コーヒーとクッキー
三題噺もどき―ななひゃくよんじゅうろく。
窓の外には深い暗闇が広がっていた。
新月を迎えた月はその姿を消し、天気も悪いせいで星も見えない。
どうやらこれから雨が降るようだが、まぁ、今日は関係もないので、気にすることでもない。
「……」
ソファに座り、膝の上に置かれた本のページをめくる。
ここ数日の不調が祟ったのか、今日は仕事がおぼつかなくなった。
朝食後すぐは調子がよかったのだが、どうにも手につかないばかりか思考があちこちに行くものだから、進むものも進まない。それでも何とか最低限の仕事はした。
「……」
それから、昼食を食べて散歩にでも行けば調子も戻るだろうと思って、さて、と思い外出の準備を進めようとしたのだが。
心配性な同居人である私の従者に、今日は外出禁止、これ以上の仕事も禁止と。言い渡されたのだ。
「……」
それでまぁ、聞かずに散歩に行くでも仕事をするでもしてよかったのだが。
思いのほか自分でも限界だったらしく、こうして休んでいるわけだ。
部屋に引きこもっていると何かあったら困るのでリビングにいてくださいと言われて、外の見えるソファに座って、大人しく読書をしている。
「……」
秒針の音がカチカチと進んでいく。
一周すれば、短針が少し進んで。
その短針が一周するうちに、長針は次の数字を指す。
「……」
時間というのは、残酷なものだ。
こちらの意志など関係なく過ぎていく。
こんな概念を発見した人間は果たして歓喜したのだろうか。
それとも絶望したのだろうか。
「……」
それから時計というモノが作られて、いつでも時間が見えるようになったわけだが。
そうしてまで時間というモノに縛られたいと思ったのだろうか。
わざわざ巨大な時計台のようなものまで作ってまで、時間が大切なのだろうか。
「……」
記憶に上る時計台は、そこから離れた村に住んでいる人間にその日の始まりと終わりを告げるものだった。
耳が聞こえなくなりそうなほどに巨大な鐘の音と共に、始まりが告げられると、太陽が差し込み激痛に襲われた。それからまた、何も聞こえなくなったころに振動だけでもうるさいと分かるような音が響き、終わりが告げられると。
真っ赤な弓のようにゆがんだ唇が、食事をもって暗闇から現れる。
「……」
それから何をされたか覚えてもいないが。
鋭い爪とあの唇だけが脳裏に焼き付いて、今もこうして、時折意識に上る。
忘れようと足掻こうとも、忘れられないものだ。
記憶というのは厄介だ……こんなモノばかりを残していく。
「ご主人」
「……ん」
いけない、ぼうっとしていたようだ。
いつの間にかすぐそばに立っていた小柄な青年の声で、我に返る。
つい先ほどまでキッチンで何かを作っていたのに。
「……休憩にしましょう」
「あぁ、うん」
手にはどうやら二人分のマグカップを持っていたようで。
そういいながら、机の上にそれを置いて、もう一度キッチンに戻っていった。
中身はコーヒーのようだ。独特なその香りが鼻をくすぐり、心なしか気分が落ち着く。
「……」
手を添えると、暖かな感触が返ってくる。
いつの間にか、かなり指先が冷えてしまっていたようだ。こんなに蒸し暑い夜なのに。
ジワジワと広がる熱は、少しの痛みを伴って指先から広がっていく。
「今日はいろんなクッキーを焼いてみました」
「ほぅ……」
そういいながらキッチンから持ってきた皿の中には、これでもかという程に山盛りのクッキーがあった。
シンプルなモノからココアクッキー、チョコチップクッキー、ジャムが挟まれたモノや、レモンの形をしているのはそのままレモンクッキーだろうか。
すこし小さなクリームを絞ったような形をしているのは、メレンゲか。その他パッと見ただけで数種類ある。
「また随分と……」
「材料が色々あったので、」
「この間も大量に作ってただろう」
「あれは、クッキーを使ったお菓子ですから別です」
「それはそうだが……」
そんな何でもない会話をしながら。
ゆっくりとコーヒーとクッキーを食べた。
少し前までの嫌な気分が綺麗さっぱり―とはいかないが。
すこしは気分が楽になっていった。
「フロランタンまで作ったのか……」
「アーモンドは砕いただけですけどね」
「これは……?」
「それは、失敗作です」
「……お前」
お題:コーヒー・時計台・クッキー