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顔面で殴る皇女様ズ  作者: 月森香苗
ドラスニト王国編

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54 「生きた人形と呼ばれる皇女」①

 ドラスニト王国は帝国の北西に位置し、冬は雪こそ降れど夏は南部よりも涼しい国である。

 現国王ゲルディオ=ドラスニトが治めており、王妃ファリナセアとの間にはただ一人の王子グランヴィルのみだけ。しかし、国王は貴族達がどれだけ奏上しても側室を持つことはなかった。

 ゲルディオには異母兄のヴォルグがいる。彼は成人すると直ぐに臣籍降下し、大公位を授かった。

 先王の側室の子ヴォルグは先王の正妃にして現王太后イゾルデに疎まれて育った。

 元はイゾルデが婚姻後三年経過しても子を孕まかなったからこそ、慣例として側室を娶る事になったのだが、イゾルデは夫の裏切りと感じたようで、ヴォルグの母はヴォルグが十三歳の時に毒殺された。

 王太后イゾルデは権力欲が強く、元は一貴族の娘でしか無かったのだが、王妃となった事で箍が外れたのか、それとも元々の気質か、国は己の為にあると考えていた。

 我が子のゲルディオと孫のグランヴィルはイゾルデにとって所有物であり、特にグランヴィルに対しては溺愛と言っても過言ではないほどの愛情を注いでいた。

 故に、宗主国たるアンザス帝国の皇女ルピナスが正統な王子グランヴィルではなく、己が疎ましく思うヴォルグの子、ジェレミーの婚約者になった事は非常に不満でしか無かった。


 イゾルデは王族として生まれ育った訳ではなく、また、あまり他国には興味を抱かなかった事もあり、帝国と属国の関係を正しく理解していなかった。

 故に、イゾルデは何れ大公家に降嫁するルピナスは王族のイゾルデよりも下である、と判断していた。

 この時、この考えをせめて国王ゲルディオが聞いていれば、最悪への道を進むことにはならなかっただろう。


 帝国は皇帝トラディアスを頂点としているが、皇后、皇太子、皇子、皇女なども絶大な権限を有しており、属国の王族に頭を下げる必要はない。

 それは嫁いでからも変わらないこと。

 属国は所詮属国である。

 間違えてはならないのに、イゾルデはその初歩的な知識が欠片も無かった。それがどんな結末をもたらすのかすら、きっとイゾルデは考える事もしなかったのだろう。





 ドラスニト王国の中で最も帝国に近い南東部にダーレン大公領はあった。

 元は別の貴族が治めていたのだが、王太后がヴォルグに不遇な環境を与えたいからと最も王都から離れた土地を与えたのだ。

 とは言えど、貴族の領地替えは簡単に出来るものでもなく、水面下で現王家へ思う所のある貴族達が結託し、帝国に近い土地になるよう操作した。

 王太后イゾルデは決して王都から出ない。そこが彼女にとってのまさに楽園であるからだ。自分を褒め讃える者達に囲まれ、支配し洗脳した国王(息子)を操り、孫でただ一人の王子であるグランヴィルを溺愛した。

 とは言え、王位継承権は一人だけなんてことは有り得ず、王族の血を持つ疎ましいダーレン大公子息ジェレミーにある事は不満だった。

 これに関しては流石の国王もジェレミーから取り上げるなど出来なかったし、そこまで愚かにはなれていなかった。



 ダーレン大公子息ジェレミーの婚約者、アンザス帝国第四皇女ルピナスが結婚式を半年後に控えたその日、大公領へと到着した。

 城は確かに大きいものの華やかさとは無縁で、ルピナスには好印象だった。



「素敵です」

「お気に召して貰えたなら良いのですが」

「私、あまり華やか過ぎるのは好きではないのです」


 権威を見せる為に華やかにするのは当然の事だろう。皇城は帝国で最も優美な城として長い間存在していた。しかし、ルピナスの離宮はそれとは逆にどちらかと言うと質素な方であった。

 図書館程とは言わないまでもかなりの蔵書を有するルピナスの離宮は、本が傷まない工夫が施されていた。

 唯一華やかな場所は衣装部屋だったのではないかと思っている。ルピナスの見た目に合わせたドレスはどれもこれも淡く可愛らしい色ばかりで、しかも動きやすさは度外視。叶うならばコルセットから解放されて楽な格好で本に没頭する日々を過ごしたいくらいであった。


 城に着いたルピナスを出迎えた大公夫妻とジェレミー。大公夫妻はルピナスに向かい最敬礼を送り、それをルピナスは当然のように受ける。

 今この段階においてルピナスはジェレミーの婚約者ではあるものの、帝国皇女として立っている。

 皇帝、皇后、そして皇太子以外に対して皇女が公の場で頭を下げる事は基本的にはない。それだけの力が帝国にはある。

 ただ、私的になるとそこはある程度自由である。

 城の前は公の場であるが、サロンのように室内にいる人間の数が限られ、人の目も減ると私的な空間に変わる。


「改めまして、アンザス帝国第四皇女ルピナスです。ダーレン大公、並びに大公夫人。是非とも私を名でお呼び下さい」

「大変光栄に存じます。ヴォルグ=ダーレンにございます。そしてこれが妻のシランにございます。どうぞ良きようにお呼び下されば」

「ありがとう。では、外ではお名前で。内では、お義父様、お義母様とお呼びしても良いですか?ジェレミー様のご両親で、半年後には私の義父母になりますから」


 長兄の妻になった皇太子妃アヴェリーヌは婚約者時代から私的な空間では、皇帝や皇后を義父上、義母上、と呼んでいたのでそれが普通だとルピナスは思っていたのだが。

 驚きに目を見開く大公夫妻に間違えたかしら、と随分と背の伸びたジェレミーを見上げる。隣に立つ彼は苦笑しながら「父上、母上、ルピナス様が戸惑われているよ」と声を掛けた。


「皇太子妃アヴェリーヌ様がまだ婚約者の頃にお父様とフィオレンティーナ様をそのようにお呼びしていたのです。ですから、婚約段階の時点でそうお呼びして問題ないと思っていたのですが……」


 ただ、アヴェリーヌはかなり自由奔放な人なので、彼女を常識の軸にするのは間違えているかも、とルピナスも薄々は感じているのだ。

 何せ、彼女は男装の麗人で長兄よりも女性人気が高い。

 義姉アヴェリーヌの生家はまさにこの大公領と接している。この国に入る直前、宿泊させてもらったのは西の辺境伯家であり、あの義姉の両親と言うべき自由な人達であったと思い出した。


 帝国の皇太子妃がそうしていたと言うのであれば、と頷いた大公夫妻は小柄なルピナスに柔らかな笑みを向ける。


「是非そうお呼び下さいませ。嬉しゅうございますわ」


 にこりと微笑むシランにルピナスはほっとした。



 暫くの間、取り留めも無い話をしていたのだが、そろそろ頃合か、とルピナスが扇子を口の前に広げた。


「人払いを」


 普段、人前ではどこかぼんやりと振る舞うルピナスの少しばかり鋭い言葉に、ヴォルグは頷くと手を振る。それだけで一人の男性以外は全員部屋から出ていく。

 室内に残るのは、ルピナス、大公夫妻、ジェレミー、ルピナスの護衛のトリシャ、そして残っていた男性。


「これは私の腹心の従僕ですので同席を許していただければ」

「勿論です」


 ルピナスは手首につけている華奢なブレスレットに付いている石に触れる。これはゾルダ王国に嫁いだ二番目の姉から贈られた魔導具で、収納の魔法が込められている。ルピナスにしか使えないように設定がされていて、この中に一冊の本だけが入っている。


「ルピナス様、それは?」


 何も無い空間から現れた本にジェレミーが問えば、ルピナスはページを捲りながら答えを告げた。


「これは私の魔導書です。ここに描かれているのは魔法陣。そしてこれから室内に結界を張ります。何処に耳があるかわかりませんから」


 防音の効果が加えられた結界の魔法陣に魔力を流し入れると、ほのかに光る透明な壁が室内に広がる。

 ドラスニト王国ではまだ魔法が一般的ではない。初めて目の前で見たというのもあり、ドラスニト王国の四人は驚きの顔をしていた。その中で一番最初に表情を取り繕ったのは従僕であった。使用人の鑑である。


「これで問題ありません。ですが、長々と籠っているのも良くないですね。まず、皇帝陛下よりダーレン大公への伝言を預かっております」


 黒のトレッラは赤く染まり、青のトレッラは籠の中。

 レルラーガは青空を飛び冠を戴く。


 トレッラとはドラスニト王国の伝承の鳥で、王家の紋章に描かれている。青のトレッラとは国王を示し、黒のトレッラは王太后を示す。

 そしてレルラーガとはダーレン大公家の紋章に描かれた鳥。

 つまり、王太后は斬首刑、国王は幽閉せよ、ダーレン大公家が新たなる王となれ、という命令である。


「……赤に染めますか」

「ええ。王の血を持たぬものによる専横ですから。慎まやかに隠居しておけば良いものを、未だ権力を持ち振るう事を陛下は不快に思われています」

「ルピナス様は次期王妃になっても良いのですか?忙しくなれぱ本を読む時間が減りますが」


 前々から密約を結んでいたダーレン大公は頷く。その正面、ルピナスの隣に座っていたジェレミーはまた別の心配事を彼女に問い掛けたのだが。


「問題ありません。今のままの方が恐らくは面倒事になるでしょう。ドラスニト国王は王子の婚約者に私を、というのは諦めましたが、王太后は諦めていませんからね。国の為にも、私の平穏の為にも、一度綺麗にした方が良いです」


 それに、この国程度の王妃ならば問題なく務められる。という言葉は流石に口にはしなかった。

 皇女教育を修了している以上、どの国の王妃にだってなれる自信はある。


「王太后は不要です」


 国という大樹に巣食う害虫は排除しなければ。

 小柄で可愛らしいルピナスは軽く首を傾けてにこりと微笑んだ。

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