10 第三皇女カルミア
「トレニアお姉様もルーちゃんもぉ、他の国へ嫁ぐことを決めたのが寂しいなぁ」
帝国の社交シーズンは秋の終わりから冬が終わって春を迎える頃までとなっている。その時期は畑での収穫作業はほとんど終わりを迎えていることもあり、国内貴族が集まりやすいという利点があった。
当主、もしくはその後継者が帝都に滞在し、それぞれの社交を行うのが一般的で、男性には男性の、女性には女性の交流の仕方がある。
辺境伯領は基本的に当主よりも成長していたらその後継者、または前当主が帝都に赴くのが慣例である。それは辺境伯家が国の防衛の最前線だからに他ならない。
カルミアの婚約者である南のバドシュラ辺境伯家の後継者であるマディスが社交シーズンに合わせて帝都に移動し、本日は登城後に婚約者交流を行っていた。
可愛いを突き詰めたらこうなるを体現している第三皇女カルミアは、その見た目とは裏腹にかなりの武闘派だと言うことをマディスは既に知っている。
初めて顔を合わせた時にはあまりの可愛さに鼻血を出して倒れるという醜態を晒したけれど、その後はそんなこともなく。
南の辺境伯領のさらに南部には広大な森が広がり、獰猛な獣が犇めいている。時折、そこからドラゴンや巨大熊などが襲撃してくるのを駆除するのがバドシュラ辺境伯家に与えられた役割であった。
その環境に興味を持ったのがカルミアで、ドラゴンとの戦闘をしてみたい、と目を輝かせて言われた時には理解するのに時間がかかった。
皇族には神の加護が与えられているのは有名な話で、その詳細は基本的には内密にされていたので、国民の大半は皇女四人の神の加護はその美貌だと思っていた。
しかし、実際は異なる。
カルミアに与えられたのは「武」の加護で、その見た目にそぐわず腕力も脚力も女性とは思えないほどに強力である。
柔らかく甘い話し方をしているカルミアが、騎士を交えた激しい戦闘訓練で息を荒らげる姿をマディスは見た事がない。何時でも余裕で笑っていて、初めこそ驚いたものの、今では見とれてしまう程に美しいと思っている。
そんなカルミアが切なげに語るのは彼女のすぐ上の姉とすぐ下の妹の婚約からの婚姻の話である。
第二皇女のトレニアと第四皇女ルピナスの婚約が決まった事が公にされたのは社交シーズンの始まりとなる王宮舞踏会でのことで、相手はどちらも国外の者だった。
ゾルダ王国の王太子ベイセルとドラスニト王国の大公子息ジェレミーをパートナーとして伴っていたのでマディスも挨拶をした。
どちらもただの辺境伯子息でしかないマディスに親切であったが、ほんの少しだけ劣等感を刺激された。
辺境伯家には定期的に皇族の姫が降嫁するけれど、つまりはその時点で血が薄れているということ。バドシュラ家に前回皇族の姫が降嫁したのは曾祖母の母の時で、三代も開けば血は薄れたようなものだ。
マディスの認識としてはただの貴族でしかなく、皇族に連なるなんて考えはない。それに、姫が降嫁してきた家はそれなりにある。
属国とはいえ一国の王になるベイセルと、もしかしたら王になるかもしらないジェレミーは皇女達に女性として最高の地位を渡せるのに、マディスはただの貴族でしかなく、カルミアはその貴族夫人に収まることになる。
本当に良いのだろうかと不安になる時もあった。
「仲の良い姉妹だからね。ミア様が寂しいのは仕方ないと思うよ」
「うん。でも、わたしにはぁ、マディス様がいるから寂し過ぎないかなぁ」
何の気負いもなくいきなり言われたマディスの顔は真っ赤になる。皇族として生きてきたカルミアにこれから間違いなく苦労を掛けるけれど、寂しくないようにしよう。辺境伯領は大型獣が来るからか、血の気が多い冒険者や戦士が集まっていて賑やかで騒がしい。
領民も底抜けに明るいから、きっと寂しく感じる暇もないけれど、誰よりもマディスが寄り添おう。そんなことを考えていた。
***
カルミアにとってのマディスは「面白い人」であった。
元々辺境伯家に誰かが嫁ぐことが決まっていて、年齢からカルミアかルピナスとなっていたが、特にバドシュラ家のある辺境伯領は獰猛な大型獣の襲来もありカルミアの方が良いだろうと思われた。
カルミア自身も誰に気兼ねすることもなく討伐が出来るとあって婚約には意欲的であった。
正式な婚約はまだであったけれど、内定しているようなもので、水面下で婚約式は何時にするかなどが話し合われている最中のことだった。
とある公爵家の令嬢がバドシュラ家に押し掛け女房を実行しようとしたのだ。既成事実を作られたらたまったものではない、と辺境伯の判断で帝都まで逃がされたマディスは一晩体を休めた後に登城してきた。
辺境伯家からの緊急連絡は原則として最優先に対応するという規則がある。それだけ国防を担う家の重要性がわかるものだが、この時においてはそれとは別の意味でバドシュラ家に危機が迫っていた。
皇女の降嫁がほぼ決定の状態で別の女がいるなど、問題にしかならない。
内密の話という事で謁見の間では無く、サロンで対面したマディスはさぞや精神的に疲れただろうが、皇帝も呼び出された公爵も精神的疲労が一気に押し寄せたに違いない。
カルミアは婚約が内定しているマディスが登城していると聞いて、何かあったと勘が働き訓練着を変える事もなくサロンに向かって歩いている最中、実に優秀な侍女により事情を知った。
未来の旦那様の所に押し掛けた泥棒猫とやらは排除しなければと不穏な事を考えながら「話は聞きましたぁ♡」と意気揚々と扉を開けさせて中に入ったカルミアは、おじさん二人と同じ歳くらいの少年を確認した。
そして直後に少年ことマディスが鼻血を吹いて倒れたのを見て、あらぁ?と首を傾げた。今まで出会ってきた男性は顔を真っ赤にするとかはあっても、鼻血は無かったので驚いたけれど、変に取り繕ってなくて好感が持てた。
その後、跪いて「俺と結婚してください」と言われたので、まあその予定だったし「はぁい♡ もちろんですぅ♡ ドラゴンが出るって本当ですかぁ? 討伐楽しみですぅ♡」とお返事をしたら、やはり顔を真っ赤にして、鼻血を再度出していたけれど意識はあったので安心した。
その後は色々とあったけれど、婚約を公表して二年。二歳年上のマディスは社交シーズンになると帝都に来て必ずカルミアに会いに来てくれる。結婚はカルミアが18歳になってからということであと二年。辺境伯領に行くのは楽しみだけれど、姉や妹との別れは寂しくて仕方ない。
マディスはその寂しさを否定しないでくれた。と言うよりも、基本的にマディスはカルミアの言動を否定しない。それはどうでも良いからではなくて、全てを受け入れた上で、理解した上で、否定する必要が無いから。
マディスがカルミアを否定したのは一度だけで、戦闘訓練の時に怪我を承知で懐に飛び込もうとした時だ。
無茶と勇猛は別物であり、命を投げ捨てるような戦闘は周囲の士気を下げかねない。今の場合は懐に入るのではなく、避けることが出来たはずだ。と、実戦で常に前線にいる目線で叱られた。否定と言うよりも、カルミアの軽率さを叱ったのだ。
マディスに叱られて悔しかったけれど、皇女の身分は元より、マディスの妻になって次期辺境伯夫人となっても、カルミアはどうしたって尊い身分に変わりはなくて。
強いことはマディスも認めてくれているけれど、周りはそうはいかない。カルミアを守ろうと無茶をするのだろう。カルミアに必要なのは戦うこともだけれど、身を守る事もだ、と真剣に語るマディスにカルミアは初めて彼を一人の男の人として見た。
最初の印象が鼻血を出す人だったから面白いと思っていたけれど、戦場に身を置く騎士としての彼はその背中に多くの人の命を背負っていて、これからはもっと増える。カルミアという帝国の皇女を娶る重責も背負う。
だけど、マディスはそれを負担だとは言わない。
「ミア?疲れた?」
「大丈夫よぉ。ねぇ、マディス様ぁ。明日のダンス楽しみにしてますねぇ」
「うん。ミアを綺麗に見せられるように頑張るよ」
初めは堅苦しい敬語での会話だったけれど、何度もカルミアが頼んで愛称で呼んでもらえるようになった。口調も砕けている。そうすると柔らかなマディスの話し方でもっと声が聞きたくて仕方なくなった。
今日着ているドレスはマディスの目の色の若草色で、すぐに気付いた彼はやはり顔を赤くしながら褒めてくれた。
明日着るドレスはマディスから送られた彼の髪の毛の色である落ち着いたゴールドに若草色の刺繍が施されている。くすみがある金色なので派手さはなくて、カルミアの色合いにも合っているので一目見て気に入った。
何よりも、カルミアにとって動きやすいように工夫されているし、軽い。沢山のパーツを重ねて着るドレスは嫌いではないけれど重く感じていた。
マディスはバドシュラ辺境伯領に居るデザイナーに相談してくれて、胸の下で切り替えるタイプのドレスを仕立ててくれた。お腹周りをコルセットで絞り過ぎないのが良いと思った。
ただ、これは寒い地方には向いておらず、逆に年中暑いか暖かい地域なら向いていると思った。何せ着込まないので。
カルミアは甘ったれた話し方をする砂糖菓子のような皇女と他の姉妹に比べて少しだけ馬鹿にされていることを知っている。
男性はカルミアを可愛い可愛いという、その裏で彼らの婚約者や彼らに憧れる令嬢がカルミアを貶したいのは十分理解していた。
けれど、カルミアとて厳しい教育を受けてきた皇女で矜恃は高い。寧ろ、皇女としての矜恃無くして皇帝の傍に立てるはずもない。
アナベルのような優秀さも、トレニアのような流行を作る先見性も、ルピナスのような溢れんばかりの知識もカルミアにはない。しかし、強い力を与えられて生まれてきた。
それを一部にしか見せていないので姉妹の中で劣っているとみなされているだけで。
カルミアは自分の顔が男達を惹き付けることを当然知っていてそう振舞ってきた。微笑んで甘えた声を出して、そして相手の本性を引き出す。トレニアのような色香で惑わせるのとは異なり、カルミアは引きずり出すのが得意だった。
大抵は醜い欲望を隠していて、カルミアにとってはそれが普通だと思っていた。
マディスはカルミアにきっと恋をしてくれている。最初こそただの好意だったのが、今はそこに複雑な感情が混じっている。
多くの同じ年代の令息を恋に落としたカルミアは誰かに恋をしたことが無い。皇女として生きてきたのだから当然のこと。恋をして破滅した皇族の話を聞いて育ってきたから余計に避けていた。
でも、教師は同時にこうも言っていた。
『旦那様になる方へ恋をしても良いのですよ。その方は貴方とその先を共に生きるのですから。ですが、決して恋に溺れてはなりません。それは破滅への道ですからね』
マディスは旦那様になる方で、恋をしても許される唯一の相手。
ふとそれに気付いたカルミアは、恋を知らないけれど、知ることは出来るのだと目の前が開けた気持ちになった。
マディスがこちらを見て柔らかく目を細めて「どうした?」と聞いてくるので、カルミアは意識して微笑む。マディスにだけ見せる特別な笑顔。
顔を真っ赤にするマディスをいつか恋しいと思う日が来るその時まで、カルミアは心の大地に撒いた種に水を与え続ける。
きっと咲く花は美しいだろう。
マディスはベイセルやジェレミーを羨ましがってますが、宗主国の国の防衛を担う辺境伯をどちらも凄いと思ってますし、なんなら自分達より上に思ってます。
それだけ帝国を守り続ける辺境伯家は尊敬の対象であり、守護神とみなされてます。
特に南の辺境伯領は大型獣(虎でも象くらいの大きさ) 討伐で決して突破させていないので、ベイセルもジェレミーも「うわぁ。英雄の一族だぁ」とか思っています。
マディスは日常生活の一部なのでそれが凄いこととは全く思ってないです。




