シンデレラ 大家になる
「本当に、これ、もらっていいんですか?」
「ああ、お前のものだよ。
だけど、ドレスも馬車も十二時の鐘が鳴れば、もとのボロとカボチャに戻ってしまうんだ」
「え?」
「済まないね、そういう仕様なんだよ」
「すこぶる残念です。
素敵なドレスと馬車なので、未使用で売れば高値が付くかと思ったんですけど」
「………ところで、意地悪な継母と義姉たちは、ちゃんと舞踏会に出かけたのかい?」
魔女ギルドから、シンデレラを舞踏会に行かせる仕事を請け負った魔法使い。
渡された調査書によれば、彼女は義理の家族から虐げられているはずでした。
しかし、見たところ四人の女性が暮らしているようには思えません。
「意地悪だったかどうかわかりませんが、父が亡くなって早々に出て行きましたよ」
「え?」
「おかげで生活費が減って、助かりましたが」
「ん?」
「そんなことより、十二時までの魔法というのは残念ですが、それだけ時間があれば、舞踏会の軽食コーナーでお腹いっぱい食べられるはず。
急いで出かけなくては!」
「ああ、うん、くれぐれも時間に気を付けて行っておいで」
「魔法使いさん、ありがとうございました」
なかなか品よく礼を取り、馬車で出かけるシンデレラ。
もともとは裕福な商家に生まれた彼女。
母親は貴族家の出身だったため、実はそれなりの教養を身に着けているのでした。
「マナーは大丈夫なようだけど。なんか、心配な娘だね」
ですが、依頼された仕事はここまで。
余計な手出しをすれば自分がペナルティーをくらってしまいます。
魔法使いはあっさりと引き上げました。
幸福な子供時代を過ごしたシンデレラでしたが、物心つく前に母を亡くしています。
一年前に父が亡くなると、後妻である継母と連れ子の義姉たちの態度が豹変しました。
『シンデレラ、お金がもったいないわ。
使用人は全員解雇して、あんたが家事をやりなさい!』
継母は、そう命じました。
しかし、シンデレラは動じません。
『お義母様、当たり前のことをわざわざおっしゃらなくても大丈夫です。
こんなこともあろうかと、家事一切も学びました。
わたしが家のことをいたしますから、お義母様とお義姉様がたは働きに出てくださいませ。
この家を維持していくためには、一週間一人当たりのノルマはこの額です。
最初の週は無償でお世話いたしますが、ノルマが達成できなければ、翌週の食事はございませんので悪しからず』
『お前、義理とはいえ母と姉をこき使おうというの!?』
シンデレラは帳簿を持ち出します。
『生活費がこれだけかかり、現在の貯蓄はこれだけです。
不要なものは売り払いますが、それでも、皆さんには稼いでいただかなくては行き詰ってしまいます』
『………』
継母も義姉たちも返す言葉がありません。
三人はその夜、こそこそと相談をしました。
『こんなはずじゃなかったのに』
『遺産ガッポリで左うちわじゃなかったの?』
『これじゃ、シンデレラにわたしたちが搾取されてしまうわ!』
結局、翌朝暗いうちに三人は屋敷を逃げ出しました。
こんなことなら、住み込みの使用人として雇われた方がよほどマシ。
豹変した自分たちより上手の、虎のような義娘、義妹からは一刻も早く遠ざかるが吉です。
さて、お城に無事到着したシンデレラは、ダンスそっちのけで軽食コーナーに張り付きます。
『まあ、なんて美味しいローストビーフなのかしら?
こっちはキャビア! んんー、いいお味』
淑女らしくない本音は声に出さず、あくまでも上品に、しかし猛スピードで皿に盛った料理を片付けていくシンデレラ。
美しい装いで若い殿方の目を引きますが、あまりの食事振りに、誰も声をかけられません。
しかし、このままではいけないと、第三王子が勇気を振り絞りました。
そして、声をかけようとした時、丁度、十二時の鐘が鳴り始めたのです。
『もう時間切れ! ドレスにタッパーを隠して来れればよかったんだけど』
まだまだ、たっぷりと盛られたテーブルの料理に後ろ髪を引かれながら、シンデレラは走り出しました。
日頃、家事や畑仕事で立ち働く彼女は、三歩目にはトップスピードに乗り、人混みを駆け抜けます。
第三王子も負けじと追いかけました。
騎士に混じって鍛えている身体能力の見せ場とばかり、見事な走りを見せます。
やがて第三王子は、階段を下りる途中のシンデレラの姿を捉えました。
逃げ切られてしまうかと思ったのですが、どうしたはずみか彼女の靴が片方脱げてしまったのです。
シンデレラは立ち止まり、振り向きます。
ガラスの靴を間に二人が対峙した時、十二時の鐘が鳴り終わりました。
声をかけようとした第三王子でしたが、目の前の出来事に何も言えません。
誰よりも美しかったシンデレラの姿は、見る見る変化していきました。
ドレスはボロボロ、髪型もすっかり崩れ、さきほどとは別人のよう。
可愛らしいままの顔立ちを見れば、同一人物であるに違いないのですが。
この状況で淑女に声をかけていいものかどうか。
第三王子が今まで受けた教育に、その答えは見つかりません。
気まずいけれども、目が合った以上、何か言わなくては。
会話の糸口は無いか、とよく見れば、ガラスの靴だけが先ほどと変わらず、眩く輝いていました。
第三王子はごくりと唾を飲み込むと、シンデレラに話しかけます。
「その、ガラスの靴……」
「わたしのです!」
シンデレラは落ちた靴を拾い上げました。
履いていた方も脱ぐと、両方を胸にしっかりと抱え込みます。
「何かわたしに、ご用でしょうか?」
絶対に、これは渡さないという決意の見える眼差しに、第三王子は圧倒されました。
「い、いや。呼び止めて済まない。気を付けて帰りなさい」
「失礼いたします」
この場で、これ以上は出来ないだろうという美しい礼を取り、シンデレラは裸足で階段を駆け下りていきます。
『ガラスの靴は残ったわ。幾らで売れるかしら。楽しみ』
呆然と見送る第三王子などおかまいなしに、彼女は足取りも軽く帰途を急ぎました。
一週間後のことです。
従者や騎士を引き連れた第三王子が、シンデレラの家を訪ねました。
どうやって家を特定したのか、などというのは愚問です。
ガラスの靴は無事に売れ、大通りで一番大きい靴屋の店先を飾っていました。
第三王子のお訊ねなら、売り主などすぐに判明してしまいます。
「あの、何かご用でしょうか?」
もてなしの用意が出来ないシンデレラは、家の中に第三王子を招く気は全くありません。
父が商人として活躍していた頃は羽振りの良かったシンデレラの家。
既に使用人もおらず、若い娘一人では手が回らないのです。
玄関前も雑草が茂っていて、煌びやかな第三王子一行にまるでそぐわないのでした。
「突然に、訪ねてすまない」
「では、出直してくださいませ。ごきげんよう!」
けんもほろろなシンデレラ。
「ま、待ってくれ!」
「何でしょうか?」
「僕は……君のことが気になってしょうがないのだ。
舞踏会で何十人と踊ったのに、踊らなかったはずの君の印象しか残っていない」
「はあ」
「君のことをもっと知りたい。
出来れば、たまに話し相手になってもらえないだろうか?」
「殿下とお会いするには、服装を整えるだけでも大枚がかかります。
そんな余裕はございませんので、謹んでお断りさせていただきます。では」
扉を閉めようとするシンデレラでしたが、第三王子も簡単には引きません。
「土産を持参した。王宮料理長謹製五段重だ。
これだけでも、受け取ってくれ」
実のところ、舞踏会の料理は無駄になりがち。
そんなところへ現れたシンデレラでしたが、食事の様子を見ていた使用人の報告によれば、彼女はそこにあった全種類の料理を制覇しました。
しかも、本当に美味しそうに、嬉しそうに食べていたのです。
それを知った料理長が、せっかくだからと五段重の用意を申し出たのでした。
扉を大きく開くシンデレラに、第三王子は五段重を渡します。
「次回は、先触れを出す。
それと、僕が君の家を訪ねさせてもらうのだ。
つまり、この家の主である、君の服装をとやかく言うことは無い」
「わかりました。その時はちゃんと、家の中を整えてお待ちしております。
ありがとうございます。お重、とても嬉しいです」
全身を現したシンデレラは、きちんと繕ってあるものの、相当に年季の入った服を着ています。
しかし、自分の姿を恥じることなく、きちんとお礼を告げるその笑顔に、第三王子の心は撃ち抜かれました。
「答えにくければ答えずともよいが。
そもそも、どうして困窮してまで一人で屋敷を守っているのだ?」
第三王子は約束通り先触れを出し再び、いえ、何度も訪ねて来ました。
素晴らしいお土産にすっかり絆されたシンデレラは、微笑んで迎え入れます。
「母が亡くなり、父が亡くなり、そして義理の家族まで出て行ってしまいました。
大切な家族の思い出のある家を守れるのは、わたしだけです」
「そうか。大切な家を守りたいのか。
うーん、それならば……こういうのはどうだろう?」
「なんでしょうか?」
「この家は一人で住むには広い。部屋を誰かに貸してはどうだ?」
「貸す?」
「君は大家兼管理人として住み続けることができるし、賃貸料が入って来る。
これまでの生活をさほど変えることなく、経済的には助かるはずだ」
どんなに頑張ってみても、一人だけではそろそろ限界でした。
思わず頷くと、第三王子は笑顔になりました。
「提案するだけではいけないからな、間借り人は僕が紹介しよう。
君が僕を信用してくれるなら、だが?」
「もちろん、信用しています」
第三王子は数回の訪問で、一度も強引に迫ったことはありません。
じわじわ攻める戦略が功を奏し、シンデレラはすっかり懐柔されていました。
「では、全て僕に任せてくれるね?」
「はい、よろしくお願いします」
翌日から、シンデレラの生活は一変しました。
先ずは賃貸の契約書を作成しなければ、と王城に呼び出され、その間に家を改修する、改修費は家賃から少しずつ返せるから大丈夫と、いろんな書類にサインをさせられます。
半月ほど王城の貴賓室に留め置かれ、当たり前のように美しいドレスや小物を用意され、何人もの侍女に世話を受ける日々。
両親ともに元気だった頃に戻ったようですが、普段の生活とあまりにも落差があります。
そのせいか、幸福よりも戸惑いと切なさを感じてしまうのでした。
やっと帰宅を許されて戻ってみると、家が見違えるほど綺麗になっていました。もはや、お屋敷と呼ぶべきです。
玄関前には間借り人と思しき、何人もの人が勢ぞろいしています。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま戻りました。……お嬢様?」
「はい、年若い大家さんのことはお嬢様とお呼びすることがあるのですよ。
申し遅れましたが、私は間借り人代表の執事でございます」
三十代くらいのそこそこ美形の自称執事が、流れるように口上を述べます。
「執事、さん?」
「はい、執事でございますので、何なりとお申し付けくださいませ」
「何なりと、って、皆さん昼間は働きに行かれるのですよね?」
「はい、昼間はこの家の使用人として働かせていただきます」
「え? それは……話が違います」
「ちなみに、私どもの雇い主は第三王子です。
全ては殿下の主導で行われておりますので、何か疑問を持たれたり、契約内容を変更したいと思われた時には、すぐに殿下をお呼びいたします」
「はい……?」
「ご了承いただけたところで、さあ、久しぶりのご自分の家で、お寛ぎくださいませ」
あきらかに胡散臭い執事ですが、第三王子が寄越した人であれば追い返すことも出来ません。
ここは、言いくるめられるしかないようです。
翌日訪ねて来た第三王子は、説明など飛ばして本気で口説きにかかってきました。
「僕はね、側妃から生まれた第三王子だから、婚姻して王宮から出る定めだ。
幸い国は平穏で、政略結婚を無理強いされることは無い。
だが、この人、という女性にはなかなか出会うことが無かった。
逃がしたくない、と思ったのは、君が初めてだったんだよ」
「………」
「君を王宮に呼んだ時、為人を家族や宰相に確認してもらった。
その結果、皆からも認めてもらえたんだ」
「………」
「というわけで、正式に婚約してもらえないかと思うんだが。
嫌かい?
……もしも、どうしても嫌なら、このまま使用人だけ置いて行くよ。
そうなれば、君は僕の雇った者たちの大家だ。
雇い主の住環境を確認するため、たまに訪ねて来ることにしよう……うん」
やることは大胆なのに、急に失速する第三王子。
その様子を見れば、なぜか彼の希望を叶えてあげたいと思ってしまうシンデレラ。
市井のただの娘に、これだけ心を尽くしてくれる男性は、他にいないでしょう。
「あの」
「うん」
「もしも、わたしと婚姻したら、殿下はこの家に一緒に住むのですか?」
「うん、出来れば。
婚姻が成れば、ここを新設の公爵家にしたい」
「そうなったら、わたし、ずっとここで暮らせるのですね」
「うん、賃貸料も一生払い続けるよ。家主は君だからね。
……そのついでで、いいんだ。
僕を、君の家族にして欲しい」
シンデレラの不安は消えました。
第三王子は、この家に住み、家族になりたいと言ってくれたのですから。
「わかりました。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「本当に、いいんだね? こちらこそ、よろしく。
……あと、僕の母上が側妃を辞して、王宮から出たいと言っているんだけど、連れてきてもいいかな?」
王宮に世話になっている間に、側妃様には何度かお茶に誘われました。
茶目っ気があって明るく、第三王子の母というより姉のような雰囲気の方です。
「もちろんです。家族が増えるのは嬉しいことです」
シンデレラの微笑に、第三王子も微笑みを返しました。