09 第四皇女ルピナス
ルピナスはトレニア経由でゾルダ王国王太子のベイセルから貰った雪ノルシェの図鑑に気分を高揚させていた。しかも実物とさほど変わりがないらしい人形と共に。
雪ノルシェ自体はやはり寒い地域でしか生息出来ないのもあり連れてくる事が出来なかったと謝罪を受けたが、生き物は世話をせねばならないし命を預かるもので、ルピナスは人形で満足していた。
敬愛する姉の一人、トレニアはベイセルとの縁談を進める事にしたらしい。ひと月ほど帝国に滞在するベイセルと交流を深めながらゾルダ王国の事について学ぶそうだ。
ルピナスはささやかながら応援の気持ちでゾルダ王国について記載された本を差し入れた。
女性にしては背の高いトレニアと並んでも見劣りしないベイセルは、物語に出くる「雪の王」のようであり、その隣に立つ姉は「夜月の女王」のようであった。
ルピナスは本が好きで、物語も好きだ。
雪の王と夜月の女王は夜の間しか出会えない二人が静かに恋心を募らせる感動的な物語だ。夜月の女王を巡っての争いもある中、二人の絆は確固たる物になり、夜の婚礼式の描写は恋を知らないルピナスでもうっとりするものだった。
ベイセルは他の皇女を目にしても「美しいご姉妹ですね」とは言ったが、トレニアを見つめる温度とは明確な違いがあり、文字だけでは分からなかった「視線の温度差」をルピナスは初めて理解した。
トレニアにはまだその熱が無いけれど、ベイセルと庭園を歩く際の雰囲気は柔らかさがあった。
遠く離れた国へ嫁ぐと決めたトレニアには幸せになって欲しい。
しかし。
「寂しいです」
「分かるわぁ。わたしもトレニアお姉様と簡単に会えなくなるのは寂しいわぁ」
「ミアお姉様も、結婚したら中々会えなくなるんですね」
「そうねぇ。寂しくなっちゃうねぇ」
「はい」
分かってはいた事だ。四人でずっと一緒が無理なことは決まっていた事。皇女として、生まれたからには義務を果たさなければならない。美しいドレスを着られるのも、図書館にある本を惜しみなく読めるのも、贅沢が出来ているのは何れ婚姻という形で国に還元する為。
父の妹達だって様々な場所に嫁いで行った。唯一近くにいるのは公爵家に降嫁した叔母だけで、後は会ったこともない。
ルピナスの婚約者候補は東の公爵家、南西の侯爵家、それから隣国の大公家の子息である。大公子息は離れているので手紙でのやり取りを行っているが、残りの二人とは定期的に顔を合わせている。
どの子息も素晴らしい人達だ。幼い見目のルピナスを子供扱いすることは無い。しかし、何かが違うと思う瞬間がある。
例えば公爵子息は乗馬が好きでルピナスを誘ってくれるが、ルピナスは馬が怖い。馬車は平気でも直接その背中に乗る事は怖い。しかし弱みを見せてはいけない教育の成果か、何て無い顔をしてしまうのだ。
例えば侯爵子息は本を読むけれどそれだけ。ルピナスと話を合わせる為に読んでも語り合うわけではない。言い回しひとつ取っても時代ごとに表現方法が変わるので、時代に合わせた変化を楽しみたいけれど出来ない。
勿論それはルピナスの拘りなので押し付ける訳にはいかないけれど、ルピナスが我慢する必要だってないこと。
唯一不満のない相手は他国の大公子息で、国の外に出る事に躊躇いがあった。しかしトレニアを見ていて思ったのだ。あまりにも視野が狭かったのではないか、と。
「ジェレミー様に、お手紙を書こうかな」
カルミアは婚約者のバドシュラ辺境伯子息マディスと仲が良い。マディスは間違いなくカルミアに惚れ込んでいるが、カルミアは彼と同じ気持ちは持っていない。それでも戦うという共通趣味のおかげで手紙のやり取りを楽しんでいると聞く。
「トリシャ。わたしがもしも大公家を選んだら着いてきてくれますか?」
「もちろんです。我が姫、我が主」
「ジニアスは侯爵家の跡取りだから無理だけど、トリシャにはついてきてほしいです」
***
アンザス帝国に隣接するドラスニト王国は帝国北西にある。気候としては冬こそ雪は降るが、夏場などは南部に比べて涼しく、観光地のある領を幾つか有している。
大公家は現国王が玉座に就いた際、側室の子であった異母兄が立てた家である。本人はもともと玉座に関心が無かった為に大公に任ぜられることに不満は無かった。
その第一子であるジェレミーは王家のスペアとして育てられていた。現国王の子は一人だけで、王子に何かあれば代わりとなる者がいなくなる。
大公家はそれを踏まえた上で作られていた。
スペアはスペアのままで良いと思っていたのだが、その王子の傲慢ぶりと無能さが明らかになってきた。唯一の王子という立場が勘違いさせたのか助長させたのかは分からない。しかし、このままでは国の危機となりかねない。
そこで大公はジェレミーと歳の近い第四皇女ルピナスの婚約者候補に己の息子を推した。
大公の異母弟である国王ははじめこそ王子の方を、とそちらを推し進めようとしたけれど、王子の愚行は間違いなく帝国が調べあげる。その時に後ろめたい事は本当に無いのかと問えば国王は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
ジェレミーはあらゆる分野において突出した才能は持っていないけれど、あらゆる物を標準よりは上回る程度に修めていた。
ルピナスとの手紙の時はそれが役立ち、本なども様々な分野のものを読んでいたので話を合わせることが出来ていた。
手紙の中のルピナスは好奇心旺盛に見えた。
絵姿を見ると精巧な人形のような愛らしい少女は、手紙の中で実に饒舌で、本が好きなのだと分かる。
美しい筆致だが、ほんの少し丸みを帯びた字体が可愛らしくて、誰もいない部屋の中、そっと手紙に口付けた事もある。
ルピナスの婚約者候補は現在ジェレミーを含み三人にまで絞られている。二人は帝国内の貴族で、ジェレミーはその時点でやや諦めが入っていた。
かの皇帝はわざわざ皇女達を外に出す必要も無いと思っていて、帝国内で元々婚約者を探していたのだとか。
属国の大公の子息でしかないジェレミーが求めるにはあまりにも高みにいる皇女。婚約者候補に名を連ねる事が許されたのも、周辺諸国への「一応他国も考えた」と言う建前のようなものなのだろう。
何れ帝国のどちらかが選ばれてジェレミーには断りの連絡が来て、それで終わりになるはずだった。
「え、俺が帝国に?」
「そうだ。ルピナス第四皇女殿下が、婚約者候補全員との直接対面を望んでいらっしゃる」
「わかりました。直ぐに出立の支度を」
「ジェレミー。皇女殿下とて一人の少女だ。皇族として立つ皇女殿下にもお前のように好きな物、苦手なものがある。それをきちんと理解してあげなさい」
「父上?いきなりどうしたんですか」
父から呼び出されて向かった執務室の中では、父と母、そして執事が重たい空気を生み出していた。
何が起きたかと思えば帝国皇女からの呼び出しで、お互いの絵姿を送り合い手紙でのやり取りしか出来なかったのは、ジェレミーが忙しすぎて国外に出られなかったからだ。
王子と同じ教育を受けながら貴族教育も受けていて、ジェレミーが帝国に赴く予定が中々立てられなかった。
王子が次期国王として不適格ではと見なされるようになり、ジェレミーの教育は更に過酷になった。しかし、皇女からの呼び出しは何よりも優先すべきこと。
手紙と共に送るつもりだった、更に西の国から手に入れた本を手土産にしようとジェレミーは考えていたが、父の沈鬱そうな顔と言葉に首を傾げた。
ルピナスが一人の女の子だと言うのはよく分かっている。手紙に愚痴は書いていないけれど、苦手なんだろうなぁと思うことが書かれていることもある。
本に描かれている星空の描写に興味を抱いて空を見あげたことや、透き通る青の湖を見てみたい事や、かと思えば歴史書に記載された中でおかしいと思う事を何日もかけて調べたことも、手紙には書き連ねられていた。
ルピナスは本が好きで好奇心旺盛なただの女の子の一面を手紙で見せてくれていた。
帝国から出たくないことは手紙からわかっていたので期待はしていない。対面で断りを入れられるんだろうなぁ、とこの場にいる誰よりも現実的なジェレミーはそう予測していた。
それでも本を贈るのは、ルピナスの中に僅かにでも自分という存在がいた事を残したかったからに過ぎない。
帰国したら婚約者探しを行うんだろうなぁ、と手紙越しの初恋を封じなければならない現実に寂しさを感じながら、出立の支度をする為に自室に戻った。
***
赤茶の髪の毛に深い緑の目。年は一つしか変わらないのに随分と背が高いと思いながら、ルピナスは絵姿でしか知らなかった最後の婚約者候補と顔を合わせていた。
「ドラスニト王国がダーレン大公の嫡男ジェレミーにございます」
「手紙では何度もやり取りをしていたけれど、初めて会えて嬉しいです」
「おれ……いえ、私も皇女殿下にお会い出来て本当に嬉しく思います」
他の候補者とは何度か会っているから、と今回の対面はジェレミーだけにしたけれど、初めて顔を合わせたのにどうしてかそうは思えなかった。
手紙でルピナスは皇女の顔を少しだけ外していた。好きな本の事を語っていただけだが、顔を合わせるよりも遥かに心の内を語っていたように思う。
外に出るつもりが無かったから、きっと会うことも無く終わると、そう思っていたから見せられたのかもしれない。
テーブルの上に並ぶのはカルミアの料理人レーグが態々カルミアの命でやって来て作ってくれたもの。ルピナスが好きなものばかりが並んでいる。
「もしかして、こちらのお菓子は皇女殿下が手紙に書いてくださった、第三皇女殿下の料理人のものですか?」
「え、はい。どうして分かったのです?」
「手紙に書いて下さった皇女殿下がお好きなお菓子ばかりではないですか」
これはナッツの練り込まれたクッキー。これは甘い果実を酒に漬け込んだケーキではないですか?
そう語るジェレミーにルピナスの心臓は鼓動を強める。
手紙の中のルピナスは好きなことばかりを語っていた。大好きな姉達に関わる事も隠さず見せていた。
それを、ジェレミーは全部拾い上げてくれていた。ほんの一行にも満たない言葉すら、きちんと受け止めてくれていた。
ピンクゴールドの髪の毛を今日は一部編み込んではいるものの下ろしている。頭が動く度にふわふわと揺れる髪の毛。
「殿下はあまり乗馬はお好きでは無さそうですが、馬車での移動は大丈夫ですか?」
「はい。馬車は大丈夫、です。窓から見る景色が好きです」
「良かった。ドラスニトには『マリーベルの晩鐘』に出てきた森の蒼き湖に似た場所があるので、いつかお越しください」
優しい笑み。
ルピナスが見せたほんの小さな欠片も大事にしてくれる人。
「ドラスニト王国には、図書館は、ありますか?」
「帝国ほどではありませんが。西方の国から持ち込まれた本なら帝国より多いかもしれませんね」
「読み切るのに時間がきっと掛かりそうです」
「そうですね。おそらく短期間では足りないと思いますよ」
「ジェレミー様。私は、貴方とこれからも沢山語り合いたいです。顔を見て」
「え、えっ」
国を離れる事にやはり躊躇いはある。でもきっとそれでは何も成長しない。何の変化も起きない。
トレニアが国を出ることを選んだように、カルミアが辺境の地へ嫁ぐように、ルピナスも自分の道を選ぶ時が来た。
「私、きっと図書館の本を増やしてしまいますけれど大丈夫ですか?」
「っ……はい。皇女殿下の望むものはいくらでも集めましょう」
「嬉しいです」
小さな事でも大切にしてくれるジェレミーとなら、きっと上手くやっていける。
ルピナスは15歳の年相応の少女のように笑った。皇女としての微笑みではなく心からの笑顔だった。




