第31話:影からの依頼
「……私の力が必要、ですか」
俺は、目の前に立つダークエルフ、シャロン・ナイトウォーカーを警戒しながら、慎重に言葉を返した。彼女から放たれるプレッシャーは、ゴブリンキング(変異体)とはまた違う、もっと底知れない、人間の(あるいはエルフの)暗部を凝縮したような、冷たい凄みがあった。
元暗殺者、情報屋、始末屋。そして、俺のスキル【デバッガー】の正体を知る人物。下手に刺激すれば、この場で消される可能性すらある。
「ええ、そうよ」シャロンは、フードの奥で妖艶な笑みを崩さない。「あなたのそのユニークな『眼』……物事の構造、法則、そしてその『欠陥』を見抜く力。それは、ある特定の『問題』を解決するために、非常に有効だと判断したの」
「特定の『問題』、ですか」俺は聞き返す。「それは、具体的にどのような?」
「焦らないで、”デバッガー”さん」シャロンは、人差し指をそっと自分の唇に当てる仕草をする。「話をするには、ここは少々人目につきすぎるわね。場所を変えましょうか? 私の『隠れ家』が近くにあるのだけど」
彼女の提案は、罠である可能性も否定できない。だが、ここで断れば、彼女がどう出るか分からない。それに、彼女が何を知っていて、何を依頼しようとしているのか、知りたいという好奇心もある。俺のスキルが、一体どんな「問題」の解決に役立つというのか?
(……リスクはある。だが、情報を得るためには、多少のリスクは覚悟の上だ)
それに、彼女の【情報読取】結果では、「敵意:低」「目的:監視・接触?」とあった。少なくとも、現時点ですぐに俺を害するつもりはないのかもしれない。
「……分かりました。案内してください」俺は、覚悟を決めて答えた。
「話が早くて助かるわ」シャロンは満足そうに頷くと、音もなく踵を返し、闇に溶け込むように裏通りを進み始めた。俺は、警戒を怠らず、一定の距離を保ちながら、彼女の後に続いた。周囲にいた他の監視者たちの気配も、いつの間にか消えていた。おそらく、彼女の仲間か部下なのだろう。統率の取れた動きだ。
シャロンに案内されてたどり着いたのは、リューンの裏通りの中でも、特に寂れた一角にある、古びた小さな商店だった。看板は朽ち落ち、窓も板で塞がれており、一見すると廃屋にしか見えない。
「ここが、あなたの隠れ家?」
「ええ、表向きはね」シャロンは、慣れた手つきで店の扉の鍵を開け、中へと入っていく。「安心して。罠なんて仕掛けてないわよ。私だって、優秀な『ツール』候補を、そう簡単には壊したくないもの」
「……ツール、ですか」彼女の言い方に、少しカチンとくる。だが、彼女にとっては、俺も利用価値のある道具の一つに過ぎないのだろう。それは、俺が【デバッガー】スキルを「利用」するのと同じなのかもしれない。
店の中は、外観通り、埃っぽく、物が散乱していた。だが、シャロンは奥の壁の一部に手を触れ、何かを操作すると、壁が静かに横へスライドし、隠し通路が現れた。
「こちらへどうぞ」
隠し通路の先は、地下へと続く階段になっていた。階段を下りると、そこには外の廃屋からは想像もつかないような、清潔で機能的な空間が広がっていた。広さはリリアの工房と同じくらいだが、こちらは整理整頓が行き届いている。壁には詳細な地図や、人物相関図のようなものが貼られ、テーブルの上には、暗号化された通信機らしき魔道具や、様々な種類の薬品、そして見たこともない形状の武器や道具が置かれている。まさに、プロの情報屋兼始末屋の仕事場、といった雰囲気だ。
「さて、座って」シャロンは、部屋の中央にあるテーブルセットの一つを指し示す。「お茶でも出すわ。毒は入っていないから安心して」
彼女は、棚からティーセットを取り出し、手際よくお茶を淹れ始めた。その所作は、暗殺者というイメージとはかけ離れた、優雅さすら感じさせるものだった。
俺は勧められるままに椅子に腰掛け、改めてシャロンを見た。フードは取っており、その美しい顔立ちが露わになっている。ダークエルフ特有の褐色の肌、銀色の長い髪、そして血のように赤い瞳。妖艶でありながら、どこか影のある、ミステリアスな美貌だ。外見年齢は20代前半に見えるが、実年齢は100歳を超えているという。その長い年月の中で、彼女はどれほどの闇を見てきたのだろうか。
「それで、本題に入りましょうか」シャロンは、お茶を差し出しながら切り出した。「あなたに依頼したいのは、ある『遺物』の解析よ」
「遺物……? また、古代の遺物ですか?」俺は、リリアと解析したホログラフ・キューブを思い出す。
「ええ。ただし、今回のは少しばかり『曰く付き』でね」シャロンは、意味深な笑みを浮かべる。「それは、リューンのある貴族が密かに所有しているもので、強力な呪い、あるいは何らかの『バグ』を内包しているようなの」
「呪い……バグ……?」
「その貴族はね、最近になって奇妙な行動を取り始めたのよ。夜な夜な屋敷を徘徊したり、意味不明な言葉を呟いたり……まるで、何かに操られているかのようにね。原因を探るために、私の情報網で調査したのだけど、どうやら、彼が最近手に入れたという、その『遺物』が関係しているらしいのよ」
「その遺物が、貴族を操っていると?」
「断定はできないわ。でも、可能性は高い」シャロンはカップを置く。「問題は、その遺物が何なのか、どんな力を持っているのか、全く分からないこと。そして、下手に手を出せば、貴族だけでなく、周囲にも被害が及ぶかもしれない。そこで、あなたの出番よ、”デバッガー”さん」
彼女は、赤い瞳で俺を射抜くように見つめる。
「あなたに、その遺物の『情報』を読み取り、それが持つ『呪い』や『バグ』の正体を突き止めてほしいの。可能であれば、それを無力化、あるいは制御する方法も見つけ出してほしいわ」
(……貴族が持つ、呪われた遺物の解析、か)
危険な依頼であることは間違いない。貴族の屋敷に忍び込み、正体不明の遺物にアクセスする。失敗すれば、ただでは済まないだろう。
だが、同時に、強い興味も惹かれた。「呪い」や「精神操作」といった現象も、この世界のシステムにおける一種の「バグ」として解析できるのだろうか? もし可能なら、【デバッガー】スキルの応用範囲は、さらに大きく広がることになる。それに、シャロンが掴んでいる「裏の情報」も魅力的だ。
「……報酬は?」俺は、ビジネスライクに尋ねた。
「そうね……」シャロンは、楽しそうに口角を上げる。「まずは、金貨50枚。そして、もし遺物の無力化、あるいは制御方法まで見つけ出せたら、さらに金貨100枚。それに加えて、あなたに『特別な情報』を一つ提供しましょうか」
「特別な情報?」
「ええ。例えば……そうね。あなたが気にしている『魔力汚染』の、より詳しい情報とか。あるいは、あなたのような『転生者』に関する、ギルドも知らないような情報。それとも、あなたのスキル【デバッガー】の由来に関わる、古代文明の秘密……どれがいいかしら?」
彼女は、俺の心を的確に読み、最も興味を引くであろう情報をちらつかせてきた。
(……!)
魔力汚染、転生者、スキル【デバッガー】の由来。どれも、俺が喉から手が出るほど欲しい情報だ。金銭的な報酬以上に、その情報には価値がある。
(この女……俺のことを、どこまで知っているんだ?)
シャロンの情報網は、俺の想像以上に広範で、深いのかもしれない。
俺は、数秒間、考え込んだ。リスクは高い。だが、リターンも計り知れない。何より、この依頼は、俺のスキルを試し、成長させる絶好の機会になるだろう。
「……分かりました。その依頼、お受けします」俺は、決断した。「ただし、いくつか条件があります」
「ほう、条件とな?」シャロンは面白そうに眉を上げる。
「第一に、俺の安全は最大限確保してください。貴族の屋敷への侵入や、遺物へのアクセス方法は、あなたが責任を持って手配すること。俺は、あくまで『解析』に専念します」
「当然よ。優秀なツールは、丁重に扱わないとね」
「第二に、得られた情報(遺物に関する情報)は、俺もある程度共有させてもらうこと。ただし、俺のスキルに関する詳細や、俺自身のプライベートな情報については、あなたも不必要に探らないこと」
「ふふ、ギブアンドテイク、というわけね。いいでしょう。私も、あなたの秘密主義は尊重するわ」
「第三に、報酬の『特別な情報』は、依頼達成後に、俺が選択する権利を持つこと」
「ええ、構わないわ。あなたが満足する情報を提供しましょう」
「……以上です。この条件でよければ、契約成立としましょう」
俺は、シャロンと視線を交わす。彼女の赤い瞳の奥には、計算高さと、そして底知れない闇が揺らめいている。完全に信用できる相手ではない。だが、今は互いの利害が一致している。
「契約成立ね」シャロンは、満足そうに微笑んだ。「では、早速、作戦を立てましょうか。ターゲットの貴族は、マルクス子爵。彼の屋敷に、今夜、忍び込むわよ」
「……今夜、ですか? ずいぶん急ですね」
「善は急げ、と言うでしょう? それに、マルクス子爵の奇行は、日に日にエスカレートしているようなの。手遅れになる前に、原因を突き止めたいのよ」
彼女の表情から、笑みが消える。その声には、ビジネスライクな響きだけでなく、何か個人的な感情……あるいは、焦りのようなものも含まれている気がした。
マルクス子爵。呪われた遺物。そして、シャロンの真の目的とは?
新たな依頼は、俺をリューンの裏社会と、そこに渦巻く陰謀へと引きずり込んでいく。
俺は、差し出されたお茶を一口飲んだ。毒は入っていないようだが、どこか苦い後味がした。
これから始まる、影との共同作業。それは、俺の異世界デバッグに、新たな、そして危険な局面をもたらすことになるだろう。