12 第一皇女アナベル
第一皇女アナベル
「君との婚約を破棄する!」
それは帝国中の貴族が集まるとも言われている舞踏会での出来事であった。
帝国は領土が広い。その為、三日に分けて開催される舞踏会は多くの人と金が動き経済を回す最大規模の催しであった。
一日目は国内の高位貴族、二日目は国内の下位貴族、三日目は他国からの貴賓と一日目にも参加した高位貴族の中でも公爵家、侯爵家、辺境伯家が参加する事となっていた。
特に三日目は属国から王族やそれに連なる貴族が訪れるが、その属国化の数が多いのもあり、国内貴族が少なくてもあまり気にはならないくらいである。
国によっては国王と王妃、王太子と王太子妃もしくはそれに準ずる婚約者でやって来て次代のお披露目なども兼ねている。
同盟国からは王族の代わりが来る事もあるが、属国は一年に一度、皇帝に顔見せする機会ともあり、各国はそれぞれに力を入れて準備をしていた。
多くの王族が集うのもあり警備はかなり厳重で、国内から辺境伯家以外が有している騎士団から精鋭を選抜して皇城周辺を守らせるほどであった。
この年は第二皇女トレニアと第四皇女ルピナスの婚約が正式に決まり、新たに属国となった神秘の国とも言われているゾルダ王国の王太子が公の場に出る事もあり注目の的だった。
皇太子のガルディアスとその婚約者のアヴェリーヌが席から立たない皇帝の代わりにホールで各国の国王等と会話をする中、アナベルは周囲を観察しながら使用人に指示などをしていた。
そんな時である。
いきなりアナベルの前に現れた見知らぬ男がアナベルに向かって婚約の破棄を告げてきたのだ。
帝国第一皇女アナベルに婚約者はいない。選定すらされていないのに、いきなりなんなのだ、とアナベルは内心の不快さを隠しながら一応は聞いた。
「人違いではございませんか?」
アナベルの近くにいた者達はその男を「何言ってんだこいつ」という目で見ていた。何故ならアナベルが婚約したなんて発表は今までされていないのだから。
アナベルは城に残ることが決まっていて、ガルディアスが即位した折には皇妹として彼の腹心として辣腕を振るう事は決められていた。
今でも彼女は皇女として動いているが、その権限が広がるのも広く知られたこと。だからこそ彼女の未来の夫は注目されていた。何せ唯一婚約者がいないのだから。
そこに来て突然ぶつけられた婚約の破棄を誰にも理解出来なかった。
「いいや!間違ってはいない!君は帝国の皇女という立場を利用し、ゴルダス王国の王太子である僕との婚約を無理やりねじ込んできた!僕には真実の愛となる令嬢がいるのに!よって、ここで君との婚約を破棄する!」
あ、ゴルダス王国終わったな。
誰しもが思った。
そりゃそうだろう。意味のわからないことを皇帝がいる、年に一度の大規模な舞踏会でやらかしたのだ。それもよりにもよって第一皇女アナベルに対して。
「捕らえなさい」
アナベルは冷静だった。
貴族の令嬢であれば例え原因が男の側でも破棄を言われた令嬢に何かしらの瑕疵があるとして名誉を傷つけられることになるが、アナベルは違う。
彼女はこの大陸において比類なき尊い立場である。
彼女が頭を垂れるのは神と皇帝と皇后、それから属国ではなく、帝国と変わらない国力を持つ国の王くらいだ。
皇太子になった兄とて即位するまでは少しだけ上に過ぎず、礼儀としては頭を下げても僅かな程度。
それ程までに上の立場の彼女が戯言を述べた相手に傷つけられるなど無い。
「わたくしに婚約者などいません。選定も行っていないのに何をおかしな事を」
帝国の騎士が自称ゴルダス王国の王太子を捕らえ床に跪かせるのをアナベルは冷ややかな目で見下ろす。
真っ直ぐな銀の髪の毛は本日も下ろされているが、一部を編み込み「アナベル」の花を散らしていた。
ドレスは薄い銀混じりの青。この色をアナベルが着るのは有名な話なので舞踏会にはだれも着ないのが不文律になっている。
実際にアナベルが公の場で着るのはこの色のみで彼女用の衣装部屋に納められているのも似たような色合いばかりである。
皇女が特定の色を着ることで招待客はその色を避ければ良いと言う利点もある。
そんな全体的に寒色系のアナベルが冷ややかな態度を崩すこと無く、一度も顔を合わせたことの無い男からありもしない婚約の破棄を告げられた事はすぐさま皇帝に伝えられたし、ゴルダス王国の国王にも伝わった。
離れた場所にしたゴルダス国王は今にも倒れそうな顔で王妃と共に早足でやってきて、騎士に跪かされた男を見て声無き悲鳴を上げた。
「な、な、我が国の、王太子が、皇女殿下に無礼を働いたと」
「ええ。わたくしに向かって婚約の破棄を、と叫ばれましたわ。わたくしはいつこの男と婚約をしたのでしょうか?」
「そのような事実はございません!これの婚約者はアンナベルと申しまして、我が国の公爵家の令嬢で……」
「普段から交流はあったの?」
「つい先日決まったばかりでして」
「まさか、名前が似ているから勘違いしたのかしら?わたくしが帝国から出ないのは誰もが知る事実だと思っていたのだけれど?」
「もちろんです!」
国王は必死に弁明をし、王妃は血の気の引いた顔で王太子とやらを睨み付けている。
ゴルダス王国は良質な薬草栽培で有名で、規模としては大きくない国であるが、薬師の聖地とも言われるほどである。
各国でも薬草園を持ってはいるだろうが、環境の良さと長年に渡る研鑽もあってその品質の良い薬を求めて様々な国との交流がある。
この国が帝国の属国になったのは他国からの侵略を避ける為である。一度でも薬草園を蹂躙されてしまえば二度と手に入れる事の出来ない種類の薬草もある。
過去にそれで絶滅した種もあったことからゴルダス王国は庇護を求めて属国になった過去がある。
「ゴルダス王国には存続してもらわねばなりません。わたくしとしては次期国王となるべきは思慮深い者であるべきだと思いますわ」
「その通りです」
「わたくしへの無礼への処分は皇帝陛下に委ねましょう」
少なくとも国を潰す事はしない。それだけの価値がゴルダス王国にはある。ならばするべき事は決まっている。
煌びやかな服を纏った男だが、このホールにいるのは多くの国の王族で、彼レベルならばいくらでもいる。
これがまだ国内で、自国の令嬢相手であれば対処出来たことだろう。しかし、よりにもよって宗主国の皇女相手にしでかしたのだ。なかった事には出来ない。
幸いにして皇女は王国の存続を望んでいる。他国としてもゴルダス王国の恩恵は受けているので帝国に吸収されるよりはそのままでいて欲しい。
皇帝が何段も高い場所で椅子に座っている。その前に引き摺られた王太子はやはり跪かされ、ゴルダス王国の国王と王妃は祈るように手を組み膝をついている。
その脇に立つアナベルは、折角時間をかけて準備したのに愚か者のせいで、と少しだけ苛立っていた。
皇帝はそれらを見下ろし、音楽の鳴りやんだホールは少しのざわめき程度はあるものの静けさに満ちていた。
「ふむ。アナベル。余に処分を委ねると?」
「ええ、皇帝陛下」
「そなたの希望はないのか?」
「ゴルダス王国の存続、それと次期国王は思慮深き者を」
「それが妥当であろう。ゴルダス王国国王よ。王太子を変えよ。余は真実の愛などと世迷いごとを述べる者は好かぬ」
真実の愛、それは何時から言われ始めたのか分からないが何時の間にか広まっていた言葉である。その言葉を免罪符に整えられた婚約を破棄する愚か者が増え、結果として皇帝の仕事が増えた。
貴族間での婚約や結婚は最終的に皇帝の承認が必要となり、理由があって解消や破棄などが起きた場合でもその処理は最終的に皇帝の承認に繋がる。
国内でのバランスは皇家が把握しておかねばならない事で、従来ならば作業のように承認するだけだし、きな臭さを感じたら調査を行う事もある。
なのに、真実の愛とやらを理由に婚約の破棄を行う者が増えた結果、皇帝は調査の指示を増やす羽目になった。
穏便かどうかは分からないけれども解消ならば良いのに、破棄ともなれば責任の所在から慰謝料や賠償金。下手をしたら事業に関してまでの大事になるので皇帝も適当に済ませることが出来ないのだ。
そろそろ皇太子にその仕事の一部を任せようかと思っていた頃であり、更にアナベルが中々婚約者を決めない中でのこの一件に皇帝がイラッとしていたのは間違いない。
とは言えども私情で言っているわけではない。
真実の愛という愚かな言動を平気で述べてそれまでの婚約を台無しにする者は、契約に対して信用が無いし、婚約者を大事にしない不誠実さも顕になった。
更にいえば、やらかした中には高位貴族の令息が下位貴族の令嬢との真実の愛などと言って貴賤結婚を望むことを言い放ったのだ。
帝国において貴賤結婚は特例を除いて認められていない。爵位の差は原則二つまでで、貴族と平民の婚姻は貴族側が平民となる場合は許されるが逆はない。
特例として認められるのは、爵位が下の方が優秀として認められていて、高位貴族に嫁ぐ事で、より国に貢献出来ると判断された場合である。
また、高位貴族の家門が財政難により傾いている場合、立て直しの為に下位貴族から嫁がせる事もままある。
そう言った特例を除いて、感情だけで貴賤結婚を望むことは許されない。
当然ながら、真実の愛と宣った者は後継者の座を失い社交界から姿を消した。
漸く落ち着いたかと思った矢先のこの王太子自らが発した事は愚かとしか言えなかった。
婚約者の勘違いもどうかとは思う。なぜよりにもよって皇女だと思ったのか。それは誰にも分からないことだろう。
「それと、そやつは断種処置を施しその真実の愛とやらと婚姻させよ。離縁は許さず、どこかの地に封じよ。当然ながら、我が皇女を貶めようとしたのだ。王族を名乗らせることはあるまい?」
「畏まりました」
多くの王族のいる前で仕出かしたのだ。皇女により国の存続は保たれたが、もしも薬草が無ければ国を滅ぼされてもおかしくない程の愚行を犯したのだ。
皇女の名誉に傷一つ付かなかったとは言えど、やってしまった事実は消せやしない。
死刑を言い渡されなかっただけマシではないか。本人が納得するかどうかは別にして。
「断種処置はこちらで請け負う。ああそうだ。この件で国王と王妃は教育の失敗を反省し、新たな王太子は誠実で思慮深く育てよ。ゴルダス王国の薬草は帝国も重宝している。皆の者、余の処断はこれで終わる。これ以上は不要と心得よ」
ざ、と頭を下げるのは国で常に頭を下げられるものばかり。
皇帝がこれで済ませたのだから、必要以上にゴルダス王国を敬遠したり不当に扱うな、ということである。
皇帝が手を触れば音楽が流れ始め、ゴルダス王国の王太子は騎士により連れて行かれ、国王と王妃も沈鬱な表情でついて行った。あの国はまだ王子も王女もいるし、何とかするしかないのだとアナベルはいつも通りと変わらぬ、笑みを浮かべ無い顔で見送った。
***
「此度の事はそなたに婚約者が居ないことも原因だと思うのだが?」
「関係ございません」
舞踏会も終わりようやく落ち着いた頃にサロンで皇帝がアナベルにそう告げるが、アナベルは素知らぬ顔でカップを手に取り紅茶の香りを楽しむ。
別に急ぐ必要はないのに何故そんなに急かすのかとすら思うのだが、アナベルは口にしない。更にあれこれ言われるのが分かっているからだ。
妹達を見ていれば婚約者とのやり取りを楽しんでいるのはわかる。しかしアナベルにはどうしても自分が婚約者をもつ光景が思い浮かばないのだ。
万が一にも結婚するならば国益に繋がり邪魔にならない相手でなければ無理とすら思う。
「わたくしの婚約よりも、お兄様やトレニアの婚姻の指揮が控えていますのよ。わたくしのことまでとなったら宰相や事務官達が倒れてしまいますわね。外に出ないのですからゆっくりと考えさせてくださいませ」
そう言ったアナベルは三ヶ月の後にまさに運命的な出会いをするとはこの時考えてもいなかった。




