16 公爵令息バルグス①
バルグス=レドニージュは今までに感じたことの無いほどの緊張に満ちていた。
レドニージュ公爵家は帝国に八ある公爵家の中では特殊な立ち位置にあった。バドシュラ家が治める南の辺境伯領と隣接している広大な土地の領主であるが、その役割は辺境伯領が万が一にも大型獣により壊滅した際の壁である。
通常であれば辺境伯領に住まう騎士や戦士、冒険者などが辺境伯と共に前線で戦うが、相手の力が強い、もしくは数が多い場合にはレドニージュ公爵家からも戦える者を派遣する事になっている。
そしてバルグスもまた公子の立場であるが戦場に赴く騎士でもあった。
幼い頃からの親友であるマディスには圧倒的な戦闘のセンスがあった。落ち着いた金の髪の毛に若草色の目をした見目の良い男は存外血の気が多く、両刃の剣を手に己の傷を顧みずに突撃を繰り返す。
バルグスが体を鍛えたのは適性があったからだが、何よりもこの親友を守る為であった。
バドシュラ家とレドニージュ家は持ちつ持たれつの関係で、帝国をこの大型獣から守る為の防衛線という事もあり、政争などからは解放されていた。
よほど頭の悪い馬鹿でない限りはこの二家の恩恵を蔑ろにしても貶めたいとは思わないだろう。
そんなバルグスだが、19歳になっても婚約者がいなかった。理由はいくつでも思い浮かぶ。
一つ目は、他の公爵家に比べて華やかさがないこと。質素とまでは行かないけれども、派手好みではない事から国に納める税以外の利益の半分は領地の整備や軍備費等に回していて、公爵邸も他に比べれば小さい方だろう。
二つ目は、バルグスの見た目である。体を鍛えた事で全身に筋肉がつき、背丈もあるので大岩のようで恐ろしいと恐れられているのだ。
特にマディスと並び立てば余計にそう感じるらしく、令嬢などは顔を青ざめて泣き出す者もいた。
三つ目は、嘘偽りを好まない本音で語る言葉が令嬢達にはどうも好かれないようだ。美辞麗句でもって褒め称えるのが紳士としてのマナーだと言われても、嫌いなものを好きとは言えないし、似合わない姿をしているのに似合うなんてことも言えない。
そんな事もあって、公子でありながら婚約者が出来ないでいたバルグスは、いずれ弟の子供を養子にすれば良いのではと思うようになった。
そんな風にやや諦めの境地に至っていたバルグスに齎された縁談の話は突然の事で、バルグス本人は勿論のこと、家族すらも驚いた。
話を聞けば属国であるショモナ王国の第一王子の婚約者である公爵家の令嬢が、その婚約を解消したのもあり新たな縁談を探しているとの事。そのご令嬢には何の非も無く、全ては魅了の魔道具による被害を受けてのこと。
皇女殿下四人が揃ってその件を解決した上に、被害に遭っていた令嬢達に瑕疵はないと保証を与えたので問題は無い。
そのご令嬢はカルミア皇女が大層気に入って、友人として認めた相手だと言うのだからバルグスには驚きしか無かった。
カルミア皇女はマディス経由で何度も話をしたが、かなりの好き嫌いがある性格をしていた。
皇族ともなれば友人すら様々な制約がある。それが面倒なのか、皇女達に友人と呼べる存在はほとんど居なかった。皆無という訳では無い。
その特別な立場を己の物だと勘違いして傲慢にならないような人間でなければ友人にはなれやしない。
カルミア皇女は特に癖が強いので、気に入られたというのは人として出来ているか、はたまた騎士のような性格なのだろうが、恐らくは前者なのだろう。
そんな相手との顔合わせを皇女の離宮で行うと言うのだから、やはり相当にお気に召しているのだ。
何ならバルグスを紹介しようとしているのはカルミア皇女が婚姻後に辺境伯領に移り住むから近くにいて欲しい為、という考えなのかもしれない、とバルグスは考えていた。
そしてその考えに間違いはなく、カルミアはローゼルを近くに置きたいが為にバルグスを勧めたところもあった。一番は傷付いているローゼルにバルグスは相性が良いだろうと思ったからだが。
下手に着飾らなくても良い、と私的な手紙の方に書かれていたので顔合わせには普段通りの服で来た。とは言えど、公子としての立場を忘れた訳では無いので登城出来るくらいの服ではある。
冬も近い時期は大型獣と言えども獣である為か、出現は極端に減る。辺境伯家の当主と騎士団がいれば対処出来るという事と社交シーズンでもあるのでバルグスはマディスと共に王都に移動していた。
国内きっての武闘派の二人を狙うような賊もいなければ政敵もいないので帝都まで何の問題も無く移動し、それぞれの帝都邸に到着した。
カルミア皇女に客として招かれたバルグスは勿論のこと、婚約者であるマディスも共に行くのはもう一人の客人であるご令嬢の負担にならないのかと心配になりはしたが、あのカルミア皇女が采配しているのだから問題は無いのだろうとバルグスは考えるのをやめた。
「マーカス。一般的なご令嬢が好む物は何なのだろうか」
「そうですね。帝国の令嬢であれば宝石などでしょうが、王族の婚約者を長年していた方でしたらありきたりなものは見飽きているかもしれませんね」
「流石に大型獣の剥製はないよな」
「有り得ませんね。そんなものを選ぶ前に私が全力でお止めします」
気心の知れた侍従のマーカスはバルグスの考えをよく理解する男で、気が利く良い人物である。マーカスの母がバルグスの乳母であり、父が執事長をしているのもあり、彼の一家にはレドニージュ家も多大な信頼を寄せている。
「お菓子、とも思いましたが、カルミア皇女殿下の離宮でしたらお持たせ出来ませんし」
「うむ。あの料理人は素晴らしい。オレの好みをよく理解している。皇女が降嫁される際は共に連れて行くそうだから、今後は辺境伯家に行けば良いというわけだ。これまでよりも食べる機会が増えるな」
「使用人にも軽食を用意して下さる良い人ですからねぇ」
元は男爵家生まれであったが、平民として育ったその料理人はカルミア皇女殿下のみならず皇族すらお気に召しているようで、皇女殿下降嫁にあたり引き留めようと駆け引きがあったとの噂があるが、きっと真実なのだろう。
稀に私的な晩餐に誘われた際、料理は同じでもそれぞれに合わせた味付けにしていると聞いた時には驚いたが、食への拘りが強いカルミア皇女の舌を満足させるその料理人は客への配慮を徹底しているのだろう。
そんな料理人が顔合わせの時に茶菓子を用意しないはずが無い。ならば手土産に持っていくのは愚行というもの。
「持って来ているアレでよろしいでは無いですか」
「だが、ありきたりではないか?」
「公爵家では当たり前に飲まれていますけれど、あれは我が領の特産品ですよ」
「うーむ……確かにカルミア皇女殿下も気に入ってはいるが」
「黄金桜桃の果実酒の中でも特級品ともなれば希少価値は計り知れませんし」
「わかった。お前が言うなら間違いはないだろう」
公爵家が唯一贅沢をしているとすれば、黄金桜桃の呼ばれるレドニージュ領にしか無い樹木から取られる果実で作られた酒で、山にいくらでもあるそれは領地で普通に飲まれる酒なのだが、他領には無いので特産品として外に出している。
その中で特に出来の良いものは領主であるレドニージュ公爵家に献上され、皇族の方々に年に一度納めている。
甘酸っぱくて香りも豊かな黄金色のその酒は、飲みやすく特に女性から好まれているという。
甘さはあるが舌に残るようなベッタリしたものではなく、さっぱりと口の中を注ぐような味は、あまり甘いものが得意ではないバルグスも好んでいる。
特級品は本当に特別な相手にしか渡さないのが公爵家でのルールで、皇族に献上するのと変わらない特別な一本である。
「三本お持ちしたのですから、一本は皇女殿下にお礼で、一本はご令嬢に、そして残りの一本はお茶の時間に出していただいて実際に味わってもらえば良いのでは?」
「三本も持ち出して良かったのか」
「旦那様と奥様が許可したのです。むしろ、何が何でもご令嬢のお心を射止めろと言う気概を感じたのですが?」
「オレに今まで浮いた話が無かったからなぁ」
「体が大きいだけなのに勿体ないですよね」
特別な箱に仕舞われた果実酒を思い返し、さらに屋敷を出る前に家族から激励された事を思い出したくバルグスは大きなため息をつく。
果たしてどんなご令嬢かは分からないが、泣かれることは無いように、と祈った。
なお、バルグスも見合い相手のローゼルも釣書は貰ってはいるが、絵姿は贈りあっていない。先入観無く対面して欲しいとのカルミアからの願いにより、二人はそれぞれ勝手に姿を思い浮かべるしかなかった。
ローゼルが帝都に入り、それに伴って明確な顔合わせの日程が決まった。国内ならばもっと早くに決まるのだが、国外から来るともなれば日程は大まかになるもので、バルグスは全く気にしていなかった。
寧ろ、長い距離を移動してくるローゼルの体調の方が気に掛かった。
バルグスにしろマディスにしろ、辺境の地で戦う者は体力が有り余っている。大型獣には夜行性もいるのだから、時間など関係なく、短時間で如何に効率よく体力を回復するかが生存の鍵である。
公子で良かったのは、服は既製品ではなく一から仕立てることで、平均とは程遠い身体付きのバルグスにぴったりのサイズは動きを妨げない。
仕立て屋は筋肉をつける度に「また測り直しですかぁ」と嘆いているが、その分高い金は支払っているので最後には「またのご用命を」と笑顔になることを知っている。
マディスと共にカルミア皇女の離宮の来客の間に案内されたバルグスは、じわじわと緊張に満ちてくる。
「マディス、オレはどこか変では無いか?大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。今日も最高のムキムキだよ」
「そうではないと知っているだろう!?」
「本当に大丈夫だって。お前はいつも通りでいいんだよ。変に取り繕うお前より、いつも通りのバルグスの方が絶対にいいから」
な?と笑うマディスの言葉を信じるしかない。
取り敢えずこっそり笑っているつもりのマーカスは後で締め上げる。
落ち着かない気持ちが最高潮になる頃、「カルミア皇女殿下のお越しです」と声が掛かった。
帝国の一貴族として、皇族の方を座って待つなど許されず、二人して立ち上がると
右腕を上げて拳を胸の中心に押し当て、左腕は背中に回す騎士の敬礼を取る。これは癖となっているが、貴族の敬礼はどうしても体に馴染まなかった。
扉を開けて入ってくるのは、マディスが心底惚れ込んでいるカルミア皇女殿下。可愛いを連呼するマディスは一時期頭がおかしくなったのかと思ったけれど、正気だった。
バルグスからすればカルミア皇女は歴戦の戦士のような強さがあり、なんと言うか、守るよりも共闘するような強さがあるように思う。彼女ならば恐らく辺境伯家でやっていけるだろう。
そんなカルミア皇女の後ろについて入ってきたその人を見てバルグスの動きは止まった。
緑がかった落ち着いた金の髪の毛は腰までの長さで真っ直ぐなように見えて先端は緩やかに波打ち、髪と同色の睫毛が縁取る目はまるで黄金桜桃のような甘そうな金色。
カルミアと背丈は変わらず、細い体と白い肌がその人の清楚さを際立たせている。
少し伏せていた目がバルグスを視界にとらえると、目を大きくしたが直ぐに表情が緩んで笑みを浮かべ。
バルグスの心臓は痛い程高鳴り、血液が物凄い勢いで全身を巡っているような感覚に陥る。
顔だけで国を支配出来るとまで言われている皇女達を見ても、バルグスは整ってはいるがそれだけであった。周りの者達が皇女を見て沸き立つ気持ちが理解出来なかったが、今なら分かる気がした。
思考が一人にだけ集約されているのに、明確な言葉が出ない。
美しい人だと強く感じて目が離せない。
「公子。ローゼル嬢をエスコートしてあげて?」
「はっ!」
既に近寄っていたマディスの手を取ったカルミアに言われるがまま、恐れさせないように慎重に近付いたバルグスは手を差し出す。
「美しい貴方をエスコートする栄誉をどうぞお与え下さい」
「よろしくお願い致します」
バルグスの手は大きい。その手に載せられた白くて細くて小さな手は壊してしまいそうな程華奢で恐ろしい。
バルグスは普段歩く時の一歩が大きいが、ローゼルに合わせてゆっくりを意識しながら歩く。焦ってしまえば彼女も焦って小走りになり兼ねない。それは許されることでは無い。
ローゼルを椅子に座らせ、その対面に腰掛けたバルグスは気付かなかった。
ローゼル以外の室内にいる全員からの視線を集めていることに。




