聖女はどこへ消えたのか
エリックには四つ年上の姉がいる。
といっても母が違うので正式には異母姉である。
第一王妃の娘でもある姉はとびきり美人で、実のところ幼きエリックの初恋は姉であった。
年頃になった姉のところには結婚の話が大量にやってきている、とエリックも耳にしていた。
わかってはいるのだ。姉が自分と結ばれる事はない。母親が違えども父親は同じなのだから。
姉――アリシアは将来王位につくわけではなく、国内外のどちらかはさておきいずれは嫁ぐものだと聞かされていた。
ただ、アリシアの母――第一王妃はそれについては口を出しはしなかったけれど。
彼女はアリシアに特に厳しい教育を施そうとしていた。
政治経済や語学といったものであれば、王族として学んでおいて損はない。
けれども第一王妃はそんなものよりも、むしろ彼女には剣術を含む武術を会得させようとしていた。
王がそんなものは必要ないと一蹴した事でアリシアが武術を習得する機会はなかったけれど。
元々あまり仲が良いとは言えなかった第一王妃と国王の仲は、ここから更に冷え込んでいたのだと思う。
姉は確かに美人なので、よからぬことを企む男が出てきてもおかしくはない。
だからこそ、なのだろうと思っていた。
父もそれくらいはわかっていたからか、アリシアには護衛をつければいいと言っていた。
それはそうだ。エリックだってその言葉に納得した。それでいいじゃないか。わざわざ辛い修練をさせなくたって、彼女を守ろうとする騎士はいるし、彼女に忠誠を誓う騎士だって一人や二人ではない。
ただその言葉に納得しなかったのは、アリシアの母親である第一王妃だけだった。
エリックはあの時の第一王妃の瞳を忘れられそうになかった。
アリシアの母親だけあって、彼女とよく似た――いや、それ以上の美貌の持ち主が、本来は自分の夫であるはずの国王に向かってまるで虫けらを見るようなどこまでも冷ややかな眼差しを向けていたので。
一体どうして。
どうしてそんな目ができるのか。
エリックには考えてもわからず、わからなかったからこそこっそりと自分の母でもある第二王妃へと聞いてみた。
けれど、エリックのその質問に母はそっと首を横に振るだけだった。
貴方にはまだ早い話です、と言われ、貴方が成人する頃に、必要があればお話ししましょうと。
静かな声は、逆にその話は決して楽しいものではないのだと察してしまったので。
子ども扱いしないで下さい、なんて言葉は言えなかった。
さて、そんなアリシアが十七歳の誕生日を迎えたその日。
盛大に祝うはずであったが、アリシアの姿はどこにもなかった。
最初からそこにいなかったように忽然と消えたのである。
どこを探しても、痕跡一つ見つからなかった。
焦りに焦ったのは父だ。
アリシアを慕う者は多くいた。
中には恋情どころか劣情を抱く者も。
そういった輩にもし汚されでもしていたら。
心配。焦り。不安。
そういった感情を表に出さないようにとしていても、隠しきれていなかった。
アリシアを想っていた男たちも必死になって探していた。
勿論、必死に探している振りをしてかくまっている、なんて可能性も捨てきれなかったが、誰も彼もがお前が犯人ではないのか、と疑い探り合う事で完全に隠し立てする事などできそうになかった。
「探すだけ無駄ですわ」
そんな中、ただ一人だけ冷静だったのはアリシアの母である第一王妃だった。
「なんだと!?」
「探すだけ無駄、と申したのです。もっと言いましょうか。時間の無駄です。諦めましょう」
「自分が何を言っているのかわかっているのか!? 娘だぞ!?」
「えぇ、わかっております。だから探すだけ無駄だと申し上げました」
普段は感情をあらわにしない父が珍しく感情を出している。
けれど第一王妃はそれすら煩わしそうに見るだけだった。
「お前には人の心がないのか!?」
「そっくりそのままお返しします。人の心がないのは貴方たちでしょう」
そこまで言って小さく吐き捨てられた言葉を、エリックはしっかりと聞いた。
「――下郎が」
この国の王に向かって言う言葉ではない。
聞き取れなかった父が聞き返そうとしたが、それより先に第一王妃は言葉を重ねた。
「護衛が何の役に立つのか。以前そう言ったはずだというのにそれでもそれを良しとしたのは貴方たちです。
あの子可愛さにあの子に独りで生きていける力を与えなかった。
だからもうあの子はマトモに生きてはいけないでしょう。可哀そうに」
それだけ言うと、第一王妃はさっさと踵を返して自分の部屋に戻ってしまった。
第一王妃の態度に苛立ちを隠す事もせず、それでも王は告げた。
草の根掻きわけてでも王女を探し出せ!!
――と。
だがそれですぐに見つかれば、そもそもこんな事にはなっていない。
あれ以来ロクに顔を見せる事もしない第一王妃の事が気になって、エリックはある日第一王妃を訪ねた。
控えているはずの侍女や使用人が誰もいない部屋で、彼女は思ったよりはのびのびと過ごしていたらしい。
すっかりくつろいでいるのを見て、エリックは思っていたのと違うな……? と違和感を覚えた。
部屋そのものが殺風景というわけでもない。王妃の部屋と言われれば納得できるものではある。
ただ、周囲に誰もいないだけだ。
「何用か」
「あの、聞きたい事があって……」
「いいでしょう。答えられる範囲でなら答えます」
言いながらも第一王妃は自ら動いて飲み物をエリックの前に置いた。その動きは慣れたもので、普段から自分でやっているのだとわかるものだった。
「姉上がいなくなった時、探すのが無駄だって言ってましたけど……どこにいるのか知っているのですか?」
「是であり否である」
即答だった。けれどその答えはエリックには理解しがたいもので。
「それは……どういう……?」
「大まかにわかってはいるけれど、正確には知らない」
「それはわかっている事になるのでは……?」
「エリック」
「はい」
「貴方はあの男の息子だけあって、愚かですね」
姉を思い起こす顔で、花が咲くような笑みで、さらっとこき下ろされた。
「愚物がどれだけ種を蒔いたところで劣化愚物が蔓延るだけですか。何と無意味な」
エリックは王族であるが故に、こうも面と向かってこき下ろされるような事はなかった。
陰で色々言われているのだろうな、とは理解していたが、面と向かって言われるような事は事実今の今までなかったのだ。
だが、第一王妃はあまりにもさらりとエリックを――エリックだけではない、エリックの父であり、第一王妃の夫である男までをも貶めた。
本来ならば怒るべきなのかもしれない。
けれど、第一王妃の声からは馬鹿にしてやろうとかそういうものがなかった。
窓の外を見ていい天気ですねとでも言うような――当たり前の事を当たり前のように言っているだけにしか聞こえなかったのだ。
あえて下に見てやろうとか、自分が上だと示してやろうだとか。
そういったものもないように。
事実を述べただけとでも言わんばかりの態度と声だったので。
エリックは怒るタイミングを失ってしまった。
というか、なんだか新鮮な気分にすらなった。
自分にこういう事を言う人間がいたのだな、という、別に気付かなくてもいいような気付きである。
「貴方はどこまでを知っているのですか? 貴方の母からどこまで聞いています?」
「何を、ですか?」
「……まさか何も知らぬと? あぁ、あり得ますね。今となっては過去の事としたい、か。やはり愚かよ」
エリックの父に向けていた冷ややかな目がエリックにも向けられて、そこでエリックは知らず身を震わせていた。
「選びなさい。知るか、知らぬままでいるか」
「何を、ですか」
「闇を」
「えぇ……?」
自分の母も時々難しい言葉を使う事があるけれど、第一王妃のそれは母親とは違って別方向でわからない。
「闇。業。人の醜さ。そういったものが知りたいなら教えましょう」
指折り数える第一王妃に、エリックとて別にそんな事が知りたいわけでは……と言いかけたが。
だが、話の流れを考えればこの話はきっとアリシアに繋がっている。
であれば、知らぬままでいるのはここに来た意味すらなくなってしまう。
「……聞かせて、下さい」
だからこそエリックは。
そっと姿勢を正し、静かな声でそう言った。
――第一王妃の話は、いっそ荒唐無稽とも言えた。
エリックがまだ生まれる前の、昔の話だ。
その頃にはまだ魔物がたくさんいて、魔物から発生する瘴気は人々によくない影響を与えていた。
瘴気を浄化するにも難しく、瘴気に汚染される一方。だがそれは、古来よりある事象でもあった。
それを解決するために、国は伝えられていた秘術を試した。
瘴気を浄化させる聖女の召喚である。
呼び出された聖女は瘴気を浄化した。
魔物の数も減り、人々は瘴気に怯える事がなくなっていった。
役目を終えた聖女は帰されるはずだった。けれどそうならなかった。
帰れなかった聖女は、国に残る事となった。
「その聖女が――私」
言われてエリックは息をのむ。
言われてみれば、確かにそういう雰囲気はあった。人が簡単に触れてはいけないと思わせるような、人の領域を超えた美貌。神の作った芸術品と言われれば納得できただろう。
「国は聖女を取り込みたかった。故に王子と結婚させられた。嫌がる女を無理矢理娶るのがこの国のやり方とは……昨今の蛮族だってもう少し紳士だと思う」
ボロクソである。
だがしかし、内心で多少納得のいく部分もあった。
第一王妃がいるのなら、エリックの母でもある第二王妃はそもそも不要である。
だが存在している。側妃ですらなく、第二王妃として。
聖女を上に置く事で、聖女を蔑ろにしてはいない、というポーズなのだろう。だが第一王妃は執務の大半に参加していない。それをこなすための第二王妃か。実際外交でこの国を訪れた他国の要人の前に出るのは第二王妃であるエリックの母だ。第一王妃が外に出たがらないというのもあるし、聖女の存在を大っぴらにして厄介ごとを引き起こしたくはないという思惑もあるのかもしれない。
「私は元々この世界の生まれではない。別の世界で生きていた。
ある日この世界の連中に一方的に召喚という形で攫われて、お助け下さい聖女様、なんて言われて救済を強要された。誘拐犯を助けてやる義理も義務もありはしないのに、まるで自分たちこそが被害者のように振る舞うおぞましい生き物たちに怖気が走ったわ。
役目を終えた後、帰してくれるのならよかった。けれど帰す方法はないのですって。最低ね。
この世界は、この国は、貴方の父は、私から故郷と家族と友人といった大切なものを一方的に奪ったのだから」
にこり、と笑いながら言っているが、浮かべた表情がそのまま感情であるとは思えなかった。思ってはいけない。
ここででも今は僕たちが家族です、なんて言おうものなら。
きっと彼女は自分の命なんてどうとも思っていない。答えを間違えたら、その瞬間首を掻き切られるのではないかとすら思えた。目に見える範囲にそういった凶器はないけれど、それでも。
「興味があるのなら、今度地下書庫を探索してみるといい。その手の伝承が記された書物が隠されている」
「地下書庫……?」
「あぁ、王家の中でも禁忌とされているらしく厳重に隠されている。私からすれば隠したつもりになっている、と言ったところか。調べた結果、かつて行われた聖女召喚の際は、役目を果たした聖女を帰す方法があったそうだ」
「え、でもそれなら」
「私が帰れないのはおかしい、か」
「はい……その方法が、記録が消えたという事でしょうか」
「そうだな。意図的に消した者がいる」
「それは……」
「当時の権力者だな。当時呼ばれた聖女に恋をした男は、聖女に帰ってほしくなかった。だから意図的に帰す方法を抹消して、帰す事ができないからここに留まってほしい、と」
「そんな……!」
それはなんて、身勝手な。
いや、でも、とエリックは思う。
もし自分が聖女を呼んだとして。
そしてやって来たのがアリシアであったなら。
血のつながった姉ではなく、異世界から来た聖女として出会っていたのなら。
恋に落ちたとして問題はなかっただろう。
そして、そうであるのなら結ばれたいと強く願ったに違いない。
けれどもし、もし断られてしまったら?
帰りたい、と自分が選ばれなかったら。
そうなった時、自分は果たして聖女を帰してあげられるだろうか?
帰る方法がなければ。自分がそばで彼女を支えていけば。
いずれ、絆されてくれるのではないだろうか。
そんな風に考えてしまった。
当時の権力者もきっとそんな気持ちだったのかもしれない。
ここにいるしかない、という状況にしてさえしまえば。
そうすればしぶしぶであろうともなんだろうとも、自分を選ぶしかないのだと。
彼女の意思を無視した押し付け。傲慢としか言いようのない一方的なもの。
「私も同じようなものだ。帰す方法はない、と言われ、仕方なしに留まる。
ただひっそり暮らすだけで良かったのに、王妃の座なんていらぬ枷を与えられ、望まぬ子を産む事にもなった。
知らないでしょうね、私の故郷では政略結婚なんて大昔に廃れていて、当たり前のように恋愛結婚ができたの。それなのに私は好きでもない誘拐犯と無理矢理結婚させられた。
問題は誘拐犯が王族で、周囲はそれを栄誉だと思えなんて言う部分よ。
愚物どもにとっては栄誉であろうとも、私からすれば最低最悪。毎日祈った。明日こそ世界が滅びますようにと。でも、聖女なのにこの祈りは無意味だった」
残念、と心底本気で呟いている声に、エリックは果たして何を言えただろう。
何を言ったところで彼女の怒りを買うのではないか。そう思ってしまって、貝のように口を閉ざす。
「かつての愚物のせいで帰す方法が消されたせいで、それ以降の聖女は皆帰れなかった。ふふ、だが……」
「だが?」
「いや、これは後にしておこう。ともあれ、私はこの世界に思い入れが何もない。好きか嫌いかで聞かれれば間違いなく嫌いだと答えるし、未練になる存在もいない。それは私が産んだ娘のアリシアに対してもだ」
「そんな」
「これでも最初は我が子として愛そうと努力はした。あの男の血が流れているという忌々しい事実があったとしても、それでも半分は私の子だ。だから私なりに愛そうとした。
もっとも、無意味に終わったがな。
あの男に甘やかされて、あの娘もそれを良しとしてしまった。おかげでアレは一人では何もできない娘に成り下がった」
「それは、王女なのだから当然なのでは」
「ふっ、その結果が今きっと地獄を見ているのだ。一周回って喜劇であるな」
「地獄……?」
「私は聖女だ。そしてアレは私の子だ。つまり、聖女の血を引いている。
であれば、アレが何処に行ったのかはおのずと思い浮かびそうなものだろうに。
私の時と同じように、別の世界で行われた聖女召喚によってアレは呼ばれたのだろうよ。
愚物は草の根掻きわけてでも探し出せ、なんて言っていたがこの世界のどこを探したところで見つかるわけがなかろうに。
探すべきは聖女を召喚できる方法が存在する幾多の異世界だ」
「それは……知らせたのですか?」
「何故? 言ってどうなる? 私を元の世界に帰す方法すら抹消して聖女がいる異世界の存在を知りながらも、そちらに行く手段も方法も編み出せていない、それ以外の異世界の存在に気付いているのかもわからない連中に教えたところでどうなる? どうにもならない。
聖女に縋られても、私とて自分の故郷に帰れていないのだ。縋るだけ無駄、というのは理解しているだろう。
今から異世界にアプローチできる方法を編み出すにしても、一朝一夕でできるものではない。それこそ気の長い時間が必要になる。
お前らの寿命が終わる方が先だと思うわ」
その言葉を否定できるものがエリックには見つけられなかった。
「きっとあの子も私の時と同じように見知らぬ世界で見知らぬ人に囲まれて救済を強要され、そしてやり遂げたとしても帰る方法がない、なんて事になれば王家か権力者の家に取り込まれるのでしょうね。
そしてそれを栄誉と思えと言われる。
ただ、あの子は自分で何もできない娘に育てられた。聖女は有能さを求められる。期待されて、それに応えられなければ失望される。
そうなれば、聖女というのは便利な道具に早変わりだ。人権が残されていればいいな?」
アレは私の血を引いているから、私に似ている。
あえて繰り返すように呟かれた言葉に、エリックは頭の中が沸騰するような感覚に見舞われた。
姉が。
自分が慕う姉が。
見知らぬ場所で使役され、あまつさえ帰る事すらできず見知らぬ世界の見知らぬ王族の誰かに無理に娶られる。
第一王妃が辿った道だと言われても、まだその時はピンときていなかった。
けれど、アリシアで想像すればそれは――あぁ、見知らぬ誰かに殺意すら抱けそうだった。
その感情を読み取りでもしたのか、第一王妃は「ふふ」と笑みを漏らす。
「この国とは何の縁もない異世界の王家であっても腐っても王家は王家だ。栄誉に思うといい」
「思えません」
「だろうな」
「護衛なんていたところで召喚されてしまえば一人だ。だからこそ、自分の身を自分で守るためにせめて鍛えておきたかったのだが……まぁ突然殺されるような事にはならないだろうと信じて、人生ハードモードに突入してもどうにか頑張ってほしいところだな」
「まさか、こうなると見越していたのですか……!?」
「私がそうだったのだから、聖女の血を引く者がそうならないという保証はどこにもない」
だったら言ってくれれば……と思ったが、果たして言われたところで父は納得しただろうか?
聖女召喚ができる世界が他にもある、なんて可能性を果たして思い描いていただろうか?
想像できていたのなら、国中を捜索させるだけで済むはずがない。けれど秘密裏に捜索範囲を広げたとして、この世界が限界である。異世界になど捜索範囲を広げられるわけもない。
誰かに連れ去られたとしても、この世界のどこかであるのならいずれ探し出せたかもしれない。
けれどもし、第一王妃の言うように本当に異世界に召喚されてしまったのなら。
最早打つ手などないではないか。本当に無事でいるのかもわからない。生きているのか死んでしまったのかも。
「何、気にするな。そなたの今抱いている感情は、かつて私の故郷で家族や友人も抱いたものだ」
遠回しにするだけ無駄だと言われたようで、けれど心配するなと言われたってはいわかりましたとはならない。
だが何を言ったところで第一王妃には届かないのだろう。それだけは理解できた。
「まぁ、上手くいけば戻ってくるかもしれない。向こうの召喚者が良識ある優しい人物である事を祈ろう」
エリックの父は良識もなければ優しくもない、とこれまた遠回しに言っているのだろうな、と理解はしたが、肯定も否定もできなかった。
「そういえば、似た話は私の故郷にもあった。聞くか?」
「……是非」
聞いたところでどうなるものか、と思いつつも、それでも何か、役に立つかもしれない。そんな風に思ってエリックはこくりと頷いた。
「聖女というよりは天女と呼ばれている存在の話だ。天女は羽衣という布を身につける事で空を飛ぶ事ができた。羽衣のない天女は普通の人と変わらん。普段は地上ではなく天上で過ごし、時折気紛れに地上の様子を見て楽しむ。
そんな天女はある日、地上の綺麗な泉で水浴びをしていた。その光景をうっかり目撃した男がいた。男はすぐに女が天女である事に気付き、天女が脱いで近くの木にかけてあった服と羽衣を隠した。
そうして水浴びを終えた天女が着替えがなくなっている事に気付き途方に暮れているところに何食わぬ顔をして男は新たな着替えを用意して、行く場所がないのなら家に来ればいいと誘った。羽衣がなければ天上に帰れぬ天女は男の言葉に甘え、男の家で過ごした。
男は羽衣を天女に見つけられないよう厳重に隠した。だから天女は帰れない。そうして男と天女は共に暮らすようになった」
淡々と語るそれは、なんとなく異世界召喚されて帰れない聖女を彷彿とさせた。
「ちなみにここから先は諸説わかれる。
ある日男が出かけている間に家の片づけをしていた天女が、隠されていた羽衣を見つける。
男に騙されていたと悟った天女はさっさと羽衣を身につけて天に帰るというものと、羽衣を奪ったのが男だと気付いた天女が帰宅した男を殺した上で天に帰ったというものと。
子が生まれていた、なんて話もあったが羽衣を身につけると地上で受けた穢れは消えるらしく、子の事も綺麗さっぱり忘れて天女は天上へ帰ったとか。
多少の違いはあれど、残った、という話はあまり聞かない」
好きで残ったならともかく、帰りたくても帰れない状態だったのだから帰れるとなれば帰るのだろう。
エリックは異世界でも似通った話はあるのだな……とぼんやりと思った。ただ、その話から今役立つような情報は得られていないが。
「たとえすぐに帰れなくても。諦めてはいけない。かつて帰れなかった聖女たちも色々と調べて、そうして後の者に情報を残した」
「えっ?」
「あの子が呼ばれた世界がどこにあるかはわからない。けれど、帰る道はきっと見つけられる。諦めさえしなければ。私は見つけた」
「えっ?」
エリックにとっては特にこれといって使える情報ではなかったな、と思っていたというのになんだか流れが変わって、すぐに言葉が出てこなかった。
「だから、そうだな。
気が向いたらでいい。伝えておいてほしい」
「誰に……?」
「それは勿論、私の夫となっていたあの愚物にだ」
「何、を……」
「なに、そう難しいものではない」
言いながら第一王妃――聖女はすっと立ち上がった。
エリックはなんだか嫌な予感がして、思わず手を伸ばしていた。けれどその手が届く事はなかった。
すっと身を引いた聖女はエリックの手が届かない距離を確保して、そうして告げる。
「実家に帰らせていただきます」
その言葉が終わると同時に。
「えっ!?」
目の前にいたはずの女は忽然と消えていた。
「伝えるにしたって……全部伝える流れになるじゃないか……!」
とんでもない爆弾を押し付けられた。
えっ、これを報告しないといけないの……!?
嫌だなぁ、と思っても第一王妃が消えた事も知られれば間違いなく大騒ぎになる。
エリックは数秒その場に立ち尽くして。
聖女がいつ帰る方法を見つけたかはわからない。
けれど、その気になれば彼女はもっと早くに帰れていたのではないか。
そう考えると、やっぱりとんでもない爆弾を押し付けられたな……としか思えなかった。
第一王妃が人外かそうでないかは各々の判断に任せます。個人的には人外寄りで書いてる。
次回短編予告
女神の元に異世界の魂が迷い込んできた。あらあらまぁまぁどうしましょう。とりあえず元の世界に戻すにも情報が足りていないわ。でもこのままここに放置もできないし……とりあえず自分の世界で少しだけ過ごしてちょうだいな。
そんな感じで送り出したものの、魂はすぐに戻ってきた。
そして少女の魂は叫ぶ。
次回 その原作本当に大丈夫?
「全然原作通りにいかなかったんですけど!?」




