20 「雪の王」と「夜月の女王」②
ほのぼの朝食の話
ゾルダ王国は魔法があった時代には純度の高い魔晶石が取れる事や、多くの魔道具が生み出されていたことから大きな国であった。しかし、神の手により魔力は失われ、魔晶石があっても使えなければ意味がないと人々は新たな土地へと移り住んで行った。
そしてゾルダ王国は雪に閉ざされた国となった。
――城の屋根がどこも傾斜がついているのは雪が積もらないようにしているのね。
ぱちぱちと薪が燃える音を聞きながらトレニアは目覚めた。カーテンは厚みがあるのだが、それは日差しを避けるためではなく冷気を出来るだけ遮断する為だとこっそり教えてくれたのはジャスミンだった。
目が覚めても本来ならばそこから起き上がったりはせずに侍女を待つのだけれど、部屋の中は温もっていて、今は帝国ではなく嫁ぎ先予定の王国の客人で、監視する人間がいないから、と少しだけいつもと異なる行動を選んだ。
とは言えども、精々ベッドから降りてベッドから近い椅子の背に畳んで掛けてあるストールを肩から掛け、カーテンを少しだけ開いて外を眺める程度だ。
皇女という立場はある程度の自由な振る舞いを許す代わりに、かなり制限された行動を求められる。
ほんの些細なことだけど、朝起きても枕から頭を離すのは侍女が入室してからでなくてはならない、とか、自室の椅子ですら自分の手で引いてはならない、とか。
カルミアなどは、厳格な皇城筆頭侍女長に力でもって「わたしの離宮でぇ、わたしが好きに動くのを邪魔するのはだぁめ♡」と教え込んだらしくその慣例は無視したけれど、トレニアは受け入れて生きてきた。
だけど、ゾルダ王国に嫁げば雁字搦めの生活では無くなるだろう。
使用人の数は少ないそうで、王族と言えども冬の雪深くなる日には自分でドレスを着なければならないのだ、とジャスミンは教えてくれた。
「雪羊の毛から取れたドレスが気になるわ」
ふふ、と笑いながら昨日よりは雲が厚くなった空を見上げる。
雪羊は雪ノルシェと同様にゾルダ王国特有の進化をしている。モコモコとした毛はより密になり、もう少しだけ暖かくなったら毛を剃るが、普通の羊の倍の量は取れるのだとか。
ゾルダ王国はかつての繁栄を示すように広い土地の中に王城ほどとは言えなくとも領主の城などかいくつもあるけれど、人が住んでいない場所の方が多い。
動物はそんな広くて、適度に人が分散した土地を上手く利用して生き残っているのだろう。
カルミアが嫁ぐ南の辺境伯領よりも更に南に広がる森から出てくる大型獣はここでは生きていけないわね、と笑ってしまう。
「トレニア様!申し訳ございません。遅くなりました」
「ねぇ、ジューノ。ここは帝国ではなくて他国だわ。ワタクシは客人で、いずれはここに嫁ぐわ」
「左様にございます」
「少しだけ、こちらの流儀に沿ってみたいの。目が覚めたら自分で起き上がってベッドから降りるの。今日の天気はどうかしら、とカーテンを開いて。ここにいる間だけ、そうするわ」
「トレニア様のおっしゃる通りに」
「ふふ。でも、目覚めの紅茶はジューノのいれたものでなければ嫌だわ」
「当然でございます。姫様のお好みはこのジューノが一番存じておりますので」
暖炉に近い椅子に腰掛けると、ジューノは手早く目覚めの一杯の紅茶の支度をする。
「ねぇ、ジューノ。暖炉だけとは思えない暖かさなのだけれど気の所為かしら」
お茶を飲んでほっこりとしていたトレニアは、客室の中で最も良い部屋を宛てがわれていたのだが、暖炉だけでは説明出来ない温さがあった。
ジューノは侍女としてきているが、上級使用人であり、更に帝国において伯爵家の身分を維持している為、ここでは使用人用の部屋ではなく客室を与えられていた。
トレニアと同じ階の部屋は恐れ多いと断るジューノにトレニアから「貴方がいてくれたら心強いわ」といって受け入れさせた。
王国側の気持ちもわかるのだ。正直に言えばジャスミンよりもジューノの方が所作か洗練されている。しかしそれは当たり前の事でジューノはトレニアの傍で最高の教育を見てきたし、皇女に恥をかかせてはならないと常に自信を戒めている。
「私の部屋もです。ですから、この城の使用人に聞いたところ、ここの客用の棟の壁や床には管が巡っていて、一日中地下で火を熾し温めた湯を巡らせているそうです」
「一日中火を熾すなんて出来ることなの?」
「姫様、恐らくこの仕様は姫様の馬車と同じかと」
「ああ、なるほど。魔道具ね。生活用の魔道具ならば、平和的な利用だわ」
戦争にすら利用されてきた魔道具は厳重な管理の元、封じなければならないけれど、ゾルダ王国のような場所で暖を取る為の魔道具までは規制されない。
客用のこの棟にしか使っていないのは外から来た客がこの環境に慣れていないからだろう。
「遺物の力は凄いわね。まあ、あまり考える事はやめましょう。ワタクシ達は快適な朝を迎えられたのだから」
「はい」
王族からして分かるが、この国の人は善良だ。過酷な環境だからこそ調和は維持されている。
「今日は何をするのか、楽しみだわ」
ここに滞在している間、ベイセルがもてなしてくれる。何をするかは天気次第なところがあると言われていたので厳密なスケジュールが無い。
帝国では一日の動きは決められていた。それに合わせて使用人が動いていたが、こちらではそんなことは無いと言う。ある程度の予定は立てていても、天気が悪くなれば外に出られなくなることもあるというのだから。
朝食が部屋に運ばれてきた。王族は揃って食事室で食べるそうだが、トレニアは賓客であり、普段から一人で食べるのにも慣れていたのだが、今日は違う。
「トレニア様、おはようございます」
「ベイセル様、おはようございます」
「昨晩は眠れましたでしょうか?」
「ええ。とても暖かいお部屋でしたのでぐっすりと」
ベイセルが同席してくれるのだと言う。普段通りの格好をして欲しいと願った通り、気崩しているベイセルはシャツにトラウザーズ、それから柔らかそうな毛糸で編まれた羽織ものを着ていた。
トレニアも室内用のドレスでコルセットはつけておらず、ゆったりとした格好をしている。化粧などはもちろんしているけれど、ここまで寛いだ姿を侍女や妹以外に見せることは無いので新鮮な気持ちであった。
「我が国はパンのこだわりが強いのです。トレニア様のお気に召すものがあれば良いのですが」
王城の侍女がテーブルに食事を並べ、中央には様々な種類のパンが並んでいた。
ゾルダ王国の食事でパンだけはこうして籠の中に盛り合わせて好きな物を選ぶ形式となっている。残ったものは使用人達の食事になるので何を選んでも良い。
「生地に、練り込ませているの?」
「はい。それだけでなく、パンの中にチーズを閉じ込めたものや、汁気を飛ばしたシチューを閉じ込めたものなどもありますよ」
「まあ!シチューを?」
「ええ。ジャスミンやモーゼルなどはそれが出た日は特に楽しそうです」
他国では下品と思われるかもしれないが、ゾルダ王国では体の中から温める事が何よりも大事で、外に出る時は冷めにくい具材を閉じ込めたパイなどは必須だった。
「この国の食事は決して洗練されていません。帝国のように芸術的な盛り付けも出来ません。ですが、体だけでなく心の芯まで温まるような食事の自信がありますので、少しでも気に入ってくれると嬉しいです」
ベイセルはそういうと、籠からパンをひとつ手に取った。
彼のことを好ましいと思うのは、こうした時に触れる彼の誠実さだ。皇女が来た時だからと見栄を張らない。ありのままを見せるその誠実さが信用出来た。
トレニアは手を伸ばす。給仕の為に控えていたジューノが動こうとしたのを止めた。
「ベイセル様がされてるのだもの。他の方も自らの手で取られているのよね?」
「はい。ですがトレニア様は取ってもらった方が」
「ワタクシ、これから先、貴方の妻になるつもりでここに来ましたの。それは何もここの気温を体感する為だけではありませんわ。ここでのやり方を知り、触れ、実際に行う為でもありますの。ですから、パンは自分で取れますわ」
袖を押さえて籠からパンを一つ取る。丸い形で何かが練り込まれている。半分に割ってみれば断面からそれが何かがわかった。
「あら、これはクルミかしら」
「そうですね。クルミ入りのパンはあたりですよ。バターをつけて食べるのがおすすめです」
「ベイセル様は……それは何を?」
「正餐の場では出来ませんし、これは平民の食べ方に近いのですが……パンに切れ込みを入れ、そこにサラダとこの豚肉の腸詰を焼いたものを挟んで食べるのが美味しいのです」
ベイセルはトレニアから見ても繊細で優美な見た目の男性だが、見た目に反して豪快らしい。
大きく口を開いて挟んだパンをパクリと食べる姿におもわず笑いが込み上げてくる。
宮廷での晩餐会に参加すると貴公子達の所作は洗練されている。それが普通であったが、それを見て美味しそうにも思わなかった。
ベイセルが食べているものはどうだ。何だかとても美味しそうではないか。
「美味しいですか?」
「ええ。ですが、トレニア様は駄目ですよ」
「あら、何故?」
「淑女が人前で大きく口を開けてはいけないでしょう?ジャスミンですら、自室での食事の時にしかしていませんよ」
「あら、そうですのね。わかりましたわ」
つまり、一人の時ならご自由に、ということだ。
ゾルダ王国はかなりおおらかな国らしい。トレニアは皇女なのだからと止めない。ベイセルはトレニアがしたい事で危険でなければ止めないようだ。
「寒い国では煮込み料理が発達します。トレニア様、是非わが国の料理を堪能してくださいね」
「分かりましたわ」
トレニアは帝国で食事も厳選していた。美貌の為に徹底していたのだけれど、ここではそれを放棄する。
目の前にならぶ食事は温かくて、とても美味しそうだから。
豚肉の腸詰をナイフで切り分け、口に運ぶ。ぷりぷりとした食感がたまらなく、肉汁も溢れてくる。
「美味しい」
神の加護から毒殺の心配はなくても、やはり調理場から食事室までは距離があって冷めていることなど当たり前で、晩餐会ともなれば冷えきっている。温かいものを暖かいままに食べられることがどれだけ幸せな事か。
「困りましたわ。こんなにも美味しいと太ってしまいますわ」
頬に手を当てて憂いを顔に乗せたトレニアに、ベイセルは冗談かと笑っていたが、トレニアは本気だった。
だって美味しいのだ。一人の時は部屋で出来る運動は欠かさないでおこうと決意するくらいには。
ゾルダ王国ではパン文化が発展してますが、料理も割と発展してます。
実はこの国、かつての大国時代に魔晶石の産地だったことから魔道具が発展して、でも北国なので寒いからと地下を掘ったりして、そこでほそぼそと地下栽培してる物もあります。
ハーブなんかは家で育てたりしているし、テンサイから砂糖を作るのもしています。
ただ、それが特別な事とはまったく誰も思っていないので砂糖を当たり前のように使っていてトレニア驚きます。
ゾルダ王国は砂糖よりも塩の方が貴重。海に接してないし山には行けないし。塩が欲しい。
なお、ゾルダ王国では砂糖を砂糖とは思ってなくて、甘い粉って感じです。煮詰めて乾燥してできる甘いヤツ。みたいな感じ。
これに関しては次かその次あたりで書いておきたい。
トレニアの口調が崩れていきます。




