬉しくて、残酷なんですよ。
真夜中の一筋の光は暗い夜道を照らすことはない。
光が射すことのない世界。
それでもアナタを愛したい。
アナタに嫌われたくない。
だからアナタも俺を嫌わないでくれませんか…?