四話
閣下は困り顔をしつつも、少し考え、頷いてくれます。
「仕方ないな。そこまで言うなら、引き上げたゴミの仕分けでも手伝ってもらおう」
「ありがとうございます!」
思わず笑みをこぼすと、閣下は苦笑いしながら、手を差し伸べてくれました。
「こちらが礼を言われるのも、おかしな話なんだがな……だがまぁ、正直なところ助かる」
「はい!」
閣下の力に少しでもなれるのなら、私は嬉しい。
暗くなる夜道。閣下にエスコートされ、ドブ沼へと向かいました。
◆
ドブ沼に着くと、閣下は躊躇いもなく汚水に浸かり、ドブさらいをはじめました。
閣下が大量の投棄物を拾い上げ、私が細々としたものを分類し、次々と処分していきます。
しかし、川から流れてくる投棄物は一向に後を絶たず、荒れ果てて見えるこの状態ですら、維持するのに相当な労力が必要だったのだろうと察せられました。
「こんなに大変な作業を、いつもされていたのですね……」
「たまに来る王都の役人にも、散々抗議はしているんだがな。辺境の田舎者と見下すクソ野郎ばかりで、まるで話が通じない。改善しないどころか、年々ゴミが増えていく一方だ」
閣下は沼に溜まった投棄物を引き上げながら、忌々しげな表情で説明します。
「この前来た役人は、防壁の修繕費やら団員維持の防衛費やらが高すぎると言いだしてな。王国からの支援金を削るとか、辺境領だけ免税などおかしい、金を貯め込んでいるのだろうとか、見逃してやるから賄賂をよこせとかぬかしてきやがった」
王国から使わされている役人が賄賂を要求するなど、とんでもない話です。
「こっちは荒れ果てた土地で食っていくのに精一杯だと言うのに、そんなバカな話があるか? 魔境との境で防衛費を削るだなんて自殺行為、領民に死ねと言っているようなものだぞ」
思い出したのか、閣下は腹立たしいと言わんばかりにぼやきます。
「あまりにも頭にきて、その役人を魔境に引きずっていって、討伐したての魔獣の死骸の山に放り込んでやった。辺境領で特産と言えるようなものは、魔獣くらいしかない。肉でも皮でも売れば多少の金にはなるだろう、好きなだけ持っていけばいいと言ってな」
閣下は巨大な投棄物の塊を放り投げ、魔法で出現させた銀の剣で細切れにし、豪快に笑って見せました。
「そしたら、怪物辺境伯は人の心がない鬼だの悪魔だのと喚いて、泣き叫びながら逃げていったぞ。あれは傑作だった……くっ、ははははは」
「あ……あはは、それで悪い噂ばかり流されていたのですね。ちょっと、納得してしまいました……」
怪物辺境伯の悪評は、役人による嫌がらせだったようで、なんとも不愉快な話です。
けれど、そんな悪い噂などまったく気にしていない、堂々とした閣下の態度には安心しました。
「閣下はお強いですね。鍛えられている体はもちろん、心まで……どうしたら、閣下のように強くなれるのでしょう?」
私も強くなりたい。何事にも挫けずに貫ける強さが欲しい。そう思うのです。
「そうか? 俺は必要に駆られて必死だっただけで、強くなろうと意識したつもりはないからな……ただ、代々護ってきたこの土地や両親が命懸けで守り抜いた領民は、何がなんでも守らなければいけないという思いは強いな」
「思いの強さですか……私も、もっと強ければ良かったのに……」
閣下のように毅然として強くいられたら、どんなに良かっただろうと思います。
「もっと強ければ、お祖母さまを侮辱する人たちを止められたかも……あんなに酷い葬儀にはならなかったかもしれない……」
私が強ければ、お祖母さまへの中傷を止められたかもしれない。そう思うと胸が痛み、涙が滲んできます。
「役立たずと蔑まれる私に、お祖母さまだけは優しかった……特別な娘だと励ましてくれたのに……なのに、そんなお祖母さまに、私は何一つ報いることができなかった……」
閣下はそんな私から視線を外し、物思いに耽るように明るい月を見上げ、穏やかな声で語りました。
「人には三つの死があるのだそうだ。一つ目は心臓が止まった時、生物的な死。二つ目は葬儀をした時、社会的な死。それから、三つ目は誰からも忘れ去られた時、記憶的な死。俺は三つ目の死が完全な死だと思っている」
閣下の言葉には、揺るがない強い思い――信念が感じられます。
「だからこそ、俺は両親を忘れたくない。領民たちからも忘れさせたくないがために、懸命に頑張っているんだ」
私の方を向いて、閣下は真剣な表情で言いました。
「報いられなかったと落ち込む必要はない。お前がお祖母さまの名誉や功績を広めて後世に伝えれば、永遠に語り継ぐことだってできるんだから。諦めさえしなければ、これからいくらだって報いることはできる」
その言葉を聞き、闇の中に光が差した気がしました。
「自分にできることを模索し、誰かの役に立とうとして、ドブさらいまでしているんだぞ。普通の令嬢なら泣いて逃げるところだ。それをこんなに必死に打ち込める奴が、弱いはずがないだろう?」
閣下は白い歯を見せて明るく笑い、私に言い聞かせます。
「少なくとも俺は、そのお祖母さまの言う通り、お前は特別な娘だと思うぞ」
閣下にそう言ってもらえたことが、どうしようもなく嬉しい。
「ありがとうございます……」
あふれそうになる涙を拭い、気合いを入れて顔を上げます。
「私、頑張ります!」
「ああ、頼もしいな」
それから、私たちは夜更けまでドブさらいの作業に励んだのでした。
◆
ドブさらいを手伝うようになって半月ほど経過すると、沼のゴミが少しずつ片付いてきたように見えます。
いくらか片付いてきた沼を見回し、閣下は私の方を向いて、よくニカリと白い歯を見せて笑いました。
最初は怖いと感じた銀の目や白い歯も、今では明るく笑ってくれるのが嬉しくて、もっと笑顔を見たいと思ってしまいます。
「今日は焼き菓子の作り方を教えてもらったんです。閣下にも食べてもらいたくて、たくさん作ってきました」
お婆さん仕込みのジンジャークッキーが入った包みを開け、閣下に差し出します。
「ほう、クリスタは器用だな。売り物にできそうなくらい、美味そうだ。手が汚れているから、後でもらおう」
「食べさせてあげますよ。はい、どうぞ召し上がれ」
ひとつ摘まんで口元へ持っていくと、閣下は少し躊躇いがちに口を開き、手ずから食べてくれました。
「あ……もぐもぐ、ごくん」
「お味はどうですか?」
首を傾げながら覗き込み伺うと、顔の近さに戸惑いつつ、閣下は頷いてくれます。
「うん……美味いぞ」
「お口に合って良かったです!」
嬉しくて満面の笑みで見つめると、閣下は息を詰めて咽だし、なぜか視線を逸らされてしまいました。
「お水をお持ちしましょうか?」
「い、いや、大丈夫だ……ごほん」
こうして、私は石クズのことで蔑まれることもなく、しばらくはそんな穏やかな日々を過ごしていたのです。
いつもは閣下のお勤めが終わった後、夜に作業することが多かったのですが、この日は朝から二人で沼地へと訪れていました。
「お前が毎日手伝ってくれたおかげで、だいぶ片付いてきたな。ありがとう、クリスタ」
「ほとんど閣下が片付けられたので、私が手伝ったのはほんの一部ですけど。それでも、少しでもお役に立てたなら、嬉しいです」
いつも親切にしてくれる閣下や領民たちへ、微々たるものではあるけれど、助けになれていたら良いなと思います。
「いやいや、俺の苦手な細々した作業を根気よくやってくれるから、これだけスムーズに捗ったんだ。お前の努力の成果だと誇っていいぞ」
「そう、ですか? ……ありがとうございます」
閣下が大げさに褒めてくれるもので、なんだか気恥ずかしくて、はにかんでしまいます。
「それじゃあ、今日も頑張りますね!」
私が張り切って腕まくりしていると、閣下が制止しました。
「ああ、今日はドブさらいはなしだ。行商人の一行がやっと来たからな」
閣下の視線の先を追うと、街道の先から行商人の一行がこちらに向かってきます。
「辺境領は水はけの悪い沼地が多いから、荷馬車の足を取られるのを嫌がって、呼んでもなかなか来ないんだ。月に一度来れば多い方か。爺婆のところの仕入れや出荷で忙しくなるから、今日はそちらを手伝ってくれ」
「そうなのですね。わかりました」
行商人たちが私たちに気づいて手を振り、閣下も軽く手を上げて応えます。
「各国を渡り歩いている行商人だから、まだまともに話が通じる奴らだ」
閣下はおもむろに懐から包みを取り出し、私に差し出しました。
「クリスタ、これをお前に渡そうと思っていた」
「はい、なんでしょうか?」
差し出された手のひらサイズの包みを両手で受け取り、なんだろうかと開けてみます。




