第8話 暗黒吸引力
「おまえなぁ、多重人格とか、そんな、シャレたもんやないで、こっちこそえらい迷惑や」
そう話す目の前に座っている男は、細い顔、薄い唇、鋭い目つき、そして黒いスーツに白シャツ、そして髪を後ろに流している。見た目はB級ホスト。
「だれがおじさんホストじゃ」
心で思っただけなのに、男は品のない受け答えをした。
男がいる場所にはさっきまで誰もいなかった。
店内の他の客や、店長もアルバイトも突然の男の登場に全く反応していない。
状況からして、これは私が頭の中で作りが出した幻覚、幻聴なのだ。
「おい、何考えてんねん、幻覚や無いで、ちがうで、俺はここにおるからな」
彩子はスマホを取りだして、「頭の中に他人の声が聞こえる」、「治し方」と適当に検索してみた。
幻聴・幻覚。
他人の話し声やいないはずの人が見えてくる。それは他人から発するものではなく、全ては自分が考えていることにすぎない。特に、自分の心の中にあるネガティブな感情、深い後悔などがあり自分自身を責める気持ちあると、攻撃するような幻聴が聞こえる。
やはり、自分の中にある感情から来る声だ。さらに調べていくと、
原因として統合失調症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などが原因と言われる。不安、孤立感、心身披露、睡眠不足などの時に現れることが多い。
これ全部当てはまる。私は、かなり疲れている。課長の言う通り有休取得して金曜日から、月曜まで四連休取るか、心療内科に行けば薬出してもらえるだろうか。
「おい、お前しっかりしろ、病気じゃない。第一、俺はお前やない」
「はい、そういう人格ね」
「おい、まて人の話聞いてくれ、ほんまやって、俺は死んでんねん」
あーぁ、何かうざいな。
男の声を無視して彩子はスマホでコミックアプリを立ち上げた。意識をコミックに寄せていくと、男の声が遠のいて行くような気がした。
「嘘やと思ったら、テレビのニュース見てみぃ」
「テレビ見ません」
「それやったら今日の新聞見てみぃ」
「新聞とってません、この喫茶店にもありません」
「マスター、あの女性、結構大きな声で独り言いってますが、大丈夫でしょうか」
彩子の独り言を気にしたアルバイトが、不安になって店長に聞いた。
「あぁ、気にするな。この辺には多いんだ、落語の稽古をしてるんだろう」
この程度では全く動じないマイペースな店長だった。
「スマホでいいから調べて見ろ」
黒いホスト顔男は目の前に実在しはっきりと声が聞こえる。
めんどくさい多重人格だなぁ。何を調べろと言うのか。
「俺の名前が出とるはずや」
「ふーん、で名前は?」
「冴木礼二、冴えるの木、お礼の例に、二」
男は彩子を睨むように言った。
彩子がスマホで『冴木礼二』を調べてみると、結構ヒットした。最新のニュースにも名前が入っている。
毎日新聞ニュース
昨夜、川口市幸町の繁華街で、刺殺死体が発見された。被害者の所持品から死亡したのは、暴力団共和会系組員・冴木礼二(26)と判明。対立する暴力団とのトラブルによる殺人事件として、現在川口署が調査中。
「えっ、これって今朝のウチの近所の事件」
彩子は思わず声に出した。
「なっ、ほんまやったやろう、この死んだ男が俺や」
男はスマホ画面を覗き込んで指をさした。
「今朝、通行止めになってたのはこの事だったのか・・・・・・」
「そうや、でも死んだのは昨夜。突然腹を刺されて、見た事ない奴が俺を路地に捨てた」
「全く私に関係ない事件なのに、何でその被害者のイメージが私の中にあるの……」
「俺も分からん。俺も突然のことで、死んだ後は自分の死体をずっと見てたんや、死んだら幽霊になってどこにでも行けると思てたんやけど、動かれへん、地縛霊やないわゆる。そこに、お前が通りかかって、突然とんでもない強い力を感じて引き込まれた」
そんなこと言っても、そう自分で思ってるだけだ。でも、知らなかったニュースの接点のない被害者の事を、前もって気にして心に病むようなストレスっておかしくないか。
彩子は自問自答した。
そんな彩子の思いとは関係なく、黒い男は話し続けた。
「びっくりしたわ、あんたの力。どんなに抵抗しても無理、ブラックホールみたいな負の力やな。俺も結構修羅場は潜って来てるけど、底なしの闇に引き込まれるような感じがして、めっちゃ怖いぞあんた」
こいつ人の事、極悪な言い方するなぁ。でも私自身がそんな事考えているってことなのか? 普段抑圧しているこの乱暴な人格が私の中に潜んでいたというわけなのか? でも、やっぱり自我が強すぎないかこの人格、私の要素が全くない。
彩子は自分の心の中を分析しようとした。
「その後は真っ暗な部屋に閉じ込められて、時々お前に呼び出される。どうにかしてくれ」
グチを言う多重人格ってなんなの、
「うっさいなぁ、あんたを呼び出したつもりはないんだけど……」
「だから多重人格やない、そうや、昼間に俺のお蔭で、不正口座開くこと阻止出来たやないか、今までにそんな事出来たか、俺の力をお前が借りたんや」
「おかげで、行内で私のイメージ激ワルになった……」
「イメージくらい、ええやないか、生きてるんやから、俺は死んでるんやで」
その死者設定は、何のため必要なんだ。
彩子は細かい設定の多重人格に疑問を持ち始めた。
「残念無念残りまくりや、やりかけてた仕事、隠し口座の現金とか、恋人との別れ、悔いだらけや、ほんま俺は早く成仏したいわ」
これは本当に私の人格じゃないかもしれない、喋ってる内容に全くトラウマ的な思いも感じないし、そもそも私にとって全く要らない情報ばかりだ。この男は本当に幽霊なのかも知れない・・・・・・。
「お、水お替りいかがですか」
脅えながら店員が水を替えに来てくれた。
その時、目の前の男は消えていた。