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『全属性勇者は魔王がいない世界で、殺された勇者の代わりに怒る』  作者: 南蛇井


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10/12

『全属性勇者、偽物のほうが楽だと気づく』

坂上健吾は、ふと思った。


(偽物のほうが、楽だったな)


 理由は簡単だった。


 偽勇者アルディオスは、

 失敗しても誰も死ななかった。


 期待を裏切っても、

 怒られて終わりだった。


(俺は、裏切ると世界が荒れる)


 健吾は試してみることにした。


 少しだけ、偽物になる。


 町で声をかけられる。


「勇者様、水が――」


 健吾は言った。


「今日は気分じゃない」


 それだけ。


 誰も怒らない。


(あ、楽)


 次の日。


 あえて、派手な嘘を言った。


「明日、雨が降ります」


 降らなかった。


「まあ、神様でも外すよな!」


 笑いが起きた。


(外していいんだ)


 健吾は気づく。


 人は、

 正確さより雰囲気を求めている。


 しばらく、健吾は何もしなかった。


 井戸は、誰かが掃除した。

 橋は、村人が直した。


(俺、いなくても回るな)


 ある日、子どもに言われた。


「ねえ、ほんとの勇者?」


 健吾は答えた。


「うん。たぶん」


「じゃあ、なんで助けないの?」


 言葉に詰まる。


(これだ)


 夜。


 健吾は思った。


(偽物は、期待を調整できる)


(本物は、期待を下げられない)


 翌朝。


 健吾は名乗った。


「俺は、元勇者です」


 誰も困らなかった。


 役所は困った。


「責任が――」


「ありません」


(そこは強気)


 健吾は、

 “何もできない人”として暮らし始めた。


 それは、かなり楽だった。


 でも。


 井戸の水が濁ると、

 手が動きそうになる。


 健吾は止めた。


(やらない勇気)


 全属性勇者は、

 本物であることを一度、置いた。


 偽物のほうが、生きやすい世界だった。


 それでも、

 心の奥で、少しだけ、胸が痛んだ。

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