第3話:最初の街とスキルの価値
煙を目指して歩き続けること、さらに一時間ほど。
森を抜け、開けた土地に出ると、ようやく目的地の全貌が見えてきた。それは、粗末ながらも木材で組まれた柵に囲まれた、小さな村だった。村、というよりは、開拓地の集落と言った方が近いかもしれない。質素な家が十数軒ほど肩を寄せ合うように建ち並び、中央には少し立派な建物――おそらく集会所か村長の家だろう――が見える。畑が広がり、家畜らしき動物の鳴き声も聞こえてくる。そして、生活の証である白い煙が、いくつかの家の煙突から立ち上っていた。
「……着いた」
安堵のため息をつくと同時に、ドッと疲労感が押し寄せる。ゴブリンとの遭遇と逃走で消耗した体力と精神力は、限界に近かった。しかし、ようやく文明(?)の気配がある場所にたどり着けたのだ。ここでへたり込んでいるわけにはいかない。
深呼吸を一つして、俺は村へと続く土埃の道を歩き始めた。身なりはボロボロ、元の世界のヨレたシャツとスラックスという、この世界では明らかに異質な格好だ。警戒されるのは必至だろう。下手に刺激しないよう、慎重に進む。
村の入り口には、粗末な木の門と、見張り台のようなものがあった。見張り台には誰もいないようだが、門の脇には槍を持った壮年の男性が二人、厳しい顔つきで立っている。俺の姿を認めると、明らかに警戒の色を強め、槍の穂先をこちらに向けてきた。
「止まれ! 何者だ!」
低い、威圧するような声が飛んでくる。
(……やっぱり、そうなるよな)
予想通りの反応だ。ここで慌てては逆効果だ。俺は両手を軽く上げて敵意がないことを示し、できるだけ穏やかな声で答えた。
「旅の者です。森で道に迷い、偶然この村を見つけました。少し休ませていただけないでしょうか? 水を一杯いただけるとありがたいのですが……」
男たちは互いに顔を見合わせ、俺の姿を値踏みするようにジロジロと見ている。特に、俺の奇妙な服装に訝しげな視線を向けているようだ。
「森で迷っただと? この辺りの森は魔物が出る。そんな恰好で無事だったとは、運がいいな」
片方の男が、疑わしげに言う。
「どこから来た? 見かけない顔だが」
「……遠い場所からです。名前はユズル、と申します」
本名を名乗ることに一瞬躊躇したが、偽名を使うメリットも特に思い当たらない。下手に嘘をついて後でバレる方が面倒だ。
「ユズル……妙な名前だな」
「服装も見たことがない。どこの国の人間だ?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。正直に「異世界から来た」などと言えるはずもない。適当にはぐらかすしかないだろう。
「かなり遠い東の……小さな国からです。嵐に遭って船が難破し、気づいたら見知らぬ森に……」
苦し紛れに、ありきたりな遭難者の設定を口にする。我ながら安直だと思うが、他に言いようがない。
男たちはまだ疑っているようだったが、俺が明らかに疲弊しきっている様子を見て、少しだけ警戒を解いたようだ。
「……まあ、立ち話もなんだ。村長に会ってもらう。下手に騒ぎを起こすんじゃないぞ」
そう言って、一人が先に立ち、村の中へと案内してくれた。もう一人は、依然として警戒を解かずに後ろからついてくる。
村の中は、想像通り質素なものだった。土壁の家、家畜の匂い、農作業に勤しむ人々。すれ違う村人たちは、皆いぶかしげな表情で俺を見ている。服装も、麻や革で作られた、中世ヨーロッパ風というか、ファンタジー作品でよく見るような素朴なものが多い。俺の化学繊維製のシャツとスラックスは、明らかに浮いていた。
(言葉が通じたのは幸いだったな。これも転生特典か? それとも、この世界の共通語が、たまたま日本語に似ているだけか? いや、それはないか……)
システム音声は日本語で話していた。おそらく、言語能力も転生時に調整されたのだろう。これも重要な情報だ。
案内されたのは、村の中央にある、他より少しだけ大きな家だった。中に入ると、恰幅の良い、人の良さそうな初老の男性が待っていた。彼が村長のようだ。
「やあ、旅の方。話は聞きましたぞ。ユズルさんとおっしゃるかな? わしはこのエムデン村の村長、ゴードンじゃ」
ゴードンと名乗る村長は、意外にも穏やかな口調で俺を迎えてくれた。
「ご迷惑をおかけします。村長のゴードンさん」
俺は丁寧に頭を下げる。
ゴードン村長は、見張りの男たちから俺についての簡単な報告を受け、改めて俺に向き直った。
「ふむ……確かに見慣れない身なりじゃが、悪人には見えんのう。森で難儀されたとのこと、さぞお疲れじゃろう。まずは、ゆっくり休まれなされ」
予想外に寛大な対応に、少し拍子抜けする。もっと尋問されたり、追い出されたりするかと思っていた。
「ありがとうございます。本当に助かります」
「ただし」と、ゴードン村長は続けた。
「この村も、そう裕福ではない。いつまでも客人扱いというわけにはいかん。しばらく休んだら、何か村の手伝いでもしてもらえんかのう? もちろん、相応の食事と寝床は用意するが」
「もちろんです。何でもやらせてください」
渡りに船だ。むしろ、こちらからお願いしたいくらいだった。無償で厄介になるのは、さすがに気が引ける。
こうして、俺はこのエムデン村に、一時的に身を置くことが決まった。空き家になっていた小屋をあてがわれ、まずは数日間、村の簡単な仕事を手伝いながら、体力回復と情報収集に努めることになった。
◆
エムデン村での生活は、想像以上に原始的だった。電気もガスも水道もない。水は井戸か小川から汲み、火は薪で起こす。食事は、畑で採れた野菜や、たまに狩りで得た獣の肉、そして硬い黒パンが主だ。元の世界の便利さに慣れきっていた身には、なかなかにハードな環境だったが、生きている実感はあった。
俺に与えられた仕事は、主に畑仕事の手伝いや、薪割り、水の運搬など、単純な肉体労働だった。元SEで体力には自信がなかったが、転生時に身体能力も多少向上していたのか、あるいは火事場の馬鹿力か、なんとかこなすことができた。
そして、仕事の合間や休憩時間に、俺は積極的に村人たちとコミュニケーションを取り、情報収集に努めた。
この世界には、剣と魔法が存在すること。魔物と呼ばれる危険な生物が生息し、人々はそれと戦いながら生活していること。スキルと呼ばれる特殊能力を持つ者がおり、特に戦闘系のスキルは重宝されること。通貨は「ゴル」という単位であること。このエムデン村は、比較的大きな町「リューン」から数日歩いた場所にある、辺境の開拓村であること……などなど。断片的ながらも、この世界の輪郭が少しずつ見えてきた。
同時に、俺は自分のスキル【デバッガー】についても考察を深めていた。村人たちには、正直に話すのはリスクが高いと判断し、「少しだけ物の状態が分かる」程度の、曖昧な言い方で誤魔化していた。幸い、村には鑑定スキル持ちはいなかったようで、それ以上深く追求されることはなかった。
【デバッガー】の【情報読取】は、日常生活でも非常に役立った。例えば、畑仕事で野菜の生育状況や土壌の状態を読み取り、適切な水やりや肥料のタイミングを判断する。道具の劣化具合を読み取り、壊れる前に修理や交換を提案する。村人が持ち込んだ薬草の効能や、傷んだ食料などを判別する。
ある日、村の商人が行商に来た時のことだ。彼は様々な品物を並べていたが、その中に一つ、見た目は綺麗だがどこか違和感のある革袋があった。試しに【情報読取】を使ってみる。
『対象:革袋(水筒)
分類:生活雑貨
状態:劣化(内部に微細な亀裂あり)
特性:防水加工(効果減退)
用途:液体運搬用(水漏れの可能性:中)
備考:巧妙に修繕されているが、耐久性に問題あり。』
「……なるほど」
見た目だけでは分からない欠陥品だ。ゴードン村長がその水筒を買おうとしていたので、俺はそっと進言した。
「村長、その水筒、少し古いものかもしれません。念のため、水を入れて漏れないか確認した方がいいかと」
俺の言葉に、商人は一瞬ギクリとした表情を見せたが、すぐに笑顔で「念には念を、ですな」と応じ、水を入れてみた。すると、案の定、微かに水が滲み出てきた。
「おっと、これは失礼。どうやら見落としがあったようだ」
商人はバツが悪そうに水筒を引っ込めた。ゴードン村長は「危ないところじゃった。ユズル殿、ありがとう」と俺に礼を言った。
この一件で、俺の「物の状態が少し分かる」能力は、村人たちの間でもある程度認知され、信頼を得るきっかけとなった。戦闘能力はないが、別の形で村に貢献できるかもしれない。それは、俺にとって少し嬉しい発見だった。
しかし、【バグ発見】と【限定的干渉】については、依然として使いどころが難しいと感じていた。ゴブリンの時のように、切羽詰まった状況でなければ、使うリスクを冒す気にはなれない。それに、下手に使って周囲に能力を知られるのも避けたい。
(このスキルは、あくまで隠し玉だな。普段は【情報読取】をメインに活用し、生活基盤を固めるのが先決だ)
エムデン村での生活にも慣れてきたある日のこと。ゴードン村長から話があると呼ばれた。
「ユズル殿、いつも村のために働いてくれて感謝しておる」
村長は、労いの言葉と共に、銅貨が数枚入った小さな革袋を差し出した。
「少ないが、これまでの働きへの報酬じゃ。受け取ってくだされ」
「い、いえ、そんな……寝床と食事をいただいているだけで十分です」
思わぬ報酬に恐縮する。
「遠慮はいらん。それに、相談があっての」
村長は真剣な表情になる。
「近頃、村の近くの森で、どうも魔物の活動が活発になってきておるようなんじゃ。見張りによると、以前は見かけなかった種類の魔物も目撃されているとか」
「魔物が……?」
嫌な予感がする。ゴブリンとの遭遇を思い出す。
「うむ。そこでじゃが、ユズル殿。もし差し支えなければ、少しの間、見張りの手伝いをお願いできんじゃろうか? 君の、その……物の状態が分かるという力が、何か役に立つかもしれんと思っての」
村長は、俺の能力を「索敵」のようなものだと期待しているらしい。確かに、【情報読取】を使えば、遠くにいる魔物の種類やレベル、状態などを把握できるかもしれない。それは、村の防衛において大きなアドバンテージになるだろう。
(見張りか……危険はあるだろうが、村に恩返しする良い機会かもしれない。それに、魔物に関する情報を集める絶好のチャンスでもある。【デバッガー】スキルをさらに理解する上でも、有益かもしれない)
リスクとリターンを天秤にかける。SE時代に叩き込まれたリスクアセスメントだ。結論はすぐに出た。
「分かりました。微力ながら、お手伝いさせていただきます」
俺は、村長の申し出を受けることにした。
こうして、俺の異世界での役割は、単純な労働力から、少しだけ特殊な任務――【デバッガー】の能力を活かした索敵・警戒任務へとシフトすることになった。
それは、このスキルが持つ可能性の、ほんの入り口に過ぎないことを、俺はまだ知らなかった。そして、その先に待つ、世界の「バグ」との本格的な対峙も。