幽霊の手 ⑤
それきり円さんは口を開くことはなく、いつもの仏頂面のまま部屋に戻ってしまったので詳しい話を聞くことはできなかった。
朝食を完食してもらったのは嬉しいが、代金代わりに置いていかれたモノがどうにもきれいに精算できるものではない。
円さんに詳しい話を聞きに行くべきなんだろうが、俺としてもあれ以上詮索する気にもなれない。俺があの人を苦手としているという理由以上に、円さんは何かを恐れているように見えたからだ。
決して藪をつついて蛇を出て来るのを恐れているのではない、と思う。多分。
釣堀峠女子学院。
俺の母、そしてその妹の車座円さんが通っていた女子校。
駅からは10キロメートルほどの距離があり市街地からも遠いことから、当時の学生らはかなり不満を持っていたとOG(円さん)から聞いていた。
10年前に同じ市内の男子校との合併により廃校となり、その後は不満を解消するように駅に近い場所に鵜呑坂高校が新設された。釣堀峠の校舎自体は地域のコミュニティセンターとして再利用するとかしないとかで話が纏まらず、10年経った今でもそのままの形で残っているという。
朝食後、洗い物をしながらふと考え込んでいた。
円さんが言った「同じ」とはどういうことか。
周藤が話していたような心霊写真についての怪談だろうか。ありがちな話ではあるから、過去にも似たような話が広まっていたというのであれば分かる。ただ、円さんがあそこまで怯えていた理由にはならないだろう。
では、町中に貼られているという写真そのものが「同じ」なのだとしたら。
円さんの学生時代にもあの心霊写真が広まっていて、十数年後の今現在にも変わることなく同じ姿を現したのだとしたら?
馬鹿馬鹿しい。ありえない。
第一、そんな手の込んだ真似をする意味がわからない。誰に何の得があってそんな事をするのか。
十数年前の心霊写真を今になって誰かに見てもらいたかった?いや、それならば町中にそれを貼り付ける理由がわからない。今はインターネットという自由に情報を垂れ流せる場所が普及しているのだからそれを使えば良いだろう。
それに屍原さんの撮っていた記録をみるに、一見すると気付かないような物陰に貼り付けられていた理由にはならない。
では何かのパフォーマンスか?その可能性は有り得る。過去、暗号解読者を募るためにパズルをばら撒いていたCicada3301のように、何かの目的を持った集団が活動の一環として例の写真を利用しているとしたらどうだろう。
……思考がどうにも陰謀論じみてきた。
ぐるぐると、益体もない考えが纏まりを失って脳髄を回遊する。だからだろう、突拍子もない思いつきが浮かび上がってしまったのは。
―――釣堀峠に行けば、何か分かるのではないか。
いやいや、何処へ行くって?
既に廃れた女子校の校舎に赴いて、この妙な胸騒ぎの元凶を暴こうというのか?何の目算もなしに?
ただ、手掛かりを見つけた以上、このまま見て見ぬふりをすることはできない。今こうしている間にも屍原さんは不安な思いをしていることだろうし、何より俺の信条に反する。
『この世のどんな魔法にも必ず裏側には仕掛けがある』
この世に不思議な事は何もなく、全ては理屈で説明できる。運命も奇跡もない。呪いも幽霊もない。
そうじゃなきゃやっていけない。
「ちょっとサイクリングに行ってくる」
居間でテレビを見ていた爺さんに声を掛け、自転車の鍵を手に取った。
もうどうにでもなれ。
この気持ちの悪さがどうにかなってしまう前に、とにかく何でも良いから体を動かしたかった。玄関を抜けると、4月半ば、まだ冬の名残を残したような春風を受ける。上着を取りに戻ろうかとも考えたが、やめにした。煮詰まった頭を冷ますには丁度いいだろう。
気の滅入るような曇天の下、登校用の自転車に跨る。
釣堀峠の大体の場所は覚えている。商店街を抜け、ミスバスと逆方向に行けば良い。
後は足を動かすだけだ。
俺は思い切りペダルを踏み込むと、人気のないアーケードのシャッター通りを駆け抜ける。
休日にも学校に行くなんて、なんて勤勉な学生なんだ。
そんな自嘲じみた思考を振り払うように回転数を上げ、愛車を加速させる。
道中通り過ぎた電柱の陰に、見覚えのあるシールが見えた気がした。
◇
当然といえば当然なのだが、釣堀峠女子学院の門は固く閉ざされていた。しかし健全な男子高校生が乗り越えられないような障壁ではない。
近くの茂みに自転車を隠すと、錆びついた校門を乗り越え、敷地へ潜り込む。自分のどこからここまでのバイタリティが湧いてくるのか全く見当もつかないが、今更そんな事を考え出しても始まらない。
そろりそろりと足音を殺して校舎までやって来たところで、俺は一瞬呼吸を忘れた。
とっくに廃れたはずの女子校。
生徒も教師も居るはずのない学び舎の亡骸。
その玄関に誰かがいる。
「廃墟でも勝手に入ったら不法侵入なんだよ。知らなかった?」
「……旦椋、先輩」
エコ部部長、旦椋あざりがそこに居た。
「私もさっき来たところなんだけど、どこも鍵が掛かってて入れそうにないよ?」
「ああ、そう…ですか」
旦椋あざりは相変わらず長い三つ編みの髪をふらふらと揺らし、サイズの合っていないカーディガンを羽織った姿で、釣堀峠女子学院の昇降口に立っていた。
待ち合わせに遅れた恋人を優しく咎めるような、そんな柔和な笑みをたたえて。
何故彼女がここに居るのかという疑問よりも先に、何故だか俺は居心地の悪さを感じていた。
まるでこれからショッピングにでも行くかのような服装で廃墟の入口に佇む彼女を見て、言い表しようのない違和感を覚えたのだ。廃墟のうらびれた雰囲気に似つかわしくない朗らかな印象は、出来の悪いコラージュを見ているような気分にでもさせられるのだろうか。
この人は何かがズレている。
この場から浮いている。
あるべきところにあるべきものが収まっていない。
そんな俺の動揺などつゆも知らない旦椋は、試すように妖しく目を細める。
「そういえば私の名前、何で知ってるの?」
「有名ですからね。色んな意味で」
主に悪評しか耳にしていないが、そこは触れないでおいた。
「へぇ。でも知ってるって事は鵜呑坂の生徒だね。はじめまして」
「なっ―――」
しくじった。
こんな古典的な罠にひっかかるとは。
返す言葉も思い浮かず、苦い顔で立ち尽くす俺の姿が余程面白かったのか、旦椋はけらけらと笑っている。
「こんなとこに居るのを通報されたりしたら一発アウトで停学処分か、エコ部入りだよ」
問題を起こした生徒がエコ部に送られて奉仕活動を強制させられるという話はどうやら真実のようだ。事と次第によっては俺もこのあとエコ部入部が確定してしまった訳だが、今は知らないフリをしておく。
「旦椋先輩こそ、俺と同じじゃないですか。同罪ですよ」
「そうだねー。でも私エコ部だし、部長だし。もうこっちは失うものがないんだよ」
あっけらかんと言うなそんなことを。
「私の事は置いておいてさ、君の事が聞きたいな。ね、どうして釣堀峠に来たの?」
「俺は調べたいことがあって来たんですよ、旦椋先輩。心霊写真のプリクラについて」
何か知りませんか、と言い終える前に旦椋あざりは嬉しそうな声をあげた。
「『幽霊の手』だね!」




