五話
「これは……銀貨ではありませんか」
「ドブさらいを頑張った褒美だ」
そこには数枚の銀貨が入っていました。銀貨一枚でも大変な金額になります。困窮している辺境領なら、なおさらドブさらいなんかで稼げる金額ではありません。
「いくらなんでも多すぎます! こんなに受け取れません!!」
「これはお前の旅費でもあるからな。餞別だと思って受け取れ」
「旅費? 餞別?」
閣下の言葉に困惑して、首を傾げてしまいます。
「あの行商人の一行に同行すれば、比較的安全に各国を見て回ることができる。お前は広い世界を見て回って、自分に合う場所を見つけたらいい」
「それは、とても急なお話で……まだ心の整理が……」
世話になり続けることはできないとわかってはいても、まだ先のことだと思っていたのです。
「確かに急な話ですまないと思っている……日頃から魔獣を討伐して間引いてはいたんだが、ここ最近になって魔獣暴走の予兆が出始めたんだ。俺はこれから魔境に入り浸り、厳戒態勢に入る。しばらくは帰れなくなるんだ」
「!? 危険なのですか……?」
緊迫した状況を聞いて心配になる。だけど、閣下はなんてことないように笑って見せます。
「心配しなくても大丈夫だ。俺は強いからな。これまでにもできる限りの対策は講じてきた。抜かりはない。防壁は必ず俺が守り抜いてみせる……ただ、この機を逃したら、次はいつ行商人が来るかもわからないからな」
私はまだ、辺境領から離れることが考えられなくて、不安な胸の内を吐露してしまいます。
「ですが、私みたいな能無しの役立たずでは、受け入れ先など見つかりません……こんなさえない娘のささやかな力でも、助けになると言ってくださるのは、この辺境領の優しい人たちしかいません……だから――」
「クリスタ。お前がなんと言おうと、これだけは間違いない事実だ」
閣下は語気を強め、私の目をまっすぐに見て告げます。
「お前は能無しでも役立たずでもない。さえない娘なんて言うのは、とち狂った王都の連中だけだ。それも世界中で見れば極一部の偏った価値観にすぎない。広い世界を見て回って、お前はそれを実感するべきだ」
銀色の瞳は優しく澄んでいて、閣下の存在はいつも眩しく感じるのです。
「ギラギラと宝石のように輝くことはなくとも、その柔らかい砂色の髪や瞳は美しい。穏やかで優しい眼差しも、奥ゆかしくも凛とした所作も品がある。クリスタは器量も気立ても良い上に愛嬌まであるんだ。どこへ行ったって好かれない理由はない、魅力的な娘だ。自信を持っていい」
ああ、やはり私は閣下が好きなのです。
閣下の言葉一つ一つに、胸がいっぱいになって、好きな想いがあふれてしまいそうです。
閣下はいつも、私のことをよく見てくれました。
これまでの努力も積み重ねてきたものも、決して無駄ではなかったのだと、認められた気がして、すごく嬉しいと感じてしまうのです。
「王都の価値観なら、こんな醜い怪物の俺に言われても、嬉しくはないかもしれないがな。ははは」
「そんなっ……閣下にそう言っていただけて、嬉しくないはずがありません! これ以上ないほど、嬉しいです!!」
「……そうか」
閣下は吐息をこぼし、少し困ったように微笑んで言いました。
「最善を尽くしてはいるが、万が一にも魔獣が防壁を越えてきた時、お前まで危険に晒したくはないんだ。留め置くべきではなかったと後悔したくない、俺のただの我儘なんだ」
「閣下……」
閣下のご両親は防壁を死守して命を散らしました。それだけの覚悟を、閣下もお持ちなのです。
生きては戻れないかもしれない。それでも、閣下は立ち向かい戦い続ける。領民たちのため、ご両親のため、代々護ってきたたくさんの強い思いのために。
もう二度と会えなくなるかもしれない。閣下も帰らぬ人になってしまうかもしれない。そう考えるだけで、胸が張り裂けそうに痛みます。
「……お願いです。閣下がお戻りになられるまでは、どうかここに留まらせてください」
「クリスタ?」
「閣下のことが心配で、行商に同行しても旅先で馴染めるとは思えません。ご迷惑をおかけしないようにしますから、私にできることならなんでもしますから、どうかお願いします! 閣下のお帰りをここで待たさせてください!!」
涙を浮かべた目で閣下を見上げ、私は必死に訴えました。
「はぁー、まいったな……」
大きな溜息を吐かれてしまいました。
責任感が強く優しい閣下を困らせてしまっている自覚はあります。
無理を言って嫌われてしまっても仕方がありません。
だけど、無事を願い、帰りを待ちたい気持ちは、どうしても譲れません。
殿下は私から目を逸らし、目元を手で覆いながら呟きました。
「……俺はどうやら惚れた女には弱いようだ」
手の陰からちらりと視線を向け、囁くようにして言います。
「簡単に死ぬ気はないが、なおさら生きて帰らねばならなくなったな」
閣下の言葉の意味がうまく理解できず、訊いてしまいます。
「閣下……私はここにいてもいいのですか?」
「そうだな、今後は閣下じゃなく、名前で呼ぶのを条件にしよう」
許しを得られたのだと嬉しくなって、声を張ります。
「シ……シルバーさま!」
名前を呼べば、閣下は白い歯を見せて明るく笑い、私に問います。
「ああ、俺の帰りを待っていてくれるか?」
「はい! お帰りをお待ちしております!!」
私は全力で返事し、満面の笑みで答えたのでした。
◆
『俺は必ず生きて帰ってくる。だから、それまで元気に待っていてくれ』
そう約束すると、シルバーさまは部隊を引き連れ、すぐに魔境へと向かっていきました。
防壁を守るために出陣された方々のご武運と無事な帰還を願い、私は毎日祈りを捧げようと心に決めました。
膝を突いて祈っていれば、そんな私の姿を見て、老夫婦も同様に隣で膝を折り、一緒に祈りを捧げます。
「シルバーさまはお強い方だ。約束を違えるような人でもありません。必ずご無事に帰ってきてくれますとも」
「魔獣暴走ために万全を尽くしてきたのだもの。あたしたちも、シルバーさまの帰って来るこの辺境領を守らなきゃね」
「そうですね。シルバーさまが命懸けで戦ってくださっている間、私たちは領主さま不在の地を、守らねばなりませんね」
帰りを待っている間、少しでも辺境領の環境を良くしようと考え、街道や沼地の整地にとりかかりました。
価値ある宝石は生み出せなくても、石クズならばいくらでも出せます。
私は唯一使える小石を生み出す魔法で、ぬかるんだ足場を埋め、水はけをよくしていきました。
ひと段落したところで、ひと息つきます。
「ふう……やっと街道の整備がおわりました……」
数日がかりで集中して作業していたので、大量の石クズ生成で魔力消費も激しく、結構な疲労感があります。
ですが、これで辺境領周辺の街道は馬車も難なく通れるようになりました。
領民たちも喜んで、私に声をかけてくれます。
「足を取られて大変だった道も、すっかり使いやすくなって、本当にありがたいね」
「行商人も、これなら荷馬車が問題なく通れるからと、来る回数を増やしてくれることになったよ」
「水はけが良くなったからか、周りの土も状態が良くなって、作物の育ちもすこぶる良いんだ」
お役に立てたのが嬉しくて、笑みがこぼれてしまいます。
和気あいあいとした雰囲気の中、街道の先に目を向けていたお婆さんが何かに気づきました。
「おやおや、さっそく道が良くなった辺境領に、旅人さんが遊びにきたのかしらね……あら?」
視線を向けると、街道の先からこちらへと歩いてくる旅装束の人影が映りました。
フード付きのローブを身に纏っている服装からは、男女の判別はつきません。
しかし、その足取りは重そうで、ふらついているようにも見えます。
「どうにも、楽しい旅といった様子ではなさそうだが……疲れていそうだし、長旅なのかね?」
目深に被っているフードも暑そうで、熱中症でも起こしていないか、少し心配になってしまいます。
そんな矢先、道半ばでその人は倒れ込んでしまいました。
「あっ! 大丈夫ですか?!」
私は慌てて駆け寄り、突っ伏して倒れてしまったその人を抱き起こします。
すると、被っていたフードが滑り落ち、その人の顔が露わになりました。
「っ!?」