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三話

「攫われた王女……ブッ、アハハハハハ」

「奥さまの呪いとな! アヒャー、ヒャヒャヒャヒャ」


 老夫婦は吹き出し、声を上げて大笑いしました。


「笑えるようなことなのですか……?」

「そりゃあもう、おかしいですよ。あの奥さまに限って、そんなアホな話はありません。前領主さまの漢気に惚れ込んで、押しかけてきたのは奥さまの方ですからね」

「絶世の美女に猛烈に口説かれ、たじろいで逃げ惑う屈強な大男の絵面がまた面白かったですよ。いやはや、とんでもない話だ。ブフー、アーヒャヒャ」


 お腹を抱えて愉快そうに笑い、老夫婦は語り出しました。


「元々、王国を護る要でもあるこの辺境領と王家との繋がりを強化するため、婚姻の話が持ち上がっていたんですが、前領主さまは命がけの危険なお勤めのため、いつ死んでもおかしくないからと、未亡人にしては可哀想だと言って断っていたんですよ」

「跡継ぎは身寄りのない子や気概のある子を養子にもらって、立派な戦士に育て上げれば良いと言ってね。独り身を貫くつもりだったのに、見事に押しかけ王女に口説き落とされちゃいましたけど。プフフ」

「そうそう、あとアレです。奥さまは筋肉フェチと言うやつです。王都の華美でなよなよしたモヤシより、逞しく鍛え抜かれた屈強な筋肉がたまらんと言って、よく前領主さまの身体を撫で回していました」

「筋肉フェチ……撫で回す……?」


 王宮に飾られていた、絶世の美女と讃えられた(くだん)の王女の絵画を見たことがありますが、気高く美しい容姿からは知性が感じられ、そんな人物だったとは到底想像できません。


「すごく仲睦まじいご夫婦でしたが、王都では随分と歪曲されて伝えられているもんなんですな」

「シルバーさまのことも、それはもうめためたに可愛がっておられましたよ」


 噂とは真逆の話に、ただただ唖然としてしまいます。


「こんな魔境に接した危険な環境ですから、お二人とも辺境領のために身を張り命を削って、シルバーさまが成人される直前に亡くなってしまいました……」

「十年前の魔獣暴走(スタンピード)でその身を盾に防壁を護り抜き、亡くなられたのです。王国が誇るべき素晴しい領主夫妻でした。まだ若くして命を散らされたことが、今も悔やまれます……」


 領主夫妻が慕われ、悔やまれていることがよくわかります。


「そうだったのですね。変な話をしてしまって、ごめんなさい……私もできることなら、領主夫妻にお会いしてみたかったです」


 しんみりとした気持ちで私が呟くと、老夫婦は明るく微笑みました。


「シルバーさまにもよく似ていらっしゃいますよ。豪快で思いっきりの良いところは奥さまに、お優しくて面倒見の良いところは前領主さまに、そっくりそのままです」

「あと奥さまもでしたが、シルバーさまのあの肌は風土と水が合わないからですよ。シルバーさまは特にドブ沼に浸かって作業されることが多いので、汚染された水で肌が荒れて、あのようになってしまったんです。子供の頃は綺麗なお顔でしたからね」

「そう、だったのですね……」


 実際とはあまりにも違いすぎる、酷い噂話に苛立たしさすら覚えます。


「まぁでも、王都でどんな噂をされていようと、この辺境領では関係のない話です。領民はみんなわかっていますし、慕われていることには変わりない。シルバーさまもあの性格ですから、見た目なんて気にしていないでしょう」

「とは言え、不意に暗がりで見ると、銀の目と白い歯だけ光って見えて、ギョッとすることはありますがね……あれは実に心臓に悪い」


 昨日の初対面を思い出し、頷いてしまいます。


「確かに私も心臓が止まるかと思いました」

「おやおや、こんなところにも被害者が。アヒャヒャ」


 老夫婦は軽快に笑い、私も釣られて笑ってしまいました。


 ◆


 老夫婦と楽しく話しながら、簡単な作業を手伝ったりと、穏やかな時間を過ごしていました。

 日が傾き、辺りが夕焼けで赤く色づく頃、お勤めを終えた閣下が戻ってきて、背後から声をかけられます。


「クリスタ、迎えに来た」

「あ、はい。おかえりなさいま――」


 振り返って見上げると、そこには全身を真っ赤な血で染め上げた閣下が立っていたのです。


「キャーーーーッ! 閣下が大変です!!」

「なんだっ! 魔獣が出たのか!?」


 私の悲鳴に驚いて、閣下は反射的に振り返り、辺りを警戒しています。

 騒ぎを聞きつけ、血相を変えて駆けつけた老夫婦は、そんな閣下の姿を見て、がっくりと脱力したように言いました。


「あーあー、何やってるんですか、シルバーさま。魔獣の返り血を全身に浴びた男が突然現れたら、そりゃあ悲鳴も上げますよ。もう心臓に悪いことはやめてください」

「あっ……いつもはそのまま沼に浸かるものだから、気にしていなかった……すまん」

「シルバーさまが魔獣か何かに見えますよ。せめて顔から滴る血くらい拭いてください。ほら、拭いて拭いて」

「ん゛っ」


 お婆さんに手ぬぐいを押しつけられ、閣下は雑に顔を拭かれています。

 拭き終わると、閣下は申し訳なさそうに肩を落とし、ちらりとこちらを窺いました。


「驚かせて、すまなかった。迎えに来たのだが……大丈夫か?」

「は、はい。私は大丈夫なのですが、閣下こそ、お怪我などはありませんか?」


 おびただしい血の量を見て心配すると、きょとんとした顔をされました。


「ああ、これは全部、討伐した魔獣の血だから心配しなくていい。怪我も病気もここ十年はしていないからな。俺は無駄に丈夫なのと腕っぷしだけは自信があるぞ」


 そう言って閣下は白い歯を見せ、ニカッと笑ったのです。

 元気そうな表情に私は安堵し、吐息がこぼれました。


「ほ……お怪我ではなくて本当に良かったです」


 銀の目と白い歯が夕焼けの中で浮いて見え、老夫婦の言葉を思い出して笑ってしまいます。


「ふふふ。あまり驚かされると、私の心臓がもちませんよ?」

「悪気はない。次は気をつけるから、許せ……ははは」


 私の笑みに釣られるように、閣下も笑ったのでした。


 ◆


 居城へと私を連れ帰ってきた足で、閣下はまたどこかへ出かけようとしました。


「こんな遅くに、どちらに行かれるのですか?」

「あのドブ沼だ。俺はこれからもう一仕事、ドブさらいをしてくる」

「!?」


 そう言えば、老夫婦が閣下はドブ沼で作業することが多いと話していました。


「閣下は……領主自らが、そのような作業をなさっているのですか?」

「ああ、そうだ。領民も暇を見つけてはやってくれるが、自分たちの仕事で手一杯だし、足腰の弱い爺婆に任せるわけにもいかないからな。王都から流れてくる投棄物がすぐに山になるから、俺もできる時にやっておかないといけない」


 閣下は当然のことのように言ってのけたのです。


「かろうじて育つようになった作物も、また土壌が汚染されたら、育たなくなってしまうからな」

「そうなのですね……」


 王侯貴族として与えられた役割以上に自分の役目に真摯に向き合い、できる限りのことをしようとする姿勢は衝撃的で、ひどく感銘(かんめい)を受けました。

 民のために汚れることも(いと)わない、そんな閣下を尊敬し、私も何かできないだろうかと考えます。


「それじゃあ、行ってくる。俺のことは気にせず、先に休んでいていいからな」

「閣下……私もやります! 私にも手伝わせてください!!」


 閣下を引き留めて言うと、驚いた顔をされました。


「急に何を言い出すんだ? ドブさらいなんて、年頃の娘がやることじゃないだろう」

「本来なら、領主自らがするようなことでもありません!」

「いやいや、俺とお前とでは立場が違うだろうが」


 民を護り導くのが貴族としてのあるべき姿だと、私は思います。

 家を追い出され捨てられた身で、私に貴族としての役目はもうないけれど、至誠に実践している閣下の力に少しでもなりたい、そう思ったのです。


「私はずっと能無しの役立たずだと言われてきました。どんなことでも、私にもできることがあるなら、やらせて欲しいのです。少しだけでも、お役に立ちたいのです……お願いします」


 まっすぐに閣下を見上げ、私は真剣に頼みました。

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