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鳴かないインコ

作者: 紅茶


鳴かないインコ


 先月、祖母が亡くなった。

 孤独死だったという。たまたま様子を見に来た市役所の人が異臭に気づいて通報したと、母から聞かされた。

 葬儀は親族のみでひっそりと行われた。

 娘の母親だけが参列し、父親と、俺を含めた兄弟は繋がりはほとんどないから行かなかった。

 同居の家族はおらず、遺されたのは築120年の木造住宅と家具一式、そしてひとつの、鳥かごだった。



「インコ、だったんだって」



 母がぽつりと言った。

 祖母が何年も前から飼っていたらしい。名前は鳥かごに書かれていた。多分黄緑色だから「みどり」なのだろう。そのまんまだ。

 だが、母も父も祖母とは疎遠で、インコのことなど知らなかった。


 俺は、その家に引っ越すことになった。

 遺産相続その他諸々、ややこしいことは全て母親が処理した。

 姉弟がいるらしいが、俺は面識がない。

 財産は概ね三等分され、処分に困る家は、俺が住みたいと言ったから母親が引き取ることになった。

 理由は単純、家賃がいらないから。

 母親はあまり前向きではなかったが、反対はしなかった。


 東京のアパートを出て、祖母の遺した神奈川の家に住むことになった。大学もそこまで遠くないし、家賃がいらない分、生活は楽になる。

 懸念事項はアルバイトをどうするかと、新生活に対する漠然とした不安もあったが、いざ来てみると、確かに家は人里離れたところにあるが、少し行けば開けた街に出られるし、なにより家の雰囲気はどこか懐かしいような、落ち着いた空気があってすぐに気に入った。



「来たことがあったらしいが」



 祖母と母は、俺が生まれるずっと前に疎遠になっていた。理由は詳しく聞いていないが、祖父母が離婚して、母は父親について家を出て行ったらしい。以降、ほとんど連絡を取っていなかったが、俺が生まれたのを機に、少しだけ交流を持ったとのこと。俺も小さい時に連れられて1度来たことがあると母親が言っていた。しかし何分、小さい時のことで、母親すら正確な年月が分からないくらい前のことだから、当然俺は記憶にない、祖母の顔すら、わからなかった。


 祖母──もとい母親の一族は、もともとこの村を拓いた有力な一族の末裔だったらしい。

 ただ祖母の母親、つまり曾祖母の代でちょっとした事業に失敗し、落ちぶれてしまったらしい。

 

 家の中はひんやりとした空気が漂っていた。

 遺体が放置されていたという居間は、覚悟して入ったが、綺麗に掃除がなされていて、噂で聞くようなシミなどもなく、どうやら畳も張り替えてくれたらしい。

 臭いがこびりつくとは聞くが、古い家特有のカビくささというか、あるいは独特な虫除け剤の臭いが混じり合っていて、あまり気にはならなかった。

 一応、祖母が死んでから、母親は何度かこちらに来て色々やってくれていたらしい。インコのこともあるし。

 俺は全ての部屋をみて回った。

 祖母の性格故なのか、あるいは母親が掃除してくれたからなのかは分からないが、どの部屋も綺麗に片付いていた。

 いくつかの部屋をみて回り、最後についたのが、祖母の部屋だ。

 この部屋にインコが飼われているらしい。

 引き戸を開くと、こじんまりとした部屋で、和室を無理に洋風にした部屋があった。

 そして部屋の中央には鎮座するのが件の鳥かごと、インコだった。

 鳥かごには「みどり」と書かれたプレートが下がっていた。



「こいつか」



 俺が入ってきたというのに、そのインコは微動だにせず、まるで置物のように思えた。

 もしかしたら本当に置物なのかと思い、よくよく観察してみると、呼吸する様子が僅かに見られ、生きていることは分かった。



「触っていいのかな」



 インコの飼い方は一通り勉強してきた。

 気をつけるべきは、ひとまずストレスを与えないことだ。

 急に一人になったのだ。

 恐らく既にストレスを溜めているのだろう。 

 可哀想だと同情した。

 知らない人間がいきなり現れて触ってきたら、なおのこと怖いかもしれない、ということで、餌だけ補給してその部屋を後にした。

 そして、やはり奇妙なことではあるが、俺がその部屋に来てから出ていくまで、もしかしたら出ていってからもずっとなのかもしれないが、インコは全く微動だにせず、そして、鳴かなかった。


 そのインコ――「みどり」は、一切鳴かないのだ。


     ※


「喋らないのか?」


 俺がインコにそう聞いたのは、引っ越して三日目のことだった。


 小さな鳥かごの中、鮮やかな黄緑色の羽根をしたそのインコは、じっとこちらを見つめていた。

 首を小刻みに動かすこともあったが、羽音も鳴き声も出さない。羽ばたくわけでもない。

 まるで“壊れたおもちゃ”みたいに、そこにいる。


 気になって、スマホで調べてみた。

 インコは、特にセキセイインコはよく喋る鳥らしい。人の言葉を覚えたり、名前を呼んだり、感情をまねたりもする。

 でも「みどり」は、声すら出さない。


 名前を呼んでも、指を差し出しても、無反応。


 まるで、喋らないように訓練されたかのようだった。



「飼い主が死んで、悲しんでいるのかな」



 そういう話は聞いたことがある。

 飼い主が死んで元気をなくす犬。

 ストレスで自分の毛を抜くようになったオウム。

 近い存在が亡くなることで、ペットはやはり悲しむらしい。

 このインコもそうなのかもしれないと、俺は思った。

 そう思うようになると一層、俺はこのインコに同情心が湧いた。

 祖母に対しては、全くと言っていいほど何も感じていないが、祖母の残したこのインコだけは、しっかりと世話をしよう。そう心に決めた。

 そしてそれが、名前も顔もあやふやだが、祖母に対する供養になるだろう。

 そんなことも思った。




     ※



 その夜のことだ。


 真夜中、外からの風が家を軋ませていた。築120年の木造家屋は、風の音ひとつでまるで誰かが歩いているような音を立てる。

 屋根裏から、ミシ、ミシと重たい音がした。俺は眠れず、布団の中で目を開けていた。


 そのときだ。


 ――たすけて。


 女の声だった。

 はっきりと、耳元で聞こえた。


 俺は跳ね起きた。


 部屋に誰もいない。玄関は閉まっている。外も静かだ。

 でも、確かに聞いた。「助けて」と。


 部屋を出て、廊下を通り、なんとなく、インコのいる部屋へ向かった。

 暗い部屋。カーテンは閉じてある。光はない。


 部屋の中央には変わりなく、インコがいた。みどりが。


 鳥かごの中、止まり木にじっと乗って、首をかしげている。

 さっきと何も変わらない、何の音も出さない、鳴かないインコ。


 ……と思ったその時。


 カサ……。


 小さな音がした。

 

 そして――


 ――たすけて。


 同じ声が、再び聞こえた。

 

 どこからか。

 いや、違う。今度は確かに、この部屋の中から、聞こえた。

 そして恐らく……鳥かごの中から。


 インコの口がパクパクと動いていた。


 口の動きはよく見えないが、俺にはどうも「タ・ス・ケ・テ」と言っているように思えた。




     ※




 次の日、俺は祖母のことを調べ始めた。


 大きい家だから、蔵もあるし倉庫もある。

 もう何十年も使われていないであろう蔵に関しては、戸を開けた段階で諦めた。教科書に載っているような農機具の数々に、埃かぶった葛籠の山々。一つひとつ開けて調べていたら何週間もかかるだろう。

 ひとまず、祖母の部屋から見ていくことにした。昨夜の事があったから、何だかとても薄気味悪い感じがしたが、開けてみればなんてことはなく、しっとりとした空気の中に、いつも通りインコが黙して座している。

 手始めに机の引き出しを開けてみた。

 数冊のアルバムとレンガのように分厚い日記帳がしまわれていた。

 何冊かペラペラとめくると、祖母の若い頃の写真や、母親の幼い時の写真、そして祖父の写真が収められていた。

 写真のくたびれ具合から、何度も開かれていたのだろう。

 祖母の気持ちを思うと、少しこみ上げるものがあった。

 家族の集合写真も見つかった。

 かろうじてわかるのは、俺の母親、おば、おじ、祖父、それから、祖父の隣にいる彼女が祖母なのだろう。後は年老いた老婆と老人──曾祖母と曽祖父だろうか、それから青年が2人、これも誰だかわからない。近所の人だろうか。そして最後に、母と叔母より少し年齢が上と思われる少女。

 総勢、10名。 

 落ちぶれたと聞いていたが、写真に映る人達は笑顔で、唯一、祖母だけが口を結んで不満げに見えた。


 次に日記帳を手に取ると、留紐が緩んでいて今にも全てがほどけそうだった。

 いたわりながら机において、表紙を眺める。

 

『Diary』


 表紙には、量産品を思わせる英語が印字されていて、特に祖母がつけたタイトルのようなものはなかった。

 年月日のメモ書きがあり、どうやら50年ほど前から書き連ねているものらしい。

 祖母が亡くなったのは70歳だから、だいたい20代の時から書き始めたのか。


 内容は、取り立てて特別な事が書かれているわけではなかった。

 1日の出来事が数行にまとめられていて、概ね今日の献立、どこに行ったか、何をした、そんなありふれた日常が、つらつらと書きつづられていた。

 母の生年月日を探してみると、喜びに溢れた内容が数ページにわたって綴られていた。今から40年前で、当時の祖母は30代か。

 それから一気に、最後のページまで飛ばした。詳しく読めば色々分かりそうだとも思ったが、何分、50年分だ。

 全て読むにも時間がかかる。

 時間がある時にゆっくり読ませてもらおう。

 最後の日付は、30年前の7月10日。

 祖母は40代で、母は10代。

 

《今日で最後、明日から入院。帰ってこれたら続きを書きます》


 そして、最後に、こうあった。


《あの日のことは誰にも言わないでね。たとえ、声が出るようになったとしても》


 その意味するところは、祖母にしか分からないだろう。

 ページを戻って読み返してみたが、何か病気を患っていたと言ったことは書かれておらず、今日何をしたのかとか、今日何を食べたとか、とりとめのない事が書かれているばかりだった。

 日記を読んだことで、俺の中では謎が氷解するどころか、増すばかりであった。

 何となくだが、違和感もあった。

 上手く言語化できないが、嘘くささというか、現実的な内容なのに、何となくだが本当に思えない。

 そして何より違和感を覚えたのは、日記から感じられた祖母の『穏やかさ』である。

 母親の様子から、俺は祖母が偏屈な人間なのだろうと想像していた。

 俺の母親は、身内びいきかもしれないが、人柄もよく、誰かを嫌ったり、嫌われたりすることが決してない。

 明朗快活で、融通も利く。

 何かあれば事情はちゃんと聞いてくれるし、それでいて公明正大な判決を下してくれる。

 言ってしまえば、自慢の母親だ。


 そんな母親が、祖母の話となると殆ど語らず、語る際にはまるで赤の他人の話をするかのように、無感情で話すのだ。


 あの人、と代名詞で自分の母親を呼ぶ姿を見ていると、その関係性も窺えてくる。

 善性を帯びた母親に対する祖母という構図が、否応なしに俺の中で、悪意に満ちた存在としての祖母を形作ったのだ。


 しかし、アルバムや日記に見られる祖母の姿からは、そうしたマイナスの要素は一切見られず、むしろ母親と同様の善性すら感じるのである。



「喧嘩別れ、とかなのかな」



 あるいはとてつもない背信行為に手を出したとか。娘から親子の縁を切られるほどの。果たしてそれは、どんな行為なのだろうか。


 その後も俺は、祖母の部屋を調べて回った。

 しかし以降はこれと言った発見もなく、強いて言えば、よく整頓されすぎているなと思うくらいだった。

 

 インコの方に目をやると、あいかわらず殆ど動いた様子はなかったが、今は黒い円らな瞳が閉じていて、どうやら眠っているようだった。


 ああ、ちゃんと生きているんだと、寝ている姿を見て俺は若干の感動すら覚えた。


 そして更に大きな変化として、置物のようであったみどりが、俺の前でも少しづつ動くようになった。


 俺に慣れてきたということだろうか。

 鳥かごに指を差し込むと、足で触ったりくちばしで軽く噛んできたりするようにもなった。


 相変わらず鳴くことはないけれど。

 



     ※




 2〜3日して町役場に行ってみた。

 図書館を併設しているこじんまりとした施設でまずは町史を調べてみた。

 歴史は古く、概ね戦国時代からあるらしい。

 村を興したときに、祖母の祖先が力を尽くしたと聞いていたが、この頃から居たのだろうか。

 祖母の住民記録も調べた。

 孫であることを伝え、手続きをしていると、昔からここに住んでいるという部長さんがやってきて、祖母の話をしてくれた。

 何でも、若い時には屋敷(今俺が住んでいる家)に下宿させてもらっていたそうで、とても親切にしてくれたとのこと。

 もしかしたら、あの家族写真に写っていた青年がこの人なのかもしれない。

 詳しく祖母のことを聞きたいというと、わざわざお昼に時間を作ってくれて色々話をしてくれた。

 祖母が離婚した時のことも知っていて、むしろ俺がその理由を知らないことに驚いていた。



「私から話してよいのか分からないが……」



 と言い淀んでいたが、俺が無理にお願いすると話してくれた。

 要約すると、祖母にはもう一人娘がいたらしい。つまり俺の母親は、三人姉弟ではなく四人姉弟。

 その長女にあたる人物が、不慮の事故で亡くなってしまった。

 その場に居合わせた祖母は酷く落ち込んでしまい、あらぬ妄想を持つようになってしまった。

 祖父と母たち姉弟は祖母を支えようとしたが、やがて良くない人物(いわゆる祈祷師とか、占い師のような連中)と付き合うようになり、母や伯母に害をなす恐れが現れたため、離婚し離れることになったという。


 確かに、話したくなかっただろうし、知られたくなかったであろう話だった。



「知らないままのフリをしてくださいね」



 と部長さんからは念を押された。



「祖母は、そういう人達と知り合って何をしたかったんでしょうか」


「当時は、大分様子がおかしかったので……どうも本気で、長女を蘇らせようと考えていたみたいです」



 蘇り。

 あまりにもオカルトな話だが、愛する娘を失ったとなれば正気を失うこともあるのだろうか。まぁ、それで妹たち(母と伯母)に危害を加えるとなると擁護できないが。


 随分と話し込んでしまい、気がつけば1時間が経っていた。


 もうすぐお昼の休憩時間も終わる。

 俺は部長さんに謝辞を述べ、最後に、聞きそびれていたことを聞いた。なんとなく、予感めいたものはあったのだけれど。



「あの、最後に、その亡くなった長女、僕からみた伯母の名前を教えてもらえますか」


「ああ」と部長さん


「みどりさんだよ。厳島みどりさん」




     ※




 まとめるとこうなる。

 母は四人姉弟

 長女が死に、祖母の気がふれる。

 オカルトにハマり、母と伯母に危害が及びそうになったため離婚。

 そして恐らく、日記にあった入院というのは、精神病院だろう。

 部長さんの話には出てこなかったが、もしかしたら色々手助けをしてくれていたのかもしれない。


 俺は改めて祖母の日記を読み返した。

 母の誕生日から遡ること5年。

 みどりさんの生まれた日を見つけた。

 母の時と同じように(いや、本来なら逆なのだが)喜びに溢れた内容が数ページにわたって書かれていた。

 亡くなった日はどこだろう。

 しかしいくら探しても、みどりさんが亡くなった日(正確に言えば、みどりさんが亡くなったという記事)を見つけられなかった。

 それだけじゃない。

 離婚の時のことも、祖父や母たちが家を出ていってしまったことも、そして良くない人達と関わったことも書かれていない。

 俺は少しだけ、背中にひんやりとしたものを感じた。

 よくよく見れば、書かれている献立もおかしい。

 日記の後半、つまり入院する前には、既に祖母は一人のはずだ。

 それなのに書かれている分量は、どう見積もったとしても一人分じゃない。



「ああ、そういうことか」



 そして一つの、仮説を立てた。



「この日記は、祖母の妄想なのか」



 部長の話を勘案すれば、少なくとも母が10代の頃にみどりさんを亡くして、祖母は気がふれてしまっているはずだ。

 そんな様子を微塵もみせないこの日記は、恐らく祖母が願ったありもしない日常なのではないか。

 そして違和感の正体も見つけた。

 筆跡が、最初と最後でまるで同じなのだ。

 普通、50年もあれば字も変わる。

 恐らくこの日記は、ある時期に一気に書かれたものなのだろう。


 そうした考えに至って、俺は恐怖よりも憐憫の情を祖母に抱いた。


 どんな気持ちでこの日記を書いたのだろうか。

 ありもしない日を、願ってもやまない日常を求めて、50年分。

 並大抵の労力ではない。

 その思いを想像するだけで、俺の胸には込み上げるものがあって、少し、泣きそうになった。



「ごめんね」



 ふと、背後から声がした。

 俺が振り返ると、そこにはインコが、こちらを向いて、俺の姿をじっと見つめていた。

 そして、もう一度。



「ごめんね」



 インコが鳴いた。



 

     ※



 インコが人の声を真似る理由。

 インコはもともと群れで暮らす動物だ。野生のインコは仲間同士で鳴き声を真似し合いながら、絆を深めたり、群れの一員であることを確認したりするらしい。


 人間と暮らしているインコにとっては、「飼い主=仲間」。

 そのため、飼い主の声をまねすることで仲間意識を高めようするのだそうだ。


 インコのみどりは、ふたつの言葉を発した。


 夜中に一言「たすけて」と、俺が日記を読んでいるときに「ごめんね」。


 一部の研究では、インコが言葉の「意味」まである程度理解している可能性が示唆されている。

 たとえば「おはよう」は朝、「バイバイ」は飼い主が出かけるとき、など、状況と言葉を結びつけていることがあるらしい。


 つまりみどりは、夜中には「たすけて」日記を読んでいる時に「ごめんね」という言葉を結びつけているのだ。


 これが意味するところを考えると、俺は嫌な想像をしてしまう。


 本当に心が苦しい時、人は「たすけて」と叫ぶものだ。誰にでもなく、ただひたすら、たすけてほしくて助けてと叫ぶ。たとえ助けがこなくとも。

 心底謝りたくて、どうしようもない時に、人は「ごめんね」と呟くのだ。

 その思いが届かなくとも、自身の心を壊さないために、ごめんねと謝り続けるのだ。


 インコが、人の言葉を、覚えるのにはどれくらいの時間がかかるのだろうか。

 1日やそこらでは覚えない。

 何日も何日も繰り返して、ようやく覚えるのだ。


 その後みどりは、再び鳴かなくなった。


 これはある意味、救いなのかもしれない。

 

 いつか母がこの家に来た時、俺と同じ思いをしなくて済むのだから。

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