二話
「先ほどは驚かせて、すまなかったな。俺はこの辺境領の領主、シルバー・バルドリックだ。いくら片付けてもきりがない、王都からの投棄物に腹が立って、つい大声を出してしまった」
「辺境領の領主……バルドリック辺境伯、閣下でございましたか! これは、大変失礼いたしました。私は――」
家を追い出され、川に捨てられた身で家名を名乗って良いものか、言い淀んでしまいました。
「――クリスタと申します」
そう名乗るのが精一杯で、俯いてしまいます。
バルドリック辺境伯と言えば、王都でも有名でした。
魔獣が跋扈する魔境との境にある防壁、それを代々護っている一族です。
その力は鬼神の如く強く恐ろしいと語られ、先代はその力に物を言わせ、絶世の美女と名高かった王女を攫うように娶ったとも噂されていました。
若くして亡くなった王女の呪いなのか、生まれた一人息子はそれは醜く恐ろしい容姿をしているとか、その性質は残忍で冷酷、人の心を持たない怪物なのだとか。
そんな今代の辺境伯は、怪物辺境伯だと噂されていたのです。
その常人離れした見た目から、私も最初は驚いて怪物かと思ってしまいました。
ですが、噂はあくまでも噂なのかもしれません。
俯いて地べたに座り込んでいた私に、閣下は手を差し伸べてくれました。
「立てるか? 立てないようなら、担いでやるが……」
「あ、ありがとうございます。はい、立てます……わ、きゃっ!」
慌てて立とうとすると、足がもつれて滑り、後方に倒れ――
「おっと、大丈夫か?」
――そうになったところを、閣下が危なげなく受け止め、支えてくれました。
「ふらふらじゃないか……長時間、流されていたなら無理もないか。だが、どうしたって、娘が流されてくるようなことになるんだ?」
閣下が訝しげに目を眇め、私はなんとか答えねばと口を開きます。
「それは……それは、私が……ゴミクズ、だからです……ぐすっ」
経緯を説明しようと思い返せば、またダバァと滂沱の涙があふれます。
「なっ!? お前のことじゃないと言っただろう! おいおい、そんなに泣くな……」
「ごめんなさいぃ〜、でも、涙が止まらなくてぇ〜、うえぇ~――」
困り果てた様子の閣下に、私は鼻を啜りながら、ことの顛末を話したのでした。
「――ということがありまして」
「クズだな。とんだゴミクズだ」
「うっ!」
閣下の端的な暴言がグサッと刺さり、胸を押さえて震えてしまいます。
「はい、私は石クズ同然のゴミクズです……」
「勘違いするな。お前を捨てた親族や婚約者のことだ。どうしてこう、王都の奴らは狂った価値観に傾倒しているんだかな。表面的で一辺倒なものより、もっと大事にするべきものがたくさんあるだろうに」
心底うんざりとした様子で呟いた閣下は、私に視線を向けて問います。
「行く当てはあるのか?」
私は首を横に振ることしかできません。
「……行く当ても、頼れる人もいません。なんの役にも立たない私では、どこも受け入れてはくれないでしょう……野垂れ死ぬ他ありません。ここで死んで閣下にご迷惑をおかけするつもりはありませんので、魔境にでも――」
「バカを言うな、バカを。王都の奴らのとち狂った価値観に毒され過ぎだ。世界は広いんだ、もっと視野を広く持て。お前の受け入れ先など、探せばいくらでもあるだろうが」
閣下はそう言ってくれますが、宝石の王国で価値ある宝石を生み出せない私には、何の価値もないと言われ続けてきたのです。
これまでだって、必死に頑張ってきたつもりではいました。
だけど、どうしたら人の役に立てるのか、助けるに値する価値があると思ってもらえるのか、まるでわからないのです。
そんな私がどこかに受け入れてもらえるなんて想像もできなくて、ただ暗い気持ちで俯いてしまいます。
「はぁー……」
閣下に大きなため息を吐かれ、身体がビクリと震えました。
優しい言葉をかけてくれた閣下にまで、失望されてしまったのかと、自分の不甲斐なさが情けなくなります。
ますます惨めになって、所在なく彷徨う目で閣下を見上げました。
すると、私をまっすぐに見つめる銀色の瞳と目が合い、閣下はこう言ったのです。
「仕方ないな。当分はうちに滞在して構わない。ただ、年頃の娘が住みやすい環境ではないから、覚悟してくれ。それと、行く当てが見つかったら、早く出ていくことだ。いいな……ほら」
そう言った閣下はおもむろに私の横に立ち、腕を突き出しました。
閣下の言動の意味がすぐには理解できず、私は首を傾げてしまいます。
「はい……?」
「俺に掴まるのが嫌なら、無理にとは言わんが、また滑るぞ?」
足場の悪い沼地でエスコートしてくれようとしているのだと、ようやく理解が追いつきました。
「いえ……ありがとうございます」
婚約者にもまともにエスコートされたことがなかった私は、女性扱いされるというのはこういうことなのかと、不思議な気持ちになりながら閣下の腕に手を添えました。
◆
辺境領と魔境との境には、歴史を感じさせる堅牢な防壁が聳え立っています。
そこに隣接する辺境伯の居城へと連れていかれ、質素ながら品のある客室を与えられました。
城内では、多くの騎士団員が夜遅くまで訓練に励み、魔境を警備したりと、規律正しくも慌ただしい空気を漂わせていました。
翌日、重苦しく城に閉じこもっているより、誰かと話した方が良いだろうと、閣下が見回りへ行くついでに、人里へと連れて出してくれました。
痩せて荒れた土地ですが、作物がちらほらと見えるので、農地なのだと思います。
果樹園と言うには木が少な過ぎると思いますが……そんなことを考えつつ歩いていると、遠くで作業していた農夫が声を上げます。
「おおーい、シルバーさまー」
手を振る老夫婦に閣下は軽く手を上げ、そちらへと歩いて行くので、私もその後を追いかけます。
「いつも見回りありがとうございます。おかげさまで、今年は売り物にできそうな果物が穫れそうですよ」
「ほう、それは嬉しい知らせだ。土壌も少しは改善できたようだな。行商人にも買いつけに来るよう、話を通しておこう」
農夫は閣下を怖がることもなく、楽しげに話していました。
老夫婦のお婆さんの方が私の顔を見て、閣下に訊きます。
「おや、見慣れないお嬢さんをお連れですね」
「ああ、彼女はクリスタだ。王都から流れて来たんだが、しばらくうちに滞在することになった。俺が外に出ている間、面倒を見てやってくれないか?」
「シルバーさまの頼みなら、もちろん喜んで」
閣下の後ろにいた私は、前へと出ていき、挨拶します。
「クリスタと申します。どうぞよろしくお願いします」
「こりゃまた、可愛らしいお嬢さんですな」
「たいしたもてなしはできませんが、ゆっくりしていってくださいね。はい、どうぞ」
にっこりと微笑まれ、リンゴを差し出されたので慌てて受け取ります。
「あ、ありがとうございます」
私の手の上のリンゴを、閣下はまじまじと見て頷きます。
「うん。可もなく不可もなくといったところか。これなら、値がつけられるだろう」
閣下は老夫婦に私のことを頼んで、お勤めに向かいます。
「それじゃあ、防壁の外へ見回りに行ってくる。迎えに来るまで任せるぞ」
「はい、お任せください」
老夫婦が手を振り見送る中、歩いていく閣下を見かけた領民が、また気安い感じで声をかけていました。
「あ、シルバーさまだ。これからお勤めですかー?」
「お気をつけて、いってらっしゃいませー」
予想外な領民との距離感に驚いて、つい言葉をこぼしてしまいます。
「閣下は、領民から慕われているのですね」
「それはもちろん。シルバーさまを慕わない領民なんて、この辺境領にはおらんでしょう。辺境伯家は代々、質実剛健で誠実な方ばかり、領民思いですからね。どうして、そんなことを疑問に思うのです?」
不思議そうな顔をして問われ、私は正直に答えます。
「それは、その……王都では辺境伯の良くない噂ばかり耳にしていたもので、あまりにも噂とは違って驚いてしまって……無理やり連れ去られた王女の呪いとか、そのせいであのお姿なのだとか……」
「王女の呪い?」
「なんのこっちゃ?」
老夫婦は首を傾げ、わからないといった様子で肩を竦めました。
「その噂とは、どんな話なのです?」
「え、えっとですね――」
私は王都で聞いた怪物辺境伯の噂を話して聞かせたのです。