18 公爵令息バルグス②
離宮にあるガゼボは静かな場所にあった。カルミア皇女は庭園に強いこだわりがないので庭師に委ねていると言っていたが、変に手を入れすぎていない所は居心地が良かった。
食休みも兼ねている為か、備え付けられたテーブルには敢えてお茶の用意などはない。
ローゼルを座らせたバルグスは彼女から一人分離れた場所に座る。侍従や侍女は少し離れた場所に控えているのだろうが姿は見えない。
「あの、バルグス様。お伺いしたい事があります。よろしいですか?」
「ああ。何でも聞いてくれ」
ローゼルの話し方は柔らかいけれどそれだけでは無い。芯がしっかりとしていて強い信念を感じていた。
バルグスにとって女性とは二種類いた。守らなければならないか弱い女性と守らなくても自ら戦う力を持つ女性。バドシュラ辺境伯領には戦うものが集まり、その中には女性もいた。彼女達は男にはなりたい訳ではなく、女である事を誇りに思いながら戦いの道を選んだ。
ローゼルにはそのどちらも持ち合わせているように感じていた。
「わたくしは母国ショモナ王国の第一王子と婚約関係にありました。魅了の魔道具により第一王子の心は操られ、わたくしは、その間ずっと『つまらない女』『冷たい女』『表情を変えない人形の様な女』と言われておりました。本心かどうかは分かりませんが、真実でもあると思います。そんな女でも、よろしいのですか?」
言葉を選びながらも彼女が見せたのは不安な心情。そんな事をずっと言われていたのであれば確かに不安にもなるし恐ろしくもなるだろう。しかし、バルグスには全く理解出来なかった。
「それは淑女教育の成果だろう?我が母は行儀見習いの令嬢に淑女の教えを施しているが、いずれも基礎ではないのか?」
「ええ。男性に語るのは恥ずかしいのですが、わたくしが学んだのは、何時いかなる時も表情を変えない事、ですわね」
「うむ。特に貴方は王家に嫁ぐ予定ならば当然の事だ。感情的な妃ほど国の損失を生み出す。貴方は自分の役割を理解していたからこそ、表情のコントロールをしていたのだろう?」
バルグスは腹芸は得意ではない。しかし、公子として生まれ育ってきたから立ち振る舞いはそれなりに出来る。
男は感情的になっても許されるのに、女性にはそれを許さないと言うのは中々に面倒だとは思うけれど、戦い方の違いだと判断している。
男の社交と女の社交は本質が異なる。そして王族としての社交や外交は更に異なるだろう。
「貴方は当たり前のことをしていた。それを非難する者は貴族を理解していない」
「断言なさいますのね?」
「ああ。オレはそういった事が苦手だから寧ろ尊敬するがな」
「ふふ。わたくし、カルミア様から初めにバルグス様の事を教えていただいたのは母国に皇女殿下方がお見えになった時です。その時にカルミア様はバルグス様を真っ直ぐな方、と仰いました」
「あの皇女殿下は……」
「昨日はカルミア様の侍女にも聞いてみましたが同じでした。バルグス様のお言葉はそのまま受け止めて良い、と」
「その、嫌だったか?」
婉曲的な表現というものを苦手とするバルグスは、あまりにも真っ直ぐ本心を向けるので、それも女性から苦手とされている。言葉の駆け引きを楽しむのが面倒なのは、そんな事を戦場で悠長にしている余裕が無いからだ。
「今のわたくしにはとてもありがたいことです。わたくしは、第一王子の婚約者として、恐らく大人の世界に早く足を踏み入れたのでしょう。そこはとても恐ろしい世界で、本心が見えなくて、冷たくて怖かった。相手が何を考えているかを汲み取ら無ければ何時でも足を引っ張られる世界。それに、疲れていたのです」
「それは疲れるな。オレもその世界は苦手だ。ローゼル嬢、貴方はよくやってきたんだな。ありきたりなことしか言えなくてすまないが」
「……いえ、ありがとうございます。わたくし、今までそう言って貰えたことがないのです。出来て当たり前。出来なければそれは攻撃する隙となりますから」
それは分かる気がした。人は自分が出来ないものでも他者に完璧を求める。何故出来ないのか、と。しかし、どこの世界に失敗なく出来るものがいるのか。
「オレが初めて戦場に向かったのは八歳のときで、マディスはまだ七歳だったが、オレ達が戦うものは何かを離れた場所で見ていた。辺境伯と父が体を傷だらけにしながら、騎士や戦士、冒険者と協力して討伐する姿は誇らしかったけれど、恐ろしかった」
あれは大型の獅子だった。鋭い爪に獰猛な牙。見上げる程の大きな姿に恐怖を抱いた。相手とて命懸けなのだからなりふり構わず、脚を振る度に人が飛ばされるのを見た。
爪が掠っただけでも致命傷となる事は簡単に想像出来た。しかもその時は群れで、過剰な程の戦力と思ったが寧ろあれでも足りなかった。
雄の獅子の周りを守るように雌の獅子が複数いて、それでも一頭たりとも逃してしまえば帝国は終わる。
「オレはマディスと手を繋ぎ、護衛の騎士に守られながら見ているしか出来なかった。恐ろしさに泣いたのはあの時が初めてで、だけどマディスは泣くのを我慢して戦いを見ていた」
ローゼルは黙ったままバルグスの過去を聞いていた。
過去を振り返る時に思い出すのは必ずこの初陣にもならない見学だけの時で、帝国の平和を守っているのは南の辺境伯家、と言われる理由を体感した。
「全ての討伐が終わったのは二日後で、子供のオレ達には寝る時間があったが、戦う者たちは短時間の休息を交代で取りながらずっと戦っていた。あの森から定期的に出てくる仕組みは未だ解明されていない。立ち入りが禁止されているからな。多い時で週に一度から二度、冬時期は月に一度出るか出ないかといった具合でな」
「恐ろしくないのですか?」
「恐ろしいさ。何時でも恐ろしい。でもそれは大型獣に対してではない。壊滅した後のことを考えたら恐ろしいんだ」
戦場の者からすれば大きな獣だが、本来ならば災厄でもある。帝国がまだ今のようになる前、一つ前の国はこの大型獣によって滅ぼされた。
「だけどな、皆言うんだ。若いうちに、子供のうちに沢山失敗をしておけ、と。間違えても必ずカバーするから、失敗しておけ。そうすれば同じ間違いはしなくなるから、と」
君の周りには、君の失敗をフォローしてくれるような大人がいなかった。責任を他者に押し付ける者ばかりだった。
間違わなかった事を褒めるのではなくて、当たり前だと思われたらそりゃあしんどいさ。
そう語るバルグスの声は穏やかだった。
バルグスの戦い方は大型の盾を構えて味方を守る事である。剣ももちろん使うが、盾は便利だった。
筋肉をつけたのはこの盾を扱えるようにする為で、重量のあるそれを振り回すだけで鈍器にもなる。
突進してくる獣を迎え撃ち、マディスが攻撃するきっかけをつくる。
失敗は何度もした。しかし、そのたびに周りがフォローしてくれたから、バルグスは人のミスを責めない。挽回出来るならば手助けすれば良いだけなのだから。
「ローゼル嬢。レドニージュ家はバドシュラ家を支える家門だ。公爵家とは言えど、他とは異なり華やかさはない。一国の王妃になる未来もあり、その為に貴方は多くを学んできた事だろう。しかし、それを活かせる機会は恐らく少ない。だが、それでも良ければ、オレは貴方に選ばれたい」
「わたくしが、選ぶ?選ばれるのではなく?」
「そうだろう?この話は貴方とカルミア皇女の繋がりがあったからで、カルミア皇女は貴方がオレを選ばなければ新たな人間を紹介する。貴方に決定が委ねられているんだ」
カルミア皇女は懐に入れた者に甘い。先ほどの部屋でも分かったが、ローゼルの事を大層気に入っている。彼女が髪につけている花飾りもそうだ。
彼女を気にいる理由は分かる。空気が柔らかい。権力者に取り入ろうと言う熱がない。立場として遠慮はあるけれど、かといって謙遜しすぎない。
尊重しようとするその姿がどれだけ貴重な事か。
「わたくしは、華やかさは実はあまり好きではありません」
「そうなのか?」
「ええ。国王陛下と王妃殿下は堅実な方なのでそこまでではありませんが、貴族には派手に着飾る方ばかり。重そうな宝石のついた装飾品にフリルやレースが沢山のドレス。疲れてしまいました」
「我が家は公爵夫人がまず、一日に二度しか着替えないがどう思う?」
「素敵ですね。わたくし、何度も着替える事も好きではありません」
「はは。君は入浴は好きか?」
「そうですわね。好きな方だと思いますわ」
「温泉というものを知っているか?」
「書物で見たことが……まさか」
「ああ。我が屋敷の近くには温泉が湧き出す場所があり、湯を引いているので掃除の時間以外には何時でも入浴が出来る。いや、寧ろ温泉があるから屋敷を建てたのではないか?」
「贅沢ではありませんか……」
「食事では野菜は好きか?根菜なども我が家では食べるのだが」
「ふふ。好きですわ。他の方の前では言えませんが」
バルグスは公爵家のことを語る。嘘は言わない。ありのままを伝えていく。
貴族は地に接するものは平民が食べるものとして忌避する事もあるが、レドニージュ家では体作りの為にも食を大事にしているし、食べられるものはなんでもありがたく食べる。
「バルグス様。わたくしは貴方様と話しているととても心が落ち着きます。あなた様が真っ直ぐだとわたくしにも分かりますわ。わたくしとしては、貴方様のことをもっと知りたい。ただ、結婚とは家も絡みますので、レドニージュ公爵家として、一度は婚約者を持ち、解消された過去を持つ属国の貴族令嬢でも良いのかをお確かめ下さい。わたくしは、お待ちしています」
ローゼルの婚姻は彼女に決定が委ねられていると言う。ローゼルが良いと思えば反対しない、と彼女の父はそのように言っていたそうだ。
「貴方の事情を我が家は知っている。その上で、貴方に瑕疵はなく、未来の王妃として邁進していた事を両親も理解している。反対があればまずこの場には来ていない。そして、オレも決定はオレ次第となっていた」
これまでバルグスは見た目から恐れられてきた。だが、ローゼルは一度として怯えを見せなかった。もうこんな機会は得られないだろう。
「是非、この話を決めさせて欲しい。貴方に苦労をかけることはあるだろう。そう言う地だ。だが、貴方ひとりで立ち向かわせはしない。オレの出来る限りを使って守り通す」
「ええ。ですがバルグス様。貴方様が苦手とする分野は恐らくわたくしの得意分野です。守られるのは嬉しいですが、わたくしは夫となる方と支え合い同じ道を歩んでいきたいのです。この手で戦うことは出来ません。ですが、貴方様が憂うこと無く戦うその背を支える事は出来ますわ」
微笑みではない、本心からの笑顔にバルグスは倒れそうになる衝動を堪えた。こんなに素晴らしい女性と出会えた事は奇跡だ。
ぐぅ、と唸ったバルグスの手の甲にそっと手を重ねたローゼルは、大丈夫ですか?と距離を縮めてくる。
初めて会ったばかりで不埒な真似などは出来ない。だが、抱き締めたい衝動とはこのように湧くのだな、と理解した。
この二ヶ月後、バルグスとローゼルの婚約は正式に決まった。元々バルグスは令嬢達から恐れられていたのもあり、邪魔どころか寧ろ祝福すらあったという。
その事を知って複雑な気持ちになったが、ローゼルは楽しそうに笑った。
王国にいても辛いだけだとローゼルやその家族から婚約期間からレドニージュ家で「帝国の貴族作法を学ぶ」という名目で居候することになり、何時でも会えるようになった。
バルグスの母がローゼルを大変気に入って、どこにでも連れ回すようになった事はバルグスの大誤算だった。
二人の話はこれで一段落。




