『みじかい小説』064 / 団地の橋本さん
ゴミ捨て場でかがんで何やら手を動かしている人物がいるかと思えば、隣に住むばあさんだった。
「おはようございます」と挨拶をされたので軽く会釈をすると、それ以上は会話が続かず、再び作業に戻ってしまった。
朝から他人のゴミを漁ろうだなんて、物好きというか何というか。
人助けをしていい気になっているのだろう。
おめでたいことだ。
8時をまわり、家の外がにわかに騒がしくなる。
この団地の前に送迎バスが止まり、家々から園児とその親が出てきているのだ。
子ども特有の甲高い声と、主に母親であろう、こちらも独特のきんきん声がこだまする。
まったく、朝からうるさくてかなわん。
俺はリビングのテレビの音を大きくし、全神経をそちらに集中させる。
そこへ、ピンポーンとドアのチャイムが鳴った。
玄関口に出てみると、「地域見回り隊」の葛西さんだった。
40代で小太りの葛西さんは、いつも何かお菓子を持って現れる。
今日も小さなビニール袋に色鮮やかな今時の菓子をいくつか入れて、それを玄関の飾り棚の上に「これ、いつもの」と前置きをしてからそっと置いた。
「どうですか橋本さん、なにか変わったこと、ありましたか?」
俺は女のきんきん声は苦手だが、葛西さんの比較的低い声は、飾らない感じがして好きである。
「何も変わらんよ。起きて、ご飯を食べて、洗濯物を干して。それからはすることもないからテレビを見ているよ。たまに図書館に顔を出すこともあるがな」
俺はそう言って葛西さんの手元を見つめた。
葛西さんは、バインダーに止められた書類に「変わりなし」と大きな文字で書いていた。
「もうすぐ、奥さんの命日ですね」
葛西さんがぽつりと言った。
「そうだなぁ。甘い物が好きだったから、スーパーかどこかで何かいいものを見繕ってこようと思ってるよ」
と、俺は部屋の奥にある仏壇の方へ体を向けて言った。
「それはいいですね、きっと喜ばれますよ」
ありきたりな感想だが、今はそれがありがたかった。
葛西さんを送り出し、俺はひとり、仏壇の前へ腰を下ろした。
妻は五年前にがんで死んだ。
75歳だった。
いつ頃からか、いつそちらに行くのかな、明日か、明後日か、あと一年あるかな、ないかな、などと妻に語りかけるようになった。
こんな老後になるとは思ってもみなかった。
こんなにさみしいとは思わなかった。
でも、俺、最後まで頑張るから。
見ててくれな。
と、今日も手を合わせて祈っている。




