19 ゾルダ王国①
第二皇女トレニア、婚約者の国へ行く。
的なお話です。
ゾルダ王国の宮殿はどこか浮ついたような、落ち着かないような空気が流れていた。
それと言うのも、王太子であるベイセルの婚約者となったアンザス帝国の第二皇女トレニアが訪問するからだ。
一番落ち着いていないのはベイセルだが国王も王妃も、ベイセルの弟妹もそわそわとして誰もが冷静ではなかった。
「帝国の皇女殿下を迎えるのに地味ではないか?」
「トレニア皇女と言えば流行の最先端を行く方ですわ。流行遅れどころか古臭いドレスと思われないかしら」
「お兄様!トレニア皇女様は甘いものは好きかしら」
「胃が痛い」
王族でこれなのだから、使用人に至っては緊張が過ぎて無の顔になっている。
ただでさえ他国との交流などほぼ無く、外交などでどこかの誰かが来るなんてことの無いゾルダ王国に皇女が来るだけでこの有様だ。
ベイセルは落ち着かない様子の家族を見て少しだけ冷静になった。
狭い国なものだから、出来るだけ血が濃くならないようにとはしているものの、大体みんな顔が似ている。一応は遠縁同士に当たる両親もどこか似ているし、ベイセルと弟妹も勿論似ている。
白銀の髪の毛にアイスブルーの目という雪国で更に寒そうに見える色合いが固まっていて、果たしてトレニアは驚かないかとちらりと考えた。
だが、考えること自体無駄だなと直ぐに切りかえた。トレニアの気持ちや考えは彼女にしか分からない。だから聞けば良いのだ。
トレニアは聞けば答えてくれる人で、話したくない事は話したくないと伝えてくれる人というのはもう分かっている。
帝国に足を運び二人の時間を過ごす中で知ったのは、彼女は確かに妖艶な魅力のある人で、本人もそれをよく理解していると言うこと。会話を好み嘘は必要な時にしか吐かないこと。案外寂しがり屋なこと。
伝令が城に着いたのは緊張が最高潮となるかどうかの頃で、後一時間もすれば到着するとの事であった。
国土としてはそれなりの広さがあっても人が住める場所は限られているゾルダ王国は国境付近こそ帝国との往来はあれども王都となると慣れた商人が来るかどうかの場所で、果たして出迎えはどうすべきかなども家族で話し合った。
王族ではあるが、雪が深くなると城から出ることはまずなく、恐らく他国に比べてもかなり緩い自信がある。
暗殺などまず起きない。何故って、この国の王は正直なところあまり魅力的ではないからだ。国としても侵略しようと考える場合、山脈に囲まれてるので踏破せねばならず、唯一開けている場所は帝国と接している。
第一、暗殺者だって命がけの仕事になる。使われてる部屋以外は基本的に寒い。暖かい部屋には人が常にいる。どこかに隠れようとしたならば凍死するかどうかの瀬戸際。
そんな仕事をしたいものなど物好きだろう。
まあ、過去に数名ほど凍死したらしいが。本当に恐ろしいのは人間よりも無慈悲な自然である。
手に入れる価値もないと思われるような国だが、トレニアが選んでくれた事をベイセルは幸運だと思っている。
王族五人と使用人が城の前にて待つ。今日は珍しく晴れていて空の青さが眩しい程だ。帝国皇女を迎えるには最適な日である。
これから三ヶ月ほどトレニアはゾルダ王国に滞在する。何も知らないで嫁いで来るよりも、実際に体験してみたいとの事だった。
皇女の来訪並びに滞在の事もあり、帝国からは荷馬車三台分の食料の支援があった。保存が効く物が主だが、中にはこの国では作ることが出来ない作物もあるという。
ゾルダ王国の主食は麦と芋でパンの種類は豊富だった。小麦もライ麦もどちらも育てていて、平民でも白パンは家で焼いていた。パン焼き用の竈は各家に当たり前のようにある。無ければ冬を越せない。
他国とのやり取りが少なすぎるものだから、ある意味国内で完結していたのもあって税金は他国に比べて安い。他国によってはパンを共同の竈で焼くようになっていて、その竈使用に税金がかかっている、何て知ったらこの国の民は驚くだろう。
皇女専用の馬車だと一目でわかった。扉には帝国皇室の紋、その両側にはトレニアの花が描かれている。窓には重厚なカーテンが掛かり中が見えないようになっているが、この馬車は古代の魔道具だとトレニアから聞いたことがあった。
騎士の内、女性の騎士が馬から降りて馬車に向かう。ベイセルも逸る気持ちを抑えながらその騎士の反対側に立って待った。
扉が開き、手を差し出せばほっそりとした手が重ねられる。
寒さ対策の為の毛皮のコートは踝を隠せるほどの丈で、やや赤みを帯びた茶色の毛皮は狐だろうか。ボリュームがあって目立つのに、それよりもトレニアの顔の方が際立っていてベイセルは家族がぽかんとしているのを確認して笑いを堪えた。
「お久しぶりですわ、ベイセル様」
「お越し下さりうれしく思います、トレニア様」
「とても楽しみにしておりましたの」
ふふ、と笑うトレニアの手を引いて家族の前に着くと、トレニアは微笑みながら彼らを見た。
「ごきげんよう。ワタクシはアンザス帝国第二皇女トレニアですわ。この度は三ヶ月の滞在を許して下さり感謝申し上げます」
「我が国への来訪、心より歓迎申し上げます。ゾルダ王国国王セルゲイにございます。こちらは王妃のドラセナ、王女のジャスミンと第二王子のモーゼルでございます」
「ご丁寧にありがとうございます。ジューノ」
挨拶を交わし終えたトレニアが彼女の傍に控えていた侍女の名を呼ぶ。髪の毛をきっちりと纏めた彼女はその手に丸めた羊皮紙を持っていた。
「こちらはこの度の来訪に際し、帝国皇室より感謝の品にございます。どうぞお受け取り下さいませ」
ずらりと品目が並ぶそれは目録で、大きな幌がついた荷馬車三台分ともなればいっそ壮観であろう。
「こちらの気温のおかげで、野菜などもありますが傷むことなく運べましたわ」
野菜の鮮度を維持するならばやはりそれなりに涼しい方が良い。この国では箱に詰めて外に出しておくだけで充分で、寧ろ凍らないように処置しておく事が大事な程だった。
「中に入りましょう。今日は晴れているとはいえ、トレニア様には慣れぬ気温。中は暖かいのでご安心下さい」
「ええ、ありがとう」
ベイセルを見上げるトレニアの顔は帝国で見る時よりもどこか楽しげでベイセルも自然と笑んでいた。
ゾルダ王国の王女ジャスミンは目の前にいる「夜月の女王」のような美しすぎる皇女を見てうっとりとしていた。所作の一つ一つが洗練され、カップを持つ指すら全てが完成されていた。
ジャスミンは商人がもたらす他国の話を聞くのが好きだった。特に帝国の四人の皇女様は憧れの存在で、いつかは帝国へ赴いて少しでもお姿を見られないかしら、と夢見た事もある。
それがどんな運命か、その内の一人が兄の婚約者となったのだ。
正式に決まった日は誰もが混乱した。何故ゾルダ王国なのか、と。ジャスミンはこの国が好きだが、それとこれとは別で、帝国なんて大きすぎる國の皇女様が嫁ぐにはあまりにも貧しい国であることは分かっていた。
「ジャスミン様、ワタクシの顔に何か付いてるかしら?」
「い、いえ!皇女様が美しすぎて、その……ごめんなさい、上手くいえなくて」
「いえ。揶揄ってごめんなさいね。それから、ワタクシのことはトレニアと呼んでくださいな。いずれは家族になるのですから」
ひょえ。
声に出さなかっただけジャスミンは頑張った。雲の上の虹のようなひとが未来の姉になる。その事実がとてつもなく現実味を帯びて、夢のようだった世界が一気に近寄ってきた。
ジャスミンはどちらかと言うと粗雑なタイプだ。城の中はそこそこに寒くなるので暖めた部屋に早く帰ろうと足早になるどころか走ってしまうことはあるし、あまりにも他国との交流が無さすぎて取り繕うなんてことをしてこなかった。
何なら刺繍とかよりも狩りの方が好きで、弟に変わってジャスミンが冬を迎える前の狩猟に出るほどだった。腕前的には達人とは言わないけれども、それなりの成果を残してきた。
そんな王女としては如何なの?と言われかねないジャスミンは、淑女中の淑女たるトレニアを前にして「私って、猿では?」と思わずにはいられなかった。
団欒室の暖炉が部屋の中を温めている。
今ここには五人の王族とトレニア、それからトレニアの侍女のジューノと女性の護衛騎士がいる。
侍女のジューノは伯爵令嬢との事だが、ジャスミンよりもやはり洗練されていて、二人が並んだらジューノの方が余程王女らしく見えるだろう。
「トレニア様、こちらに来るまで寒かったのでは?」
「そうですわね。初めて体験する寒さでしたが、空気がとても澄んでいると感じましたわ」
「空気ですか?」
「ええ。帝国は人が多いので生活しているだけでも様々な匂いは出ますし、土煙は勿論、鍛冶場からの煙なども城下には広がっておりますわ。そこで生まれ育って来たのでそれが当たり前でしたが、こちらに来て違いに気付きましたの」
ジャスミンはトレニアの言葉に耳を傾ける。両親は特に口を出すこと無くみまもる事に徹していたので、会話で時折相槌を打つ以外はにこやかに見守っていたので、会話の主体はトレニアとベイセル、ジャスミンにモーゼルだった。とは言えど、モーゼルは恥ずかしいのか照れているのか、顔を赤くしてモジモジとしていたが。
「ああ、分かります。私も帝国へ赴いた時、人が活発な場所はこんなにも色々な匂いがするのかと感じました」
「でしょう?この国では外で調理は難しいでしょうが、帝都の城下では屋台が出ていて様々な匂いが広がっていますの。それらがなくて、とても静かで息をすると胸の奥まで綺麗になる気がしましたの」
トレニアはそっと胸を押えて目を伏せた。
黒のドレスを着ているのに重苦しくないのは銀の刺繍が美しく施されているからか。こちらでは暖房として暖炉の火を絶やさない。その為、廊下の移動の際には羽織物こそ必須だが、部屋の中ではそれなりに薄着になる。
トレニアも知っていたようで、外出用の厚手のドレスとは違っているように見えた。
「三ヶ月が過ぎて帝国に戻ったら、きっと匂いに驚いてしまうわね」
目を開けてくすくすと笑うトレニアは何故だろうか、妖艶なのに可愛らしく見えて、ジャスミンの心はドキドキが止まらなかった。




